湘南乃海桃太郎
湘南乃海 桃太郎(しょうなんのうみ ももたろう、1998年4月8日 - )は、神奈川県中郡大磯町出身で、高田川部屋所属の現役大相撲力士。本名は谷松 将人(たにまつ しょうと)。身長194cm、体重185kg、、血液型はO型。最高位は西前頭5枚目(2023年9月場所・2024年7月場所-9月場所)。 来歴入門前スポーツ一家で育ち、父親が野球の指導者をしていたこともあり、小学生時代から野球クラブチームに入り、高校生に間違われる恵まれた体格を持ち活躍していた。小学6年生で既に身長は189cmを計測[2]。中学生時代は怪我で大会に欠場することが多かった為、野球には縁がないと感じていた。そこに父親が相撲を勧めて、ドラマ『千代の富士物語』を見たことで昭和の大横綱に憧れを抱き、太っているイメージが無くなり、父親の従兄弟の先輩が親方をしている相撲部屋などへ見学に行き相撲への印象が変わった[3]。 中学校から帰ると、父親と近くの公園に行き基礎トレーニングを行った。あまりにもハードなトレーニングで、近所から「大男がケンカをしている」と通報されパトカーが出動したこともある。 高田川部屋は最初に見学に行った部屋であったが、9代高田川(元関脇・安芸乃島)の「日本人の強い横綱が必要。君がヒーローになれ」の一言で入門を決意し、2014年3月場所で初土俵[3]。地元に因んだ四股名の下の名前の「桃太郎」は強い相手を鬼と見立て、鬼を退治するという意味が込められている[4]。 入門後2014年5月場所で初めて番付に名前が載ると、序ノ口は1場所で通過した。同年7月場所で序二段、11月場所で三段目と昇進したが、三段目では勝ち越せず、2015年までは三段目と序二段の往復が続いた。2016年1月場所で初めて三段目で勝ち越すと、5場所連続で勝ち越し、同年11月場所で初めて幕下に昇進した。2022年9月場所の5番相撲では、元大関の朝乃山と対戦して話題となった(寄り切りで黒星)[5]。この場所は5勝2敗と勝ち越し、番付運と十両から落ちる力士の数次第では関取昇進も有り得たが、場所後の関取昇進はならなかった。11月場所は勝ち越せば関取昇進が十分望める西幕下筆頭まで最高位を更新、同場所で再び5勝2敗の成績を収め、2023年1月場所での新十両昇進が内定した。 新十両以降十両昇進の際には「どんどん上を目指していきたい。横綱になりたい」と宣言[6]。父親は「俺はおめでとうとは言わない。遅いくらいだ。遅い分を取り返せ」と発破を掛けた[7]。そしてその新十両の場所から12勝、9勝、11勝と好成績を挙げ7月場所に新入幕。場所は10勝5敗の成績を残し、千秋楽勝てばという条件付きで敢闘賞を受賞することになり、勝って受賞を決め[8]、場所前に掲げた目標を達成した格好となった。9月場所は9枚上昇と番付運に恵まれ、最高位を一気に西前頭5枚目まで更新。2024年3月場所は西前頭12枚目で8勝し、5月場所は13日目を迎える時点で、9勝3敗で琴櫻、大の里、欧勝馬と共にトップを走る。しかし、その後阿炎、大の里と連敗し、千秋楽も敗れて9勝6敗と至って平凡な星に終わった。 取り口関取昇進前の幕下で停滞していた頃は追い込まれた時の安易な叩き癖があったが、攻めの相撲を覚えて十両昇進を射止めた[2]。十両昇進時点では突き押しと左四つの相撲が得意で、右上手投げもある。野球で鍛えたのか横の動きを活かした叩き込みも武器[3]。 部屋の若い衆である大乗は力士生活の傍らで夜間の写真専門学校を卒業し、その腕前を活かして稽古中に湘南乃海の写真を撮影して立合いの研究に活かしている[9]。 2024年5月場所では優勝争いに加わったが、場所後に元武蔵丸の武蔵川親方のコラムで立合いで真っ直ぐ当たらない相撲など内容の悪さを指摘され「体だけ」と酷評された[10]。 投げも得意手で、2024年の年間6場所全てで幕内に在位していた29人のうち3位である投げでの11勝を挙げている[11]。 主な成績2024年11月場所終了現在 通算成績
三賞・金星
場所別成績
合い口2024年11月場所終了現在 (最高位が横綱または大関の現役力士)
(最高位が横綱または大関の引退力士) 幕内対戦成績
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2024年11月場所終了現在、現役力士。
改名歴
脚注
関連項目外部リンク
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