川副圭太
川副 圭太(かわぞえ けいた、1999年4月10日 - )は、熊本県宇土市出身で、伊勢ヶ濱部屋(入門時は宮城野部屋)所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長173.0cm、体重117.0kg。最高位は東十両13枚目(2023年7月場所 - 9月場所)。 尊敬する力士は白鵬、同郷の先輩天鎧鵬。2023年7月場所から2024年3月場所までの旧四股名は輝鵬 智貴(きほう ともたか)。 来歴保育園の時に出場した相撲大会で女子に投げられたことがきっかけとなり、「この子に勝つまでは絶対に相撲を辞められない」との思いから、宇土市立花園小学校1年次から地元の宇土少年相撲クラブに通い始めた[2][3]。宇土市立鶴城中学校3年次に全国都道府県中学生相撲選手権大会軽量級優勝、白鵬杯個人優勝を経験[3]。文徳高校では2年次に国民体育大会相撲競技少年の部個人優勝、全国高等学校相撲選抜大会100kg級優勝、3年次に宇佐大会団体優勝の実績を残した[3]。日本大学文理学部体育学科時代は3年次に全国学生相撲個人体重別選手権大会無差別級優勝、4年次に全国学生相撲選手権大会個人優勝(学生横綱)など全部で4の個人タイトルを獲得した[3]。 大学卒業後は13代宮城野(元横綱・白鵬)の誘いで大相撲の宮城野部屋に入門[3]。大学4年次に右アキレス腱部分断裂などの負傷をしていた影響から、初土俵は大学卒業から半年後の2022年9月場所となった[4]。2021年度の学生横綱であるため、2022年7月28日の日本相撲協会理事会で幕下15枚目格付出での入門が承認された[5]。 初土俵の場所は、2日目(1番相撲)に大関経験者の朝乃山に敗れて黒星でのデビューとなった[6]。4日目(2番相撲)の西乃龍戦で初白星を挙げ[7]、14日目(7番相撲)の北天海戦で勝ち越しを決めた[8]。成績次第で関取昇進が見える西幕下3枚目に番付を上げた2023年3月場所は初日の1番相撲から4連勝で勝ち越し。4番相撲での勝ち越しは自身初[9]。しかし残りを3連敗して場所を4勝3敗で終え[10]、場所後の番付編成会議では十両昇進は見送られた[11]。5月場所は11日目の6番相撲で勝ち越しを決め、この時点で十両昇進が濃厚視されることとなった[12]。5月31日に開かれた番付編成会議で、7月場所の新十両昇進が正式に発表された[13]。新十両を機に、四股名を「アマチュア時代のように大相撲でも輝く力士になってほしい」という思いが込められた「輝鵬」に改名し、下の名も両親の名前から1字ずつ取った名前の「智貴」に改名した[14][15]。この場所は11日目まで7勝4敗であったが、その11日目の天空海戦で浴びせ倒しに敗れた時に左足親指を痛め、車いすで相撲診療所へ運ばれた[16]。12日目から休場となったが、この時点で「既に7勝で十両残留は確実」と報じられた[17]。初めて髷を結って迎えた翌9月場所は東十両13枚目に据え置きとなり、9日目時点で4勝5敗だったが、10日目の千代丸戦で脚を痛め、11日目幕下英乃海との取組には出場したものの敗れ、12日目から途中休場、4勝8敗3休に終わり、十両在位2場所で幕下へ陥落となった。11月場所はリスフラン関節靱帯の再建手術に踏み切り、自身初の全休で来場所は初土俵の場所よりも低い番付に下げることが確定的となった[18]。 2024年3月28日、日本相撲協会の理事会で宮城野部屋は同年4月以降無期限で伊勢ヶ濱一門預かりとなり、宮城野部屋に所属する全員が同一門の伊勢ヶ濱部屋に転籍することを決定した[19]。同年5月場所から四股名を入門当初の川副に戻した[20]。その5月場所は、復帰戦として13日目に1番だけ相撲を取って白星を挙げ[21]、序二段に番付を下げた7月場所で皆勤して6勝1敗の成績を修めた。翌9月場所は7戦全勝で三段目優勝[22]。しかし、11月場所は1番相撲に勝っただけで2番相撲から再び休場した。 取り口軽量ながら立合いは胸を出す右差し狙いが大半で、相手に組まれてもうっちゃりがある[23]。 一方土俵際で残し過ぎる面もあり、2022年9月場所2日目の1番相撲では海老反りになってから背中から倒れる相撲を12代芝田山(元横綱・大乃国)から「こういう相撲を取るのはプロじゃなくてアマチュアなんですよ。プロはあそこまでいったら危ないと思って力を抜くというか、あそこまで粘らないですね」と指摘された[24]。 貴闘力はうっちゃりを評価しつつも「炎鵬の力が強い版みたいな」とパワーを一定程度認めている[25]。 2023年7月場所10日目には187kgの大奄美を吊り上げる力相撲を見せた(決まり手は寄り切りで白星)[26]。 人物
主な成績2024年11月場所終了現在 通算成績
各段優勝
場所別成績
改名歴
脚注注釈出典
関連項目外部リンク
|