志摩ノ海航洋
志摩ノ海 航洋(しまのうみ こうよう、1989年7月11日 - )は、三重県志摩市出身で、木瀬部屋所属の現役大相撲力士。本名は福薗 航洋(ふくぞの こうよう)。結婚前の旧姓は「濱口」。身長177cm、体重160.0kg。最高位は西前頭3枚目(2021年3月場所)。趣味はトレーニング、懐メロ(河島英五など)鑑賞[1]。好物は肉、嫌いなものは寿司[1]。目標とする力士は武双山、琴奨菊[1]。ライバルは英乃海[1]。 来歴布施田小学校3年生の時に相撲を始め[3]、地元の志友館相撲道場で稽古に励んだ[4]。和具中学校(現:志摩中学校)在学中から松ヶ根部屋をはじめ複数の相撲部屋からスカウトはあったが、この段階では入門しなかった。小学校3年から中学校3年まで相撲の他に野球をやっていたが、あくまで相撲がメインであったため行ったのは基礎トレーニングのみであった[1]。中学卒業後は明徳義塾高校に進学したが、高校在学中は部員不足などで不完全燃焼に終わったため、高卒で入門することは諦めた[1]。その後近畿大学[3]経営学部に進学。大学時代は西日本学生相撲新人選手権大会で早速団体・個人共に優勝。その後も団体戦レギュラーとなり、3年次に全国学生相撲選手権大会で団体優勝などの活躍をした。しかし個人戦では優勝の実績は少なく、大学在学中には大相撲の幕下付出資格を取得することができなかった。 大学卒業後は大相撲の世界へ進むことを決意。「強い人がたくさんいる部屋で刺激を受けたい。」という理由で木瀬部屋に入門して2012年5月場所に初土俵を踏んだ。初めて番付に名前が載った同年7月場所ではいきなり7戦全勝として序ノ口優勝決定戦で岩崎(後の英乃海)との同部屋決戦に臨んだが、敗れて優勝はできなかった[5]。序二段に昇格した9月場所でも7戦全勝としたが、またもや岩崎との優勝決定戦に敗れ、2場所続けて各段優勝を逃した[6]。三段目に昇格した11月場所は、2日目(1番相撲)に貴月芳に敗れて初土俵からの連勝記録は14でストップした。三段目2場所目となった翌2013年1月場所ではまた1番相撲から連勝が続き、土付かずの7戦全勝を果たした。この場所は他に三段目で7戦全勝を達成したものはおらず、優勝決定戦は行われず初の各段優勝が決まった[7]。同年3月場所は、この大健闘により、全勝すれば翌場所に十両昇進が可能とされる幕下15枚目以内の番付まで一気に躍進。7月場所では西幕下4枚目とついに関取昇進も目前の番付まで上がったが、7日目(4番相撲)の千代丸戦で敗れた際に左膝前十字靭帯断裂[8]の大怪我を負って9日目から途中休場することになってしまった(5番目の千代皇戦は不戦敗)。翌9月場所以降も、怪我が治らずに休場を続けた。 2014年7月場所で土俵復帰したが、番付は序ノ口まで転落。この場所は7戦全勝で序ノ口優勝を果たした。翌9月場所も序二段優勝を果たし、優勝インタビューでは「落ち着いていけたことが良かった。膝の痛みはまだあるが、腫れはなくなってきた。とにかく前に出るしかない。幕下に戻るまでは、このまま全勝でいきたい。」と怪我の快癒を明かしつつ今後の抱負を語った[9]。三段目に復帰した翌11月場所では3日目の3番相撲で元幕内の大喜鵬に敗れ、上述の「抱負」は叶わなかったが、翌2015年1月場所で幕下に復帰。2016年1月場所では6勝1敗で幕下の優勝決定戦に進出し、1回戦で同部屋の宇良と対戦した[10]。5月場所では東幕下5枚目で千秋楽の元十両・竜電戦で勝ち越して4勝3敗と、通常ならば幕下に留め置かれる成績だったが、十両下位及び幕下上位に負け越した力士が多かった関係で場所後の新十両が決定した[11]。志摩市からは初の関取[12]。このタイミングで師匠・木村瀬平の現役時代の四股名肥後ノ海にちなみ、「志摩ノ海」に改めた[3]。十両昇進後、志摩ノ海は復帰するまでの稽古やトレーニングについて「自由にやらせてくれた」と木瀬に感謝するコメントを残しており「親方はその人のレベルに合った話しかしないので、自分でレベルを上げていってさらに高いレベルの話を聞きたいと思って頑張ってきた。強くなったら『次はこれだ』と新たな課題も出してくれる」とも話した[13]。同年7月2日には伊勢志摩ロイヤルホテルで自身の新十両祝賀会が開かれ、関係者・後援者・ファンなど470人以上が駆け付けた。志摩ノ海は「ここまで来れたのは地元の方々や応援していただいている方々のおかげ。将来は武双山関のような相撲をとれる力士になりたい」と話し、三重県からは57代横綱・三重ノ海以来横綱が出ていない旨を記者に言及された際には「できるだけ上に上がれるように頑張りたい」と目を細めた[14]。7月場所は中日まで4勝3敗と一進一退であったが、9日目から8連敗して4勝11敗と大敗を喫し、幕下からの出直しを余儀なくされた。 その後も幕下15枚目以内の番付を維持し、2017年5月場所では西幕下5枚目の番付で5勝2敗の成績を挙げるが、この場所では十両下位で負け越して幕下陥落が見込まれる力士が2人しかいなかったのに対し、東幕下筆頭の阿炎が5勝2敗・西幕下2枚目の岩崎が6勝1敗と志摩ノ海の成績を上回った関係上、翌7月場所は西幕下2枚目に留まって3勝4敗と負け越し。翌9月場所中には「ウチは下からガンガン来るから厳しい。宇良の時のように、もう下に抜かれるのはごめんです」と心境を語り[15]、西幕下5枚目で5勝2敗と勝ち越したが、またしても2017年5月場所と同様の事態が発生し、翌11月場所では西幕下3枚目に留め置かれた。以降は勝ち越しを続け、西幕下2枚目で迎えた2018年1月場所で5勝2敗の成績を修め、場所後の番付編成会議で10場所ぶりの十両復帰が決まった[16]。十両復帰の3月場所は、自己最高位を更新する西十両11枚目の番付で迎えた。中日までに2勝6敗と苦しい星勘定だったが、中日以降は見違えるような相撲で7連勝とし、9勝6敗の成績で十両で初めて勝ち越した。9月場所は「前半は当たりが悪かった」と自認する調子の上がらない相撲に終始し、中日まで3勝5敗。途中から「叩かれてもいいから思い切り当たろう」と意識を変えたが、この場所は5勝10敗と成績が付いて行かなかった[17]。2019年1月場所と3月場所は連続で十両優勝。2場所連続の十両優勝は、2014年7月場所から9月場所の栃ノ心に続き平成で9人目。優勝の際に「安美錦関を見習いたい」と飛躍を誓うコメントを残し、春巡業の始まりとなる地元の伊勢神宮の奉納相撲で凱旋することになった[18]。 令和初の本場所となった2019年5月場所は東前頭12枚目に番付を上げて、炎鵬と共に「令和初の新入幕力士」となった。序盤は黒星が先行し9日目まで4勝5敗としていたが、10日目からは6連勝で10勝5敗と大きく勝ち越し、敢闘賞受賞を果たした。その後は幕内下位での土俵が続き、2020年11月場所は幕尻となる東前頭17枚目の地位で迎えたが、この場所は終盤まで優勝争いに加わり、12日目の時点で同率首位の座を維持した。13日目には自身初の結びの一番でこちらも初となる大関戦を経験。この大関戦を含め、上位力士や好調力士との割が組まれたこともあり終盤3連敗で場所を終えたが、11勝4敗の好成績で敢闘賞を受賞。志摩ノ海は、高校・大学の先輩で兄弟子でもある徳勝龍の幕尻優勝から大きな刺激を受けたという。パレードの旗手を務めた時には、祝福する思いの一方で「悔しいなという気持ちでずっと見ていた」とのこと。優勝はならなかったが、「自分の相撲を取れると勝てることが分かった」と大きな手応えを得た[19]。 2021年3月場所は先場所9勝の成績ながら一気に番付を6枚半も上昇させ、自己最高位となる西前頭3枚目でむかえた。初日は霧馬山に勝利するも、その後は6連敗を喫するなど、星は伸びず、最終的には4勝11敗と大きく負け越した。しかし、10日目には、この場所、大関昇進をかけ、最終的には優勝も果たすこととなる照ノ富士を破る活躍を見せた。 2022年7月場所は1勝14敗と大敗を喫し、十両に陥落した。翌9月場所は東十両筆頭で4勝11敗と大きく負け越した。 2023年1月場所で関取在位30場所に到達。結婚当初より年寄名跡『井筒』は志摩ノ海が襲名することが有力と見られていた[20][21][22]が、これにより襲名に必要な実績要件を満たすこととなった。一方で夫人の父親である15代井筒親方(逆鉾昭廣)の直弟子だった鶴竜力三郎(引退後は陸奥部屋付きの現役名年寄、後に音羽山を襲名して音羽山部屋を創設)も襲名および井筒部屋の再興に意欲を見せていることと、部屋を新設する条件を満たしていないことと、所属する一門の関係から、見通しは不透明となっていた。この場所は5勝10敗で5場所連続の負け越しとなった。3月場所は東十両11枚目の地位で5勝10敗の負け越しを喫し、翌5月場所での幕下陥落が十分見える状況となったがわずか2枚半下降と番付運に恵まれて西十両13枚目に踏みとどまった。5月場所は8勝7敗と十両残留を確定させた。7月場所、西十両10枚目で同年3度目の5勝10敗となるも、他力士の成績の兼ね合いで9月場所は東十両12枚目と僅か1枚半の降格となる。その間、同部屋の明瀬山が引退を表明、17代井筒を襲名した。東十両11枚目で迎えた9月場所は7勝8敗と踏みとどまって翌11月場所も同地位に残留。11月場所11日目の水戸龍戦は、幕内も含めれば場所2度目、十両では24年ぶりとなる水入りとなりその取組は押し出しで敗れたものの、9勝6敗で3場所ぶり同年2度目の勝ち越し。2024年に入り、1月は東十両8枚目で6勝9敗、3月場所は東十両9枚目で5勝10敗と負け越すが、東十両11枚目で迎えた5月場所は2度の4連勝で9日目に早くも3場所ぶりの勝ち越しを決め、同日時点で無敗の遠藤を追い優勝争いに名を連ねる。しかし10日目に同じく1敗の阿武剋との取組に敗れるとそこから5連敗し優勝争いから脱落、千秋楽に6日ぶりに勝利したものの9勝6敗に終わった。2024年9月場所は6勝9敗で、11月場所は番付運に恵まれて半枚降下に留まった。 取り口
エピソード下位時代
郷土力士として
記録
評価
趣味・嗜好
私生活
不浄負けの危機
主な成績2024年11月場所終了現在 通算成績
各段優勝
三賞・金星
場所別成績
合い口2024年11月場所終了現在 (以下は最高位が横綱・大関の現役力士)
(以下は最高位が横綱・大関の引退力士)
幕内対戦成績
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2024年11月場所終了現在、現役力士。
改名歴
脚注
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