鹿追町(しかおいちょう)は、北海道河東郡にある町。
地名の由来
町名はアイヌ語の「クテクウシ」に由来している[1]。クテクウシの「ク」とは弓の呼び名であるが、この場合は機弓(アマッポ)という意味である[1]。「クテク」とは柵を結んでアマッポーを仕掛けて鹿を猟をする所であり、「クテク・ウシ」(鹿捕り柵、あるもの)のところとなる[1]。これを和訳した地名が「鹿追」である[1]。
地理
十勝平野の北西部に位置しており、北は上士幌町、北東に士幌町、南は音更町、南西は芽室町・清水町、西は新得町に接している[2]。町の北辺が大雪山国立公園の区域となっており、ウペペサンケ山、ピシカチナイ山、東西のヌプカウシヌプリなどの山々が林立する高山となっているが、南下するに従って然別湖を水源とする然別川が作った扇状地が広がっている[2]。町内の全域が「とかち鹿追ジオパーク」として「日本ジオパーク」に認定されている。
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ウペペサンケ山(2014年9月)
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然別湖と天望山(2006年9月)
人口
人口は、終戦後に集団疎開者などの入植や自衛隊駐屯地の誘致によって増加し、1961年(昭和36年)には10,778人に達した。その後は、冷害や他産業が発展した影響によって農業者の離農が進み、減少の一途を辿ってきたが、1965年(昭和40年)以降は酪農や寒冷地作物の振興策、農業基盤整備などの施策により、横ばい傾向になっている。
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鹿追町と全国の年齢別人口分布(2005年)
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鹿追町の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 鹿追町 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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鹿追町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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7,883人
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1975年(昭和50年)
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6,929人
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1980年(昭和55年)
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6,744人
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1985年(昭和60年)
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6,480人
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1990年(平成2年)
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6,307人
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1995年(平成7年)
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6,089人
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2000年(平成12年)
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5,910人
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2005年(平成17年)
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5,876人
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2010年(平成22年)
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5,702人
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2015年(平成27年)
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5,542人
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2020年(令和2年)
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5,266人
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総務省統計局 国勢調査より
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気候
ケッペンの気候区分によると、鹿追町は湿潤大陸性気候に属する。寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。降雪量が多く、豪雪地帯に指定されている。
冬季は-20℃前後の気温が観測されることが珍しくなく、寒さが厳しい。1月の平均最低気温は-11.9度と、隣接する新得町と同じように十勝の中では冷え込みが弱い。
鹿追(1991年 - 2020年)の気候
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月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
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最高気温記録 °C (°F)
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7.4 (45.3)
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13.1 (55.6)
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16.9 (62.4)
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27.8 (82)
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36.5 (97.7)
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36.0 (96.8)
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36.1 (97)
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35.7 (96.3)
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34.0 (93.2)
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28.5 (83.3)
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20.2 (68.4)
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14.2 (57.6)
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36.5 (97.7)
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平均最高気温 °C (°F)
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−2.5 (27.5)
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−1.7 (28.9)
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2.9 (37.2)
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10.4 (50.7)
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16.9 (62.4)
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20.4 (68.7)
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23.3 (73.9)
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24.3 (75.7)
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20.8 (69.4)
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14.5 (58.1)
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6.9 (44.4)
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−0.2 (31.6)
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11.3 (52.3)
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日平均気温 °C (°F)
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−6.7 (19.9)
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−6.2 (20.8)
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−1.6 (29.1)
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5.0 (41)
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11.0 (51.8)
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14.8 (58.6)
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18.5 (65.3)
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19.6 (67.3)
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15.9 (60.6)
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9.5 (49.1)
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2.8 (37)
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−3.9 (25)
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6.6 (43.9)
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平均最低気温 °C (°F)
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−11.9 (10.6)
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−11.8 (10.8)
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−6.5 (20.3)
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−0.2 (31.6)
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5.5 (41.9)
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10.1 (50.2)
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14.5 (58.1)
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15.6 (60.1)
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11.5 (52.7)
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4.7 (40.5)
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−1.3 (29.7)
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−8.2 (17.2)
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1.8 (35.2)
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最低気温記録 °C (°F)
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−26.3 (−15.3)
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−25.2 (−13.4)
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−21.3 (−6.3)
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−12.4 (9.7)
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−4.3 (24.3)
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0.0 (32)
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4.6 (40.3)
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6.2 (43.2)
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1.4 (34.5)
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−3.9 (25)
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−12.4 (9.7)
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−19.0 (−2.2)
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−26.3 (−15.3)
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降水量 mm (inch)
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34.1 (1.343)
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27.7 (1.091)
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41.5 (1.634)
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54.4 (2.142)
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83.9 (3.303)
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81.9 (3.224)
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128.7 (5.067)
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168.4 (6.63)
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141.7 (5.579)
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88.2 (3.472)
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56.5 (2.224)
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45.9 (1.807)
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952.8 (37.512)
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平均降水日数 (≥1.0 mm)
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6.7
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6.3
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8.0
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9.0
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9.8
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10.3
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12.4
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12.7
|
11.7
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9.9
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9.2
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8.2
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114.2
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平均月間日照時間
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153.0
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152.5
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189.4
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181.4
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176.2
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133.8
|
113.7
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119.8
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139.9
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160.6
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140.2
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133.6
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1,794.3
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出典1:Japan Meteorological Agency
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出典2:気象庁[4]
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歴史
鹿追町は、1902年(明治35年)に東京の山田松次郎が現在の下市街付近に入植したことが始まりであると言われている。1913年(大正2年)には駅逓所が開設し、本州各地から移住団体などが入植することで次第にまちづくりが進んでいった。
姉妹都市
行政
議会
- 議員定数:11人
- 議会
- 委員会
- 総務文教常任委員会
- 産業厚生常任委員会
- 広報広聴常任委員会
- 議会運営委員会
- 特別委員会
官公署
国の機関
道の機関
公共施設
- 鹿追町民ホール
- 神田日勝記念美術館
- 鹿追町図書館
- 鹿追町ピュアモルトクラブハウス
- 鹿追町農業振興センター
- 鹿追町広域総合交流促進施設
- 瓜幕活性化施設
- うりまく夢創造館(ものづくり体験工房)
- 鹿追自然体験留学センター
- 鹿追町トリムセンター
- 鹿追町総合スポーツセンター
- 鹿追町営ソフトボール場
- 鹿追町営野球場
- 鹿追町町営テニスコート
- 鹿追町弓道場
- 鹿追町営総合グラウンド
- 健康温水プールしかおい
- 鹿追町瓜幕プール
- 鹿追町ライディングパーク
- 鹿追町営牧場
- 鹿追町ひまわりセンター
- 鹿追町環境保全センター
- 笹川墓地
- 鹿追町葬斎場
公的機関
警察
消防
病院
電力
教育機関
高等学校
中学校
小学校
- 鹿追町立鹿追小学校
- 鹿追町立笹川小学校
- 鹿追町立上幌内小学校
- 鹿追町立瓜幕小学校
- 鹿追町立通明小学校
認定こども園
保育所
- 鹿追町立瓜幕保育所
- 鹿追町立通明保育所
- 鹿追町立上幌内保育所
経済・産業
鹿追町の農業は酪農と畑作が主体であり、一部で混合経営が営まれている[9]。基幹作目は牛乳、甜菜、馬鈴薯、豆類、小麦、飼料などであり、適正な輪作の確立と肉用牛の飼養などによる地力の増進を図っている。また、最近ではキャベツやアスパラガスなどの野菜の栽培にも力を入れている[9]。土地基盤整備は「農業近代化施設整備事業」によって生産の合理化を進めるため、高能率大型機械や生産施設を導入しており、生産組織の育成と集団活動の推進を図っている[9]。また、コントラクター(農作業請負集団)を整備し、経営の弾力性、ゆとりの創出などを目指している[9]。2007年(平成19年)にはバイオマスを有効資源として活用するため、バイオガスのプラントを核とする「鹿追町環境保全センター」が稼働開始した。2016年(平成28年)には瓜幕地区にもバイオガスプラントを整備しており、再生可能エネルギーを推進するとともに地域資源による循環型社会の構築を目指している。
組合
スーパーマーケット
金融機関
郵便局
宅配便
交通
鉄道
町内を鉄道路線は通っていない。鉄道を利用する場合の最寄り駅は、JR北海道石勝線および根室本線の新得駅。
廃止された鉄道
かつては新得駅から接続していた北海道拓殖鉄道が運行していたが、1968年(昭和43年)に廃止となっている。また、十勝清水駅から接続していた十勝鉄道(清水部線)はそれより前の1951年(昭和26年)に廃止となっている。
バス
タクシー
道路
町内を通る幹線道路は、シーニックバイウェイの「十勝平野・山麓ルート」になっている[13]。
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道の駅しかおい(2008年9月)
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道の駅うりまく(2008年9月)
船舶
文化財
道指定
町指定
-
北海道拓殖鉄道8622号機(
8620形蒸気機関車)(2009年10月)
観光・レジャー
-
神田日勝記念美術館(2008年9月)
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冬の然別湖(2008年2月)
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かんの温泉(2014年10月)
祭事・催事
- しかりべつ湖コタン(1月下旬から3月)
- しかおい花市(5月下旬)
- 然別湖湖水開き(6月中旬)
- しかおい花フェスタ(7月)
- 白蛇姫まつり(7月第1土曜日)
- 鹿追町民花火大会(7月下旬)
- 鹿追町競ばん馬競技大会(7月下旬)
- しかおい秋まつり(鹿追神社秋季例大祭)(9月中旬)
- 全日本エンデュランス馬術大会(9月中旬)
- 鹿追町ふるさと産業まつり(9月下旬)
- 鹿追そばまつり(10月上旬)
- 鹿追町民文化祭(10月下旬から11月上旬)
名産・特産
鹿追町が舞台(ロケ地)となった作品
映画
- 『女はバス停で服を着替えた』
- 『おしゃべりな写真館』[16]
ドラマ
人物
50音順
出身人物
ゆかりのある人物
町民憲章・宣言・町歌
鹿追町町民憲章
- まえがき
- 1. わたくしたちは、遠く大雪の峰をのぞみ、平和の象徴めおと山のすそのにひろがる豊穣の地鹿追 町の住民です。
- 1. わたくしたちは、開町50周年をむかえ、昔をしのび、将来をより明るく、より豊かな町をつくるため、 ねがいをこめて、この憲章をさだめます。
- 1. 明るく、あたたかい心をもち、互いにたすけあい、魅力ある鹿追の町をつくりましょう。
- 1. 人づくりは、町づくりのことであることに思いをいたし、青少年の教育につとめましょう。
- 1. 人を愛し、自然を愛し、静かな美くしい鹿追の町をつくりましょう。
- 1. 豊かな鹿追町をつくるため、知恵と力を出し合い、互いに手をつないで、仕事にはげみましょう。
- 1. 健康でたくましい開拓精神をうけつぎ、文化の高い輝やく未来に夢をもち、つねに進歩する町民になりましょう。
— 昭和45年8月24日告示[17]
宣言
- 青色申告と諸税完納の町宣言(昭和57年3月16日制定)[18]
- 防犯の町宣言(昭和63年12月19日制定)[18]
- 農畜産物の国内自給促進の町宣言(平成5年3月24日制定)[18]
- 健康づくりの町宣言(平成6年12月20日制定)[18]
- 核兵器廃絶平和都市宣言(平成7年6月29日制定)[18]
- 鹿追町環境美化宣言(平成12年9月1日制定)[18]
鹿追町町歌
脚注
参考文献
- “我が町の姿” (PDF). 鹿追町. 2019年4月13日閲覧。
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
鹿追町に関連するカテゴリがあります。
外部リンク
行政
観光