13世紀
13世紀(じゅうさんせいき)は、西暦1201年から西暦1300年までの100年間を指す世紀。 13世紀の歴史モンゴル帝国全盛(Pax Mongolica)13世紀は、チンギス・カンの興したモンゴル帝国がユーラシア大陸の大半を支配したため、モンゴルの世紀と呼ばれる。モンゴル帝国は交易を奨励、保護しユーラシア大陸を陸路、海路で結ぶ一大交易網が成立した(シルクロードの発展)。ユーラシア各地を多くの技術や情報が行き交い、世界史の転換期のひとつとなった。 ジャワ島では、シンガサリ王国が東部から興ってクディリ王国を倒したが、モンゴル帝国(元)のクビライの遠征軍の派兵により、内部で混乱し滅亡した。しかし、元の遠征軍も内紛の一部勢力と手を結んだが、最後には裏切りに遭いジャワ島より敗退する(1292年、マジャパヒト王国成立)。12世紀に中国を二分した金と南宋は元により滅ぼされた。また、日本も2度にわたる元の侵攻(元寇)に遭ったがこれを撃退している。 十字軍勢力は衰退へ第6回十字軍に赴いた神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は、アイユーブ朝のスルターンアル=カーミルとの交渉によってエルサレムの譲渡を認めさせたが、10年余りで再びイスラム勢力により陥落した(以後、20世紀までエルサレムはイスラムの支配下に置かれる)。その後も十字軍の遠征は行なわれたが、レバントにおける十字軍国家は縮小の一途をたどり、1291年には最後の拠点アッコを失ってエルサレム王国も滅亡、パレスチナ全域がイスラム勢力下に入った。 マグナ・カルタ成立イングランド王国では、国王の権限を制限するマグナ・カルタ(大憲章)が制定された。その後、この憲章は廃止されないまま忘れ去られており中世の時代の中でほとんど影響力を失うが、国王と議会の対立が激しさを増す17世紀に再度注目されることとなる。清教徒革命やアメリカ合衆国建国の際にもマグナ・カルタが引用され、現在のイギリス憲法を構成する前文にも残っている。 できごと1200年代→詳細は「1200年代」を参照
1210年代→詳細は「1210年代」を参照
1220年代→詳細は「1220年代」を参照
1230年代→詳細は「1230年代」を参照
1240年代→詳細は「1240年代」を参照
1250年代→詳細は「1250年代」を参照
1260年代→詳細は「1260年代」を参照
1270年代→詳細は「1270年代」を参照
1280年代→詳細は「1280年代」を参照
1290年代→詳細は「1290年代」を参照
1300年代→詳細は「1300年代」を参照
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