1990年の日本ハムファイターズ(1990ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1990年の日本ハムファイターズの動向をまとめる。
このシーズンの日本ハムファイターズは、近藤貞雄監督の2年目のシーズンである。
概要
近藤監督の1年目を5位で終えたチームは、主力投手の金沢次男をヤクルトへ金銭トレードで放出するなど戦力を再編。打撃陣は切り込み隊長の島田誠の衰えもあり、鈴木慶裕が1番を打つことが多くなるなど、若返りが急速に進んだ。チームは前年優勝の近鉄が開幕から出遅れたこともあり、夏場以降近鉄・オリックスと2位争いを繰り広げた。8月には2位に浮上したものの、投打の戦力が厚い西武の独走を許し、9月23日には西武の胴上げを敵地・西武球場で許した。結局Aクラス入りはならなかったものの4位に食い込み、シーズン勝ち越しで終了。投手陣では不動のエースとなった西崎幸広や柴田保光、松浦宏明などに加えてこの年入団の酒井光次郎がローテーションに入り、3年目の武田一浩が抑えとして活躍するなど盤石で2ケタ勝利投手を多く輩出し、チーム防御率もリーグ2位と健闘したが打線の貧打に泣いた。打撃陣では鈴木や中島輝士などの若手が台頭したが、かつての4番トニー・ブリューワは成績を落とし年齢面もあって退団。オープン戦は不発で近藤監督から「4番として失格」と酷評されたマット・ウインタースが35本塁打を放ち、本塁打王争いの常連となった近鉄のラルフ・ブライアントや西武のオレステス・デストラーデを脅かした。対戦成績ではオリックスに16勝10敗と勝ち越し、近鉄には13勝13敗と健闘した。シーズン終了後、古屋英夫は現役続行を希望して自由契約となり阪神へ、島田が地元球団のダイエーにトレードで移籍した。
チーム成績
レギュラーシーズン
[2]
1990年パシフィック・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
|
9月終了時
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最終成績
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1位
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西武 |
--
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西武 |
--
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西武 |
--
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
2位
|
ロッテ |
2.5
|
オリックス |
5.0
|
オリックス |
4.5
|
オリックス |
9.0
|
オリックス |
16.5
|
オリックス |
11.5
|
オリックス |
12.0
|
3位
|
日本ハム |
2.5
|
日本ハム |
9.0
|
日本ハム |
7.0
|
近鉄 |
11.0
|
日本ハム |
16.5
|
日本ハム |
13.5
|
近鉄 |
14.5
|
4位
|
オリックス |
4.5
|
ロッテ |
11.0
|
近鉄 |
12.0
|
日本ハム |
13.5
|
近鉄 |
18.5
|
近鉄 |
15.5
|
日本ハム |
16.5
|
5位
|
近鉄 |
6.0
|
近鉄 |
13.0
|
ロッテ |
14.0
|
ロッテ |
22.5
|
ロッテ |
27.0
|
ロッテ |
23.5
|
ロッテ |
25.0
|
6位
|
ダイエー |
8.5
|
ダイエー |
19.0
|
ダイエー |
22.5
|
ダイエー |
31.0
|
ダイエー |
35.5
|
ダイエー |
35.0
|
ダイエー |
40.0
|
[1]
オールスターゲーム1990
- 武田一浩
- 西崎幸広
- 田村藤夫
- 田中幸雄
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
脚注
注釈
出典
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。 |