みの もんたこと御法川 法男 (みのりかわ のりお)[2][3]、(1944年〈昭和19年〉8月22日 - )は、日本のフリーアナウンサー、総合司会者、ニュースキャスター、タレント、実業家。
実業家としては、自らの個人芸能事務所を兼ねる企業である株式会社ニッコクの代表取締役会長[4](1999年10月 - 2020年11月までは社長)。東京都世田谷区出身。現在は神奈川県鎌倉市鎌倉山にある旧・山椒洞に在住[5]。
2006年11月28日に「一週間で最も長時間、テレビの生番組に出演する司会者(記録:21時間42分[6])」という記録が、『ギネス・ワールド・レコーズ』に認定された。
2019年秋頃に参列した知人の葬儀で上半身が前に傾く、立っていられないといった自覚症状があり、かかりつけの大学病院の勧めで検査したところパーキンソン病と判明[6]し、療養しながら活動していることを複数のメディアで自ら明かしている。
来歴
父親の御法川正男は宮城県栗原郡鶯沢村(現:栗原市)出身である[7]。
幼少時、伯父が森繁久彌と一緒に芝居をしていた関係で、世田谷区の自宅の離れに森繁が下宿していた事があり[8]、森繁の出演する映画のチケットを貰って、よく見に行っていたことから、小学校に入学した頃には既に映画や芝居に興味を持っていたという[8]。『柔道一代』などの映画の撮影を御法川家で行っていたこともよくあった[9]。
世田谷区立祖師谷小学校[10]、立教中学校(現:立教池袋中学校 進学の理由は当時立教大学野球部で活躍していた長嶋茂雄、杉浦忠、本屋敷錦吾の「立教三羽烏」への憧れから[11])、立教高等学校(現:立教新座高等学校)[12]、立教大学経済学部卒業。大学では放送研究会に所属し、ラジオドラマを製作した。みのは4年先輩で日本テレビに入社していた徳光和夫から「アナウンサーはいいよ」「これからはテレビの時代だよ」と言われ、スタジオ見学などに連れて行ってもらったと述べている[13]。徳光はOB訪問した、みの等に対して「就職の面倒を見る」と発言したが、みのの卒業年の日テレのアナウンサー採用試験がなかったため、みのの日テレ入りは幻に終わっている。
1967年4月、文化放送に入社。就職先の第一志望はTBS(東京放送[注釈 1])だったが、採用試験で不合格となり[14]、TBSに同年入社した久米宏を長年にわたって意識していたと語っている[13]。
文化放送時代
同社ではほとんどの期間をアナウンサーとして活動。同期には落合恵子がいる。最初の2年弱は研修として、同じフジサンケイグループの産業経済新聞社(産経新聞社)に通っていた[注釈 2]。新聞原稿をラジオニュース用の原稿(読み原)に書き換える仕事をしたが全く駄目で「ニュースには向かない」と言われた[15]とアナウンス部長(当時)の土屋恵が後に語っている。
同社での初めてのレギュラー番組は『ゲリラでいこう』(15分番組)。その後はニッポン放送の『オールナイトニッポン』、TBSラジオの『パックインミュージック』で深夜放送ブームに火が点き、遅れて始まった『セイ!ヤング』の初代パーソナリティ(1969年6月 - 1973年3月まで担当)に抜擢される[注釈 3][注釈 4]。
ほぼ同じ頃、洋楽ランキング番組『オール・ジャパン・ポップ20』(『全国ポピュラーベストテン』の前身)では、オープニングで「♪みのみのー、もんた、みのもんた」と、独特の節回しでリスナーの関心を惹き付けた[18](高橋小枝子とともにDJを担当)。プロ野球中継でもベンチリポーターを務め、後楽園球場の読売ジャイアンツ戦とオールスターゲームなどを担当した。後に『みのもんたのワイドNo1』『ダイナミックレーダー〜歌謡曲でいこう!〜』等を担当。文化放送と同じく、フジサンケイグループに所属するフジテレビの番組に出演。『オールスター水泳大会』の司会などで人気を博したが、人事異動で営業部へ配転される[19]。1979年9月に退社[20]。
文化放送退社後
父親が経営する水道メーター製造・販売会社の日国工業(現:ニッコク)に入社。10年間、全国を営業で回った[21]。その間、フジテレビに声をかけられ、『プロ野球ニュース』の週末版で雨が降って野球が中止になると、MLBのビデオを放送。「よっ、真っ黒に日焼けして」などとナレーションを入れた所、人気が出て『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』に発展。2020年時点も不定期に放送されている。『なるほど!ザ・ワールド』の国内リポーター、『オールナイトフジ』でオールナイターズの実家を訪ねる「深夜の家庭訪問」などを担当。コミカル系サブ司会者(コメディ・リリーフ的存在)として認知されるようになる。1989年(4月、『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ)の司会を担当[注釈 5]。番組が高視聴率を取るようになり、人気司会者の地位を築く。1999年10月、日国工業を受け継ぎ(のちに自身の個人事務所「オフィスモンタ」を合併し、現在の「ニッコク」に社名変更)、代表取締役社長に就任。
民放各社およびNHKでの活動
- 民放キー局5社 全てでレギュラー番組を持った一方、NHKではレギュラー番組を持った経験はない[注釈 6][注釈 7]。
- しかしながら、当時61歳だった2005年には『第56回NHK紅白歌合戦』で司会を担当[注釈 8]、これがNHK地上波での初司会となったほか、『NHK紅白歌合戦』における男性司会者の最年長記録且つ史上初の60代男性による司会となった。しかし、リハーサル時からスタッフと進行の方針を巡って対立していたことが表沙汰となり、これらが原因で司会担当はこの1度限りとなっている[注釈 9]。
2013年の複数の不祥事と番組降板
- セクハラ疑惑騒動
2013年(平成25年)8月30日に放送された『みのもんたの朝ズバッ!』の生放送内のCM明け直後、隣に立つ吉田明世の腰付近に手を伸ばし、吉田がその手を振り払ったように見える映像が一瞬流れた。これに対して、TBS広報部は「セクハラ行為があったとは認識していないが、紛らわしい行為だったため、今後このようなことがないよう『番組担当者』に口頭で注意した」と発表した[24]。9月9日より、みのは9月16日までの「夏休み」を理由にテレビ出演を休止した。みのはこの年の8月9日から16日にも夏休みを取り、情報番組の総合司会が1年に2度も「夏休み」で番組を休むのは異例のことである[25]。騒動から6年後の2019年、2人は揃って『梅沢富美男のズバッと聞きます!』SPに出演。みのは改めてセクハラを否定し、吉田が状況を説明。それによると当時、みのが肩を押してアナウンサー陣をガタガタとドミノ倒しにするということを遊びでやっていた。ニュースを読もうとしていた吉田もそれをやられたため「みのさん、やめてください」という意味で手を振り払ったと説明している[26]。
- 次男の逮捕
セクハラ騒動が世間を賑わす中、9月13日には同月11日に当時日本テレビ社員の次男が泥酔して道で横たわっていた男性の鞄からキャッシュカードを盗み出し現金を引き出そうとしたとして、窃盗未遂容疑で逮捕されていたことが判明[27]。次男は同年10月8日付で日本テレビを諭旨解雇処分となった[28]。
みのは次男の日テレ入社経緯について、採用試験が難しすぎて名前と住所しか書けなかったため、氏家齊一郎に依頼したコネ入社だったことを明かした[29]。しかし、大久保好男は定例会見で「正規の手続きで入社している。名前しか書けない人は会社どころか大学にも入れない」と述べ、みのの発言内容について否定している[30]。
- 『朝ズバッ!』『サタデーずばッと』降板、記者会見
「夏休み」でマスコミの前から姿を消していたみのは次男の逮捕を受け、報道機関各社へ送信したファクスで自身が出演する『朝ズバッ!』と『サタデーずばッと』への出演を自粛すると発表[31]。その後、同2013年10月25日にTBSから全ての報道番組を降板させることが発表された[32]。『秘密のケンミンSHOW』とラジオ番組『みのもんたのウィークエンドをつかまえろ』への出演は従来通り続けた[33]。
同2013年10月26日午後、記者会見を行う。その冒頭で「世間をお騒がせして、誠に申し訳ございません」と謝罪した上で、「辞めなければ収まらない風潮を感じた」「(報道は憧れであり)忸怩たる思い」と語った[34]。前述のセクハラ疑惑に対して記者から質問され、「(アシスタントやキャスターが)発言をとちることがあるので、『しっかりしろ』の気持ちで腰をたたいた。セクハラなどということは全くありません」と述べ、否定した[35]。
2014年以降
2014年(平成26年)3月24日、文化放送『みのもんたの ニッポンdiscover again』の初回収録後に緊急会見を行い、「放送界の先輩」が鎌倉の自宅まで駆けつけ、「ファンやスタッフに申し訳ないと言ったか!!」と一喝され、目が覚めたことを明かし、「ドキッとしました。情けなかった。オレは言い訳ばっかりして自分のことばかり考えていた」と目を潤ませ、反省の弁を述べた。同時に今後、各方面に“謝罪行脚”をすることも明かした[36]。
4月6日、次男の事件後に初めてのラジオ番組のレギュラーとなった『みのもんたの ニッポンdiscover again』が放送開始。テレビ番組では2017年1月16日から放送が始まった『結婚したら人生劇変!○○の妻たち』でもMCを務めたが、8か月ほどで終了。次男の事件以降は仕事は激減し、レギュラー番組は『秘密のケンミンSHOW』のみとなった。
2018年前後にパーキンソン病と診断された[37][38][39]。身体が思い通りに動かなくなる症状であり、徐々に進行しており、寝床から起き上がるのに5分かかっていたのが10分かかるようになり、10分が20分に...といった具合で症状が進行してきたという[37]。
2019年(平成31年)8月22日の誕生日を前に自動車運転免許を更新した後、日を置かず免許証を自主返納した(当時75歳)[40]。
2020年(令和2年)1月23日、読売テレビはみのもんたが『秘密のケンミンSHOW』を3月をもって降板することを明らかにした。みのもんたはその後『FRIDAY』の取材に応じ、「75歳になって、若いタレントや芸人のテンポに付いていけなくなった」「『完全に潮時だな』と思った」と加齢による体力の衰えを理由にテレビ局と自ら話し合って引退を決めたことを明かした[41]。文藝春秋の取材にも応じ、「本当の喋りには『間と緩急』というものが必要」と最近のタレントとの感覚の隔たりを感じていたことを明かした[42]。
『ケンミンSHOW』の降板で、みのはテレビ番組から完全に姿を消したが、同年8月9日から関西ローカルで新たな冠番組『朝からみのもんた』が放送開始。引退宣言を撤回して、半年ぶりにテレビ番組に復帰した。
『朝からみのもんた』は2021年3月28日の放送をもって半年で終了し、レギュラー番組が再びなくなった。
2021年10月、『学校へ行こう!2021』の『未成年の主張2021』でVTR出演した。
経営活動
- 1999年(平成11年)10月から株式会社ニッコクの代表取締役社長を務め、2020年(令和2年)12月に退任し、代表取締役会長に就任している[43]。過密スケジュールの合間を縫って毎日出社し、業務を行っているとされる。入社試験の面接でみのが現れると驚く人もいるという。世間では副業ではないかといわれているが、会社経営のほうが本業だと語っている[44]。
- 同社は、父親から受け継いだ水道メーターの会社「日国工業株式会社」に、自分の事務所「オフィスモンタ」を吸収合併したものである[44]。
- 自身経営の水道メーター会社のライバル社「愛知時計電機」の株式を本名の「御法川法男」個人名義として発行済株式総数1,542万株中、91万株(5.9%)を所有(2022年4月30日現在)する第3位の株主[45][注釈 10][注釈 11]。
人物
愛称
愛称は「みの(さん・ちゃん)」。ただし、「みのちゃん」と呼ぶのは徳光和夫と和田アキ子位である。
芸名の由来
芸名の名付け親は野末陳平。由来は当時、御法川を略して「みの」と呼ばれていて、申年生まれ(monkey)でかつ猿顔であることと、当時人気であった競走馬「モンタサン」に掛けて、「もんた」とした[46]。
趣味・特技等
自動車が好きで、2010年代後半には自家用自動車を4台所有していた[40]。
2019年(平成31年)8月22日の誕生日を前に受けた運転免許更新時の講習における運転シミュレーションで、アクセルペダルとブレーキペダルの典型的な踏み間違いを起こしてコンビニ店に突っ込んでしまい、自身の実情を痛感したことから、日を置かず(76歳時)自主返納していた旨を、翌2020年(令和2年)10月25日に自身の冠番組である『朝からみのもんた』の中でテリー伊藤の質問に答えるという形で明かした[40]。2019年は多くの芸能人が高齢を理由に自動車運転免許証を自主返納しているが、その事由については「自主返納」を参照のこと。
睡眠時間
『午後は○○おもいッきりテレビ』『みのもんたの朝ズバッ!』の2本の平日の帯番組及び、夜のレギュラー番組を抱えていた当時、睡眠時間は2時間 - 3時間だという。基本的にテレビ局が用意したホテルに宿泊し、時間に余裕がある場合は自宅から通う(本人談。午前0時頃 - 午前3時30分頃)[47]。
思想・哲学
みのの反戦を訴える姿勢は下記の母が体験した戦時中の出来事を聞いたことや、仕事で沖縄県を訪れた際に寝泊まりした民家の主人から戦争体験を聞いたことがきっかけとなっている[48]。
日本国憲法第9条に関しては堅持する立場を示している[48]。
日の丸の掲揚や国歌「君が代」の歌唱に対して肯定的な立場をとっており、2012年には「日本ではまだ『君が代』とか国歌がどうこういう問題が起きているんですか」「国歌、国旗は法律で決まった。遅すぎましたね。やっとですものね」と発言している[49]。
原子力発電所の再稼働には批判的である[48]。
自身の息子の問題の経験もあって「今の週刊誌の世界を見ていると真偽が分からない記事が多すぎる。家族とはいえ30歳を過ぎ、社会人になって家族まである息子の不祥事なのに、当事者ではなく身内を叩きすぎでは」といった持論を述べたが、橋下徹からは「週刊誌は権力を監視する役割として重要」「報道の自由を守るためには仕方ない」「みのさんは公人に近いのでメディアに叩かれるのは仕方ない」と反論された[50]。
家族・縁戚
- 父は日国工業創業者・御法川正男。みのは3人兄弟の二男であるが、兄・正昭はみのが生まれる前月(1944年7月21日)に3歳で死亡している[51]。その通夜の席に父親への召集令状が届いており、みのを妊娠し身重だった母はそれ以降途方に暮れ、ただ国を呪ったという。父は終戦後戦地から無事に戻ったが、母の戦争に対する怒りは終生変わらなかったという[48]。
- 妻・御法川靖子は自身の専属スタイリストであった。子供は2男1女(生まれた順に長女・長男・次男)がいる。長男はTBSに勤務しており、長男の結婚披露宴には民放各局トップや大手芸能プロのトップのほか、自民党の石原伸晃、二階俊博、下川俊樹(自民党和歌山県連幹事長)、徳光和夫、古舘伊知郎、高田純次、加藤晴彦ら約360人が列席した。司会はTBSテレビ『みのもんたの朝ズバッ!』の裏番組であった日本テレビ『ズームイン!!SUPER』の総合司会・羽鳥慎一が務め、局の枠を超えた式となった。次男[27]は日本テレビに勤務していたが、前述通り不祥事を起こしたため日本テレビを解雇となる。2人の兄弟の姉にあたる長女は母である靖子が亡くなってからは、父の専属スタイリストに転身した(なお、スタッフロールには亡くなってもなお妻の名前がクレジットされている)。
- 妻は癌のため2012年5月22日に亡くなった(66歳没)。その通夜では、野田佳彦からも供花があった。納骨はしておらず、海が見える自宅のキッチンにお骨を置いていると話している[39]。
- 次男は日本テレビ解雇後、みのの計らいでニッコクに再就職した[52]。事件発覚当初、みの自身は次男のニッコクへの再就職について明確に否定していた[53]。しかし、実際には、日本テレビ解雇直後から、社会保険と年金のためと称して、ニッコクに所属させていた。給料は支払っていないとみのは主張している[54]。
交友関係
- 交友関係は幅広く、芸能界やスポーツ界はもちろん、政財界などにも私生活で交流のある人物が多いのが特徴である。特に政界では遠縁に自民党所属の議員がいる事などから自民党関係者が多い。
- 石原慎太郎と親密であるとされる。2007年には石原の要請を受け「東京五輪招致大使」に任命された[55]。
- 安倍晋三との交流も深く、1次政権時代は秘書官の井上義行と逗子市の居酒屋で情報交換を繰り返し[56]、首相退陣の日には安倍自らがみのに電話している[57][注釈 12]。
- 二階俊博との親交は有名で、二階はみのの長男の披露宴で主賓として祝辞を述べ[58]、みのの「アナウンサー生活おもいッきり40周年ズバッと感謝の会」でも、芸能関係者に混じりお祝いのスピーチをした。2007年12月8日には、二階を団長とした経団連などを中心とした訪中団にみのも招かれていた[59]。東海地方で「ニッコク」を興したみのの父親が、二階俊博が秘書を務めていた遠藤三郎の後援者であった縁によるもので、20年来懇意にしており、大下英治著『躍動の日本経済へ 二階俊博の挑戦』には、みのが推薦文を寄せている[60]。
- 芸能界の友人は梅沢富美男と高田純次[61]。
その他・エピソード
諸評価
- 総合司会としての評価
- テリー伊藤はみのが『朝ズバッ!』『サタデーずばッと』を降板することが発表された際に「テレビを見てる一視聴者として僕は、ちょっと残念だなという気持ちがある。みのさんはコメントする時いつも、弱者の味方なんですよね。年金の問題、福祉の問題、福島の問題…彼はキャスターで一番福島に行ってるんじゃないかな。毎月11日は必ず(『朝ズバッ!』で)特集しますよね。色々あるだろうけど残念だなと思います。またいつかどこかの場所でみの節が出るようなことができるといいなと思います」とキャスターとしてのみのについてコメントした[74]。
- [誰?][いつ?]「自身の番組で頻繁に政・官・業の不適切な関係を厳しく追及しているが、みの自身も、同様の関係を保持している[要出典]」と指摘された。
[注釈 15]
[注釈 16]
[注釈 17][注釈 18]
[注釈 19]
出演
過去の出演番組
- 高田トラベル(2006年8月6日)
- みのもんた様御用達 爆笑旅行社 高田トラベル(2007年8月5日)
- 神出鬼没!みのもんた!! 爆笑テキト~旅行社 高田トラベル(2008年8月17日)
- 歓迎!みのもんた様 爆笑テキト~旅行社 高田トラベル〜夢のはとバスで東京観光〜(2009年7月26日)
- みのもんたの時間ですよー(1983年9月3日 - 1984年3月31日)
- 文化放送
- ラジオ日本
- スポーツ気分で遊ing 〜みのもんたスペシャル(金曜日、1988年10月 - 1989年3月)
映画
劇場アニメ
コマーシャル出演
後述のコマーシャルに起用されている。報道を扱う番組[注釈 21]のメインキャスターがコマーシャルに出演するという事例は、日本以外の先進国では通常はほぼない[注釈 22]。これは報道内容の公正性を担保できなくなるためである[注釈 23]。
- この他に、日本酒造組合中央会の新聞広告に起用されたことがある。
CDリリース
- 元気イキイキ!おもいッきり(2003年)
- 自身が司会を務める「おもいッきりテレビ」放送15周年の企画曲。「イキイキふれんず」名義。カップリングは『健康!ピンピコピン』(「みのさん&かよちゃん」名義)。
- 夜の虫/花と小父さん(作詞・作曲:浜口庫之助/編曲:竜崎孝路、2006年11月22日)
- 1967年に浜口自身の歌唱で発売した曲のカバーであり、これがソロCDデビューとなった。同じくB面も浜口作詞作曲の作品で、伊東きよ子や植木等のカバーである。
- 10月19日に行なわれたレコーディングでは、「シラフじゃ歌えない」とブランデー片手に歌を歌い、2時間後にはすでに曲も本人も出来上がっていた。「紅白のオファーは(司会としても歌手としても)当然来るでしょう」「もしかしたらレコ大の司会オファーもあるかも」と発言している。結局は取り下げられてしまい、「よく分かりました。紅白の出演は年枠にします。」と発言。
- 2006年11月10日 - 16日のUSENの総合チャートで、浜崎あゆみの『JEWEL』に次ぐ2位、演歌チャートで1位を獲得した。オリコンシングルチャート初登場で演歌チャート6位、総合チャート90位。
- 口説きながら麻布十番 duet with みの もんた
著書等
- みのもんたの七転び八起き(ワニブックス、1976年)
- こころの案内図(朝日出版、1995年7月発行)
- みのもんた十八番勝負 おもいッきり対談集(日本テレビ放送網、2002年9月発行)
- それでも僕は立ち続ける(日本テレビ放送網、2006年4月発行)
- 腰痛スッキリ!角川oneテーマ21 C-113(角川書店、2006年7月発行)
- 義理と人情 僕はなぜ働くのか(幻冬舎、2007年3月発行)
- 死んではいけない いじめ緊急レポート 7600通を超えた悲鳴!(TBS「みのもんたの朝ズバッ!」制作スタッフ著、毎日新聞社、2007年1月発行)
- 敗者の報道(TAC出版、2014年)
ものまね・パロディ
カギカッコ内は、キャラクターの名前である。
脚注
注釈
- ^ 会社法人としては、現在の東京放送ホールディングス(2009年4月より同社名)。放送局としては、現在のTBSテレビ(2009年4月、旧東京放送よりテレビの放送免許を継承)・TBSラジオ(2001年10月、東京放送よりラジオの放送免許を継承)。
- ^ 当時は採用は別々だったが、研修は文化放送、フジテレビ、ニッポン放送、産経新聞社とグループ合同で行われていた。
- ^ みの本人は「組合に入っていなかったため、深夜労働が出来た」と語っている[16]。
- ^ 当時、既に人気を博していた先輩アナウンサーの土居まさるも『セイ!ヤング』のパーソナリティだったが、みのが土居の口調・声質・抑揚など、全てを真似していたため、リスナーは聞き分けが付かない程あったという[17]。
- ^ 当初は番組内のコーナー司会のみを担当していたが、初代司会の山本コウタローの参議院選挙出馬による降板で、2代目司会に昇格した。
- ^ みのの『第56回NHK紅白歌合戦』以前のNHKでの司会は1999年7月25日放送のBS2『いまさら聞けないあなたのためのNHK流行講座』のみ[22]。また、司会を除くNHK出演は1985年8月20日・12月6日放送の『ひるのプレゼント』にゲストとしての出演[23]、1997年3月21日放送のBS2『ウイークエンド・スペシャル』、2002年10月放送の「わたしはあきらめない」のみ。
- ^ 『第56回NHK紅白歌合戦』の司会決定後、週刊誌でNHKがこれまでみのをほとんど起用しなかった理由は「黒い顔のイメージが局に合わない」と判断していたためと報じられた。
- ^ 同回は「グループ司会制」となり、司会の役割は決められなかったが、事実上の総合司会を担った。
- ^ 詳細は「第57回NHK紅白歌合戦」の項を参照。
- ^ 個人での株式取得数では第1位。
- ^ 経営者が競合企業の株式を所有することは、まま見受けられることであり特別なことではない。
- ^ みのに慰められた安倍は号泣したという。
- ^ 2020年10月現在のギネス記録はドイツQVCの司会者であるビョルン・ブロスト (Björn Brost)が記録した29時間30分10秒である[69]。
- ^ 入学式に出席しただけで、現在ではウェブサイトからその名が削除されている。
- ^ [誰?]「自身の番組などでは「名ばかり」のお飾り社長を痛烈に批判したこともある。だが自社の談合事件に関して社長としての責任を問われた時には、『「名ばかり」のお飾り社長で実務は分からない』と釈明した。[要出典]」
- ^ 株式会社ニッコクは談合(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独占禁止法)違反)で、何度も刑事告発をされていて、2003年に、追徴金7500万円、和解金3900万円を支払い、翌2004年には、再び他のメーカーとの談合で刑事告発された。さらに別口の談合で家宅捜査を受け、2005年2月には、追徴金400万円を支払っている。
- ^ 2004年(平成16年)7月15日に、ニッコクと愛知時計電機は他17社とともに2003年7月から2004年7月までの間に行われた東京都水道局発注の水道メータ買入れに係る競争入札に、いわゆる談合を行っていたとして公正取引委員会から排除勧告を受けた(公正取引委員会 「東京都が発注する水道メーターの入札参加業者に対する勧告について[リンク切れ]」平成15年7月15日)。また、各社に対し審決に応じて東京都は損害賠償請求をしている(東京都水道局 「水道メータ談合事件に係る課徴金納付命令に伴う損害賠償請求(第二次請求)の実施について Archived 2007年4月29日, at the Wayback Machine.」 平成17年4月22日
- ^ 東京都水道局の広報誌(「水道ニュース」2007年5月号 (PDF) )では、司会者みのもんたとして御園良彦水道局長(当時)との特別対談が掲載されている。それを読んだ[誰?][いつ?]のコメントが「同年10月には、同様にみのもんた名義として東京都から東京五輪招致大使に任命され、水道メーターの納入業者の社長と東京都との関係、報道を扱う番組の司会者と行政との関係に公正性が担保されるのか疑問だ[要出典]」。
- ^ 次男逮捕後のインタビューにおいて、自社がからんだ談合事件は上場2社の主導であり、従わざるを得なかった、と述べた。なお、この上場2社のうち一社はみの自身が第2位の株主である愛知時計電機である。
- ^ 実は「みのもんた」は三つ子であったという設定で、本人に相当する「みのもんいち」役や、三つ子の弟「みのもんじろう」「みのもんざぶろう」役も務めた。でそのまま出演。その他、番組終了時の提供読みと、次に放送される単発特番としてみのが司会を務める『日テレ開局55周年記念番組 グッと来た名場面ベスト55』の宣伝も兼ねて務めていた。
- ^ みのは過去に『みのもんたの朝ズバッ!』、『みのもんたのサタデーずばッと』、『午後は○○おもいッきりテレビ』内「情報特急便」、『おもいッきりイイ!!テレビ』内「Newsエスプレッソ」などに出演。
- ^ ビデオジャーナリストの神保哲生によれば、日本のテレビ界でも、かつてはキャスターどころかお天気キャスターでさえ、報道番組に携わる人間はコマーシャルには出るべきではないという不文律があったという。
- ^ ただし、日本では過去にTBSの報道番組『イブニング・ファイブ』に出演していたラサール石井が保険会社のコマーシャルに起用されていた事例や、2023年現在ではTBSの報道番組『Nスタ』に出演しているホラン千秋が6社のCM契約を持つ事例[76]もある。
- ^ 2011年12月以降に登場している「もんたクロース」〜「休みのもんた」は山寺がそのパペットを使って声を演じている。
出典
関連項目
外部リンク
|
---|
過去の出演番組 |
|
---|
関連項目 | |
---|
関連人物 | |
---|
カテゴリ |
|
---|
出演者 | |
---|
コメンテーター | |
---|
過去の出演者 |
みのもんた(『みのもんたのサタデーずばッと』時代の総合司会)田畑光永(元TBS記者・元神奈川大学教授。番組開始から半年間はレギュラーとして毎週出演) - 山内あゆ(TBSアナウンサー。2006年春より堀井と共に『JNNニュース』も担当。番組担当中に3度産休。2012年春より3度目の職場復帰を果たすも『サタずば』復帰には至らず) - 海保知里(出演当時TBSアナウンサー。2002年夏より2003年3月まで1度目の産休に入った山内の代理を担当) - 杉山真也(TBSアナウンサー。2008年9月より2009年3月まで2度目の産休に入った山内の代理を担当) - 下村健一(ジャーナリストで元TBSアナウンサー。主として「ずばッとリポート」の担当ではあるが、みの不在時の代理アンカーも担当。学生時代からの仲である菅直人首相の補佐官就任のため2010年9月25日限りで降板。
|
---|
主なコーナー |
朝いちニュースたたき売り! - ウェザーずばっと - 政界ずばッと
|
---|
過去の主なコーナー | |
---|
関連項目 | |
---|
|
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
※2021年以降は「司会」担当NHKアナウンサー(2021年以降は紅組司会・白組司会・総合司会を統一) |
|
---|
放送履歴 | |
---|
歴代製作総指揮 | |
---|
歴代総合司会 | |
---|
歴代番組パーソナリティー | |
---|
歴代進行アナウンサー | |
---|
ベース番組 | |
---|
通常番組からのコーナー | |
---|
スピンオフ | |
---|
枠内特別コーナー | |
---|
関連項目 | |
---|
関連人物 | |
---|
注1:6月放送、注2:8月放送、注3:9月放送、注4:11月放送、注5:放送中止
カテゴリ |