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マルセイユ

マルセイユ
地図
市旗 市章
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏
(地域圏首府)
(département) ブーシュ=デュ=ローヌ県
(県庁所在地)
(arrondissement) マルセイユ
(郡庁所在地)
小郡 (canton) 25小郡の小郡庁所在地
INSEEコード 13055
郵便番号 13001 から 13016
市長任期 ミシェル・リュビロラEELV
2020年 - 2026年
自治体間連合 (fr) メトロポール・デクス=マルセイユ=プロヴァンス
人口動態
人口 870,018人
2016年
人口密度 3,616人/km2
住民の呼称 Marseillais
地理
座標 北緯43度17分51秒 東経5度22分38秒 / 北緯43.297500度 東経5.377222度 / 43.297500; 5.377222座標: 北緯43度17分51秒 東経5度22分38秒 / 北緯43.297500度 東経5.377222度 / 43.297500; 5.377222
標高 平均:179 m
最低:0 m
最高:640 m
面積 240.62km2 (24 062ha)
マルセイユの位置(フランス内)
マルセイユ
マルセイユ
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マルセイユ(Marseille [maʁsɛj] ( 音声ファイル))は、フランス共和国南部に位置する都市。プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏 (Provence-Alpes-Côte d'Azur, PACA) の首府、ブーシュ=デュ=ローヌ県県庁所在地である。同国最大の港湾都市であり、地中海リオン湾を臨む。

概要

マルセイユ市の人口は約87万人。マルセイユ都市共同体の中心であり、近郊地域を併せた人口は約176万人である。都市圏人口はパリに次ぎ第二位の規模となる。近郊には古都エクス=アン=プロヴァンスがある。

マルセイユの歴史的な領域は、西を海と山地に、南をカルスト地帯に、コート・ブリュやエスタック、鎖状にエトワール山地やガルラバン山地に囲まれ、円形競技場のようなかたちをしている。市街は非常に広い地域に広がっており、フランス本土のコミューンのうち面積では第5位である。

周辺のプロヴァンス地域と共に、2013年欧州文化首都となった。

名称

都市名は古代ギリシア語マッサリア (Μασσαλία‎, Massalía‎)[注釈 1]、およびラテン語化されたマッシリア (Massilia) に由来する。

イタリア語ではマルシリア(Marsiglia)、スペイン語ではマルセイヤ(Marsella)。漢字による表記は馬耳塞であるが、中国語では馬賽が用いられる。

歴史

マルセイユの歴史は古く、小アジアから来た古代ギリシアの一民族であるポカイア人が紀元前600年頃に築いた植民市マッサリア(マッシリア)にその端を発する。このためフランスにおいてマルセイユは "cité phocéenne" (ポカイア人の街)とも綽名されている。 当初はコルドバ山地の鉱物採掘を目的として建設されたが、内陸との交易中継地として軌道に乗り、やがてワインの産地としても繁栄するようになる[2]

紀元前3世紀から紀元前2世紀にかけてのポエニ戦争ではローマ側につき、カルタゴと敵対した。カエサルの『ガリア戦記』にもマッシリアへの言及が見られる。紀元前49年からのカエサルとグナエウス・ポンペイウスの間で起った内戦ではポンペイウスを支持したが敗北し、自治都市としての権限を大きく縮小された(マッシリア包囲戦)。当時のマッシリアはガッリア・トランサルピーナ属州におけるギリシア系住民の拠点であったが、徐々にローマ化が進んでいった。

3世紀ごろ、キリスト教がもたらされた。10世紀プロヴァンス伯の支配するところとなり、1481年にはフランス王国に併合された。中世にはあまり振るわなかったが、港での交易は18世紀に盛んになった。1720年には大規模なペストの流行 (マルセイユの大ペスト) で10万人程度の死者が発生したが、18世紀後半には復興した。フランス革命ナポレオン戦争で一時後退したが、産業の要地となって現在の商工業を中心とする市街が発展し、19世紀半ば以降、港湾施設が充実し多くの工業が興る。しかし、第二次世界大戦ではドイツ軍に占領され、大きな損害を受けた。大戦後は大建設計画により高層ビルの多い現代都市に変わった。

2023年6月27日、パリ近郊のナンテールで、17歳の北アフリカ系の少年が検問中の警察官から銃撃を受けて死亡[3]。このことを契機にフランス各地で、デモと暴動が拡大。同年7月1日、マルセイユでも市民と警察が衝突し、警察側は催涙ガスを使いながら暴徒の摘発を行い、少なくとも56人が逮捕された[4]

2020年代には貧困率の高さを背景に治安が悪化、麻薬関連の暴力事件が多発するようになった。2023年の麻薬関連の死者数は過去最多の49人。2024年には少年が50回刺された後に生きたまま焼殺される事件も発生した[5]

地理

気候

温暖で湿潤な冬と全体的に乾燥する夏を持つ地中海性気候である。最も寒いのは1月と2月で、平均気温は8℃から9℃である。ローヌ川谷に起因する厳しい寒風ミストラルも知られており、冬と春に多く吹きつける。サハラ砂漠から吹き付ける熱風であるシロッコはそれほど起こらない。

マルセイユの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C°F 11.2
(52.2)
12.6
(54.7)
15.3
(59.5)
17.7
(63.9)
22.2
(72)
26.1
(79)
29.5
(85.1)
29.2
(84.6)
25.3
(77.5)
20.3
(68.5)
14.7
(58.5)
12.0
(53.6)
19.7
(67.5)
日平均気温 °C°F 7.1
(44.8)
8.3
(46.9)
10.7
(51.3)
13.1
(55.6)
17.4
(63.3)
21.1
(70)
24.1
(75.4)
23.9
(75)
20.4
(68.7)
15.9
(60.6)
10.8
(51.4)
8.0
(46.4)
15.1
(59.2)
平均最低気温 °C°F 3.0
(37.4)
3.9
(39)
6.0
(42.8)
8.5
(47.3)
12.6
(54.7)
16.0
(60.8)
18.7
(65.7)
18.7
(65.7)
15.5
(59.9)
11.6
(52.9)
6.8
(44.2)
4.1
(39.4)
10.5
(50.9)
降水量 mm (inch) 53.6
(2.11)
43.5
(1.713)
40.4
(1.591)
57.9
(2.28)
41.2
(1.622)
25.4
(1)
12.6
(0.496)
31.4
(1.236)
60.6
(2.386)
85.4
(3.362)
50.6
(1.992)
52.0
(2.047)
554.6
(21.835)
平均降水日数 6.1 5.1 4.8 6.3 4.9 3.5 1.4 3.1 4.1 6.3 5.2 5.6 56.4
平均月間日照時間 150 155.5 215.1 244.8 292.5 326.2 366.4 327.4 254.3 204.5 155.5 143.3 2,835.5
出典:世界気象機関 (国際連合),[6] フランス気象局[7]

人口

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年 2016年
778 071 889 029 908 600 874 436 800 550 795 518 839 043 852 516 870 018

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[8]、2004年以降INSEE[9][10]

16世紀中の人口推移は、1524年では1万5千、1585年には3万5千、1597年に3万人[11]

2008年時点のマルセイユ人口における移民数は108,392人で、これは総人口の12.7%である(そのうちの2.2%がヨーロッパ出身者、非ヨーロッパ出身者が10.5%で主にマグリブ諸国出身である)[12]。さらに、1999年には、18歳未満の若者の41.8%の少なくとも片親が移民であった(うち23%がマグリブ諸国、サハラ以南アフリカ、またはトルコ出身))[13]。住民が移民である割合(うち40%はマグリブ諸国)は、マルセイユ内3つの区において2005年に50%を超えた[14][15]

対外関係

姉妹都市・提携都市

姉妹都市

経済

南フランスにおける貿易・商業・工業の一大中心地である。 商工会議所の起源もマルセイユだとされている。 近接するトゥーロン軍港に対して、貿易港を有する。これはフランスおよび地中海で最大、ヨーロッパでは第3位の玄関港として、110航路、120カ国の360以上の港と連絡している。 工業は鉄鋼・化学・プラスチック・金属・造船・石油精製・建設資材・石鹸・食品加工が発達している。

教育

大学

交通

コルシカ・リネアのフェリー

空路

空港

鉄道

鉄道路線

サン・シャルル駅はマルセイユの鉄道の中心駅であり、TGV が発着する。高速線の開通により、パリとの所要時間が三時間に、ブリュッセルとの所要時間が五時間に短縮された。

地下鉄

市内の公共交通には市が運営するマルセイユ・メトロがあり、2路線を運行している。

軌道

路面電車

2007年に開業した路面電車がある。 路面電車の建設に伴い、トランジットモールの整備や街路樹の植生等の都市改造が計画的に行われている。 港町であることから、舟をモチーフにしたユニークな車体が特徴となっている。

バス

バス路線

  • マルセイユ市営バス

航路

船舶

観光

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商業都市であるため、南フランスの都市としては珍しく、観光面の魅力にはやや乏しい。

文化・名物

マルセイユは2013年欧州文化首都となった。フランスで人気のヒップホップ・ユニットIAMフォンキー・ファミリーの出身地でもある。

マルセイユ石鹸

マルセイユ石鹸は植物由来の原料から作られるマルセイユの伝統的な石鹸。その歴史は古く、製造方法が確立する前の最古の販売記録は1370年にさかのぼり、1688年ルイ14世治世下の財務総監ジャン=バティスト・コルベールが「マルセイユ石鹸」(サボン・ド・マルセイユ)の名称をマルセイユ産のオリーブ・オイルのみを原料とする、脂肪含有率が72%以上の石鹸に使用するとした勅令を出した。2003年3月以降は厳密な原産地呼称ではなく、動物性の原料も含む成文化された脂肪酸の最小含有量に基づいた製品に冠されるとしているが、今日でも伝統的なマルセイユ石鹸の原料は植物由来のものでなければならない。

スポーツ

高齢者に人気のスポーツペタンクであり、広場では必ず見かける光景で、ワールドカップも開催されている。また、セーリングウィンドサーフィンパワーボートなどのマリンスポーツも非常に盛んである。

サッカーリーグであるリーグ・アンに所属するオリンピック・マルセイユは、地元民から絶大な人気を誇っておりアイデンティティーでもある。フランス国内においても、パリ・サンジェルマンFCに次いで人気のクラブである。また、フランスのチームで唯一、UEFAチャンピオンズリーグを制覇している。

映画

マルセイユが舞台の作品

関係者

著名な出身者

居住者その他ゆかりある人物

脚注

注釈

  1. ^ 語源は不詳で古代リグリア語説[1]や、フェニキア語の「植民市」に求める説[2]などがある。

出典

  1. ^ Μασσαλία”. Wiktionary. 2022年10月13日閲覧。
  2. ^ a b ポール・カートリッジ『古代ギリシア 11の都市が語る歴史』 新井雅代訳 白水社 2011年、ISBN 978-4-560-08158-7 pp.62-69.
  3. ^ 警官が検問中に少年を射殺、抗議集団と警察が衝突 パリ近郊”. CNN (2023年6月28日). 2023年7月2日閲覧。
  4. ^ フランス南部マルセイユで衝突と催涙ガス 警察による少年射殺に抗議続く”. 読売新聞 (2023年7月2日). 2023年7月2日閲覧。
  5. ^ 15歳少年、50回刺され生きたまま焼殺 仏マルセイユ”. AFP (2024年10月7日). 2024年12月17日閲覧。
  6. ^ Weather Information for Marseille”. August 2010閲覧。
  7. ^ Meteo France - Marseille”. August 2010閲覧。
  8. ^ Marseille - Notice Communale
  9. ^ Insee - Statistiques locales
  10. ^ Insee - Institut national de la statistique et des études économiques
  11. ^ ジョルジュ・リヴェ 二宮宏之 関根素子共訳 『宗教戦争』 白水社 3刷1973年(1刷68年) p.103.
  12. ^ INSEE - Commune : Marseille - 13055 - Population totale par sexe, âge, type d'activité et situation quant à l'immigration, Insee 2008
  13. ^ Les voisins des jeunes d'origine étrangère en France, Bernard AUBRY. Insee, Strasbourg. Michèle TRIBALAT. INED, Paris, 2008
  14. ^ Michèle Tribalat, Les jeunes d'origine étrangère in Revue Commentaire, juin 2009, no 126, p. 437
  15. ^ Michèle Tribalat, Les concentrations ethniques en France, 2007
  16. ^ 2020年、『地球の歩き方 2020-2021 南仏 プロヴァンス コート・ダジュール&モナコ』、ダイヤモンド社 ダイヤモンド・ビッグ社 pp. 138-139
  17. ^ ルイ・フィギエ著『産業の驚異』より

関連項目

外部リンク

政府
日本政府
観光
その他
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