下地島
下地島(しもじしま[1]、しもじじま[2])は、宮古列島の島のひとつである。全島が沖縄県宮古島市に属する。 概要狭い水路を隔てて東側の伊良部島と隣接し、6本の橋で結ばれている。また、2015年の伊良部大橋開通により伊良部島を介して宮古島とも陸路で結ばれた。2005年に合併によって宮古島市の一部となる前は、伊良部島とともに宮古郡伊良部町を形成していた。 面積の約98%を公有地(国・県・市有地)が占めており[3]、日本で唯一、パイロット訓練用空港として造られた下地島空港がある。 地理面積9.68km2[4]、周囲17.5km[1]、人口95人(住民基本台帳による。2019年1月1日時点)[5]。 サンゴ礁の隆起が成因の隆起サンゴ礁の島で、島全体が第四紀更新世の多孔質の琉球石灰岩で覆われている[6]。形状は非常に平たんで、標高は最大で21.6メートル、 河川はない。伊良部島との間には幅40-100mの狭い水路が約3.5kmにわたって続く。水路が狭いため、航空写真などでは伊良部島とひとつの島に見えるが、両島は地続きではない別の島である。この水路には、6本の橋が架かっている[7]。 島の南側は単調な海岸で、西側は険しい海食崖が続く。北側は下地島空港の滑走路が海に突出し、滑走路の東は小さな入り江になっている。下地島空港を除くほぼ全域が伊良部県立自然公園に指定されている[8]。 歴史『朝鮮王朝実録』(李朝実録)の世祖8年(1463年)2月の条には、宮古島に漂着した朝鮮船の乗員の記録があり、その中に下地島に比定される「時麻子島」の記述があって、宮古島と下地島など近隣の5島の島民は互いに往来していたという[9]。 また、古琉球の頃には伊良部島の佐和田にキドマリ村(木泊村)があったとされ、村跡が残る。この村は古琉球の間に津波で壊滅したとされるが[要出典]、『伊安氏正統家譜』には、16世紀の嘉靖年間頃の人物と推定される喜屋泊与人に関する記述があり、この喜屋泊が木泊とするならば当時まで村が存在したと考えられる[9]。 近世初頭に伊良部村の伊安姓国仲与人が八重山で牡牛・牝牛を2匹購入してきて放牧したといい[10]、以降は牛や馬の牧場があった。1767年に与世山親方は、馬が風雨や寒暑をしのぐためにアダンや諸木を植えるよう指示している[11]。1769年に伊良部島との間に佐和田矼が築かれた[12]が、1771年の八重山地震にともなう明和の大津波により一部が破壊された。この津波では平坦なため放牧地や畑が水没し、馬や牛、羊などが溺死している[13]。下地島に13丈(約40m)もの高さの大波が打寄せ、西岸の帯岩などが打上げられたとされる。ただし、近年の研究によって、先島諸島(宮古列島・八重山列島)では周期的に津波が発生したことが明らかになっており、帯岩はより以前の津波によって移動したとする説もある。 交通空路航路道路
交通機関
名所・旧跡・観光スポット
下地島を舞台とする作品脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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