日本の航空事故(にほんのこうくうじこ)は、日本国内で発生した民間航空機やゼネラル・アビエーションの航空事故およびインシデントについての一覧である。以下ではそれぞれの事故を事故発生日順に並べ、凡例で挙げた項目について記載している。
日本国外で発生した航空事故については以下を参照。
なお、日本国内の各航空会社の事故については、以下の一覧記事も参照のこと
凡例
- 事故発生日
- 便名: 航空会社と便名もしくは機体記号または機体名
- 機種: 製造元と機種
- 死者: 犠牲者数
- 状況: 事故の状況
- 詳細: 個別の記事がある場合には詳細として内部リンク
1910年代
1913年
- 1913年3月28日
- 1913年5月4日
- 便名: 大阪発京都行き
- 機種: グレン・カーチス カーチス複葉機
- 死者: 1人が死亡。
- 状況: 武石浩玻が大阪 - 京都間の都市間連絡飛行に挑んだ際、京都深草練兵場への着陸に失敗した。日本の民間飛行家として最初の航空事故による犠牲者となった[2]。
- 1917年5月20日
- 便名: 芝浦上空遊覧
- 機種: 玉井式3号機
- 死者: 2人
- 状況: 日本飛行学校がグラハム・ホワイトの複葉機を模して製作した三座式機体の試験飛行と宣伝を兼ねて東京上空を飛行した。東京日日新聞のカメラマンが同乗して行われた二度目のフライトの際、着陸降下中に高度30~40メートルで左の上翼が真っ二つに折れ墜落、炎上した。墜落地点は新芝橋の南70メートル付近で、操縦者の玉井清太郎と同乗していたカメラマンは炎の中から救出されたが死亡した。
1920年代
1923年
- 1923年1月9日
- 便名: 不詳
- 機種: 中島式5型
- 死者: 1人
- 状況: 東西定期航空会の機体が三島練兵場を離陸した直後に墜落。機長は同年8月24日に死亡し、民間航空輸送史上初の死者となった[4]。
- 1923年2月22日
- 便名: 朝日第11号機
- 機種: 白戸式25型
- 死者: 1人
- 状況: 東西定期航空会の機体が悪天候の中洲崎を離陸して三方ヶ原飛行場まで荷物を運び、貨物を引き渡したのち東京へ引き返す最中に箱根の明神ヶ岳に激突[4]。新聞社が運用する通信機の初の遭難事故。
1924年
- 1924年3月19日
- 便名: 不詳
- 機種: 飛行船
- 死者: 5人
- 状況: 横須賀市で係留訓練を終えた飛行船が霞ヶ浦に帰投する途上、茨城県相馬郡上空で爆発、墜落した[4]。
- 1924年7月5日
- 便名: 不詳
- 機種; サムルソン2A2型
- 死者: 2人
- 状況: 東西定期航空会の機体が立川で試験飛行中に墜落[4]。
1926年
- 1926年4月6日
- 便名: 不詳
- 機種: 日本航空輸送研究所横廠式ロ号甲型
- 死者: 2人(うち1人は旅客)
- 状況: 飛行中に火災が発生し、兵庫県神戸市沖合に墜落。旅客の死者が発生した初めての事故[4]。
- 1926年4月18日
- 便名: 不詳
- 機種: 不詳
- 死者: 2人
- 状況: 奈良県王寺町の町制発足祝賀会場に墜落[4]。
1927年
- 1927年4月1日
- 便名: 不詳
- 機種: 不詳
- 死者: 2人
- 状況: 大阪府木津川飛行場の敷地内に墜落[4]。
- 1927年11月3日
- 便名: 不詳
- 機種: 不詳
- 死者: 不詳(10数人死傷)
- 状況: 京都府安井飛行場で開催された曲芸飛行大会にて、参加した機体が誤って観客席に墜落[4]。
1928年
- 1928年5月4日
- 便名: 中島飛行機 試験飛行機(機体記号:J-BAKB)
- 機種: 中島 N-36 試作1号機(中島 ブリストル ジュピター 6型 空冷星形9気筒 420馬力)
- 死者: 乗員8人全員が死亡。
- 状況: 1927年に逓信省航空局が依頼した日本初の準国産旅客機の試作に対して、中島飛行機、三菱航空機(初代)、愛知時計電機の3社が翌年までにそれぞれ試作機を完成させた。中島飛行機の試作機は5月3日に初飛行を終えた後、満席状態での飛行試験を行うため、翌4日に8人が搭乗して離陸したところ、高度約100メートルで逆さまとなり、墜落して炎上した[6]。
1930年代
1931年
1932年
1935年
1936年
1937年
1938年
1939年
- 1939年5月17日
- 1939年9月8日
- 便名: 大日本航空 (機体記号:J-BIOS)便名不明
- 機種: フォッカー・スーパー
- 死者: 乗員乗客6人中5人が死亡。操縦士1人が重傷。
- 状況: 羽田空港発 名古屋空港経由 大阪行きの便が、名古屋を離陸後に針路を見失い、引き返す途中に三重県石榑村の天狗山に激突した[16]。
1940年代
1940年
1942年
1950年代
1952年
1954年
1956年
1957年
1958年
1960年代
1960年
1962年
1963年
1964年
- 1964年2月18日
- 1964年2月27日
- 1964年5月3日
- 機種: セスナ機
- 死者: 乗員3人が死亡。
- 状況: 富山県砺波市で開催されたイベントのため飛行していたセスナ機が低空飛行中に失速して墜落。墜落場所が田んぼだったため地上で巻き添えになった者はいなかったがイベント会場にいる1万人近くの人々の目の前で墜落した。
1965年
1966年
1967年
- 1967年2月9日
- 便名: 日本国内航空 851便
- 機種: コンベア CV-240
- 死者: なし(1人が負傷)。
- 状況: 浜松市上空3000メートルを飛行中、風防が破損しその衝撃で機長が胸を強打し重傷を負った。機内の与圧されていた空気が機外に噴出したが、飛行に影響せず名古屋空港へ緊急着陸した。機長以外にはけがは無かった。
- 1967年10月5日
- 便名: 日本航空仙台乗務員訓練所所属機
- 機種: ビーチクラフト双発機
- 死者: 3人(重傷1人)
- 状況: 飛行中に突然エンジンが不調となり山形県村山市郊外に墜落、炎上。機長は脱出に成功したものの、同乗していた訓練生3人が焼死した[35]。
1969年
1970年代
1970年
- 1970年2月10日
- 1970年5月23日
- 便名: 中華航空 802便
- 機種: ボーイング707
- 死者: 地上の1人が死亡。
- 状況: 諸般の事情で大幅に到着の遅れていた台北発大阪経由東京行きが、大阪を通過し滑走路閉鎖中の羽田空港C滑走路に特例として4時に着陸することになった。しかし、滑走路で標識塗り替え作業を行っていた作業員に管制塔が連絡していなかった上に、航空機からもスモッグの影響[39] で作業員の姿を確認できず、そのまま着陸進入を続行。そのため空港事務所のライトバンに旅客機の主脚が接触、運転席にいた職員が圧死した。旅客機のほうは無事に着陸し搭乗者11人に怪我はなかった。
- 1970年7月27日
1971年
1972年
1973年
1976年
- 1976年3月23日
- 1976年9月15日
- 便名: 大洋航空(近代航空によるチャーター)
- 機種: セスナ 172M(機体番号:JA3732)
- 死者: 乗客2人が行方不明(死亡と推定)、乗員2名が負傷。
- 状況: 元高崎経済大学学長で経済学者の田中精一夫妻が、近代航空に伊豆大島上空遊覧飛行の斡旋を依頼。同社社長が大洋航空を紹介したが、同社幹部は「この夫婦は搭乗したいと何度も来社したが、様子がおかしいので乗せられない」と断ったため、近代航空の社長が同乗することを条件に、調布飛行場を飛び立った。伊豆大島を周回後、相模湾上空の高度2,000m付近を飛行中に突然、田中が機長の肩や首をナイフで切りつけたため、副操縦席にいた社長が田中を殴ったところ、田中の妻が医療用メスで社長に斬りかかった。もみ合いになり、機が急降下したところで田中夫妻はそれぞれ両サイドのドアを開け、機外へ飛び降りた。機長が出血多量により意識朦朧となったため、代わりに社長が操縦桿を握り、約30分後に羽田空港に緊急着陸した。田中夫妻は捜索が行われたものの発見できず、機長は全治2か月の重傷、社長は全治2週間の怪我を負った[50][51][52][53][54][55][56]。
1977年
1978年
1979年
1980年代
1982年
1983年
1984年
1985年
1987年
1988年
1990年代
1990年
1993年
1994年
1996年
1997年
1998年
2000年代
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2007年
- 2007年3月13日
- 2007年4月9日
- 便名: アカギヘリコプター 輸送機(機体記号:JA9203)[90]
- 機種: 富士ベル・204B-2
- 死者: 乗員乗客10人中2人が死亡。
- 状況: 富山県の北アルプス・水晶岳にある場外離着陸場から離陸直後に斜面に激突大破。搭乗者10名のうち機長と乗客1名が死亡。事故の状況は機長が視界の利かない状況で離陸したものの、機体の姿勢を保てず強風の影響もあり斜面に激突した。事故原因について国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(当時)は、機長に基本的な計器飛行の能力が劣っていたため、有視界飛行によって機体の姿勢を制御しようとしたが、風下側に旋回したため気流の影響を受けたため、斜面に激突したとしている。
- 2007年8月20日
- 2007年10月27日
2008年
2009年
- 2009年3月23日
- 2009年9月11日
- 便名: 岐阜県防災航空隊 若鮎2(機体記号:JA96GF)[94]
- 機種: ベル・ヘリコプター ベル 412EP
- 死者: 機長、整備士及び防災航空副隊長計3人が死亡。
- 状況: 岐阜県高山市の北アルプス奥穂高ジャンダルム付近にある通称ロバの耳の登山道付近において救助活動中に付近の岩壁に接触し墜落した。運輸安全委員会は、ホバリング中に高度が低下し後方に移動したため、メインローターブレードが付近の岩壁に接触し墜落したものと推定している。
2010年代
2010年
2011年
2012年
2015年
2016年
- 2016年3月26日
- 便名: 個人所属機
- 機種: ムーニー M20C
- 死者: 乗員4人全員
- 状況: 八尾空港滑走路に着陸の際バウンドし復行を試みたが上昇中に失速しスピンに入り墜落した。
2017年
- 2017年1月19日
- 便名: ANA1831便(JA461A)
- 機種: ボンバルディアDHC-8-Q400
- 死者: なし
- 状況: 1831便が新千歳空港滑走路01R(B滑走路)に着陸後、オーバーランして滑走路端の草地で停止した。原因は機長による制動開始の遅れ及びパワーレバーがディスク位置にセットされず減速に必要な制動力を得られなかったことにあり、また滑走路端周辺の積雪状態の悪さもオーバーランに関与したと見られている[106]。
- 2017年3月5日
- 便名: 長野県 消防防災ヘリコプター「アルプス」(機体記号:JA97NA)[107]
- 機種: ベル 412EP
- 死者: 乗員9人全員が死亡。
- 状況: 山岳救助訓練のため、パイロット1人、整備士1人、および長野県内の消防隊員7人の計9人を乗せ、13時31分に長野県松本市の松本空港を離陸した後、鉢伏山付近に墜落した。目的地である高ボッチ高原の臨時ヘリポートに到着時刻を30分過ぎてもヘリは到着せず、ヘリからの連絡も無かったため、長野県警察航空隊「やまびこ2号」が捜索したところ、墜落している機体を発見した。事故当日に3人、翌日に6人の死亡が確認され、長野県最悪の航空機事故となった[108]。長野県警は被疑者不詳で、業務上過失致死容疑で捜査中[109]。
- 2017年5月15日
- 2017年6月3日
- 2017年6月9日
- 便名: 航空自衛隊C-2輸送機「78-1205」
- 機種: C-2輸送機
- 死者: なし
- 状況: 2017年6月9日、C-2「78-1205」が訓練を実施するため滑走路へ向かっていた際に逸脱、美保飛行場の滑走路が閉鎖される事故が発生した。同月21日、防衛省は原因として機体の速度や姿勢を確認する慣性基準装置の作動前にパイロットが機体を始動したため、装置は機体が高速で移動していると誤認識した状態となり、保護機能が作動して操縦桿の操作などができなくなったと発表した。
- 2016年6月29日
- 2017年8月14日
- 2017年8月17日
- 2017年8月26日
- 便名: 海上自衛隊第21航空群第25航空隊所属SH-60J
- 機種: 三菱重工業SH-60J(シコルスキー・エアクラフトSH-60B)
- 死者: 乗員4人中2人(1人は救助され、もう1人は行方不明)
- 状況: 午後10時50分頃、護衛艦「せとぎり」での夜間発着艦訓練中に同機の方位指示器に大きな誤差が出ていることが分かり、復旧操作を行うため艦から離れて復旧操作として姿勢方位基準装置の電源を切ったところ、自動操縦装置による姿勢の安定を維持する機能が低下し墜落した。翌27日までに現場付近の海域から機体の一部とフライトレコーダーが発見された。乗員4人のうち男性乗員1人は事故発生後約35分後に救助されたが、機長を含む残り3人は行方不明となった。同年10月中旬に水深2,600メートルの海底で上下逆さまとなった機体が発見され、10月27日に機体を揚収し内部を確認した結果、2名の行方不明者を発見したが、残る1名の発見には至らず捜索を終了した。
- 2017年9月23日
- 2017年10月8日
- 便名: 個人所属
- 機種: ビーチクラフト社 E33
- 死者: 無し(1名重症)
- 状況: 2017年10月8日(日)、宮城県栗原市の瀬峰場外離着陸場で離陸中止後にオーバーランして水田の上に転覆し、機体を損傷した。オーバーランは離陸重量が同場外の滑走路長で安全に離陸できる重量を超過していたため、離陸滑走中に滑走路端までの残り距離が少なくなり、その際の機長による離陸中止の決断が遅れたことによるものと推定される[115]。
- 2017年10月15日
- 便名: 個人所属
- 機種: ビーチクラフト社A36
- 死者: なし
- 状況: 2017年10月15日(日)15時36分ごろ、福井空港の北西約4km、高度約300mを飛行中に発動機の出力が継続的に損失したため、川に不時着した。選択されていた右燃料タンクの燃料油量が著しく低下したため、発動機に燃料が供給されず、発動機の回転数が低下し、さらに、燃料セレクター・バルブを切り替えた後も状況が改善せず、出力を損失した状態が継続したことによるものと考えられる[116]。
- 2017年10月17日
- 2017年10月18日
- 2017年11月8日
- 便名: 東邦航空回送便
- 機種: エアバス・ヘリコプターズAS332L
- 死者: 乗員4人全員が死亡。
- 状況: 業務を終え、山梨県から栃木県のヘリポートに向かっていた回送便が長野・群馬県境を越えた後機体が制御不能に陥り、上野村の橋付近に墜落、炎上、大破した。機体とテールローターを繋ぐボルトに亀裂が入ったまま飛行を続けたためにボルトが破断しテールローターが外れたのが原因。しかも亀裂の事実が整備士(この事故で死亡)のみ知っていて共有されていなかった。
2018年
- 2018年8月10日
- 便名: 群馬県防災航空隊「はるな」(機体記号:JA200G)
- 機種: ベル 412EP
- 死者: 乗員9人全員が死亡。
- 状況:8月11日に開通を予定している登山道「ぐんま県境稜線トレイル」の確認視察のため前橋市ヘリポートを離陸した群馬県防災ヘリコプター「はるな」が群馬県と長野県の県境付近を飛行中に消息を絶ち、直ちに航空自衛隊などが捜索を開始。群馬県吾妻郡中之条町の横手山に「はるな」の機体と見られる物体を発見[120]。その後、航空自衛隊や群馬県警察本部などによる捜索隊により「はるな」が墜落していることを確認し、本機に搭乗していた群馬県防災航空隊員4名並びに吾妻広域消防本部職員5名の合計9名[120] を救出し収容したが、11日になって9名全員の死亡が確認された[121]。事故の原因は、天候悪化で雲の中を飛行して地形を確認できなくなり、機長が高度や姿勢を把握できなくなる「空間識失調」に陥り、正常に操縦できなくなったことが原因と結論づけた。[122]
2019年
- 2019年2月20日
- 便名: 航空自衛隊 第8航空団 第6飛行隊 F-2戦闘機
- 機種: 三菱重工業 F-2
- 死者: なし
- 状況: 訓練で山口県沖の日本海を飛行中にレーダーから機影が消えて連絡が取れなくなって、墜落した。原因は、前席操縦者が飛行諸元・飛行姿勢を適切に把握せずに操縦をし、適切な手順が実施できなかったため、異常姿勢及びその後の操縦不能状態に陥ってしまった。また、後席操縦者が操縦を交代し、回復操作を試みたものの、背面状態で体が浮き、マニュアルモードにするスイッチに手が届かず、また、前席操縦者に誤ったスイッチ操作の指示をしてしまい、正しい回復手段を取れず、操縦不能状態が継続した。
- 2019年4月9日
2020年代
2020年
2022年
2023年
- 2023年3月2日
- 便名:オールニッポンヘリコプター(機体番号:JA37NH)[125]
- 機種:EC135T2
- 死者:なし
- 状況:燃料補給のために着陸した岡山空港の駐機スポットに接地する際に機体姿勢が不安定になり、強めに接地した。同機は大破したが火災は発生しなかった。機長、整備士には怪我は無かったがカメラマンが軽傷を負った。運輸安全委員会に航空事故と認定された。原因は調査中。
- 2023年4月6日
- 2023年4月18日
- 2023年9月7日
- 便名:航空大学校訓練機(機体番号:JA018C)
- 機種:シーラス式SR22型
- 死者:なし
- 状況:14時38分頃、釧路空港において連続離着陸訓練を行っていた航空大学校帯広分校所属の訓練機が滑走路を逸脱し、誘導路に着陸した。その後当該機は空港敷地を囲むフェンスに激突し停止。40代の男性教官1名と20代の男子学生3名が搭乗していたがいずれも怪我はなかった。また当該機は3本のギア全てが損傷した。本事故は当初、重大インシデントとされたが、その後航空事故に認定された。原因は調査中。
2024年
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
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