L'Arc〜en〜Ciel脱退後は、peroとともにAnge∞Graie、FEEDを結成。その後はFlameというバンドを立ち上げ活動していた。なお、脱退した後、L'Arc〜en〜Cielのメンバーとの公の場での交流は長らくなかったが、2015年にtetsuyaがソロ名義で開催したライブにおいて、tetsuya、hiro、peroで「I'm in Pain」と「Dune」のセッションを披露している[7]。
peroが在籍していた頃に発表したL'Arc〜en〜Cielの公式作品は、バンド初の映像作品『L'Arc-en-Ciel』、インディーズシングル「Floods of tears/夜想花」の2作のみとなっている。ただ、脱退後もperoが在籍していた頃の音源や映像を収めた作品がL'Arc〜en〜Cielとして再収録されている。
L'Arc〜en〜Ciel脱退後は、hiroとともにAnge∞Graie、FEEDを結成。なお、脱退した後、L'Arc〜en〜Cielのメンバーとの公の場での交流は長らくなかったが、2015年にtetsuyaがソロ名義で開催したライブにおいて、tetsuya、hiro、peroで「I'm in Pain」と「Dune」のセッションを披露している[7]。
sakuraが在籍していた頃に発表したL'Arc〜en〜Cielの公式作品は、映像作品『L'Arc-en-Ciel』とインディーズシングル「Floods of tears/夜想花」を除き、1997年2月までに発表したすべての作品となっている。ただ、脱退後もsakuraが在籍していた頃の音源や映像を収めた作品がL'Arc〜en〜Cielとして再収録されている。
L'Arc〜en〜Ciel脱退後は、ZIGZO、SONS OF ALL PUSSYS、Lion Heads、Rayflower、THE MADCAP LAUGHS、gibkiy gibkiy gibkiyといったバンドに参加している。また、L'Arc〜en〜Cielの楽曲制作にも携わる富樫春生が結成したジャズ・ファンクグループ、梵鉾!でもドラムを叩いている。なお、sakuraは脱退した後もL'Arc〜en〜Cielのメンバーと単発的に公の場で共演している。hydeとは2003年に同氏のソロ名義のライブツアーで共演し、「I'm so happy」をセッションしており、kenとはSONS OF ALL PUSSYSで再びバンドメンバーとなっている。また、tetsuyaとは2006年に発行された音楽雑誌『R&R NewsMaker』で対談している他[8]、2019年に行われたライブイベントで共演し、「Dune」をセッションしている[9]。ちなみに後を継いだyukihiroは、1997年時点でsakura含めたメンバーにとって事務所の先輩・後輩という関係性にあり、事務所主催のライブイベントの舞台裏では交流があったという。
時系列
活動概要
1991年:L'Arc〜en〜Ciel結成
バンド結成の経緯
1990年前後に、大阪の有名レコード店(ワルツ堂)でアルバイトをしていたtetsuyaは[10]、バンドを組むべくメンバー探しを行っていたという[11][12]。そのような中でtetsuyaは、アルバイト先で当時大阪のシーンで有名だったバンド、BILLY & THE SLUTSのボーカルを務めるSAMMYと知り合っている[11][12]。そして、SAMMYから「いいギターがいる」と、L'Arc〜en〜Ciel結成メンバーとなるhiroを紹介されたという[11][12]。その後tetsuyaは、hiroと2人でバンドを結成する方向で動いていたが、形にならず終わってしまう[12]。このあともメンバーを探すため、ライブハウスに頻繁に訪れていたtetsuyaは、とあるギタリストに「今度スタジオで音を出そうと思ってる、ちょうどベースがいないから合わせてみる?[11]」と誘われ[11][12]、そのセッションに参加することにする[11][12]。そこで、L'Arc〜en〜Cielの結成メンバーとなるhydeとperoに出会ったという[11][12]。また、余談だが、この当時tetsuyaはバンドメンバーを探すため、多くのミュージシャン志望の人とセッションしていたといい、その中には当時Luis-Maryのボーカリストとして高い知名度を持ち、後にT.M.Revolutionとしても活動を始める、西川貴教(当時は"灰猫"名義で主に活動)もいたという[12]。
ken加入直後からアルバム制作のためレコーディングを行い、1992年10月1日に発売されたオムニバスアルバム『Gimmick』にバンド初の音源となる「VOICE」を提供した。しかし、アルバム自体は、メンバー曰く「出来映えが気に入らなかった」ため、完成直前まで漕ぎ着けていたが全曲をボツにし発売しない意向を取った[29]。また、これに関しては脱退したhiro側から「自分の曲を使わないでほしい」と言われたことも理由の一つになっている。この一件で当時所属していた事務所との間に軋轢が生まれ、レコーディングに掛かった経費などの支払いを命じられることとなる。これとほぼ同時期に、デンジャークルー・レコード (現:マーヴェリック・ディー・シー・グループ) 社長の大石征裕から「うちの事務所に来て欲しい」と誘いがあり、そのままデンジャークルー・レコードへ移籍。この時の金銭問題は、事務所間での話し合いで全て白紙となった[29]。ちなみに、インディーズ時代に唯一リリースされた生産限定シングル「Floods of tears/夜想花」は、前述の金銭問題を処理する為にリリースされたものである[29]。また、この移籍の話が出たころにtetsuyaがバンドのリーダーとなっている。tetsuyaをバンドのリーダーにしようと提案したのはhydeで、後年にhydeは「先導が誰かに決める必要があったんだと思う。本人が"リーダーになる"って言えないだろうから、"tetsuyaがリーダーに相応しいと思う"って言ったんだよ。tetsuyaは当時からしっかり者だったからね[30]」と振り返っている。しかし、前述のシングルリリース直後の1992年12月30日に、大阪ミューズホールで行われたオールナイトライブをもってドラマーのperoが脱退することとなり、後任のドラマーを探すこととなった。
メジャーデビュー直後はインディーズ時代からのファンも多かったが、デビュー後初めて行った全国コンサートツアー「Tour Sense of time '94」の東京ベイNKホール公演などでチケットがソールドアウトしないという事態が発生した。以後は「スタッフに全て任せきり」だったコンサートの会場決め、プロモーションなどをインディーズ時代のようにメンバー主導で行うようになった[36]。当時を振り返り、hydeは「自らが主導権を握って活動していなければ、多分(バンドは)終わっていたと思う。そこからは変わってないと思うんですよね、それぞれがいろいろ経験して大人にはなったけど[37]」、tetsuyaは「メジャーに来たらある程度はスタッフにお任せして、自分達は音楽に専念できる環境が整ったんですけど、ふたを開けてみたら”あれ?”と思うことが多くて。メジャーデビューして1年ぐらいしてからやっぱり自分たちのやり方に戻した方がいいなと思った[37]」と述べている。
1995年1月からは公式ファンクラブ『Ciel(現・LE-CIEL)』の発足記念ライブツアー「Ciel/winter '95」を開催。同年5月21日からはライブツアー「in CLUB '95」を開催。ツアー初日に合わせ、ビデオシングル『and She Said』を発売。さらに、同ツアーでは同年9月にリリースされる3rdアルバム『heavenly』の収録曲を先行披露して廻るなど、ライブを積極的に行う活動にシフトしていった。また、アルバムを引っ提げて行われたライブツアー「TOUR heavenly '95」では初の日本武道館公演を開催し、徐々に人気を広げ動員規模を拡大していった。
自身初のミリオンセラー、自身初のアリーナツアー開催、sakura逮捕に伴う活動休止
1996年5月には、ライブ「Kiss me heavenly deadly '96 REVENGE」を開催し、2年前のリベンジとなる東京ベイNKホールでのソールドアウトを達成。また、同年7月からシングル3作品を立て続けにリリースした。中でも10月17日に発売したシングル「flower」は累計30万枚以上を売り上げるヒット作となった。さらに、同年12月には4thアルバム『True』を発売。過去のアルバム3作と異なり、富樫春生、岡野ハジメ、秦野猛行、小西貴雄、西平彰、佐久間正英の計6人の共同プロデューサーを迎えて制作された。本作以前のアルバムは、ほとんどの楽曲がセルフプロデュースで制作されていたが、思っていたほどセールスが伸びていなかったことから、バラエティに富んだポップ色の強いアルバムとして本作が制作された。本作について、hydeは「僕らにやりたいことが山ほどあったから、ここでポップな曲での攻撃を覚え始めた[38]」、kenは「(L'Arc〜en〜Cielが)売れねえって声が聞こえた時、当時自分が一番曲を書いていたから、"曲が悪いんだろう"、"俺が悪いんだろう"、"そりゃ売れねえの作ってるよ、俺は"と思っていた。だから"じゃあ売れるの作りましょうか"っていう気分で『True』の制作にあたった[39]」と述べている。その結果、本作は発売6週目でメジャーデビュー後では自身初となるオリコン週間アルバムチャート首位を獲得。その後、チャートに自己最長となる110週ランクインし続け、シングル・アルバム通じて初のミリオンセラーを記録し、「L'Arc〜en〜Cielの前期の集大成[40]」と呼べる作品となった。
前年から1997年初頭にかけ、初のアリーナ公演を含むコンサートツアー「CONCERT TOUR '96〜'97 Carnival of True」を開催するなど人気は過熱しはじめ、ヒット街道を驀進するものと思われたが、同年2月にドラマーのsakuraが覚醒剤取締法違反で逮捕される。これにより、活動予定を全て白紙化することとなった。それに留まらず、これまでにリリースした全てのシングル・アルバム・映像作品の出荷を一時停止し、バンドは活動休止状態となった。
1997年 - 2002年:『HEART』『ark』『ray』『REAL』
sakuraの脱退、変名バンドとしてのライブ開催、復活ライブとなる自身初の東京ドーム公演開催
sakuraの逮捕後、「曲作りとリフレッシュ」の名目で渡英する。シングルの制作やプロモーションのため一旦日本に戻るも、ミュージックビデオの撮影も兼ねて再度渡英、さらにドイツを巡るなど数ヶ月の間ヨーロッパに滞在することとなる。この間にサポートドラムとして元ZI:KILL、DIE IN CRIESのドラマー、yukihiroが参加したセッションなどが行われ、1997年10月に長い休止から復活。直後発売したシングル「虹」は初動30万枚、累計70万枚以上を売上げ、当時の自己最高初動・最高売上を記録した。同年11月4日には、sakuraがバンドから正式に脱退することが発表された。
同年12月には、L'Arc〜en〜Cielのコピーバンド"the Zombies"を期間限定で結成。同月16日から18日の3日間限定で、変名バンド名義でライブ「Live Tour NIGHTMARE BEFORE CHRISTMAS EVE」を東京・大阪のライブハウスにおいて開催した。さらに12月23日には、L'Arc〜en〜Cielとして初となる東京ドーム公演となる復活ライブ「L'Arc〜en〜Ciel 1997 REINCARNATION」を開催。当時の東京ドームの愛称であった「ビッグエッグ」にちなみ、<おおきなあたたかいたまごから僕たちはもう一度生まれた>というコンセプトのもと再始動を予告した。本公演のチケットは当時の最速記録である4分で完売し、当時絶頂にあったバンドブームと重なり休止前までには無かったほどの爆発的人気を得ることになった。また、後年tetsuyaはこの公演を振り返り、「賭けだった」と述べており、「同じような会場で同じようなことをやっても、ラルクはもうダメになっちゃったと思われるんじゃないかって、だから絶対に良くなったって思わせたかった[42]」と語っている。
1999年7月からは自身初の野外ライブツアー「1999 GRAND CROSS TOUR」を全国6都市で開催。ツアータイトルの「グランドクロス」は同年8月に惑星が十字に並び、世紀末不安と重ね不吉の前兆とされた特殊な天体現象の名称からとられている。また、「誰もコンサートをやっていないところでライブをやろう[54]」という目的から、本公演では既存のスタジアムを用いず、各会場に特設ステージを設置する大掛かりなものとなり、全12公演で65万人を動員する自己最大規模のツアーとなった[55]。hydeはこのツアーをバンドの歴史の中で一番記憶に残っているコンサートとして挙げており、「このコンサートはホントに未だに夢のように思いますね。人の地平線に向かって歌えたという。この時期の集大成です[41]」と述べている。同年8月21日・22日に行われたこのツアーの東京・東京国際展示場 駐車場特設ステージ公演では、自己最多動員数となる12万5千人 (両日25万人)を動員したライブを敢行した。さらに、21日の東京公演はViewsic (現・MUSIC ON! TV)で、自身初のアジア各国におけるコンサートの同時生放送が行われた。
1999年12月31日から2000年1月1日にかけて、自身初のカウントダウンライブ「RESET>>LIVE *000」を開催。資生堂「ピエヌ」CMソングに起用された「NEO UNIVERSE」を2000年代突入の一曲目として初披露し、同月にメジャー初の両A面シングル「NEO UNIVERSE/finale」としてリリースされた。同年7月にはシングル「STAY AWAY」をリリース。同曲のミュージック・クリップは、CGを用いたダンス表現が話題となり[56]、音楽専門チャンネルスペースシャワーTV主催の音楽賞『SPACE SHOWER Music Video Awards 00』において『BEST VIDEO OF THE YEAR』を前年の「Pieces」に続き2年連続で受賞した。同年8月には8thアルバム『REAL』を発売。前作の反動からハードロックの要素の強い作品となり、これまでとセールス面では多少見劣りするものがあったが、アルバムとしては5作連続ミリオンセラーを記録した。1998年の活動再開から2000年までの3年間で、シングル13作、アルバム4作ものリリースし、その内の9作がミリオンセラーを記録した。さらに、前年の自己最大規模の野外ライブツアーとは正反対のコンセプトとなるライブハウスツアー「CLUB CIRCUIT 2000 REALIVE」を同年10月から開催。同ツアー後に立て続けに自身初の4大ドームツアー「TOUR 2000 REAL」を開催した。
個人活動の開始から約2年半が経った2003年6月、国立代々木競技場でバンド名に沿った7日間のライブ「Shibuya Seven days 2003」を開催。この公演が解散ライブになると当時噂されていたが、ライブ最終日の公演後において場内スクリーンに翌年の活動予定(シングル・アルバムのリリース、ライブツアーの開催)を掲載し、それまで流れていた解散説を一蹴する。
上記ライブでの発表通り、2004年2月には2年5ヶ月ぶりとなるシングル「READY STEADY GO」を発売。本作の表題曲はテレビアニメ『鋼の錬金術師』のオープニングテーマに起用され、2000年以来4年ぶりにオリコン年間シングルランキングTOP30にランクインした。そして、同年3月には3年7ヶ月ぶりとなる9thアルバム『SMILE』を発売。さらに、5月よりアリーナツアー「SMILE TOUR 2004」を開催し、L'Arc〜en〜Cielの活動を本格的に再開した。また、2004年7月31日にはアメリカ東海岸で開かれる地域最大のアニメコンベンション「OTAKON 2004」の一環として「L'Arc〜en〜Ciel Live in USA」を開催。このライブはボルチモアにあるファースト・マリナー・アリーナで行われ、自身初となる海外公演は1万1100人を動員するライブとなった。
翌2005年には1999年以来6年ぶりにシングル4作品をリリース。中でも同年5月18日に発売したシングル「叙情詩」は、7作連続でオリコン週間シングルチャート首位獲得を記録し、ミュージック・クリップは第9回文化庁メディア芸術祭のエンターテインメント部門の審査委員会推薦作品に認定された。同年6月には10thアルバム『AWAKE』を発売。同年8月からはアルバムを引っ提げたアリーナツアー『AWAKE TOUR 2005』を開催。アルバムがhydeの思想を先行した反戦や平和をテーマとして制作されており、コンサートもアルバムに合わせコンセプチュアルなものとなった[60]。前述のツアーを経て、同年9月から自身初のアジアツアー「ASIALIVE 2005」を行い、ソウル、上海において自身初のライブを開催した。
2006年11月25日・26日には、結成15周年を記念したライブ「15th L'Anniversary Live」を東京ドームにて開催。ライブ最終日には翌年のシングルリリースと9年ぶりとなるホールツアーの開催を発表した[62]。翌2007年5月にはシングル「SEVENTH HEAVEN」を発売。また、SUBARU「レガシィ」のCMソングに起用された「MY HEART DRAWS A DREAM」を同年8月にシングルとして発売することを皮切りに、シングル・アルバム・映像作品を5ヶ月連続でリリースすることを発表した。さらに、前述のホールツアー「Are you ready? 2007 またハートに火をつけろ!」では、同年12月に発売される11thアルバム『KISS』の収録曲を含んだセットリストが組まれ、未音源化楽曲の先行披露をして全国32都市を廻った。
自身初の欧州公演を含むツアー開催、ライブ活動休止
2007年12月より前述のアルバムを引っ提げ、童話『不思議の国のアリス』を題材にした演出やセットが組まれたライブツアー「TOUR 2007-2008 THEATER OF KISS」を開催。ライブで新曲として披露された「DRINK IT DOWN」がゲームソフト『デビルメイクライ4』の主題歌に起用され、翌2008年4月に発売された。
前年の紅白歌合戦への出場直後となる2011年1月1日にニューイヤーライブ『20th L'Anniversary Starting Live "L'A HAPPY NEW YEAR!"』を開催。L'Arc〜en〜Cielとしては約2年半ぶりのライブ開催となった。また、同ライブでは公式Twitterと動画共有サービスUstreamの連動企画が行われ、最後のhydeのMCからライブ生配信が実施された[64]。そのMCにおいて、hydeが公演翌日から作曲期間に入ることを宣言し[65]、本格的な始動を予告。さらに、公演終了後に場内スクリーンでオールタイムベストアルバムとなる『TWENITY』シリーズ3作と記念ライブの開催を発表した。
同年には前述の記念ライブで初披露された「GOOD LUCK MY WAY」を含めシングル3作、翌2012年2月には4年3ヶ月ぶりとなる12thアルバム『BUTTERFLY』が発売された。中でも2011年10月に発売されたシングル「X X X」は、ロックバンドとして史上3組目となる1990年代・2000年代・2010年代の3つの十年代連続でのオリコン週間シングルチャート首位獲得を記録した。さらに、同年12月には前述の結成20周年ライブの模様を収録したライブビデオの発売により、DVD総売上のミリオン突破を記録した。また、VHS総売上と合わせ映像作品全体(VHS+DVD)においてダブルミリオンの達成となった[68]。
2014年3月には、1年10ヶ月ぶりとなる2度目の国立競技場におけるライブ「L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2014 at 国立競技場」を開催。前回の同所での公演と異なり、フィールドに設置される花道を排除し限界まで座席を敷き詰めることにより、スタンド、フィールド含め8万人(両日16万人)を動員。国立競技場でのライブにおいて史上最多となる動員数を記録した[73]。また、同年5月には同所で行われたライブイベント「SAYONARA 国立競技場FINAL WEEK JAPAN NIGHT」に出演。この公演は全面建替工事前の国立競技場で行われる最後の音楽イベントとなり、L'Arc〜en〜Cielは最終日のトリを務め、全9曲を披露し国立競技場の長い歴史に花を添えた[74]。
同年2月26日には、過去のライブビデオ18作のBlu-ray Disc化を発表。さらに、同年10月22日には過去にリリースされたアルバム12作品のハイレゾリューションオーディオが配信された。hydeは「(レコード会社が)ソニーっていうのと、(事務所の)社長がエンジニアだったからだから結構音にはうるさいんですよね。何もないころから常にいい音で録音したりとか、いい映像で撮ったりとかもう趣味なんですよね。だからその時はお金はかかるけど、いざ発表するときにその時の効果が出るんですよね[75]」と述べている。また、同年12月には前述のワールドツアーに密着したドキュメンタリー映画『Over The L'Arc-en-Ciel』を全国72ヶ所の映画館で期間限定公開した。本作が自身初のドキュメンタリー映画となり、同年公開された音楽ドキュメンタリー映画の中で、最速となる興業収入1億円突破を記録した。
前述の経緯で連携が決まったライブ・ネイション・ジャパンを興行主体とし、2018年に自身初のクリスマスライブ「L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2018 L'ArChristmas」を開催。興行主体が変わったことで、数%の既存スタッフを除き、PA、照明、制作、舞台、各種システム担当に渡りほとんどのスタッフを一新した上でライブ制作が行われた[80]。動画配信サービスサイト『Paravi』で配信された同ライブのドキュメンタリー番組では、このライブから新たに制作に携わったスタッフ達の証言が収録されている[81]。
翌2020年1月からは前年9月の発表通り、8年ぶりとなるアリーナツアー「ARENA TOUR MMXX」[注釈 56] を開催。このツアーでは前年に開設した公式YouTubeチャンネルや公式Instagramを新たなプラットフォームとして活用し、公演前の会場の様子やライブの一部模様、舞台裏でのメンバーの様子などを撮影した映像を公開する企画が行われた。また、前年に解禁した各種サブスクリプションサービスにおいて、開場時に流すメンバーセレクトのBGMのプレイリストや、過去のライブのセットリストのプレイリストを公開する企画が行われた。このツアーの当初の公演規模は全国5都市12公演を予定していたが、同年1月末に日本国内で初感染が確認された新型コロナウイルスの感染症拡大防止のため、同年2月26日に最終4公演の中止を決定した。
12月12日 - 12月25日、ライブツアー「The other side of heavenly '95」を開催。
12月23日 - 12月25日、としまえんとのタイアップイベント「L'Arc〜en〜Ciel DAY「Noёl」」を開催[86]。このタイアップ期間中、CDシングル「夏の憂鬱 [time to say good-bye]」のジャケットを持って同所を訪れた者に、先着2万名でメモリアルカードがプレゼントされた。園内の特設シアター「ドリームドーム」にてスペシャル3Dビデオが上映された[86]。
4月3日 - 5月29日、ライブツアー「Kiss me deadly heavenly '96」を開催。
5月26日、上記ツアーの合間に、東京ベイNKホールでライブ「Kiss me deadly heavenly '96 REVENGE」を開催。この公演は、1994年に開催したライブツアー「Tour Sense of time '94」における同所でのライブが、ソールドアウトしなかったことを受けて実施されたリベンジ公演となっている。
12月23日 - 1997年1月29日、ライブツアー「CONCERT TOUR '96〜'97 Carnival of True」を開催。協賛はFRESH LIGHT。sakuraが1997年2月24日に覚醒剤取締法違反で逮捕され、その後バンドを脱退したため、これがsakura在籍時のL'Arc〜en〜Cielが行った最後のツアーとなった。
12月16日 - 12月18日、変名バンド、the Zombies(読み:ザ・ゾンビーズ)として、シークレットライブツアー「Live Tour NIGHTMARE BEFORE CHRISTMAS EVE」を開催。the Zombiesのメンバー構成はL'Arc〜en〜Cielと変わらないが、あくまで「ラルクのコピーバンド」という位置付けになっている。なお、サポートドラマーとして、「虹」のレコーディングに招聘されたyukihiroが参加している。このライブツアーでは、L'Arc〜en〜Ciel名義の新曲や、他のアーティストのカバーなどが演奏された。
自身初のベストアルバム『Clicked Singles Best 13』を発売。通算5作目のオリコン週間アルバムチャート首位を獲得すると共に[95]、6度目のアルバムミリオンセラーを記録した[95]。なお、このベストアルバムは、Yahoo! JAPANとのジョイント企画として開設された特設投票サイト「LArc.yahoo.co.jp」の投票結果をもとに、収録曲が決定されている。ちなみに投票対象となる楽曲は、シングル表題曲のみとなっている。また、投票は日本以外のアジア地域でも行われており、日本盤の他、中国盤、香港盤、台湾盤、タイ盤、フィリピン盤、マレーシア盤が各地域で同時リリースされている。余談だが2001年5月には米国盤、2004年には韓国盤が発売されている。
6月25日、LE-CIEL会員限定ライブ「Akasaka Zero day」を赤坂BLITZにて開催。
6月28日 - 7月6日、本格的な活動再開を告げるライブ「Shibuya Seven days 2003」を国立代々木競技場 第一体育館にて開催。チケットは約3分で完売し、7日間の公演で約9万人を動員した[95]。なお、最終日公演は世界初の試みとして、NTTドコモのFOMAを用いたライブ映像のストリーミング配信を実施[95]。
12月17日、ライブビデオ『7』を発売。同日には「眠りによせて」「and She Said」『Siesta 〜Film of Dreams〜』『heavenly 〜films〜』のDVD版、『A PIECE OF REINCARNATION』・『ハートに火をつけろ!』のトールケース仕様廉価DVD版を発売。
4月1日、オムニバスブック『L'Arc〜en〜Ciel Box Set of The 15th anniversary in formation CHRONICLE of TEXT & PHOTOGRAPH』をソニー・マガジンズから完全受注生産で発売。この本は、ソニー・マガジンズから発行された音楽雑誌『WHAT's IN?』や『Gb』などに掲載されていたL'Arc〜en〜Cielへのインタビュー記事や写真が抜粋されたものとなっている。
11月20日 - 12月25日、東京・渋谷にある商業施設、SHIBUYA109のメンズブランド「109MEN'S」(現:MAGNET by SHIBUYA109)とL'Arc〜en〜Cielがコラボした巨大広告が展示された[101]。この広告では翌週に発売されるアルバムのタイトルにちなみ、"メンバー同士がキスをしているように見える写真"が使われている[101]。なお、これはこの広告のため撮り下ろしされたものである[101]。また、この広告でメンバーは「109MEN'S」を取り入れたコーディネートで登場している[101]。さらに、同期間には「109MEN'S×L'Arc〜en〜Ciel」のコラボレーションCMがフォーラムヴィジョンにて放映されている[101]。ちなみに、「109MEN'S」がロック・アーティストとコラボレーションするのは、これが初の試みとなった[101]。
4月19日 - 6月8日、日本国内外7都市をまわるライブツアー「TOUR 2008 L'7 〜Trans ASIA via PARIS〜」を開催。このツアーは、ソウル・上海・香港・台北・パリ・東京・大阪の7都市で行われ、約30万人を動員している[103]。ちなみにパリ公演は、自身初のヨーロッパ公演となった。なお、5月9日に行ったパリ公演の模様は、東京・大阪・福岡・広島・新潟の全国5箇所のシネマコンプレックスにおいて、世界初となる海外コンサートの同時中継が行われた[103]。ちなみに、海外コンサートの同時中継は、このパリ公演が世界初のことである[103]。
5月20日、ライブビデオ『LIVE IN PARIS』を発売。通算7作目のオリコン週間DVD総合チャート首位を獲得。7作のDVD総合チャート首位獲得は、当時の男性アーティストの持つ記録としては歴代1位タイとなる[104]。
5月22日 - 5月24日、ドキュメンタリー・ビデオ『DOCUMENTARY FILMS 〜Trans ASIA via PARIS〜』と、ライブビデオ『LIVE IN PARIS』、ライブ写真集『á Paris』(カジュアル仕様)の発売記念イベントとして、赤坂サカスにおいて「L'Arc〜en〜Ciel MUSEUM」を開催。
9月2日、ベストアルバム『Clicked Singles Best 13』のブルースペックCD盤を発売。
3月3日 - 5月5日、ライブツアー「WORLD TOUR 2012」を日本国外にて開催。このツアーは、約4年ぶりとなるワールドツアーで、香港、上海、ソウル、台北、バンコク、シンガポール、ジャカルタ、ニューヨーク、ロンドン、パリの海外10都市で行われた。ちなみにツアーで回った上海以外の会場では、ベストアルバム『WORLD'S BEST SELECTION』が限定販売されている。なお、3月25日のマディソン・スクエア・ガーデンでのライブは、日本人ミュージシャンとして初の同所での単独公演となった[69][114]。また、この公演の模様は、日本全国29ヶ所の映画館で3月26日午前9時から生中継され、約1万5000人を動員している[115]。
5月12日 - 5月27日、ライブツアー「20th L'Anniversary WORLD TOUR 2012 THE FINAL」を日本国内にて開催。このツアーは、1999年以来約13年ぶりに野外会場のみで構成されたツアーとなっている。なお、ツアーの最後に組まれた国立競技場(現:旧国立競技場)でのライブは、ミュージシャンとしては史上4組目、ロックバンドでは初の公演となった[72]。なお、2012年3月3日から日本国外で行われたライブツアーと、同年5月31日のホノルル公演、そしてこの国内ツアーを合わせ、約45万人の動員を記録している。
3月19日、ライブビデオ『heavenly 〜films〜』から『WORLD TOUR 2012 LIVE at MADISON SQUARE GARDEN』の全18作品のBlu-ray Disc版を発売。
3月21日・22日、約1年10ヶ月ぶりにライブ「L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2014 at 国立競技場」を国立競技場(現:旧国立競技場)にて開催[123]。このライブでは、スタンド・フィールド含め8万人(2日間で延べ16万人)を動員[124]。これは、ライブにおける国立競技場(現:旧国立競技場)の最多動員数記録となった[124]。なお、2日目公演の模様は、日本国内の映画館37館で生中継された他、イギリス、フランス、アメリカ、メキシコ、台湾、香港の海外20都市でもライブビューイングが実施された[125]。
5月29日、建て替え前の国立競技場(現:旧国立競技場)で行われた最後のライブイベント「SAYONARA 国立競技場FINAL WEEK JAPAN NIGHT」の2日目公演("Japan to the World")にヘッドライナーとして出演し、9曲を披露。
7月23日、4K対応液晶テレビ「BRAVIA」とライブビデオ『L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2014 at 国立競技場』のコラボレーション企画「BRAVIA 4K×L'Arc〜en〜Ciel」を開始。東京・大阪・愛知のソニービルの他、全国約1800店の家電販売店で、4K編集によるダイジェスト映像が順次上映された[126]。同年10月3日からは、JR品川駅中央改札内のソニーショーケースでも上映された。なお、同年12月5日には、このコラボ施策が国際3D先進映像協会による「グッドプラクティス・アワード2014」の4K部門本賞に選出されている[127]。
10月2日、音楽配信サイトのmoraおよび VICTOR STUDIO HD-Music. において、楽曲のハイレゾリューションオーディオ (ハイレゾ音源) 配信することを発表。2014年10月10日から「EVERLASTING」を、同年10月22日から『DUNE』以降のスタジオ・アルバム作品12作をFLAC形式 (96 kHz/24bit) で配信開始する[128][129]。ちなみに「EVERLASTING」より前にリリースされた作品には、全曲リマスターが施された。
12月5日、自身初のドキュメンタリー映画『Over The L'Arc-en-Ciel』を公開。公開前には、2014年12月12日までの期間限定で劇場上映されることが告知されていたが[130]、のちに上映期間が延長されている。なお、この映画は、2012年に世界10都市で開催したライブツアー「WORLD TOUR 2012」から、ハワイ・ホノルル公演「20th L'Anniversary Year Live in Hawaii」までの間、L'Arc〜en〜Cielに密着し撮影した映像が収められた作品となっている。
音楽配信サイトのmoraおよびVICTOR STUDIO HD-Music.において、「L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2015 L'ArCASINO」で演奏された「Driver's High」「MY HEART DRAWS A DREAM」「X X X」「Wings Flap」「HONEY」「READY STEADY GO」のライブ音源のハイレゾ配信を開始[134]。ライブ音源のハイレゾ配信は自身初のこととなる。
2016年
9月13日、ソニー・インタラクティブエンタテインメントによる国内プレイステーションビジネス販売戦略発表会「2016 PlayStation Press Conference in Japan」で、2016年で発売20周年を迎えたゲーム『バイオハザードシリーズ』と、L'Arc〜en〜Cielのコラボレーション企画『Don't be Afraid –Biohazard × L'Arc-en-Ciel on PlayStation VR-』が発表された[135]。
9月15日、東京ゲームショウ2016において、PlayStation VR向けVRミュージックビデオ『Don't be Afraid –Biohazard × L'Arc-en-Ciel on PlayStation VR- 体験版』が出展される。同年10月13日には、本映像の先行体験配信版がPlayStation Storeにてリリースされている[76]。
1月16日から、「L'Arc〜en〜Ciel WOWOW×Paravi Special Collaboration」として、 ライブ「L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2018 L'ArChristmas」に完全密着したドキュメンタリー番組が、動画配信サービスサイト、Paraviにて3ヶ月連続で期間限定配信された[139][140]。2019年1月には「#1 OUTSIDE OF LIVE 2018 L'ArChristmas」、同年2月には「#2 INSIDE OF LIVE 2018 L'ArChristmas」、同年3月には「#3 INTERVIEW OF LIVE 2018 L'ArChristmas」が配信された。そして同年4月には、Paraviで配信された映像の再編集版がWOWOWで放送されている。
各種サブスクリプションサービス(定額制音楽配信)にて、これまで発表した全楽曲、全ミュージック・クリップのストリーミング配信を全世界で一斉解禁した[142][注釈 63]。さらに、公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて「虹」「HONEY」「花葬」「浸食 〜lose control〜」「Driver's High」「STAY AWAY」「New World」「DRINK IT DOWN」「X X X」「Don't be Afraid」の計10曲のミュージック・クリップを無料公開。また、同日より7日間連続で「YouTube Seven days 2019」と題し、ライブ映像のプレミア配信企画が開始された[142]。
1月9日 - 2月9日、約8年ぶりとなるライブツアー「ARENA TOUR MMXX」を開催。当初は同年3月5日まで開催される予定だったが、全世界で蔓延した新型コロナウイルス感染症の煽りを受け、2月28日・29日の横浜アリーナ公演、3月4日・5日の国立代々木競技場第一体育館公演が中止されている。また、日本国内および香港、台湾、韓国、タイの映画館で実施される予定だったライブビューイングも同じく中止されることになった。
1月10日 - 3月5日、各種サブスクリプションサービス(定額制音楽配信)において、プレイリスト公開企画「L'Arc〜en〜Ciel LIVE SET LIST L'Archives」を実施[143]。歴代ライブ30公演分のセットリストをプレイリストとして毎週金曜日に順次公開。同年3月4日・5日には、"#エアMMXX"企画として、ライブツアー「ARENA TOUR MMXX」で披露された2パターンのセットリストが公開された。
10月4日 - 10月10日、国内初の車窓モビリティサイネージサービス「THE TOKYO MOBILITY GALLERY Canvas」とのコラボレーション施策を実施[148]。このサービスは、タクシーの後方のサイドガラスに広告を映し出すもので、L'Arc〜en〜Cielのアーティスト写真に加え、「FOREVER=永遠」というテーマを回文で表現した100種ものキーアートが窓ガラスに掲出された。なお、このコラボ企画を実施したタクシーは、「L'AXI」(読み:ラクシー)という名称がつけられ、都内で100台が走行することになった。
12月4日、バンド結成30周年を記念したオフィシャルクレジットカード「L'Arcard」(L'Arc〜en〜Ciel Official Credit Card)の発行を発表し、同日より募集を開始[149]。これは、決済ブランドであるVisaと連携したカードとなっている。
12月22日、特別編集本『Rolling Stone Japan L'Arc-en-Ciel 30th L'Anniversary Special Collectors Edition』をCCCミュージックラボから発売[144]。音楽雑誌『Rolling Stone Japan』が日本人アーティストの特集本を出すのは、これが初となった[144]。
2022年
4月1日、公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて、2019年12月よりYouTube Music Premium会員を対象に、有料会員限定で公開されていた「眠りによせて」「Blurry Eyes」「風の行方」「瞳に映るもの」「and She Said」計5曲のミュージック・クリップの無料公開を開始した。同日には、YouTube Music Premium会員限定で公開していたL'Arc〜en〜Cielのミュージック・クリップを7週連続で無料公開することも発表された[150]。4月8日以降も1週間おきに、これまでに発表したミュージック・クリップが無料公開されている。
12月23日、OTTプラットフォーム、Amazon Prime Videoにて、ライブドキュメンタリー番組『L'Arc〜en〜Ciel 30th L'Anniversary』を配信開始[151][152]。この番組は『30th L'Anniversary LIVE』のライブ映像(<Episode:1>)と、ライブまでのバンドの裏側に密着したドキュメンタリー(<Episode:2>)の2話構成となっている。また、この番組は217の国と地域で配信されている[151]。ちなみに、翌2023年1月18日から同年3月19日までの期間限定で、<Episode:1>でカットされていた楽曲「Singin' in the Rain」を収めたスペシャルエディションが配信されている。
12月27日 - 2023年1月31日、イープラスが手掛ける渋谷最大級のカフェ、eplus LIVING ROOM CAFE&DININGにて、カフェイベント「L'Arcafe 2022-2023」(読み:ラルカフェ)を期間限定で開催。来場者にはランチョンマットなどが配布され、カフェではL'Arc〜en〜Cielのスタジオ・アルバム12作のタイトルをモチーフにしたドリンクや、オリジナルフードメニューを販売、そしてライブ衣装の展示も行われ、さらにライブ映像が流された。
2023年
5月30日、1stアルバム『DUNE』発売30周年を記念し、リマスタリングアルバム『DUNE (Remastered 2023)』をDanger Crue Recordsから発売。同日には、公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて「Dune」「Floods of tears」「As if in a dream」計3曲のミュージック・クリップの無料公開を開始。
ken - 1994年に出演した番組で「ヴィジュアル先行で見られるのは嫌ですか[257]」という問いに対し「そうでもない、先行というか同じ歩調で行けば別に…。"この人、音楽は良いけど顔ダサい"って言われるよりは良い[257]」と発言している。また、2010年には自身のTwitter上で、「自身にどういうあだ名をつけるか」との問いに対して「ヴィジュアル界一の黒さ[261]」と答えている。
hydeは、多感な学生時代に洋楽あるいはハードコアな音楽をよく聴いていたため、バンドを始めた最初の頃は日本語の歌詞を書くことに不慣れだったと述べている。そしてL'Arc〜en〜Cielで作詞を行うにあたり、hydeが参考にしたものは、幼いころから好きだった小田和正(オフコース)が綴る歌詞だったという。hydeは、2016年に受けた音楽雑誌『Rolling Stone Japan』の取材において「音楽を作り始めた頃は僕はハードコアや、ゴシックロックにハマってたから、ラルクを始めて、すごくキャッチーな曲がメンバーから出てきた時に、どういう詩を書いていいかさっぱりわからなかったんです。"何を言ってええんやろうな?"ってすごい迷って試行錯誤して詩を書いた時に、開いた引き出しがオフコースで。オフコースの曲って、実は都会的なクールな感じで、歌詞もすごく抽象的だと思います。言葉もかなり選んでいるし。そういうところで、"あ、こういう表現の仕方があるな"って。歌詞もその時の影響が出てる。例えば「Blurry Eyes」は、小田和正さんが使うような言葉がいくつかあると思います[157]」と述べている。このように、自身が尊敬する小田和正が書く歌詞の言葉選びや、抽象的な比喩表現を取り入れていき[157]、"比喩に比喩を重ねた表現"と言われるようなリリックを綴るようになった。hydeは2012年に受けた音楽雑誌のインタビューにおいて、誰にでも分かるような直接的表現を避けてきた理由について「悲しいことを"悲しい、悲しい"って言ってるのはあまり悲しくないんですよ。むしろちょっと引くんですよね。抽象的だったり間接的な表現のほうが伝わるというか[275]」と述べている。
hyde曰く、2006年・2007年頃から、"ありふれた日常"をテーマに歌詞を書くようになったという。以前にもhydeは「C'est La Vie」や「TIME SLIP」「ALL YEAR AROUND FALLING IN LOVE」など、いくつかの楽曲の制作で、身近に起きた出来事をもとに歌詞を書いたことがあったが、2007年に発表したアルバム『KISS』には、人に近い表現を用いた歌詞をのせた楽曲が数多く収められている。hydeは2012年に発表した自叙伝において、この当時の心境の変化について「普段の生活の中で、ふと愛に満たされた時、"このまま、死んでもいいや"って思った瞬間に宇宙と繋がった気がした事があったんだよ。なんか、死を迎え入れられた瞬間に"あ、なんだ、宇宙ってこんな物だったのか"って。ちなみに、俺、薬はやってないよ(笑)。そして、宇宙の摂理というか、なんか全てがスッと理解出来た気がして。それが大きかったのかもしれない。その時に、多分、生への執着がなくなったんだろうな。それからというもの、周りのいつもの風景がとても愛おしく感じられるようになってきた。その感覚は、L'Arc〜en〜Cielの「ALONE EN LA VIDA」の歌詞に書いたり、HYDEソロの「I CAN FEEL」とか、その頃の作詞の核になってるんだけど。(中略)"いつ死んでもかまわない"と共に、"いつ死んでもいいように生きよう"って思う自分が加わった感じかな[281]」と綴っている。また、この頃から、リスナーが歌詞の意味を大きく誤解しないよう、比喩だけではなく、直接的な表現を使ったフレーズも意識的に増やし始めている[282]。
1998年に"即興的かつ肉体的なリズム&グルーヴを生むドラムプレイ"が特徴的なsakuraから、"緻密かつタイトで、マシーン・ビートとの同期も好んだドラムプレイ"が特徴的なyukihiroへとドラマーが代わったことにより、リズムセクションを担う立場にあるtetsuyaのベースのプレイ・音量が変わっている。さらに、kenのギターアプローチの嗜好も変化したことで、この頃からグランジあるいはオルタナティヴ・ロック色の強い楽曲[43] が増えている。また、yukihiroはかつてOPTIC NERVEというユニットでインダストリアルやテクノ、エレクトロニック・ボディ・ミュージックを志向した作品づくりをしていたことがあり、その後加入したDIE IN CRIESというバンドにおいても、それらから影響を受けたインストゥルメンタルを制作していた経歴があった。そしてL'Arc〜en〜Cielに加入した後も、その音楽的嗜好を反映させた"打ち込みとの同期を採り入れたバンド音楽"を制作している。こういった背景もあり、L'Arc〜en〜Cielの楽曲にクラブ・ミュージックとの親和性が高い音源が増えていくことになった[295]。
さらに、音楽ライターの安藤優は音楽雑誌『ミュージック・マガジン』の中で、L'Arc〜en〜Cielについて「ネクラの代表格ともいえるゴシックやダーク・サイケ風味を大胆に盛り込みつつも、平然とお茶の間に浸透して一般大衆の耳にアピールしてしまえる点に、ラルクの醍醐味や痛快さを感じる[303]」「とかく日本のポップスやロックにありがちな借物だらけの段階での自己満足に終始することなく、イイトコ取りしつつも咀嚼してラルク的に仕立てるセンスには、バンドとプロデューサーの岡野ハジメの並々ならぬ曲者ぶりが発揮されており実に楽しい[303]」と批評している。また、ポピュラー音楽評論家のジョン・ペアレスは、ニューヨークタイムズ紙において「多くの楽曲がメタリカ、U2、デペッシュ・モードやデヴィッド・ボウイのようなギター・ロックでありながら、"X X X"のダンス・ポップのようなタッチの、アメリカのロックバンドがやらないスタイルの曲もこなしている[304]」とL'Arc〜en〜Cielの楽曲の多彩さについてコメントしている。
L'Arc〜en〜Cielの楽曲ではken、tetsuyaと比べると、hyde作曲のものは少ない。ただ、1995年発表の3rdアルバム『heavenly』までは、他メンバーが作曲したものであっても、歌メロに関しては基本的にすべてhydeが制作していた。また、L'Arc〜en〜Cielの活動初期にhydeが作曲した楽曲の多くは、hyde自身が「初期はカップリングを担当することが多かった[305]」と言っているように、フィジカルシングルのカップリングに収録されていた。なお、これまでに「I'm so happy」のようなポップなメロディと憂いがかったサウンドが印象的なブリットポップの雰囲気を感じる楽曲[306]であったり、「THE GHOST IN MY ROOM」のようなホワイト・ファンクテイストのダンサンブルな楽曲[307]、「Peeping Tom」のような掴みどころのないギターとアコーディオンのサウンドが印象的な楽曲がhyde作曲のカップリング曲として発表されている。
また、hydeは当初「ロックバンドのL'Arc〜en〜Cielとしてどういう楽曲を作るか」に焦点を当てて作曲することが多かったが、2011年・2012年に受けたインタビューの中で「L'Arc〜en〜Cielはロックバンドというより、音楽集団。音楽を作るアーティストの集まりだと思ってる。それぞれが音楽として楽しめるかが重要であって、それがロックかどうかっていうのは全然違う。ロックの楽しいところも、ポップスの気持ちいいところも持ってる。すごくいいとこどりですよ[311]」「L'Arc〜en〜Cielは、楽しい以上のことを追求してる。エンジョイしてOKじゃなくて、もっと音楽的にレベルの高いところを挑戦しないと、やる意味がないってところにきてるバンドだと思うんです[312]」と語っており、特定の音楽観に従属しない姿勢に変化してきている。こういったバンドに対する心境の変化もあってか、2000年代後半以降は、1980年代のユーロビートを意識した「SEVENTH HEAVEN」や[313]、ポップなジャズテイストのクリスマスソングである「Hurry Xmas」、"R&Bとメタルをくっつける"というコンセプトで制作された「X X X」[314]、エレクトリック・ヴァイオリンの音を取り込んだエレクトロでファンタジックな楽曲「ミライ」など、企画性の強い楽曲も手掛けるようになっている。
ken曰く、オリジナル曲を作り始めたのは高校生の頃だったという[315]。kenは高校の頃にtetsuyaに誘われ、ギタリストの脱退したByston-Wellに参加したことがあったが、このバンドではkenが作ったオリジナル楽曲も演奏していたいう。そして、kenが学生時代に趣味の一環で制作していた楽曲は、1stアルバム『DUNE』に「Taste of love」[316]「Be destined」[317]としていくつか収録されることになった。なお、6thアルバム『ark』に収められた「Butterfly's Sleep」の制作では、kenがByston-Wellに在籍していた頃に作った楽曲のメロディの一部が採用されているという[318]。
活動初期の頃に発表した1stアルバム『DUNE』から3rdアルバム『heavenly』に収められた楽曲は、ken作曲の楽曲が半数以上を占めており、「Voice」や「As if in a dream」「風の行方」「Vivid Colors」「ガラス玉」など、kenが作る曲を中心にアルバムが制作されている。ただ、メジャーで発表したアルバム2作のセールスが振るわなかったことで、レコード会社のスタッフに「ラルクは売れない」と言われるようになったという。こういった声を耳にしたkenは、1996年に開始した『True』の制作で、マスへのアプローチを意識し、ポップなメロディをつけた楽曲の制作に取り組むことにしたという。後年kenは、2004年に受けた音楽雑誌のインタビューで、アルバム『True』を制作していた頃の心境について「(L'Arc〜en〜Cielが)売れねえって声が聞こえた時、自分が一番曲を書いていたんです。で、"曲が悪いんだろう"、"俺が悪いんだろう"、"そりゃ売れねえの作ってるよ、俺は"と思ってたわけです。そこから始まったのかもしれない[319]」と述懐している。そしてkenは、このアルバムから「Lies and Truth」や「the Fourth Avenue Café」「Fare Well」といったストリングスやホーンを大々的に導入した音源も手掛けるようになった。
その後sakuraがL'Arc〜en〜Cielから脱退することになり、活動休止期間を経て、新たなメンバーであるyukihiroと5thアルバム『HEART』を制作することになるが、その際kenは「こんな時期に(売上)枚数のこと言う人もいない[320]」ということで、前作『True』で確立したL'Arc〜en〜Cielなりのポップ・ミュージックを基本としながらも、『True』とは違うアプローチで音源制作を行うようになった。また、このアルバムに収録された「Shout at the Devil」や「fate」に表れているように、徐々にオルタナティヴ・ロックやグランジに寄ったギターアプローチで制作を行うようになっていった[270]。
L'Arc〜en〜Cielがヒットを飛ばしていた1999年頃にkenは、アップテンポの明るい楽曲を制作できなくなっていたという。その理由について、kenは当時「周りから過剰に明るい曲を求められてるような空気を感じたとたんに、もう全然書けなくなって[321]」と述べていた。ただ、L'Arc〜en〜Cielの活動が2001年から約3年ほど止まった間に心境の変化が生まれ、2004年に発表した9thアルバム『SMILE』以降は、時折明るいポップ・ミュージックを手掛けるようになっている。ちなみにken曰く、L'Arc〜en〜Cielの活動休止期間に、SONS OF ALL PUSSYSとして野外ロックフェスへ参加したり、観客としてフェスを観に行ったことが、明るい曲を書くひとつのきっかけになったという。kenは、2004年に受けたインタビューにおいて「(これまでは)明るい曲って受けつけなかったんですね。(中略)でも、(L'Arc〜en〜Cielの活動が止まった)3年の間に明るい曲が人を元気にしたり、カーステで鳴らしてイエーイっていうだけでも音楽の意味があるんじゃないかと思い始めて。そういう曲も書いてみたいなと思って書き始めた[153]」と心境の変化を述べている。なお、9thアルバム『SMILE』の制作では、1960年代・70年代の頃のフォークとロックを意識したポップスとして「Feeling Fine」[153]を作曲している。
他のメンバーと比較すると数は少ないものの、1999年発表の『ark』『ray』以降にリリースしたすべてのスタジオ・アルバムに、自身が作曲した楽曲が収録されている。L'Arc〜en〜Cielでソングライティングを行うことに関し、yukihiroは2004年に受けた音楽雑誌『ROCKIN'ON JAPAN』のインタビューで「"みんな書くから書かなきゃなあ"[345]」と思っていたと述べている。一方で、yukihiroは同誌のインタビューで「他のバンドとかでダメって言われてた曲がアルバムに入って嬉しかった」とも示唆している[345]。そして現在までに、様々なサンプリング音を採り入れたオカルティックでダークなナンバーの「a swell in the sun」[346]や、トリップ・ホップの要素やインダストリアルなギターサウンドが採り入れられた「L'heure」、不穏なストリングス・サウンドが印象的なインストゥルメンタル「hole」[347]といった、以前に在籍していたバンドで採用されなかった曲やソロ用で温めていた曲が、L'Arc〜en〜Cielの作品として音源化されている。
なお、yukihiroがL'Arc〜en〜Cielとして楽曲を作曲する際は、原曲を提示した後に他のメンバーと共同でメロディ制作やアレンジを行うこともある[295]。例えば、「New World」ではサビをhydeが制作しているため共作としてクレジットされていたり、「REVELATION」ではメロディの制作をhydeが行っている[295]。また、ポストロックを意識し制作された「shade of season」では、kenと共同でアレンジ作業を実施している[352]。ちなみにyukihiroは、L'Arc〜en〜Cielに加入してから初めて、歌メロから作曲することも始めたと、1999年に受けたインタビューで述べている[353]。
翌1998年に発表した5thアルバム『HEART』では、全10曲中9曲で岡野ハジメ(ex.PINK)が共同プロデューサー兼アレンジャーとして起用されている。そして岡野は、このアルバムリリース以降、L'Arc〜en〜Cielの楽曲制作に長らく携わるようになり、hydeが「ラルクのもう1人のメンバー[355]」と表現するほど、"L'Arc〜en〜Cielの音源作り"におけるキー・パーソンとなっていった。ちなみに、岡野とL'Arc〜en〜Cielの初めての共同制作は、4thアルバム『True』収録の「Caress of Venus」「"good-morning Hide"」の編曲作業であった。
なお、前述の通り、本格的に外部のアレンジャーと共同で編曲作業を行うようになったのは、1996年発表のアルバム『True』以降だが、CDシングル作品では1995年に発表した「Vivid Colors」と「夏の憂鬱 [time to say good-bye]」を、西平彰と共同で編曲している。また、1994年発売の2ndアルバム『Tierra』では、全収録曲をバンドだけで編曲をしているが、元GRASS VALLEYのキーボーディストである本田恭之がベーシック・サウンド・ディレクター、"YMO第4の男"と言われた松武秀樹などがキーボードオペレーターとしてクレジットされている。また、同アルバム収録曲の「瞳に映るもの」では、富樫春生がプロデュースを担当している。
なお、kenは管弦編曲や鍵盤編曲に関しても外部に一任せず、自らが作業に関与することが多い。そのため、自作曲である「winter fall」や「Butterfly's Sleep」「LOST HEAVEN」「ALONE EN LA VIDA」では、外部の編曲者とkenが共同で作業を行っている。岡野は2019年に発表した著書で、L'Arc〜en〜Cielにおけるkenのアレンジワークについて「kenちゃんはアレンジができて、譜面の読み書きもできる人です。彼と仕事をしていて凄く勉強になったのは…(中略)kenちゃんは内声に凄くこだわるんですよね。ギタリストだからでしょうけど、ミッドのところをどうするか、歌と他の楽器の音が当たっていないか、ストリングスの中でビオラの帯域をどうするか?といった、内声の動きにこだわるんです[357]」「kenちゃんはたまに、リズム・テイクだけだと、最終的にどういう音楽になるかわからないようなギターを弾くことがあるんです。1音だけピーン!という音を弾いて、この音は何で鳴ってるのかなと思ったら、あとでストリングスやいろいろな音が出揃った時に、"このピーンはトップノートだったんだ。やっと分かった"なんていうこともありました。最初から、重ねた末にそういうハーモニーになることをちゃんと検証できて弾いているんです[357]」と評している。また、小林祐介(THE NOVEMBERS、THE SPELLBOUND)は、kenについて「kenさんは作曲の理論だったり、ギターでいうボイシングやグルーヴの作り方、アンサンブルの組み方にいつもハッとさせられます[358][359]」と述べている。
L'Arc〜en〜Cielはメジャーデビュー以降、1998年に発表した10thCDシングル「DIVE TO BLUE」までは基本的に、過去作のアレンジ音源ではない新曲をカップリング曲としてリリースしていた。そしてこの時期のL'Arc〜en〜Cielは、「表題曲+"L'Arc〜en〜Cielが発表した過去作のアレンジ音源でない新曲" (+表題曲のインストゥルメンタル)」という形態でCDシングルを発表していた。
ちなみにこのリミックス企画では、yukihiroが1980年代後半からイギリス・マンチェスターを中心に巻き起こったマンチェスター・ムーブメントの影響を受けていることもあってか[170]、ハウスやインダストリアルを中心としたダンス・ミュージックを意識したリミックスが多く手掛けられている。余談だが、yukihiroは、ソロ名義で開催したDJ&ライブイベント「acid android in an alcove」において、ディスクジョッキーとしてこの時期に自身が制作したL'Arc〜en〜Cielのリミックス音源をフロアでかけたことがある[362]。
カップリングに収められたリミックス音源は、2000年に再度リミックスしたうえで、リミックス・アルバム『ectomorphed works』に収録されることになった。なお、このリミックスアルバムはL'Arc〜en〜Ciel名義の作品ではあるが、yukihiroの単独プロデュースで制作されている。また、2003年に発表されたベストアルバム『The Best of L'Arc〜en〜Ciel c/w』には、yukihiroが制作したリミックス音源から、14thCDシングル「forbidden lover」のカップリング曲として発表された「花葬 -1014 mix-」が収録されている。
こうしてL'Arc〜en〜Cielは、「表題曲+"P'UNK〜EN〜CIELによるセルフカバー音源" (+表題曲とカップリング曲のインストゥルメンタル)」という形態でCDシングルを発表するようになった。この形態でのリリースは、29thCDシングル「the Fourth Avenue Café」と35thCDシングル「NEXUS 4/SHINE」を除き、2011年発表の37thCDシングル「GOOD LUCK MY WAY」までのCDシングル12作品で行われている。また、2004年以降に開催したL'Arc〜en〜Ciel名義のライブでは、P'UNK〜EN〜CIELがセルフカバーを2〜3曲ほどパフォーマンスするコーナーが設けられた。
カップリングに収められたセルフカバー音源は、2012年に再度ミックス・マスタリングしたうえで、L'Arc〜en〜Cielの12thアルバム『BUTTERFLY』の完全生産限定盤に付属された特典CD『P'UNK IS NOT DEAD』に収録されることになった。そしてこのアルバムリリースをもって、P'UNK〜EN〜CIELとしての活動は一旦の区切りになった。
2011年 - 現在:『L'Acoustic version』
2011年に発表した38thCDシングル「X X X」からは、L'Arc〜en〜Cielの楽曲をアコースティックアレンジし直した「L'Acoustic version」と題された音源が収録されることになった。なお、リアレンジ音源のプロデュースは、P'UNK〜EN〜CIELの音源制作のときと同様に、メンバー4人が持ち回りで担当することになっている[364]。
1995年にL'Arc〜en〜Ciel名義で行った幾つかのライブに登場したTOKIOのコピーバンド。このバンドは、tetsuyaが城島茂(TOKIO)と交流を持っていたことがきっかけで始まっている。そしてこのバンドは、L'Arc〜en〜Ciel名義で行った2公演でTOKIOの楽曲「LOVE YOU ONLY」をカバーしている。ちなみにこのバンドは、「TOKIOのリーダー、城島茂の公認バンド」とされており、「バンドの詳細は謎に包まれている」という設定が付けられている。
ファンクラブ限定コンテンツ「CIEL's STORAGE BOX」『"Tour '98 ハートに火をつけろ!" Bootleg LIVE VIDEO 1998.5.1 よこすか芸術劇場』 (1998年5月1日に開催された横須賀芸術劇場公演の「Promised land」「birth!」「winter fall」「Lies and Truth」のライブ映像を期間限定公開)
ファンクラブ限定コンテンツ「CIEL's STORAGE BOX」『"TOUR 2007-2008 THEATER OF KISS" Bootleg LIVE VIDEO 2008.2.16 マリンメッセ福岡』 (2008年2月16日に開催されたマリンメッセ福岡公演の「and She Said」「海辺」のライブ映像を期間限定公開)
公式YouTube Ch.『CHASE [20th L'Anniversary WORLD TOUR 2012 THE FINAL LIVE at National Studium]』 (2012年5月26日に開催された国立競技場(現:旧国立競技場)公演の「CHASE」のライブ映像を無料配信)
WOWOW系番組『WOWOW×L'Arc〜en〜Ciel 30th L'Anniversary Special Collaboration "20th L'Anniversary WORLD TOUR 2012 THE FINAL"』 (2012年5月20日に開催されたユニバーサル・スタジオ・ジャパン 野外特設ステージ公演の模様を放送)
公式YouTube Ch.『MY HEART DRAWS A DREAM [L’Arc〜en〜Ciel LIVE 2014 at National Studium]』 (2014年3月22日に開催された国立競技場(現:旧国立競技場)公演の「MY HEART DRAWS A DREAM」のライブ映像を無料配信)
WOWOW系番組『WOWOW×L'Arc〜en〜Ciel 30th L'Anniversary Special Collaboration "L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2014 at 国立競技場"』 (2014年3月22日に開催された国立競技場(現:旧国立競技場)公演の模様を放送)
^L'Arc〜en〜Cielの様々な楽曲で、yukihiroは楽器またはそれ以外の音を取り入れている。例えば、5thアルバム『HEART』収録の「Shout at the Devil」では、破損したシンバルを重ねたものを金属の棒で叩いた音が音源に取り入れられており、yukihiroにメタルパーカッションのクレジットが付いている。また、6thアルバム『ark』収録の「Perfect Blue」をライブで演奏する際、yukihiroは通常のドラムセットではなく、電子パーカッションセットで演奏している。
^1992年2月21日発売のオムニバスアルバム『Gimmick』に収録された「VOICE」を除いて、配信限定作品を含む全44シングルと全22アルバムを解禁した。アルバムは全スタジオ・アルバムをはじめ、『WORLD'S BEST SELECTION』を除く全ベスト・アルバム、リミックス・アルバム、ライブCDを網羅した。また、P'UNK〜EN〜CIELの楽曲も、当時収録の各シングルのカップリングと『BUTTERFLY』のデラックス盤に含まれる形で配信された。
^McClure, Steve (June 17, 2000). “Japanese Downloads A Call Away: Labels Look To Mobile Phones, New Media To Boost Music Sales”. Billboard (Nielsen Business Media) 112 (25): LY-17. ISSN0006-2510.
^ abc『L'Arc〜en〜Ciel Box Set of The 15th anniversary in formation CHRONICLE of TEXT 01』、p.82、ソニー・マガジンズ、2006年(『Gb 1997年2月号』の再掲)
^ abc2020年-2021年のライブ「HYDE LIVE 2020-2021 ANTI WIRE」開催にあたり、HYDEが選曲・作成したBGMプレイリスト「HYDE LIVE 2020-2021 ANTI WIRE BGM [SONGS FROM JUNIOR HIGH SCHOOL DAYS]」より
^2020年のライブツアー「ARENA TOUR MMXX」開催にあたり、tetsuyaが選曲・作成したBGMプレイリスト「tetsuya's selection -ARENA TOUR MMXX OPENING BGM-(2020.1.12 Osaka OSAKA-JO HALL)」より
^2020年のライブツアー「ARENA TOUR MMXX」開催にあたり、tetsuyaが選曲・作成したBGMプレイリスト「tetsuya's selection -ARENA TOUR MMXX OPENING BGM-(2020.3.4 Yoyogi National Gymnasium 1st Gymnasium #エアMMXX)」より