三重県
三重県(みえけん)は、日本の近畿地方に位置する県。県庁所在地は津市。 江戸時代から、お伊勢参り(お蔭参り)の名で知られる伊勢神宮を擁する地域として発展した。令制国では、伊勢国・志摩国・伊賀国の全域と、紀伊国(当初は熊野国)の一部、計4国より構成される。包括する旧律令国の数は、7国を包括する兵庫県に次ぐ。北勢、伊賀、中勢、南勢(伊勢志摩)、東紀州の5地域に区分される。 概要人口は22番目、面積は25番目、人口密度は20番目である。海、山の豊富な自然に恵まれ、農業・漁業が盛んである。また、江戸時代(御伊勢参り)から現在(F1日本グランプリや、8耐など)に至るまで、観光を産業として成り立たせている。 名目的には近畿地方に属するものの、名張市など県内最西端に位置する伊賀地域を除いて関西地方の中心都市である大阪市よりも、県の主要な地域において名古屋市との経済的・人的結びつきが強い傾向にあり、特に桑名市など北勢地域は名古屋都市圏(中京圏)に含まれる[1][2]。また、県全体としても東海地方にも属し、愛知県・岐阜県とともに愛知県を中心とした東海3県のうちの一つである[3][4]。テレビ局の広域放送においてもテレビ愛知を除く在名テレビ局は東海3県(中京広域局)を対象エリアとしている。また、鉄道においても、三重県の大半のJR路線はJR西日本(本社:大阪)ではなく、JR東海(本社:名古屋)の管轄である(なお、県内の鉄道においては関西私鉄の近畿日本鉄道(近鉄)に対して、JRの存在感は小さい)。また、民間企業のみならず、省庁の出先機関(地方支部局)においても、厚生労働省の東海北陸厚生局や国土交通省の中部地方整備局など近畿ではなく東海地方や中部地方に含まれることも多い。近畿ブロック知事会と中部圏知事会議の双方に参加している。 経済力については日本最大の工業地帯である中京工業地帯の一部である北勢地域を抱える事から上位の県であり平成期に東京都に次ぐ第2位の経済成長を達成して、1人当たりの GDP の県民経済計算は3位から15位の間の高水準で推移している[5]。可処分所得と基礎支出の差額ランキングの経済的豊かさで三重県は1位である。[6] 本県内で最大の人口を有する市町村は北勢地域の中心都市である四日市市の約31万人で、国から施行時特例市に指定されている。名古屋市から至近でありながら独自の四日市都市圏を形成するほどの経済力を有する。一方、県庁所在地である津市の人口は平成の大合併前は約16万人であり、2005年、2006年は県庁所在地としては人口が最小であった。平成の大合併後の人口は約28万人である。本県は東紀州を中心に過疎地域があるほか、津市や松阪市の一部も過疎地域に指定されている。三重県の総人口は約175万人であり、熊本県、鹿児島県、岡山県などと同規模であるが、本県はこれらの県と比較して人口が突出した都市(首位都市)は存在せず、中規模の複数の都市に人口が分散している。 愛知県と隣接している北勢地域は中京工業地帯であり、主要企業の工場が多い。特に四日市市は四日市港や四日市コンビナートなどを擁する日本屈指の商工業都市である。また、石油化学コンビナートの四日市コンビナートは、四大公害病の一つである四日市ぜんそくの原因となり問題になったが、現在は法整備や汚染防止技術向上などの対策が格段に進み、工業地帯周辺の大気状態は改善されている。亀山市にはカメヤマローソク(本社は大阪市に移転)や、三重県のハイテク企業誘致策により建設されたシャープ亀山工場がある。なお、三重県はローソクの生産量と鍵の生産量が全国一である。 伊勢神宮や伊賀上野、二見浦、世界遺産の熊野古道などの観光地やナガシマスパーランド、なばなの里、志摩スペイン村、鈴鹿サーキットなどのテーマパークがある。特に近鉄が観光開発を行った伊勢・志摩地区は観光地としても名高い。本県は地理的に、近畿圏(京阪神地区)と中京圏の中間に位置しているため、両地域からの観光客が多い。なお、伊勢・志摩地区にも路線を有する近畿日本鉄道(近鉄)は大阪・京都や名古屋から伊勢・志摩地区への観光客に向けの「しまかぜ」といった近鉄特急の運行や企画乗車券の販売するなど誘客に努めている。 方言は三重弁が話されており、その中でも伊勢弁・伊賀弁・志摩弁・紀州弁に分けることができる。三重弁は近畿方言に属しており、大部分の地域が京阪式アクセントである。三重県は特に北部において、愛知県(特に名古屋市)と経済面・物流面での関係が見られるが、方言は愛知県・岐阜県の東海3県との間に大きな違いがある。 三重県は、滋賀県、福井県、岐阜県とともに「日本まんなか共和国」を設立し、知事サミットや文化交流事業などを行っている。 地理・地域三重県は南北の長さは約170km、東西の幅は80kmと、細長い形をしている。伊勢平野をはじめとする平野部から、鈴鹿山脈などの山脈、青山高原などの高地、盆地、低地など様々な地形を有する。北側の愛知県や岐阜県、南側の和歌山県など、6府県と隣接する。伊勢湾から松阪市飯高町にかけて中央構造線が通っており[7]、飯高町月出では大規模な露頭が見つかっている。2002年に「月出の中央構造線」として国の天然記念物に指定された。2007年には長野県大鹿村とともに日本の地質百選「中央構造線(月出)」に選定された。
全国八地方区分では近畿地方に分類される。静岡県、岐阜県、愛知県とともに東海地方とする区分もある。 国土整備行政上は福井県、滋賀県と同様、近畿圏、中部圏のいずれにも含まれている[8]。また伊賀市と名張市の属する伊賀地域を近畿地方(大阪圏)、北勢地域を東海地方(名古屋圏)とする区分もある。 位置
隣接都道府県とその自治体括弧内はその自治体に隣接する三重県内の自治体。
地形
その他:
この他にも、志摩半島南部から熊野市にかけての海岸は、リアス海岸になっているので、多数の湾がある。
気候三重県は南北に長く、長い海岸線を持ち山岳地帯や盆地など多彩な地形を持つため、各地域によって気候がさまざまである。東紀州(南部)は、潮岬からの台風の直撃を受けることが多く「台風銀座」と呼ばれている。伊勢湾沿岸から熊野灘沿岸が太平洋側気候(伊勢湾沿岸は東海型に、熊野灘沿岸は南海型に属する)で、伊賀は内陸性気候(瀬戸内海式気候に含める場合もある。)である[9]。
気象区分
地域区分県庁は、三重県を北勢、伊賀、中勢、南勢、東紀州の5つの地域に区分している。 自治体は、以下の14市7郡15町(29市町)がある[注釈 1]。「町」の読み方は全て「ちょう」である。2006年1月10日の紀宝町と鵜殿村の合併により、本県内から村がなくなった。 北勢→詳細は「北勢」を参照
旧伊勢国北部に当たる地域で、国道1号の沿線。鈴鹿川の流域で、緑茶の大産地として有名である。外国人住民の人口と製造業に従事する工業系男性人口が増加している。四日市市及び川越町地域と鈴鹿市で男性人口が多い状態となっている。 四日市以北江戸時代には東海道(現在の国道1号)の沿線であった。当時は東海道の架橋が禁止されており、かつ洪水も多かったため、木曽三川を越えた尾張国への往来は今程の多さではなかった。しかし、明治に架橋が進められて以降は、名古屋の影響も強く受けている。 鈴鹿亀山地域ホンダの鈴鹿市や、シャープと古河電気工業の亀山市での工業集積が著しい。名阪国道や新名神高速道路の物流が大きい。古代には椿大神社や伊勢国府が置かれるなど、重要拠点であり続けた。鈴亀(れいき)地区などと呼ばれることもある。 伊賀→詳細は「伊賀」を参照
旧伊賀国に当たる上野盆地の一帯で、名阪国道や国道163号および国道165号の沿線。伊賀市と名張市のこと[注釈 2]。 木津川流域で、布引山地や加太峠よりも西側に位置する地域。そのため、京阪神との結びつきも強い。北部は、名阪国道が通り、大阪と名古屋のちょうど中間に位置し、双方へ車で1時間半で到達できることから、1980年代以降、同国道沿いに工場立地が集中している。南部は、近鉄大阪線が通り、沿線の名張市は1970年代から大阪のベッドタウンとして機能し、人口は増加の一途をたどっていたが、近年は都心回帰の影響で人口は減少傾向にある。そのため、2015年以降の国勢調査では、名張市の属する都市圏は大阪都市圏から伊賀都市圏に変わった。 中勢→詳細は「中勢」を参照
旧伊勢国中部に当たる地域で、国道23号の沿線。津市には県庁があり商工業が集積しているが、元来鉄道が津市中心部を迂回しており、さらにモータリゼーションの流れの中、大型ショッピングセンターの郊外への進出、同時に中心部からの撤退などで中心商店街は寂れた。しかし、「アスト津」と呼ばれる高さ94mの高層ビルが津駅前に完成して以来、再び活性化しつつある。津市からは、中部国際空港への高速船でのアクセスがある。 なお、松阪市と多気郡を南勢地域に入れる場合もある。 南勢→詳細は「南勢」を参照
旧伊勢国南部に当たる地域と旧志摩国の総称で、志摩を分けず「南勢志摩」と呼ぶ場合がある。観光ガイドでは「伊勢志摩」と呼ばれることが多く、大部分が伊勢志摩国立公園に指定されている。国道23号の沿線。 伊勢神宮や二見浦といった大観光地を抱えており、真珠の養殖でも有名である。 東紀州→詳細は「東紀州」を参照
紀伊国牟婁郡(当初の熊野国)、当初は度会県、後に三重県となった地域。東紀州、熊野、牟婁と呼ばれることも多い。国道42号の沿線。 日本では屋久島と並ぶ多雨地帯として知られ、熊野古道の伊勢路南部である。熊野市以南では新宮市など和歌山県紀南地域との結びつきも強い。 合併済みの市町村→「三重県の廃止市町村一覧」も参照
歴史明治維新以前の伊勢国、伊賀国、志摩国の全域、それに紀伊国牟婁郡(熊野国)の一部よりなる。 原始大陸と陸続きであったころ、鳥羽市の恐竜化石、伊賀市の大山田地方で発見されたゾウ・ワニの足跡などが知られている。3万年前から1万年前ごろの後期旧石器時代の南勢地方、鈴鹿川北岸、鈴鹿市南部、英虞湾や伊雑浦(いぞううら)などの河岸段丘や台地の遺跡からナイフ形石器が出土している。遺跡は50カ所ほど知られているが、遺跡の内容は分かっていない。その中では出張(でばり)遺跡(多気郡大台町)で発掘調査が行われ、ナイフ形石器・削器・尖頭器状石器・細石刃などが出土している。石材の多くは県内のチャートであるが、讃岐岩(サヌカイト)は二上山産のものである[10]。 縄文時代草創期の土器押型文土器が県内100カ所近くの遺跡から出土している。また、早期以降の遺跡は、伊勢湾岸、志摩半島、熊野灘沿岸、伊賀盆地の内陸部にまで広がり、600を超える。押型文土器に伴う石器群は、有茎尖頭器・石鏃などがあり、この2つの石器には時期的差が見られる。この期の住居は竪穴建物で、直径4メートルほどの平面形は不整円形で、地表面から80センチほど掘り下げ、垂木(たるき)を立てかけて円錐状の屋根を葺いたものと推定される。他には長楕円形または隅丸の二等辺三角形の平面形で、最大長2.6m、最大幅65cmの「煙道付炉穴」と呼ばれる野外炉が併存している。このことは半定住生活していたことを裏付ける[10]。 中期から後期前葉にかけて遺跡数が最も増加し、およそ200カ所の所在が確認されている。中期前半には関東系や瀬戸内系の土器に北陸系や東海系の土器も認められ、海岸沿いに人々の行き来が行われたことを示している。この期の住居は平面形が円形で、住居内には石囲みや土器敷の屋内炉も確認されている。後期には、近畿系の強い影響にありながら、東北・中部・北陸などの土器が見られ、広範に交流が行われていたことが推定できる。津市一志町にある天白遺跡に東西も南北も約50メートルの範囲に広がった、西日本には数少ない配石遺構がある。土器棺墓、60点を超える土偶・岩偶、石棒・石剣など祭祀遺物も多く確認され、葬送儀礼の行われた遺構であると考えられている。晩期に入っては、小規模遺跡が多く、沖積平野部に進出している。後半の土器には粘土紐を肩部や口辺部に貼り付ける東海系の突帯文土器が主流を占めるようになる。住居では、名張市にある下川遺跡から柄鏡形住居が確認されている。遺体を土器に埋葬する25基の土器棺墓郡が集落と離れた場所で見つかっている[10]。 古代4世紀には本格的に大和王権の支配下に入り、成務朝には島津国造が志摩郡に設置された他、時期不明ながら飯高県造が飯高郡に、壱師県造が一志郡に、佐奈県造が多気郡に、度逢県造が度会郡に、安野県造が安濃郡に、川俣県造が鈴鹿郡に設置された。 雄略朝には度会郡に丹波国造の支族であった磯部氏(度会氏)が到来し、外宮で豊受大神を祀った。 672年、壬申の乱において、三重県域に属する伊勢と伊賀は重要な役割を果たした。 7世紀の終わりごろに班田収授法が実施されたが、三重県下でも条里制の遺構が志摩国の英虞郡を除いて各郡で確認されている。中でも伊賀国では服部川右岸の扇状地、伊勢国では安濃川と櫛田川の下流域に、それぞれ広範囲にわたって連続した地割りが認められた。 伊賀では上野市(現伊賀市)西明寺字長者屋敷に国分寺跡があり、東西210m、南北約250mの方形に土塁が残っている。南から中門・金堂・講堂跡の土壇が並び、西南の隅に塔跡と見られる土壇もある。尼寺はその東200mにある長楽山廃寺が想定されている。伊勢の国分寺は鈴鹿市国分町の台地の南端にあったと見られる。寺域は築地で囲まれ、東西178m、南北184mであった。志摩では阿児町国府の台地上にある護国山国分寺が比定されている。 中世
戦国時代〜安土桃山時代
近世(江戸時代)江戸時代に置かれた藩には伊勢国には、桑名藩、長島藩、桑名藩国替え忍藩奥平松平家の飛び地支配の大矢知陣屋、伊勢亀山藩、神戸藩、菰野藩、久居藩、津藩、志摩国の鳥羽藩、津藩の支城の伊賀上野城、津藩の一族の名張陣屋、紀州藩の支城の田丸城、松阪城がある。 近代・現代度会府設置
三重県発足
三重県の名称の由来かつて県庁が置かれていた四日市市(当時は四日市町)が所属していた三重郡に由来する。 ヤマトタケルが東方遠征を終えて尾津前(尾津浜)(桑名市)から能褒野(亀山市)へ向かう途中の三重郡(四日市市)で、『古事記』に「『吾が足は三重の勾がりの如くして甚だ疲れたり』とのりたまいき。故、其地を號けて三重と謂ふ」とあることに由来するとされている。 人口170万人程度の総人口でありながら、人口30万人以上が1市(四日市市)、人口20万人以上が1市(津市)、10万人台が4市、5万人以上10万人未満が2市存在し、特定の都市圏に人口が集中していない。ただし所在するのはいずれも県北部・中部であり、紀伊山地が大半を占める南部には人口2万人以上の自治体が存在しない。増減率も北部・中部は増加ないしは微減に留まっているのに対し、南部は減少が激しい。
都市
三重県人口動態2024年現在約171万人となっている。現在の人口は1982年(昭和57年)とほぼ同じ水準である。三重県の人口は1960年時点では149万人程度であったが2005年の国勢調査187万人まで増加を続けていたが現在は減少が続いている。中京圏・関西圏のアクセスが良く桑名市や名張市ではベットタウンの役割を果たして発展していたが、近年の都心回帰により人口減少が年々大きくなっている。
政治県知事歴代知事については「三重県知事一覧」を参照のこと。 議会現議員任期:2023年(令和5年)4月30日から2027年(令和9年)4月29日 →「三重県議会」を参照
財政
経済・産業農業
畜産→「松阪市の肉文化」も参照
酪農水産業
林業三重県には製材工場が218工場あり、岐阜県に次ぎ日本で2番目に多い(2016年、木材統計)[33]。 工業
工場を置く主要企業
生活・交通警察電力本県のほとんどが中部電力パワーグリッドの供給区域であるが、熊野市の一部(須野町、甫母町、二木島里町、二木島町、遊木町、新鹿町、波田須町、磯崎町、大泊町を除く)と、南牟婁郡の御浜町と紀宝町は関西電力送配電の供給区域である。 都市ガス桑名市、東員町、いなべ市、朝日町、川越町、四日市市、鈴鹿市、亀山市、津市、松阪市、伊勢市の市街地は東邦ガスネットワーク、名張市と伊賀市青山地区と志摩スペイン村では大阪ガスグループの名張近鉄ガス、伊賀市(青山地区以外)では上野都市ガスが供給している。 インターネットケーブルテレビによるブロードバンドネットワークを、日本国内では最も早く県全ての市町村に普及させた[36]。 インターネット普及以前にも、1994年4月に開局した県営のパソコン通信「Mieネット」(三重県行政情報提供システム)があり、大手のニフティへも市内料金でゲートウエイのパソコン通信ができたが、2000年問題に伴い廃止された。 交通交通史律令時代の五畿七道では、伊勢国と志摩国と伊賀国は東海道として、紀伊国は南海道として区分された。江戸時代には、日永追分(四日市郊外)で東海道と伊勢街道が分岐した。
1889年までに建設された東海道本線は、もともと中山道幹線として建設が進められていたものを途中で計画変更したことにより、名古屋・草津間は既に開通していた美濃路・中山道ルートをたどる事になり、本来の東海道が通る三重県内を経由しなかった。県内の交通としては、関西鉄道が東海道に沿う区間に今日の草津線や関西本線などを敷設し、上述の東海道本線と激しい旅客獲得競争を繰り広げたこともあったが、国有化後は一地方幹線と扱われ、国土の動脈として扱われることはなかった。 その他、関西鉄道・参宮鉄道→国有鉄道が敷設されなかった地域には、伊賀鉄道・伊勢鉄道・養老鉄道(何れも現在の同名会社とは別)・三岐鉄道などのような私鉄、それに様々な軽便鉄道が敷設された。それら路線の中には大正以降の道路交通・他鉄道との競合、それに第二次世界大戦中の交通統制の中で不要不急線とされたことにより廃止に至ったものも存在するが、三岐鉄道を除く路線は殆どが関西資本の大阪電気軌道・参宮急行電鉄グループによって買収された。同社は関西急行鉄道を経て1944年(昭和19年)以降には近畿日本鉄道(近鉄)となっている。 の弾丸列車計画では鈴鹿山脈を貫く案も存在したが、戦後の東海道新幹線計画では名古屋以西は工期の都合で米原経由に変更されたため、新幹線は本県内を経由していない。超電導リニアによる中央新幹線が東海道沿いに計画され、亀山市付近に駅ができる予定である。 旧伊勢・志摩・伊賀国内へは明治から大正にかけて国鉄ないし私鉄路線が整備されたが、それに対し旧紀伊国エリアへの鉄道整備は遅れ、紀勢本線として全通を見たのは戦後の1959年である。同線は日本の「本線」という鉄道路線の中でも最後に完成した路線といえる。紀勢本線を通る本県内から東京への直通列車だった寝台特急「紀伊」は、1984年2月に廃止された。現在は名古屋駅で新幹線に接続する形で特急・快速列車が運行されている。 近鉄が特急運転の頻度が高いのに対し、JRは他県に比べてその頻度が低く、本数の多い特急として一時は全国に普及した「エル特急」も、JR特急の走らない沖縄県と奈良県を除くと、三重県だけが今日まで一度も設定されたことがない。一方で、JR東海は近鉄線に対抗すべく快速「みえ」を運行するなど改善も進めている。 平成以降は、上述の近鉄に統合された路線のうち、閑散線については分社化・路線譲渡の動きもある。北勢線は三岐鉄道へ譲渡され、また伊賀鉄道・養老鉄道・四日市あすなろう鉄道が近鉄からの経営分離によって発足している。また国鉄路線についても、伊勢線に関しては第三セクター鉄道の伊勢鉄道へ経営が移管されたが、JR名古屋駅からの特急・快速列車は伊勢鉄道経由でJR津駅以南に運行されている。
国道1号は、江戸時代の東海道に沿ったルートとなっている。一時は旧東海道に対し、新東海道と呼ばれることもあり、現在でも地図上は国道1号が東海道という表記になっていることがある。 国道23号は、東海道の日永の追分より分岐する伊勢街道に沿ったルートとなっている。旧道路法に基づく路線認定では、国道1号「東京市より神宮に達する路線」とされていた。1952年の新道路法に基づく路線指定において国道23号に指定される。鈴鹿市の北玉垣町交差点より北は国道1号のバイパスとして整備されたもので名四バイパスと呼ばれていたが、1975年に国道23号へ編入され現在に至っている。 このほか東名阪自動車道と奈良県の西名阪自動車道を結ぶ自動車専用道路の名阪国道(国道25号)がある。 高速道路は東名阪自動車道・伊勢自動車道・伊勢湾岸自動車道・紀勢自動車道があるほか、新名神高速道路が亀山ジャンクション (JCT) から西側と、四日市JCTから新四日市JCTを経て東海環状自動車道東員ICが供用されている。2019年3月17日には新名神高速の新四日市JCTから亀山西JCTまで[37] と、東海環状道の東員ICから大安ICまで供用を開始、12月21日には亀山西JCTの 伊勢⇔名古屋 連絡路が開通しフルジャンクション化された[38]。 今後の計画では2024年度に東海環状道の大安ICからいなべICまで[39]、2026年にはいなべICから岐阜県境を越え、養老ICまで供用開始し名神高速道路へ接続する予定である[40]。 亀山市は新名神・東名阪・伊勢道・名阪国道の4路線が有り、三重県における道路交通の要衝となっている。 港湾旅客船伊勢湾フェリーによって鳥羽と伊良湖(愛知県田原市)を結ぶカーフェリー航路が運航されているほか、津エアポートラインにより、2005年の中部国際空港開業にともない、同空港と津を結ぶ高速船が運航されている。 伊勢市または鳥羽市と中部国際空港を結ぶ航路も計画・準備中だったが、現在はその目途が立っていない。 空港本県内に空港はない。近隣の空港は以下の通り。
鉄道木曽岬町、南伊勢町、度会町を除く全自治体に鉄道駅が存在する。近鉄やJR東海・JR西日本によって、県内各地と名古屋・大阪・京都などが結ばれている。なお、県内で最も利用者数が多い駅は近鉄四日市駅であり、JRよりも近鉄の方が列車の本数や駅の位置などで利便性が高く、利用者数も多い。 ※駅名記載の無い路線は全線県内通過 東海旅客鉄道(JR東海) 西日本旅客鉄道(JR西日本)・柘植駅以西はアーバンネットワークの範囲内である。 道路高速自動車国道は中日本高速道路(NEXCO中日本)が、名阪国道は国土交通省が管理している。 新名神高速道路が2008年2月23日に供用を開始したことにより、東京と大阪間の広域的な流動は関ヶ原経由に対して時間短縮が図られた。一方、接続する東名阪自動車道の四日市インターチェンジ (IC) 付近を先頭に渋滞するようになった。2019年3月17日、新名神高速の新四日市ジャンクション - 亀山西ジャンクション間が供用開始。東名阪を経由しないルートと『ダブルネットワーク』化したことで渋滞が大幅に減少することが見込まれている。 紀勢自動車道の紀伊長島ICから尾鷲北ICは、高速道路会社によらない国と地方自治体の負担による新たな直轄事業である新直轄方式で、供用開始後も通行料金の徴収はなされない。 2010年(平成22年)2月2日に伊勢自動車道の津IC - 伊勢ICおよび紀勢自動車道の全線が高速道路の無料化社会実験の対象区間に指定され、2010年(平成22年)6月28日から2011年(平成23年)6月19日まで実施された。
供用中:
供用中:
事業中: 基本計画区間(調査中):
路線バス近鉄グループの三重交通グループが一部を除き県内全域をカバーする。 同グループが運行する高速バスによって、県内各地と横浜・東京・大宮、北勢地域・伊賀地域・東紀州地域と名古屋、伊賀・北勢地域と大阪・京都、そして北勢地域と中部国際空港が結ばれている。その他にも、各自治体が運行するものもある。 医療・福祉→詳細は「Category:三重県の医療機関」を参照
教育私立 公立 私立 国立 県立 私立
メディア新聞
全国紙は原則的には、名古屋にある中部本社(新聞社によっては中部支社・名古屋本社など)の管轄であるが、地理的な事情により一部大阪本社管轄の地域もある。
放送テレビ・ラジオの放送対象地域としては、県域放送のほか、広域放送としての在名圏(名古屋に本局)にも属している。このうち、名古屋市に本社のあるCBCラジオが本県の桑名市に親局(主幹送信所)を置いている[注釈 3] ほか、NHK、東海ラジオも親局は三重県寄りの地域に有り、伊勢平野では本局を受信するほか、伊賀・東紀州地域には中継局を置いている。 テレビテレビは地上波の放送のほか、県内全市町でケーブルテレビによる視聴も可能である。在名局は県内各地(いなべ市・伊勢市・鳥羽市・名張市・伊賀市・尾鷲市・熊野市など)に中継局を置いている。 民間放送については、三重テレビのみ独立局である他は、全て放送ネットワークに属している。
伊賀市・名張市・熊野市・南牟婁郡の御浜町・紀宝町ではNHK大阪放送局、毎日放送・朝日放送テレビ・関西テレビ・読売テレビとNHK名古屋放送局・東海テレビ・中京テレビ・CBCテレビ・名古屋テレビ(メ〜テレ)の大阪と名古屋の両方のテレビ局の放送が配信されている。 →「category:三重県のケーブルテレビ局」を参照
ラジオ名古屋のNHK名古屋放送局・CBCラジオ(県内に親局がある→CBCラジオ長島送信所)・東海ラジオを直接聴取できる地域が大半だが、伊賀市、尾鷲市、熊野市にも中継局を置いている。 かつては、県域放送の近畿東海放送(開局当初はラジオ三重)があったが、ラジオ東海(旧 岐阜放送)と合併して東海ラジオ放送となった。この後は、本県において県域放送を行う中波放送 (AM) 局は、NHK・民放を含め存在しない(NHKは中継局も設置していない)。 超短波放送 (FM) 放送については、NHK・民放とも県域放送局が存在している。県域放送の親局送信所は、三重テレビも含め津市の長谷山に設置されている。 コミュニティ放送局が複数存在する。 岐阜県の県域AM局である岐阜放送ラジオ(ぎふチャン)・愛知県の県域FM局であるFM AICHIとZIP-FMは、三重県内においてもradikoの無料サービスにて聴取が可能となっている。 1994年に開催された「世界祝祭博覧会」(まつり博・三重’94)に際しては、臨時に置局した「FMパイレーツ」があった。
文化・スポーツ
方言食文化→「Category:三重県の食文化」も参照
→詳細は「日本の郷土料理一覧 § 三重県」を参照
伝統工芸
→詳細は「三重県指定伝統工芸品」を参照
スポーツ→「Category:三重県のスポーツ」も参照
県内に拠点を置くチーム
公営競技パチンコ・パチスロ三重県の遊技機店条例においては全国で唯一、大晦日の終夜営業が認められている。これはコンビニ普及前、伊勢神宮の初詣出参拝客にトイレや休憩施設を提供する名目で制定されたと言われている。また2000年7月までは三重県公安委員会が、パチンコ店へのパチスロの設置を認定していなかった。 観光→詳細は「三重県の観光地」を参照
→「中部地方の史跡一覧 § 三重県」も参照
江戸時代のお伊勢参りに始まり、現在も鈴鹿サーキットで行われるF1日本グランプリや8耐、風光明媚な志摩のリゾート地、松阪牛、伊賀地方の忍者関連(外国人に人気が高い)、東紀州地方最南端の鵜殿村(現:紀宝町)など、観光資源に恵まれている。 ユネスコ登録遺産
有形文化財建造物→詳細は「三重県指定文化財一覧」を参照
公園→詳細は「Category:三重県の公園」を参照
神社・仏閣→詳細は「三重県の神社一覧」および「Category:三重県の寺」を参照
景勝→詳細は「Category:三重県の自然景勝地」を参照
民謡→詳細は「Category:三重県の音楽」を参照
テーマパーク・レジャーランド→詳細は「Category:三重県の遊園地」および「Category:三重県の水族館」を参照
対外関係姉妹自治体・提携自治体
三重県を舞台とした作品→詳細は「三重県を舞台とした作品一覧」を参照
→「近畿地方を舞台とした作品一覧 § 三重県」も参照
三重県出身の人物→詳細は「三重県出身の人物一覧」を参照
脚注注釈出典
関連項目
外部リンク
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