小海線
小海線(こうみせん)は、山梨県北杜市の小淵沢駅から長野県小諸市の小諸駅までを結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。南側区間は八ヶ岳の東南麓を走り、全線に「八ヶ岳高原線」の愛称が付けられている。 概要八ヶ岳東麓の野辺山高原から千曲川の上流に沿って佐久盆地(佐久平)までを走る高原鉄道である。甲斐小泉駅 - 海尻駅間は標高1,000 mを超える高所を走っており、清里駅 - 野辺山駅間には標高1,375 mと日本全国のJR線で最も標高が高いJR鉄道最高地点[新聞 2]がある。また、野辺山駅は標高1,345 mのJR線最高駅であるほか、甲斐小泉駅から松原湖駅までの9駅が、JRの標高の高い駅ベスト9に入っている[2]。 このことから、JR東日本は、2017年から高い(ハイ)場所の線路(レール)という意味で名付けた観光列車「HIGH RAIL 1375」を運行しているほか[報道 1]、この観光列車にちなみ志望校に「入れ〜る」として、2019年からは2 - 3月の受験シーズンに中込駅などに合格を祈願する「ハイレール神社」を設けている[新聞 2]。 日本の中央高地でも奥まった内陸部にあり、海瀬駅は日本で最も海岸線から遠い鉄道駅である[3]。小海は、路線のほぼ中間にある地名(長野県小海町)で、小海駅が所在する。八ヶ岳連峰の一つである天狗岳が平安時代に崩落して千曲川をせき止めた湖がかつてあり、それが「小海」と呼ばれたことに由来するとされる[4]。 山梨県内の区間は、同県で唯一の非電化路線である。 小淵沢駅から小諸方面の1 kmの区間は東日本旅客鉄道八王子支社[5]、甲斐小泉駅 - 小諸駅間は東日本旅客鉄道長野支社が管轄している。ただし、終点である小諸駅はしなの鉄道の管理下に置かれている(共同使用駅のため、JRの駅としては長野支社管内と扱われる)。 小淵沢駅 - 野辺山駅間は旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「東京近郊区間」に含まれ、小淵沢駅・清里駅・野辺山駅でIC乗車カード「Suica」の一部サービスが利用可能である[報道 2]。ただし線内区間を含むSuica定期券の発売は行っていない[報道 2]。 路線データ
歴史
小諸駅 - 小海駅間は私鉄の佐久鉄道(さくてつどう)によって1919年に全通した[8]。佐久鉄道は、南は山梨県の甲府まで、北は新潟県の直江津・長岡までの鉄道を計画し、身延線の前身である富士身延鉄道と結んで中部横断鉄道となることを構想していた[8]。小諸駅以北のうち屋代 - 須坂間の敷設免許を1920年に取得したが、同年に地元有志らと共に設立した河東鉄道(長野電鉄の前身)に譲渡した。小海以南の建設は第一次世界大戦後の不況で計画が進まなかった。その後、小海駅 - 小淵沢駅間が国鉄線として小海側と小淵沢側の双方から建設が進められ、佐久鉄道から買収・国有化した区間と合わせて、1935年に全線が開通した[8]。 佐久往還(佐久甲州街道、現在の国道141号線)とは概ね平行しているが、岩村田(長野県佐久市)以南は、千曲川左岸の野沢(同)、臼田(同)、高野町(長野県佐久穂町)など旧街道の主な宿場町を避けて対岸に敷設された。 当初は富士見駅を起点とする予定であったが、用地の買収や工事などの関係から小淵沢駅起点に変更された[9]。小淵沢駅 - 甲斐小泉駅間に急カーブがあるのはそのためである。 野辺山高原付近で大量発生し、線路を横切って移動するキシャヤスデの大群により、空転で列車の運行ができなくなったことが度々ある[10]。 1984年まで貨物列車も運行されていた[11]。また、1953年からの11年間、野辺山駅 - 信濃川上駅間の川上村埋原(うずみはら)地区では周辺道路の不備に伴う地元の要望があり、本来駅ではないところに貨物列車が臨時停車して、白菜やレタスなどの高原野菜の積み込みを行うという全国でも唯一の光景が見られた。夏季のみ行われたこの臨時停車は、地元では通称埋原野菜駅と呼ばれていたが、野辺山駅までの道路整備の完成と準急列車運転により駅間での停車が危険となったため、1964年の夏季を以って終了、以後の貨物扱いは野辺山駅に集約された[12]。 小海線の最急勾配は33‰であるが、この上り勾配はC56形蒸気機関車(SL)が牽引する列車にとっては過酷な区間で、列車速度は低速であった。その後、勾配対応型の2基エンジン形気動車が投入されても均衡速度は35 km/hに留まった。後年、強力エンジンと多段変速機を装備した新型気動車の登場により、登坂速度は向上したが、小淵沢駅 - 小諸駅間78.9 kmは最速の普通列車でも130分以上を要しており、大幅な速度向上までには至っていない[13]。 佐久鉄道
小海北線
小海南線小海線(全通後)
運行形態現在は、普通列車のみの運転で、他線との直通運転はない。小淵沢駅 - 小諸駅間の列車がおおむね1 - 2時間間隔で運転されるほか、小海駅・中込駅 - 小諸駅間の区間運転列車があり、中込駅 - 小諸駅間は通勤時間帯には約20分間隔での運転となる。朝5時台には野辺山駅発小淵沢駅行きの列車が設定されている。また、観光シーズンになると小淵沢駅 - 野辺山駅間に1日3 - 4往復ほど、「八ヶ岳高原列車」と称する臨時列車が運行される。 キハ110系気動車へ置き換え完了後の1992年3月14日からワンマン運転を開始した[新聞 1]。中込駅 - 小諸駅間ではワンマン列車でも各車両の全ての扉から乗り降りができる。 2007年7月31日からは、世界初のシリーズ式ハイブリッドシステムを導入した新型車両キハE200形「こうみ」が併せて運行されている。 列車編成は1 - 3両で、中込駅で列車の増結・切り離しが行われる場合がある。車両基地は中込駅東側に位置し、1991年4月1日に中込運輸区から小海線営業所に改組され、2022年3月12日からは小海線営業所から改組された小海線統括センターが全線を統括している。 また、信州デスティネーションキャンペーンに合わせ、2017年7月1日からキハ100形・110形車両を改造した観光列車「HIGH RAIL 1375」が運転されている[34][報道 7][報道 1][報道 6]。 過去の運行形態小諸駅での信越本線との接続が失われる前は、上田駅まで直通する列車が存在した[37]。JRの前身である日本国有鉄道(国鉄)が運営していた時代には、水曜日と木曜日に運休する列車があった。小淵沢駅からスイッチバックして中央本線上諏訪駅まで直通する列車も存在した。 1968年から1975年まで、循環運転の急行列車「のべやま」「すわ」が以下の経路で運行されていた。なお、「すわ」は塩尻駅先着とし、「のべやま」は小諸駅先着とした。 過去に運行されたイベント列車一時期、高原列車としてのイメージを生かすべく、いくつもイベント列車が運行された。 ときめきの恋列車1986年夏に、小海線のキハ52形気動車のうちの2両(122・123)が、白地に八ヶ岳連峰と気球や飛行船が描かれた塗色に変更され、小淵沢駅 - 軽井沢駅間を結ぶ臨時列車「ときめきの恋列車」として運行された。内装も変更されており、天井は夜空をイメージした濃い青に塗られ、夜光塗料で星座模様が描かれたものであった。ただし、正確な星座を描いたわけではなく、「ときめきの恋」「JNR」など、遊び感覚も多分に盛り込まれていた。1991年頃までこの塗色のまま他車と共通運用となっていた。
マザーグーストレイン1987年、JR東日本と長野市のファンシー雑貨店「クリエイティブヨーコ」との共同による、「マザーグーストレイン」が運行された。車両はマニ50形荷物車の改造車が使用された。 葉ッピーきよさと1988年夏から1992年まで、新宿駅 - 清里駅間を中央本線から直通運転する臨時快速「葉ッピーきよさと」が運行された。使用車両は、長野支社所属の簡易リクライニングシートに改装された169系電車で、小海線内では非電化のためDD16形ディーゼル機関車に牽引される形式を取った。 初年度は北長野運転所(現在の長野総合車両センター)所属の「みすず」用4両編成を使用し、小海線内では冷房などの電源車代用としてスハフ12形客車を連結した。翌1989年以降は松本運転所(現在の松本車両センター)所属の3両編成(通称「改座車」)に変更され、牽引機となるDD16 301・302に静止形インバータ(SIV)を搭載したため、電源車の連結がなくなり、また電源容量の関係で小海線内では冷房使用は不可となった。 なお、小淵沢駅ではホームに面していない線路(3番線)で機関車の連結・解放を行うため運転停車であった。 信州循環列車・ぐるっと信州ときめき号1993年から1997年に、前述の循環急行「のべやま」「すわ」と同一のコースをたどる臨時快速「信州循環列車」が運行された。1995年の運転ではシャトル・マイハマを千葉支社から借り入れ、電源車代用のスハフ12を連結した編成をDD16 301・302がプッシュプルで運転した。 運転初年度の設定は、秋田にあったキハ58系「エレガンスアッキー」を使用し、全車グリーン車自由席の設定で運転されたが、団体乗車等で混雑のために飯山色のキハ52(普通車自由席)を増結して運転、その後は飯山線キハ58系(全車普通車指定席)、キハ110系となるが、キハ110系使用開始時は秋田から特急秋田リレー仕様である300番台のまま長野へ転属になったため、一般化改造工事が終了するまで全車指定席として設定され、その後は全車自由席に変更された。基本の運転パターンは長野駅 → 松本駅 → 小淵沢駅 → 小諸駅 → 長野駅であったが、これと逆周りに運転する日も設定された。 だが、長野新幹線(北陸新幹線)開業に伴い前日の1997年9月30日をもって信越本線横川駅 - 軽井沢駅間が廃止となり、軽井沢駅 - 篠ノ井駅間がしなの鉄道線として経営分離され、小諸駅での小海線とかつての信越本線とを結ぶ線路が分断された。これにより同列車も運行終了となったが、2004年10月に、JR東日本としなの鉄道の共同企画で「ぐるっと信州ときめき号」として復活した。これは、しなの鉄道線小諸から189系直流特急形電車で篠ノ井駅、篠ノ井線経由で塩尻駅、塩尻駅から中央本線上諏訪駅まで、上諏訪からはキハ110系気動車が小淵沢駅・小海線経由でしなの鉄道線小諸駅までを運行した列車で、かつてのように車両を乗り換えずに一周することはできなかった。 2008年1月に運転された「ぐるっと信州ときめき号」では、小諸駅からしなの鉄道線・篠ノ井線・中央本線を経て小淵沢駅までは485系電車「いろどり(彩)」、小海線小淵沢駅から小諸駅まではキハE200形気動車が使用された。 ぐるっと信州号2024年9月1日に、中央本線・篠ノ井線経由で中込発長野行き団体臨時列車「ぐるっと信州号」が運行された。使用車両はキハE200-1〜3の3両編成が使用された。 使用車両現在の使用車両全て気動車で運転されている。 2015年には、佐久鉄道開業100周年・小海線全通80周年記念企画で、同年2月17日から1編成(1両=キハ110-121)が国鉄首都圏色、同年3月19日からはもう1編成(2両=キハ111-111+キハ112-111)が国鉄急行色で運転された[38][39]。この国鉄首都圏色、国鉄急行色のキハ110系は翌年の1月4日に長野総合車両センターに入場して一般色に戻っている[40]。
過去の使用車両
以上はいずれも、中込機関区(のちの中込運輸区、現在は小海線統括センター)所属の気動車。急勾配があるため、主にエンジンを2台載せた強力気動車が使用された。キハ58とキハ57には冷房搭載車もあったが発電機がなく使用できず不要なジャンパ栓をはずして運用された。 1972年まで、C56形蒸気機関車(SL)が運行され、「高原のポニー」の愛称で親しまれた(末期は貨物のみ)。営業運転が廃止された翌1973年には夏季の2か月間の日曜日に臨時列車「SLのべやま号」が運行された。これはリバイバルトレインの始まりの一つに数えられている。 また、1972年の蒸気機関車運用終了後は、貨物列車の牽引にはDD16形ディーゼル機関車が使用された[41]。 客車は、オハフ45や、オハフ61などが使用されていた[41]。 佐久鉄道の車両
沿線風景始発駅の小淵沢駅からは八ヶ岳を見上げる。発車してすぐ広い斜面を大きく曲がりながら登ってゆく。林の中の別荘地を抜けると清里で、駅周辺は1980年頃から観光化が進んだ。この先、車窓が開けて高原野菜の畑地が目立つようになり、野辺山までの間、八ヶ岳が左手に見える。JR鉄道最高地点は中央分水界でもある。最高地点標識を過ぎると、右手の林の中に野辺山電波天文台の大アンテナが見える。この天文台は年末年始を除き毎日見学が可能である。下り勾配にかかり、信濃川上駅からは千曲川沿いの谷間を進み、小海駅までに千曲川を7回横断する。小海駅からは千曲川の右岸を走ってゆく。佐久平に入ると、車窓には市街地と水田が交錯するようになり、通勤・通学路線に変化する。佐久市に入ると千曲川は北西方面に曲がって行く。岩村田駅から中佐都駅までは高架になっており北陸新幹線と国道141号線を乗り越える。乙女駅からはしなの鉄道線と並走し、終点の小諸駅に到着する。
駅一覧
2023年度の時点で、JR東日本自社による乗車人員集計[52]の対象駅は小淵沢駅、野辺山駅、信濃川上駅、小海駅、八千穂駅、羽黒下駅、臼田駅、中込駅、岩村田駅、佐久平駅、小諸駅である。それ以外の駅は完全な無人駅のため集計対象から外されている(なお、佐久平駅については小海線の区画は無人であるが、接続する北陸新幹線の区画が有人である)。 廃駅( )内は小淵沢駅起点の営業キロ。
過去の接続路線
利用状況平均通過人員各年度の平均通過人員、旅客運輸収入は以下のとおりである。
収支・営業系数2019年度(令和元年度)の平均通過人員が2,000人/日未満の線区(小淵沢駅 - 小海駅間、小海駅 - 中込駅間)の各年度の収支(運輸収入、営業費用)、営業係数、収支率は以下のとおりである。▲はマイナスを意味する。
脚注注釈
出典
報道発表資料
新聞記事
参考文献
関連項目外部リンク
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