ゆく年くる年
『ゆく年くる年』(ゆくとしくるとし)は、NHK総合テレビジョンとNHKワールド・プレミアムで、1955/1956年からの毎年12月31日から翌1月1日に生放送されている年越し番組である。 同じタイトルで民放各局が共同ないしは独自に放送する番組もあるが、ここではNHKの番組について言及する。またNHKの番組でも、テレビで放送のものとラジオで放送のものとでは内容が異なるが、本項では特に断りのないかぎりはテレビで放送のものについて記述する。 概要年越しを前後して、日本各地(主に宗教施設)で行われている年越し行事をリレー中継で放送するほか、旧年・新年の日本の社会的・文化的大事件を回顧・展望する構成が主である。NHK自身とビデオリサーチ社は本番組を報道番組にカテゴライズしているが[1]、「究極の宗教番組」と位置付ける意見(五木寛之、河合隼雄)もある。 視聴率は、直前の『NHK紅白歌合戦』からの流れにより、毎年20パーセント以上の高視聴率を記録している。ビデオリサーチ・関東地区調べでは、1963年放送分が57.4パーセントの視聴率を記録している。これは、同年の年間視聴率ランキング(5分以上の番組が対象)では『第14回NHK紅白歌合戦』(81.4パーセント)・『第14回NHK紅白歌合戦』直前のニュース(66.7パーセント)・プロレス中継(64.0パーセント)に次いで4位である[2]。 放送チャンネルNHK総合テレビジョンとNHKワールド・プレミアムで同時放送される。 2006/2007年まではデジタル衛星ハイビジョンでも同時放送されていたが、同チャンネルでは一部構成が変わる場合があった。2002年から2004年までは紅白のまとめ番組があったため、23時59分まで開始しなかった。2007/2008年まではNHKワールドTVでも同時放送されていたが、完全英語放送化によっていったん終了。2010/2011年および2011/2012年には『Old Year New』として、英語の字幕スーパー差し替えと英語同時通訳をつけて放送した(2012/2013年には放送なし)[3]。2008/2009年から2010/2011年まではBS2でも同時中継されていた。 なお、同じNHKでもこれらのテレビチャンネルとEテレ(教育テレビ)、ラジオ第1以外(BS1・BSプレミアム→BS、ラジオ第2、FM放送、BS4K→BSP4K、BS8K)では、これに相当する年越し番組は基本的に放送されていない。いずれも通常の番組が放送される。衛星放送の場合、日本国外の放送局によるニュースなど。Eテレの場合、クラシックコンサートが放送されていた(ほぼ大晦日21時頃 - 元日1時頃)が、生中継ではなく複数のコンサートの放送で構成される番組であり、年明けのカウントダウンなどはない。ただし1999/2000年には、途中でカウントダウンの秒数だけが表示された。2011/2012年以降は、年越し特番として『2355・0655 年越しをご一緒にスペシャル』(放送初年のみ『0655・2355-』)が放送されている。 放送時間テレビでは通例、12月31日 23時45分から翌年1月1日 0時15分まで放送される。 ただし例外はあり、2024/2025年は0時25分まで、1970年代の多くと、1984/1985年・1995/1996年・2001/2002年・2002/2003年・2004/2005年とアナログ放送最後の放送であった2010/2011年には0時30分まで、1981/1982年は1時、1982/1983年は1時30分までそれぞれ延長放送された[注釈 1][注釈 2]。1999/2000年の放送は1時05分まで放送された。2000/2001年の放送は1時00分まで放送された。 また1982/1983年まではこの番組を終えると、直後のニュース・天気予報を放送し、そのまま概ね当番組終了10分後までに大晦日付の放送を終了し、停波、またはカラーバーを放送して元日6時からの放送開始に備えていたが、1983/1984年以後はその直後から新春特番が編成され、放送時間が延長され、1995/1996年以降は終夜放送されている(後述)。 歴史初回放送が行われたのは、日本でラジオ放送が開始されてから2年後の1927年である。寛永寺(東京・上野)からJOAK(社団法人東京放送局、現:NHK放送センター)のラジオ放送によるものであり、当時の番組タイトルは『除夜の鐘』であった[4]。1925年3月23日に放送を開始した『株式市況』に次ぐ日本で2番目に古い番組であり、エンターテインメント分野における日本最古の現役番組である。 最初の2回は、実際の寺院からの中継ではなく、第1回の1928年元日0時は、スタジオにあった鐘を鳴らして、それを除夜の鐘と銘打って放送したとされ、同じ年の大晦日〜1929年元日未明の第2回は、京都日日新聞の番組表には「(午後)11時50分 除夜の鐘」と書かれており、近所の神社にあった鐘楼をわざわざスタジオに持ってきて、そこから108回の鐘を鳴らす様子が生放送された[5]。当時の様子はNHKが写真で保存しており、2023年12月10日にNHK-FM放送(11:00-11:50)で生放送された『伊集院光の百年ラヂオ』でもその当時のエピソードが紹介されている[6] 現在の形で、実際の寺院からの生中継は1929年[7]が最初で、浅草寺からの生中継だった。当時は大晦日23時50分から元日午前1時まで放送され、番組内容は「1.参拝の実況、2.除夜の鐘、3.鶏鳴」とあった[5][8]。 リレー放送は1932年から行われている。この年は東京・大阪・名古屋・仙台・広島・熊本の各拠点中央放送局、さらに当時は日本領にあった朝鮮放送協会・京城中央放送局をネットして、各地からの寺院の除夜の鐘の打鐘と迎春の風景が生放送された[5]。 1945/1946年には、12月31日 22時20分 - 1月1日 0時00分に『紅白音楽試合』(『NHK紅白歌合戦』の前身)の放送があったため、『除夜の鐘』は年明けの直後に放送された。 テレビ放送においては、1953/1954年の年またぎは大晦日 23:30 - 24:00まで「才末風景」[9]と題して、銀座と道頓堀の2元生中継の模様を放送したのち、元日 0:00 - 0:05の5分間『除夜の鐘』[10]を放送。そのまま大晦日付けの放送を終了している。 1954/1955年は、23:30 - 23:55まで、前年の生中継から変えて事前収録の短編記録映画『ゆく年を送る』[11]を放送したのち、23:55 - 元日 0:30まで『除夜の鐘』として、浅草寺からの生中継放送[12]を、前年より大幅に放送時間を拡大して行った[13]。そして1955/1956年から現タイトルで放送されている。実際には、1955/1956年放送分は『逝く年、来る年』、1956/1957年放送分は『逝く年来る年』と題して放送されているが[14][15][16]、NHKは本番組を1955年放送開始の番組としている[17]。 番組の流れ本番まで制作は全国の報道系のディレクターが担当し、中継場所の選定はほぼ1か月前から入る。本番組の制作を担当する部署は、東京・報道局の『おはよう日本』部である[18]。番組内容の台本は半月以上前から絵コンテ付きで制作される。そしてカットの秒数、コメントの内容が綿密に作られ、東京のチェックを定期的に仰いだ上で、当日まで作り込みを続けていく。 また、演出についてはNHKの意図通りになるように寺社を巻き込んで行われ、参拝客や地元の人々、僧侶、神主に協力してもらっていることが多く、NHKの放送に合わせて古来の行事が復活することもある。また、番組スタッフの入れ替えにより継承が途切れるため、山形県の羽黒山や福島県などでは数年前とほぼ同じ構成の中継が出たことがある。 放送2日前よりカメラのセッティング、中継車の回線接続、照明の建て込みの準備が入る。かつてはクレーンや照明の手配などで中継1か所の予算が500万円以上などが普通であったが、現在では節約が図られている。人員は放送時の安全対策も重視され、職員の動員がかけられる。例えば、現場の中継車ではメインのディレクターの後ろでカットの秒数をカウントダウンするディレクター、各カメラ防護用のディレクター、スタッフの宿泊や食事の手配のディレクターなどがいるが、全て職員のディレクターである。コメントを読むアナウンサーの横では必ず管理職アナウンサーや部長クラスが現場入りし、並々ならぬチェック体制が敷かれる。 当日夜は、直前番組である『NHK紅白歌合戦』の最中に「全国通しリハーサル」と呼ばれる疑似放送リハーサルを行い、本放送とほぼ同様のことを行って各中継場所へ内容に関するチェックを行う。各リハーサルはVTRで収録するが、これは確認用としてだけでなく、万が一に備えたものでもある。放送時には中継入りと同時にこの収録部分も本放送で再生していき、いざとなったら切り替えができる様になっているなど、絶対に中断の起きえない放送体制が敷かれている。 通常放送時は音声をフェードアウトして後座番組に切り替わって音声をフェードインするが、紅白と本番組の切り替えでは紅白の音声をフェードアウトせず、後座番組の切り替えと同時に音声も消えて、本番組開始時に音声をフェードインする。この手法は高校野球中継の総合テレビ・Eテレのリレー放送時の相互切換、大相撲中継時の中断ニュース、災害・地震などの特設ニュースが入った時にも用いられる。 放送の中心となるキーステーションやその他の中継場所はコロナ禍などで非公開の年もあったが、基本的には大晦日の数日前にNHKの公式サイトで発表される。 番組進行年越し前23時45分に『NHK紅白歌合戦』が終了すると同時に会場のNHKホールの喧騒が一瞬にして消去され、最初の中継先となる寺院や神社が映し出される。番組開始からしばらくはそれら宗教施設からの中継が多く、除夜の鐘が鳴り響く各地の寺院の境内や本堂の様子、参拝客たちが深夜の初詣に訪れ、新年の祈願をする模様が放送される。ナレーションでは、当該地域の紹介や地域特有の社会問題(過疎化など)の話題に触れる。リポートするアナウンサーは原則顔出しをしない。 かつては新年を迎えた直後の日本国外各国の様子を中継したこともあるほか、日付や時間に関係なく普段と変わらずに働き続ける人々(例として東京・新橋のタクシー運転手や福岡・八幡製鉄所の従業員など)の様子を中継したこともある。 年越しの瞬間日付が変わって年越しを迎えた瞬間に、画面左上に「0:00」と時刻表示される。かつては時報も加わっており、1976/1977年には短波無線局「JJY」の時報を放送した。進行役のアナウンサーが「明けましておめでとうございます」、「20○○年、令和○○年の幕開けです」(2021/2022年など)とナレーションする。 民放テレビ各局の年越し番組は年越しの瞬間を大勢で華やかに迎えることが通例であるが、本番組ではカウントダウンも含めてこのような演出は行わないため、民放各局の年越し番組とは確実な差異がある。ただし、ミレニアムを迎える1999/2000年のみ例外的に、23:58:30頃にNHKホールに中継が戻り、『第50回NHK紅白歌合戦』の出演者や観客が全員でカウントダウンを行った。 年越し後年越し後には、各地で新年を迎えたその模様が中継される。前年に話題になった場所や、新年に大きなイベントが開催される会場地などを対象としている。 前年に話題になった場所の例としては
などが中継された。 新年に大きなイベントが開催される会場地などの例としては、
などがある。 番組終了後本番組の終了直後には新年最初(放送上の日付では大晦日最終版扱い)の『NHKニュース』(NHKワールド プレミアムでも同時放送。2011年の年明け最初の放送ではノンスクランブル放送を実施)を放送、担当キャスターが「明けましておめでとうございます」の挨拶で始め(本番組以外で初めての新年の挨拶)、通常、年越しの話題や各分野における前年の統計値などを報じるニュースから始められる。2000年代からは、携帯電話の普及によって起きるようになったいわゆる「おめでとうコール」「おめでとうメール」の集中で発生する通話回線の輻輳やサーバのパンク状態、ならびにそれに対する各電話会社の対応状況などが読み上げられることがある。 1980年代前半まではこのニュース(0:30 - 0:40)をもって明朝6時の放送再開まで放送休止(停波、またはカラーバー 。ただし、日章旗掲揚・「君が代」演奏はこの当時午前0時を跨いだ場合には原則行っていなかった)となった。 1983/1984年[20]以後は大晦日付けの放送時間を大幅延長して、当番組終了直後、またはニュース終了後に年越し(新春)特別番組を編成するようになった。大晦日〜元日の終夜放送は1995/1996年(1996年1月1日)[21]が初めてで、以後毎年終夜特別編成が実施されている。 2005/2006年からは、ニュースに続けて、両国国技館で行われるさだまさしの年越しコンサートの模様を交えた『年の初めはさだまさし』が公開生放送されている。 年表
主な出来事1999/2000年50回の紅白歌合戦の終時、ミレニアムの瞬間を大勢で迎えようという意図もあり、0:00を迎える直前にNHKホールに中継先を差し戻し。紅組と白組の出演者たちのステージ上に大きなデジタル時計を表示し、大勢でカウントダウンを行った。 2000/2001年20世紀から21世紀への世紀替わりの瞬間を迎えた全国(20箇所)の表情などを中継。 2001/2002年2002/2003年KS会場には、五木寛之が解説で出演。 2003/2004年旧年に地上デジタル放送がスタート。 2008/2009年この回から、年明け直後の除夜の鐘の中継がされなくなった[注釈 30]。5.1chステレオ放送化。 2010/2011年アナログ放送最後の年末番組となる。瀧本美織(同年度下期の連続テレビ小説『てっぱん』のヒロイン)がゲスト出演。この年のみ0:30までの45分番組。 2011/2012年岩手・宮城・福島の3県はアナログ放送最後の回となった(デジタル放送では今回は5.1chサラウンド放送)[28]。 2012/2013年日本全域デジタル放送化完了後初の年末番組として放送[29]。この回から除夜の鐘の中継が復活。 2016/2017年この年は除夜の鐘ではなく、神戸港で行われたカウントダウンイベントからの年越し。 2017/2018年この年は、平昌オリンピックと2018 FIFAワールドカップロシア大会の開催を控えている[30]。 2018/2019年進行の高瀬・和久田だけでなく、各中継現場を担当するアナウンサーも年跨ぎ前後関係無く積極的に顔出しした[31]。 2022/2023年前番組の『第73回NHK紅白歌合戦』の中断ニュース後、進行の首藤・三條が登場。本番組の告知を行うと共に、NHK受信料の支払いに感謝するコメントを出した[32]。 2023/2024年前番組の『第74回NHK紅白歌合戦』では、本番組に先がけて日本の大晦日の風景を届ける「年の瀬中継」を行った[33]。 2024/2025年前番組の『第75回NHK紅白歌合戦』の中断ニュース後、進行の首藤・三條が登場。本番組の告知を行うと共に、NHK受信料の支払いに感謝するコメントを出した。また2025年がNHKのラジオ放送開始100年という事もあり放送時間が10分拡大(23:45 - 翌0:25)で放送された 不祥事2002年12月30日、大阪放送局の委託業者が撮影照明ライト固定のために東大寺の鐘楼(国宝)の梁に釘9本を打ち込んだことが発覚し、厳重注意を受けた[34]。 ラジオ
前述したとおり、NHKラジオ版『ゆく年くる年』は1928年元日0時に、スタジオにあった鐘を「除夜の鐘」と銘打って生放送したのが始まりで、同年大晦日〜1929年元日未明はスタジオ近くの寺院から借りた鐘楼をスタジオで鳴らすという内容だった。寺院からの生中継は1929年、各局からの生放送リレー形式は1932年から行われていた。 ラジオ第1においては、紅白終了後の23時45分から東京・NHKラジオセンターのスタジオをメイン会場にしての年越し番組を放送する。年明け直前の日本各地からのリポート、午前0時の時報とともに入る「新年明けましておめでとうございます」の挨拶、そして年明け直後の各地からのリポートを行った後、NHKアナウンサーと各回のゲスト出演者による対談を0時45分まで放送する。対談は、番組が各回で定めたテーマに沿って行われる。2006/2007年のテーマは「今、築く絆〈きずな〉〜命・信頼・そして家族〜」であった。番組の終了後にはニュースが入り、1時00分から『ラジオ深夜便』が放送される。 この大晦日から元日にかけての終夜放送が定着するのは1980年代からで、それ以前は年度により当番組を終えた1時で放送終了(当時は国歌演奏なしで、そのままチェレスタの終了インターバル・シグナルの演奏→停波、またはテストトーン)となった。また当番組終了後に、『ラジオ深夜便』が放送されるようになるのは1996/1997年が最初[36]で、途中数年間深夜便を休止扱いにしつつ深夜便のフォーマットに準じた特集編が放送されたこともある。 ラジオ第1で放送の年越し番組は一時期「ゆく年くる年」の名を外していたことがあり、2007/2008年には『新たな年へのメッセージ』が、2008/2009年には『年越しラジオ』が放送された。2009/2010年からは再び「ゆく年くる年」の名を冠した『年越しラジオ ゆく年くる年』→『ゆく年くる年』が放送されていた[37][38]。 こうして続いたラジオ版の『ゆく年くる年』だったが、2017/2018年を最後に中断期間を挟みながらも90年間続いた年越し番組としての幕を閉じることになった。2018/2019年からは、『ラジオ深夜便』がこの時間帯に年越し放送を行うようになった(2018/2019年には『年越しラジオ深夜便』のタイトルで放送[39]。2019/2020年以降は通常タイトルのままで年越し放送)。 脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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