アルゴ座は、古代メソポタミアに起源を持つ他の古代ギリシアの星座とは異なり、古代エジプトにその起源を持つと考えられている[5]。たとえば、帝政ローマ期1世紀頃のギリシア人著述家プルタルコスは、著書『モラリア』の中でアルゴ座をエジプトの「オシリスの船」と呼ばれる星座と同定していた[5][6]。ギリシア人がこの南天の星群を船の星座と見なすようになった時期は定かではないが、アメリカの天文学者で天文史研究家のJohn C. Barentineは、幾何学文様期以前の紀元前1000年頃にエジプトから伝わったのではないかとしている[5]。
星座としてのアルゴ船は、紀元前4世紀の古代ギリシアの天文学者クニドスのエウドクソスの著書『ファイノメナ (古希: Φαινόμενα)』の中の星座のリストに既にその名前が上がっていた[5]。このエウドクソスの『ファイノメナ』は現存していないため、書中でアルゴ座についてどのように記述されていたか不明だが、エウドクソスの著述を元に詩作したとされる紀元前3世紀前半のマケドニアの詩人アラートスの詩篇『ファイノメナ (古希: Φαινόμενα)』では、もやがかかってアルゴ船の船首の辺りが見えないことがうたわれている[7]。紀元前3世紀後半の天文学者エラトステネースの『カタステリスモイ (古希: Καταστερισμοί)』や1世紀初頭頃の著作家ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌスの『天文詩 (羅: De Astronomica)』においても、アルゴ座は船首を欠く姿で星座となっているとされた[8]。
アルゴ座を構成する星について、エラトステネースとヒュギーヌスはともに星の数を27個としていた[8]。これに対して、2世紀頃にアレクサンドリアで活躍したクラウディオス・プトレマイオスが著した『ヘー・メガレー・スュンタクスィス・テース・アストロノミアース (古希: ἡ Μεγάλη Σύνταξις τῆς Ἀστρονομίας)』、いわゆる『アルマゲスト』では、アルゴ座には45個の星があるとされた。プトレマイオスが示した45個の星が現在のどの星に当たるのかについては、研究者の間で多少の相違は見られるものの、現代のとも座・らしんばん座の大部分、ほ座の東側を除く一部と、りゅうこつ座の南側を除く一部に相当する、という点で概ね一致している[9]。
アルゴ座に、Corps du Navire (船体) 、Pouppe du Navire (船尾) 、Voilure du Navire (帆) の3つの小区画を設けた。これらは、ラカイユの死後1763年に出版された星表 Coelum australe stelliferum では、それぞれラテン語で Argûs in carina 、Argûs in puppi、Argûs in velisとされた[31]。
Corps du Navire、Pouppe du Navire、Voilure du Navire の星のうちギリシア文字の符号が付されていないものに対しては、小区画ごとにラテン文字の小文字で a、b、c……z 、続いて大文字で A、B、C…… Z と符号を付けた[27][注 3]。
Pixis Nautica を設けるためにラカイユがアルゴ座から削り取った星々を、再びアルゴ座の一部分に戻すべきだと考えた者もいた。1843年、天王星の発見者ウィリアム・ハーシェルを父に持つ19世紀イギリスの天文学者ジョン・ハーシェルは、当時王室天文官として星表『The Catalogue of Stars of the British Association for the Advancement of Science』、いわゆる『BAC星表』を編纂中のフランシス・ベイリーに宛てた書簡で、南天の星座について以下の改訂を行うよう提案した[29][43]。
こうしてアルゴ座は消滅することとなったが、アメリカのアマチュア博物学者リチャード・ヒンクリー・アレンが1899年に刊行した星座の解説書『Star Names, Their Lore and Meaning』では Argo Navis という1つの星座として項目が立てられており、「最近の天文学者は参照の便宜を図るために(アルゴ座を)区分けしており、それらは Carina(竜骨、恒星268個)、Puppis(船尾、恒星313個)、Vela(帆、恒星248個)の3つの領域として知られている[注 4]。」と紹介されるなど、19世紀末の時点ではまだ「3つの小区画を持つ1つの巨大な星座」として扱われるケースも見られた[51]。
18世紀イギリスの百科事典編纂者のイーフレイム・チェンバーズは、百科事典『サイクロペディア、または諸芸諸学の百科事典 (英: Cyclopædia: or, An Universal Dictionary of Arts and Sciences)』の中で、「イアーソーンは冒険を終えたのちにコリントス地峡へ赴き、アルゴ船をネプチューンに奉献した。程なくして、ネプチューンは船を天へと移した。」とする話を伝えている[5]。また、20世紀イギリスの詩人ロバート・グレーヴスは著書『ギリシア神話 (The Greek myths)』で「老いたイアーソーンがコリントの地に戻り、朽ち果てたアルゴ船の下に腰掛けて過去の出来事に思いを巡らせていると、ちょうどそのとき舳先の梁が腐り落ちてきて、イアーソーンはその下敷きとなって命を落とした。彼の死を悼んだポセイドーンは、船の残った部分を星々の間に置いた。」としている[3]。
日本では、1879年(明治12年)にノーマン・ロッキャーの著書『Elements of Astronomy』を訳した『洛氏天文学』が刊行された際に、ラテン語の「アルゴナヴィス」、英語の「シップアルゴ」という読みが紹介されていた[65]。明治末期には「アルゴ」という訳語が充てられていた。これは、1910年(明治43年)2月に刊行された日本天文学会の会誌『天文月報』の第2巻11号に掲載された、星座の訳名が改訂されたことを伝える「星座名」という記事で確認できる[66]。『理科年表』が創刊された1925年(大正14年)には、既にアルゴ座が分割・廃止されていたため、初版から「【アルゴ】」と括弧書きで紹介された[67]。1952年(昭和27年)7月に日本天文学会が「星座名はひらがなまたはカタカナで表記する」[68]とした際の星座名一覧にも、「Argo アルゴ」 として星座名が掲載された[69]。1974年(昭和49年)1月に刊行された『学術用語集(天文学編)』でも番外として和名の「アルゴ座」が記載されていた[70]が、1994年(平成6年)に刊行された『学術用語集・天文学編(増訂版)』では「アルゴ座」は残されなかった[71]。
天文同好会[注 7]の山本一清らは異なる訳語を充てていた。天文同好会の編集により1928年(昭和3年)4月に刊行された『天文年鑑』第1号では星座名 Argo に対して「アルゴ船」の訳語を充てていた[72]。さらに1931年(昭和6年)に刊行された第4号からは星座名 Argo Navis に対して「アルゴ船」の訳を充て[4]、以降の号でもこの星座名と訳名を継続して用いていた[73]。
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