こいぬ座 ( こいぬざ、ラテン語 : Canis Minor ) は、現代の88星座 の1つで、プトレマイオスの48星座 の1つ[ 2] 。イヌ をモチーフとしており、より大きなおおいぬ座 との対比で「小さい方の犬」を意味する学名が付けられている[ 2] 。α星とβ星以外には目立つ星のない、小さな星座 である。
α星プロキオン は全天21の1等星の1つで、プロキオンとおおいぬ座のα星シリウス 、オリオン座 のα星ベテルギウス の3つの1等星が形作る三角形 のアステリズム は「冬の大三角 (英 : Winter Triangle )」と呼ばれる[ 7] 。
主な天体
銀河平面 に近い位置にあるが、目立つ星団や星雲はない。1等星のプロキオンと3等星のゴメイサを除けば、あとは4等星以下の暗い星ばかりである。
恒星
2024年 1月現在、国際天文学連合 (IAU) によって2個の恒星に固有名が認証されている[ 8] 。
星団・星雲・銀河
チリ アタカマ砂漠 のセロ・パラナル山にあるヨーロッパ南天天文台 (ESO) の超大型望遠鏡VLTが撮影した惑星状星雲 Abell 24。
流星群
2023年12月現在、こいぬ座の名前を冠した流星群 で、IAUの流星データセンター (IAU Meteor Data Center) で確定された流星群 (Established meteor showers) とされているものはない[ 6] 。
由来と歴史
古代ギリシアでは、「犬の前」を意味する「プロキオン (Προκύων)」という名前が、こいぬ座とこいぬ座で最も明るい星の両方を指す言葉として使われていた[ 2] 。紀元前3世紀 前半のマケドニア の詩人アラートス の教訓詩『パイノメナ (古希 : Φαινόμενα )』では「プロキオン (προκύων) も双子の下方に美しく輝く」と記され[ 23] [ 24] 、紀元前3世紀後半の天文学者エラトステネース の『カタステリスモイ (古希 : Καταστερισμοί )』でも「プロキオン (Προκύων)」という言葉が用いられている[ 25] 。古代ローマでも引き続きプロキオン (Procyon) の名が使われた。1世紀 初頭の古代ローマ の著作家ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌス の『天文詩 (羅 : De Astronomica )』でも「大きいほうの犬よりも先に昇ってくるので Procyon と呼ばれる」と記されている[ 25] 。
帝政ローマ 期2世紀 頃のクラウディオス・プトレマイオス は、天文書『ヘー・メガレー・スュンタクスィス・テース・アストロノミアース (古希 : ἡ Μεγάλη Σύνταξις τῆς Ἀστρονομίας )』、いわゆる『アルマゲスト 』の中で、おおいぬ座の「キオン (Κύων)」に対して、その前に天に上ってくるこの星座を「犬の前」を意味する「プロキオン (Προκύων)」と呼んで48の星座の1つに挙げた[ 2] 。エラトステネース、ヒュギーヌス、ヒッパルコス 、そしてプトレマイオスのいずれも、この星座には3つの星しかないとしていた。
10世紀頃のイラン ブワイフ朝 の天文学者アブド・アッ=ラフマン・アッ=スーフィー の著書『星座の書 (Kitāb Ṣuwar al-Kawākib al-Thābita)』では、こいぬ座は「小さい方の犬」を意味する「アル=カルブ・アス=アスガル (al-Kalb al-Asghar)」と呼ばれていた[ 26] 。これは、おおいぬ座を「大きい方の犬」という意味の「アル=カルブ・アル=アクバル (al-Kalb al-Akbar)」と呼んだことに対応している[ 26] 。
ヨハン・バイエル の『ウラノメトリア 』(1603年)に描かれたこいぬ座。
イスラム世界からヨーロッパに天文学が流入したルネサンス期 以降は、アラビア語で「小さい方の犬」を意味する呼称がラテン語に直訳された「Canis Minor」が星座名として使われるようになった。17世紀 初頭のドイツ の法律家 ヨハン・バイエル は、1603年 に刊行した星図『ウラノメトリア 』で、星座名を CANIS MINOR として、α から η までのギリシャ文字 8文字を用いてこいぬ座の星に符号を付した[ 27] [ 28] 。
19世紀 イギリス の天文学者リチャード・アンソニー・プロクター (英語版 ) は、星座名を簡略化するために、おおいぬ座を「Canis(犬)」、こいぬ座を「Felis(猫)」とすることを提案した[ 29] [ 30] が、世に受け入れられることはなかった。
1922年 5月にローマ で開催されたIAUの設立総会で現行の88星座が定められた際にそのうちの1つとして選定され、星座名は Canis Minor 、略称は CMi と正式に定められた[ 31] 。
中国
古今図書集成 に描かれた井宿 の星官 。左中段に南河、上段に水位が描かれている。
ドイツ人宣教師イグナーツ・ケーグラー (英語版 ) (戴進賢)らが編纂し、清朝 乾隆帝 治世の1752年 に完成・奏進された星表『欽定儀象考成』では、こいぬ座の星のうち5つの星が二十八宿 の南方朱雀七宿の第1宿の「井宿 」の一部とされた[ 2] [ 32] 。ε・β・αの3星はオルドス高原 を東に流れる黄河 の本流を表す星官 「南河[ 注 1] 」に配され、6・11 の2星はかに座 の2つの星とともに河川の水面の高さを表す星官「水位」に配された[ 2] [ 32] 。
神話
19世紀の星座カード集『ウラニアの鏡 』に描かれたこいぬ座。
古代ギリシア には、こいぬ座に神話・伝承は存在しなかった。こいぬ座はおおいぬ座とともにオリオンの犬と見做されたが、オリオンと犬にまつわる伝承は存在しない。
こいぬ座に関連する伝承が生まれたのは、時を下った古代ローマ 時代になってからである。1世紀頃の著作家ヒュギーヌスは著書『天文詩 (Poeticon astronomicon)』の中で、アッティカ地方 を舞台とする伝承として、豊穣神リーベル からブドウとワインの製法を教わったイーカリオス の飼い犬マイラに関する話を伝えている[ 2] 。この伝承では、非業の死を遂げたイーカリオスと娘のエーリゴネー、飼い犬のマイラを悼んだユピテル が、イーカリオスをうしかい座 、エーリゴネーをおとめ座 、マイラをプロキオンとして天に上げた、としている。
日本では「狩人アクタイオーン の猟犬メランポスがこいぬ座となった」とする話が紹介されることがある[ 34] [ 35] [ 36] [ 37] が、この説の出典となる星座にまつわる神話・伝承を伝える古代ギリシア・ローマの文献は全く示されておらず [ 34] [ 35] [ 36] [ 37] 、出所不明の伝承である 。たとえば、アラートス の『パイノメナ』[ 38] 、エラトステネース の『カタステリスモイ』、ヒュギーヌスの『天文詩 (Poeticon astronomicon)』、伝アポロドーロス の『ビブリオテーケー 』[ 39] 、オウィディウス の『変身物語 (Metamorphoses)』[ 40] などの星座と関連したギリシア・ローマ神話の出典とされる文献には、「メランポスがこいぬ座のモデルとなった」と伝える文言は一切見られない。オウィディウスの『変身物語』にはアクタイオーンの飼い犬としてメランプスが登場するが、それは名前の挙げられた36匹の飼い犬の1匹としてであり、こいぬ座との関連は一切語られていない[ 40] 。辛うじて、19世紀末のアメリカ のアマチュア博物学者リチャード・ヒンクリー・アレン の著書『Star-Names and Their Meanings』 (1899) でアクタイオーンの飼い犬とこいぬ座に関係がある可能性が示されているが、それも「神話学者はアクタイオンの犬、ディアナ[ 注 2] の犬、エジプトのアヌビスなどとしているが」とわずかに触れられたのみである[ 30] 。
呼称と方言
世界で共通して使用されるラテン語の学名は Canis Minor 、日本語の学術用語としては「こいぬ 」とそれぞれ正式に定められている。現代の中国でも、小犬座 [ 43] という名称が使われている。
日本では、明治初期の1874年 (明治7年)に文部省 より出版された関藤成緒 の天文書『星学捷径』や1879年 (明治12年)にノーマン・ロッキャー の著書『Elements of Astronomy』を訳して刊行された『洛氏天文学』で「小犬 」と紹介された[ 44] [ 45] 。その後も和名が変わることはなく[ 46] [ 47] 、1944年 (昭和19年)に天文学用語が見直しされた際も「小犬(こいぬ) 」とされた[ 48] 。戦後の1952年(昭和27年)7月に日本天文学会が「星座名はひらがなまたはカタカナで表記する」[ 49] とした際に「こいぬ 」が日本語の学名として定まり[ 50] 、以降この呼び名が継続して用いられている。
方言
αとβの2つの星のペアを「フタツボシ」と呼んでいたことが神奈川県 横須賀市 長井で記録されている[ 51] 。漁師は、11月の夜明け頃にフタツボシが南中するのに合わせてキス 釣りの底延縄漁 に出掛けたという[ 51] 。また、宮城県 本吉郡 唐桑町 (現・気仙沼市 )には、この2つの星のペアを門松の柱に見立てて「ミナミマツグイ(南松杭)」と呼んでいた[ 51] 。これはカストル とポルックス のペアを「キタノマツグイ(北松杭)」と呼んだのと対を成す呼び名であった[ 51] 。
脚注
注釈
^ 南河に対して、ふたご座 のρ・α ・β の3星が、黄河本流の北側を流れる分流の烏加河を示す星官「北河」とされていた[ 32] 。
^ ギリシア神話のアルテミスに当たる。
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参考文献
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