かみのけ座 (かみのけざ、ラテン語 : Coma Berenices )は、現代の88星座 の1つで、髪の毛 をモチーフとしている[ 6] [ 7] 。ラテン語 の学名 Coma Berenices は「ベレニケの髪の毛」という意味で、プトレマイオス朝 第3代の王プトレマイオス3世 の妃で共同統治者であったベレニケ2世 の髪の毛に由来する名称である[ 7] 。このようにヘレニズム期 から知られた星群であったが、主にしし座 の一部として扱われており、16世紀 半ばになってから星座として独立した扱いを受けるようになった。
髪の毛に喩えられた星の多くは、かみのけ座の領域の南西部に見える「メロッテ111 」と呼ばれる散開星団 に属しており、肉眼や双眼鏡で観望することができる[ 9] 。かみのけ座は銀河面 から離れた位置にあるため明るく見える星も少ないが、その分星間物質も少ないため天の川銀河 外の遠方銀河の観測には適した領域である。かみのけ座の北東部に見えるかみのけ座銀河団 は、銀河団の中でも最大級の規模を持つことで知られる。おとめ座 との境界に近い南西部にはおとめ座銀河団 に属する銀河が多数見られる。
特徴
「春のダイヤモンド (英 : Great Diamond )」とかみのけ座。
東をうしかい座 、西をしし座 、南をおとめ座 、北をりょうけん座 に囲まれており[ 6] 、アルクトゥールス ・スピカ ・デネボラ ・コルカロリ の4星を繋いだ四辺形のアステリズム 「春のダイヤモンド 」に囲まれるように位置している。20時正中 は5月下旬頃[ 2] と、北半球 では晩春から初夏にかけて見頃を迎える。領域の北端でも赤緯33.3°と赤道に近い位置にあるため、人類が居住しているほぼ全ての地域 から星座の全域を観望することができる[ 10] 。
由来と歴史
古代ギリシア 時代から、しし座 とうしかい座 の間にぼんやりとした星の集まりがあることは知られていた[ 7] 。たとえば紀元前3世紀 前半のマケドニア の詩人アラートス の詩篇『パイノメナ (古希 : Φαινόμενα )』のおとめ座 を詠んだ節の後には、現在のかみのけ座の星々のことを詠んだと思われる彼女(おとめ座[ 注 1] )の両肩の上方(北の方)に循環する星は、大きさと輝きとにおいて、大熊の尾の下に見られる星と類似する。 [ 11] という節がある[ 9] [ 12] [ 13] 。
紀元前3世紀後半の天文学者エラトステネース は、天文書『カタステリスモイ (古希 : Καταστερισμοί )』の中でこの星々の由来について2つの異なる説を紹介している。1つはベレニケ2世の髪束であるとする説で、Λέων(しし座)の節の中で「ライオンの上方(北)に見える7つの暗い星は、ベレニケの髪束である」とした。もう1つの説はクレーテー の王女アリアドネー の髪束であるとする説で、こちらは Στέφανος(かんむり座 )の節の中で「ライオンの尾の下にある髪の束もまたアリアドネーのものである」とした。このことから、ベレニケ2世の髪の毛にまつわる話が広まる以前はアリアドネーの髪の毛とする伝承が一般的であった可能性が示唆されている。また1世紀 初頭の古代ローマ の著作家ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌス は、著書『天文詩 (羅 : De Astronomica )』のしし座の節の中で、しし座そのものについてよりも多くの紙幅を割いてこの星々がサモスのコノン とカリマコス が伝えるベレニケの髪束であることを説明している。
帝政ローマ 期2世紀 頃のクラウディオス・プトレマイオス の天文書『ヘー・メガレー・スュンタクスィス・テース・アストロノミアース (古希 : ἡ Μεγάλη Σύνταξις τῆς Ἀστρονομίας )』、いわゆる『アルマゲスト 』でもこれらの星々は独立した星座として扱われなかった[ 7] 。プトレマイオスはこれらの星を髪の房や三つ編みを意味する Πλόκαμος と呼び、「星座を構成しない星」としてしし座の節の中で取り扱った[ 7] 。またプトレマイオスはこの星々の成す形を「ツタの葉のような形」と表現した[ 7] 。これより9世紀ほど時代を下った11世紀 のペルシア人天文学者のビールーニー もこれらの星を「ツタの葉のような形をした集まり」を意味する Kitāb al-Tafhīm と表現しており、プトレマイオスからの影響が見られる[ 7] 。
ネーデルラントの地理学者ゲラルドゥス・メルカトル が1551年 に製作した天球儀 に描かれた Cincinnus 。(画像左上)
この星群を「ベレニケの髪の毛」という1つの星座として独立させたのは、16世紀ドイツの地図製作者カスパル・フォペル であった[ 7] [ 18] 。フォペルは、1536年 に木版画で製作した天球儀 で Berenices Crinis という名称で3つの星の並びと豊かな髪の毛を持つ女性の星座絵を描いた[ 7] 。奇しくも同年にライスニヒ生まれの人文主義者 ペトルス・アピアヌス が製作した星図 にも Crines Berenices Triche (ベレニケの髪束)という名前が記されていたが、こちらは星の並びや星座絵も書かれていなかった[ 19] 。フォペルの描いたかみのけ座の原型は、16世紀の多くの天球儀や地図の製作者たちに引き継がれた。ネーデルラント の地理学者 ゲラルドゥス・メルカトル は、1551年 に製作した天球儀 で星座絵のデザインを髪束に変更し、ラテン語で「髪束」を意味する Cincinnus という星座名を付けた[ 7] [ 18] 。このメルカトルによる髪束の意匠は、メルカトル自身の地図製作者としての名声も手伝って、のちのちまで引き継がれることとなった[ 18] 。デンマーク の天文学者ティコ・ブラーエ は、1598年 1月に製作した手書きの星表『Stellarum octavi orbis inerrantium accurata restitutio』の中で COMÆ BERENICES の名称で独立した星座として扱い[ 20] 、彼の死後の1602年 に刊行された天文書『Astronomiae Instauratae Progymnasmata』に収められた星表でも COMA BERENICES の名称で1つの星座として独立させた[ 21] 。ティコ・ブラーエの星表の影響は大きく、これ以降星座として認知されるようになった[ 7] [ 22] 。
ヨハン・バイエル 『ウラノメトリア 』(1603年)に描かれたうしかい座 。現在のかみのけ座の星は、画像右下に麦わらの束として描かれている。
このような経緯で成立した星座であるため、ドイツ の法律家ヨハン・バイエル が1603年 に刊行した全天星図『ウラノメトリア (Uranometria)』ではまだ独立した星座として扱われておらず、うしかい座 の星図と星表の中で「アラートスがおとめ座で加えた名前のない星」として紹介され、ベレニケや Cincinnus(髪束)、Rosa[ 注 2] (バラ )などの呼び名があることが示されたに留まった[ 23] [ 12] 。そのため、現在かみのけ座の3つの星に付されている α から γ までのギリシャ文字 の符号はバイエルによるものではない[ 7] 。これらの符号は、19世紀 イギリス の天文学者フランシス・ベイリー が編纂し、彼の死後1845年 に刊行された星表『The Catalogue of stars of the British Association for the Advancement of Science』、いわゆる『BAC星表 』で付されたものである[ 7] 。
1922年 5月にローマ で開催された国際天文学連合 (IAU) の設立総会で現行の88星座が定められた際にそのうちの1つとして選定され、星座名は Coma Berenices 、略称は Com と正式に定められ[ 24] [ 25] 、以降この名称が世界で共通して使われている[ 6] 。このIAU第1回総会の議事録では、かみのけ座の学名が Coma としか書かれていない[ 24] [ 26] が、学名と略号の提案者の1人[ 注 3] であるアメリカ の天文学者ヘンリー・ノリス・ラッセル が『ポピュラー・アストロノミー 』1922年10月号に寄稿した記事では、学名は Coma Berenices で、略号を作る際に Berenices の部分が考慮されなかったことが示されている[ 25] 。
日本では長くティコ・ブラーエが設定者とされてきたが、2010年代以降はフォペルが設定者とされるようになった[ 2] [ 9] 。
中国
ドイツ人宣教師イグナーツ・ケーグラー (英語版 ) (戴進賢)らが編纂し、清朝 乾隆帝 治世の1752年 に完成・奏進された星表『欽定儀象考成』では、かみのけ座の星は、三垣 の1つ「太微垣 」と二十八宿 の1つ「角宿 」に配されていたとされる[ 29] 。太微垣では、GK が天子の寵臣を表す星官「幸臣」に、39・36・27・6 と不明の1星の計5星が5人の諸侯を表す星官 「五諸侯」に、31 が天子直近の武官の長を表す星官「郎将」に、γ・14・16・17・13・12・21・18・7・23・26・20・5・2 と不明の1星の計15星が天子側近の護衛官を表す星官「郎位」に、α が太微垣の左の城壁を表す星官「太微左垣」の東上将に、それぞれ配された[ 29] 。角宿では、β・37・41 の3星が周の王室に伝えられた鼎を表す星官「周鼎」に配された[ 29] 。
神話
古代エジプト プトレマイオス朝 の王プトレマイオス3世 とその妻で王妃のベレニケ2世 にまつわる話が知られている[ 7] 。プトレマイオス3世は自分の姉妹を殺したセレウコス朝 シリアを紀元前243年ごろ攻めた。ベレニケは、夫が無事に戻ったならば、美しく、かつ美しいゆえに有名であった自分の髪を女神アプロディーテー に捧げると誓った。夫が無事に帰還すると、王妃は誓い通りに髪を切って女神の神殿に捧げた。すると、翌朝には髪の毛は消えていた。王と王妃は大変に怒り、神官たちは死刑を覚悟した。このとき天文学者コノン は「神は王妃の行いが大変に気に入り、かつ髪が美しいので大変に喜び、空に上げて星座にした」と王と王妃に告げて、しし座の尾の部分を指し示した。コノンのこのとっさの機転によって神官たちの命は救われた[ 7] 。
この話は、プトレマイオス3世に仕えたヘレニズム期 の宮廷詩人 カリマコス の詩 Lock of Berenice で神話化され[ 7] 、のちにガイウス・ウァレリウス・カトゥルス によってラテン語 に翻訳紹介された[ 30] 。
呼称と方言
ラテン語の学名 Coma Berenices に対応する日本語の学術用語としての星座名は「かみのけ 」と定められている。現代の中国では、后发座 (后髪座[ 33] )と呼ばれている。
明治初期の1874年 (明治7年)に文部省 より出版された関藤成緒 の天文書『星学捷径』で「コムベルニセス 」という読みと「「ベレニス」ノ毛髪 」という解説が紹介された[ 34] 。また、1879年 (明治12年)にノーマン・ロッキャー の著書『Elements of Astronomy』を訳して刊行された『洛氏天文学』上巻では「コマベレニセス 」と紹介され[ 35] 、下巻では「比列毛宿 」として解説された[ 36] 。これらからそれから30年ほど時代を下った明治後期には「後髪 」という呼称が使われていたが、1910年 (明治43年)に「髪 」と改められたことが日本天文学会 の会報『天文月報』の第2巻11号掲載の「星座名」と題した記事で報告されている[ 37] 。
1922年5月にIAU総会で可決された88星座の学名と略号は日本でも受け入れられたが、かみのけ座の学名は誤った形で伝わった。IAUの決議を紹介する1922年9月刊行の『天文月報』第15巻9号の「星座名の省記法」と題する記事では、かみのけ座の学名はIAU総会の議事録に記述された表記のまま Coma として伝えられた[ 38] 。この学名に関する誤解はこののち長く改められなかった。1925年 (大正14年)に東京天文台 の編集により初版が刊行された『理科年表 』では、学名は Coma 、日本語名は「髪(かみのけ) 」とされた[ 39] 。戦中の1944年 (昭和19年)に天文学用語が見直しされた際もかみのけ座の学名と日本語名はそのまま据え置かれた[ 40] 。
戦後の1952年 (昭和27年)7月に日本天文学会が「星座名はひらがなまたはカタカナで表記する」とした際、日本語名は「かみのけ 」と表記が定められ[ 42] 、以降この呼称が継続して使われている。しかしこのときも学名は Coma のままとされ[ 42] 、1974年 (昭和49年)刊行の『文部省学術用語集 天文学編』でも学名は Coma のまま据え置かれた[ 43] 。この半世紀以上にわたる学名に関する誤解が解かれたのは1977年 (昭和52年)のことで、この年11月刊行の理科年表 第51冊でようやく Coma Berenices と正しい学名が表記された[ 44] 。そして、1994年 (平成6年)刊行の『文部省 学術用語集・天文学編』増訂版で正式に Come Berenices がかみのけ座の学名とされた。
これに対して、天文同好会 [ 注 4] の山本一清 らは異なる訳語を充てていた。天文同好会の編集により1928年 (昭和3年)4月に刊行された『天文年鑑 』第1号では、Coma に対して「かみのけ(髪) 」としていた[ 47] が、1931年(昭和6年)刊行の第4号からは学名を Coma Berenices 、訳語を「ベレニスの髪 」と変更し[ 48] 、以降の号でもこの表記が継続して用いられた[ 49] 。
主な天体
恒星
2024年 2月現在、国際天文学連合 (IAU) によって1個の恒星に固有名が認証されている[ 50] 。
このほか、以下の恒星が知られている。
β星 :太陽系から約30.0 光年の距離にある、見かけの明るさ4.25 等、スペクトル型 F9.5V のF型主系列星で、4等星[ 57] 。かみのけ座で最も明るく見える恒星。太陽 とよく似た恒星だが、太陽と比べて有効温度 で約200ケルビン (K)、金属量 で約30%それぞれ高い[ 57] 。
γ星 :太陽系から約164 光年の距離にある、見かけの明るさ4.34 等、スペクトル型 K1IIIFe0.5 の赤色巨星で、4等星[ 58] 。かみのけ座で2番目に明るく見える恒星。散開星団 メロッテ111 の中にあるように見えるが、メロッテ111より100 光年以上太陽系に近い位置にあり、星団に属した恒星ではないと見られる。
FK星:太陽系から約732 光年の距離にある、見かけの明るさ 8.245 等、スペクトル型 G4III の巨星で、8等星[ 59] 。変光星としては回転変光星 の分類の1つ「かみのけ座FK型変光星 」のプロトタイプとされており[ 60] 、約2.4 日の周期で8.03-8.43 等の範囲で明るさを変える[ 61] 。この型の変光星は、Ca II [ 注 5] のK線とH線の幅の広い輝線 を伴うGまたはK型の分光スペクトル を持っており、明るさが不均一な光球面が高速自転することによって変光すると考えられている[ 60] 。G型やK型のスペクトルの星にしては不自然な速さで自転をしていることから、おおぐま座W型星のような接触連星 が進化して1つの星となった姿である可能性も否定できないとされる[ 60] 。
星団・星雲・銀河
かみのけ座は、その領域内に銀河北極 (銀緯 +90°の点)があるなど銀河面から最も離れた位置にあり、天の川銀河内の星間物質 の影響を受けにくいため、遠方にある銀河 を数多く見ることができる領域である。特に、おとめ座 西部の「星雲の原[ 62] 」や「銀河の原[ 9] 」と呼ばれる領域に連なるかみのけ座の南西部では、おとめ座銀河団 (英 : Virgo Cluster, Coma-Virgo Cluster ) に属する銀河を多数観測することができる。また、かみのけ座の北東部に広がるかみのけ座銀河団 (英 : Coma Cluster, Coma Berenices Cluster ) は、数ある銀河団の中でも最大級のものとして知られている[ 63] 。一方で、銀河面から最も離れた位置にあるため、散開星団メロッテ111 を除けば、散開星団や散光星雲 、惑星状星雲 などの銀河系内天体はほとんど見られない。
18世紀 フランス の天文学者シャルル・メシエ が編纂した『メシエカタログ 』には、1つの球状星団 と7つの銀河の計8つの天体が挙げられている[ 4] 。また、パトリック・ムーア (英語版 ) がアマチュア天文家の観測対象に相応しい星団・星雲・銀河を選んだ「コールドウェルカタログ 」に選ばれた銀河が3つ位置している[ 64] 。
ギャラリー
流星群
かみのけ座の名前を冠した流星群 で、IAUの流星データセンター (IAU Meteor Data Center) で確定された流星群 (Established meteor showers) とされているものは、かみのけ座流星群 (Comae Berenicids, COM) のみである[ 5] 。かみのけ座流星群は、12月16日 頃に極大日を迎える流星群で[ 5] 、1950年代から活動の記録はあるが母天体 は特定されていない[ 107] 。
脚注
注釈
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参考文献
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