波岡一喜 |
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2013年 - |
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1100人 |
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137,469回 |
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チャンネル登録者数・総再生回数は 000000002022-05-07-00002022年5月7日時点。 |
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波岡 一喜(なみおか かずき、本名同じ、1978年8月2日[3] - )は、日本の俳優。大阪府[3]大阪市出身。えりオフィス所属。
来歴
大阪府立高津高等学校[4]、早稲田大学政治経済学部卒業[1]。大学時代は早稲田大学演劇研究会に所属、大学2年のときに文学座附属演劇研究所夜間部39期生になる[5]。
2004年に『プライド』(フジテレビ系列)でドラマデビュー[6]
。同年、映画『パッチギ!』(2004年製作、2005年公開)の準主演モトキ・バンホー役、『幻星神ジャスティライザー』で神野司郎/デモンナイト役を演じた[3]。2006年にテレビドラマ初主演作となる『ライオン丸G』が放送された[3]。2014年の『ベイブルース 25歳と364日』で映画初主演。
2019年、41歳で自身初となるデジタル限定写真集『FOURTY』が発売[注釈 1]。また、同年のフィギュアスケーターの高橋大輔主演のアイススケートショー『氷艶hyoen2019-月光かりの如く-』に出演し、スケートの腕前を披露して話題になった[7]。
エピソード
子供時代
子供のころは気の弱い性格で保育園ではいじめられて登園拒否、その後は小学校まで幼稚園などには行かなかったことを2010年7月のブログで明かしている。幼児期に引っ越し、親の知人の2人の子供と親しくなると、その子たちは性格もケンカも強い子だった[6]。2人からケンカのコツを教わったことで小学1年生から急激にケンカに強くなり、性格も強く活発になった[6]。小学校と中学校でバスケットボールをやっていた[6]。
小学校5年生の時にドラマ『東京ラブストーリー』を見たことがきっかけで、漠然と俳優になりたいと思い始めた[6]。その後高校1年生から、学校に行く傍ら大阪の俳優養成所に入所。当初「高校卒業したら上京して俳優になろう」と考えていたが、母親から上京の条件に大学進学するよう告げられた[6]。高校時代は勉強を疎かにしていたため現役では大学進学できず、母親に土下座して1年間浪人する費用を出してもらった後、横浜の学習塾の寮で暮らした[6]。寮は門限などがある厳しい生活だったが、塾の授業に加えて毎日約10時間必死に勉強し、翌年早稲田大学に合格した[6]。
大学時代の演技の勉強
大学2年の頃、文学座研究生上がりの俳優・松田優作が好きだったことから文学座養成所夜間部を受けて合格。以後昼間に様々なバイト[注釈 2]をして夜に芝居の稽古という日々を送った。研究所に1年間通ったが上に上がれずに退所となった[注釈 3]が、ここで教わった芝居の基礎や新劇の勉強などはその後の俳優人生の糧となった[6]。
後日芸能事務所に所属して年に3、4本舞台に出演しながら、自主制作映画にも出演[注釈 4]。上記のように芝居とバイトに明け暮れて大学にはあまり行かなかったが、ゼミの教授やゼミ仲間の手助けにより何とか4年で卒業できた。
本格的に俳優の道へ
25歳の時、ドラマ『プライド』のアイスホッケーチーム「ブルースコーピオンズ」のメンバーとしてレギュラー出演したことが、役者人生の転機となった。オーディションでは数回に渡りスケート技術の審査が行われ、当時本人はちょっと滑れるレベルだったが1か月間練習し、オーディションの期間中に上達して役を勝ち取った[6]。翌年公開の『パッチギ!』のオーディションでは、三次審査で「学生時代はやんちゃで悪いことやケンカもいっぱいしたけど、母親は大事に思っている」という生い立ちを話した。すると井筒が「ほー、そうか。こいつはモトキ・バンホーがええんちゃうか?」とスタッフに感想を述べた後、同役に抜擢された[6]。
19歳頃から何度か舞台に出演していたため、演技に少なからず自信があった[8]。しかし、撮影期間中は監督の井筒和幸から「学芸会みたいな芝居はやめろ!」「何となく台本を読んで現場に来るな!」など散々しごかれた[注釈 5]。笑うシーンでは、200回以上笑うも「フィルムの無駄」と言われ、カメラを回さずに助監督と2人でずっと笑うが本番で使われたのは5秒程度だった。
このため京都での撮影の2か月間で7kg痩せるほど演じ方に悩み[注釈 6]、撮影中毎晩同室の小出恵介と「明日撮影が休みになれば良い」と話した。しかし撮影後に事務所へ井筒から電話があり、「どこに出しても辛くないようにしてやった」と言われ、実際それ以上に辛いと感じた仕事はないと語る。同作の演技が周りから認められたことで、公開後から仕事のオファーが一気に増えた[8]。その後、27歳でバイトを辞めて俳優業だけで何とか食べていけるようになった[8]。
特撮作品
長男が幼い頃に特撮ヒーロードラマ[注釈 7]を観るようになり、「自身の活躍する姿を子供にも見せたい」という想いが芽生えたことから、マネージャーに打診して『仮面ライダー鎧武/ガイム』への出演が実現した[9][10][3]。
2010年7月のブログでデモンナイトについて「他のラストもあったがあれで良かったと思う」「DVDは貰っていない」と答えている。また、同作ではデモンナイトのスーツアクターを務めた白濱孝次へ演技の要望を逐一伝えていたが、『仮面ライダー鎧武/ガイム』では仮面ライダーシグルドのスーツアクターを務めた金子起也に演技を任せている[9][3]。
2010年7月のブログで「一番印象的で難しかった役柄」と「もう一回やってみたいと思う役柄」として、『ライオン丸G』を挙げている。
人物
自身のブログで、2006年11月11日に一般人の女性と婚姻して2007年9月24日に女児を授かったことを報告し、2010年6月23日に第2子男児、2016年6月7日に第3子女児[11]それぞれを授かった。
育児には積極的で、ママチャリで幼稚園へ送迎したり遠足にも随伴している。ただし家事は不得手で、妻が実家へ行くと麦茶の淹れ方が分からず、洗濯機の使い方を妻に電話で尋ねたことがある。掃除も苦手で、部屋を汚したくないために菓子やパンなどを食す際はゴミ箱を抱えるという。
基本的にインドア派で、外に飲みに行ったり遊びに行くことはあまりしないとのこと[7]。
フリーアナウンサーの八木早希は中学の同級生で、元東京都議会議員でレゲエ歌手のleccaは大学の同級生である[12]。
上地雄輔とは親友で何でも話せる仲である。
『パッチギ!』で芝居作りや役者としての心構えなどを厳しく指導してくれた井筒和幸について「僕を役者にしてくれた恩人」と評している[注釈 8]。
大学受験では早稲田大学に加え、慶應義塾大学、上智大学、一橋大学、立教大学にも合格していた[6]。その中から早稲田大学に選んだ理由は、演劇に打ち込みやすい環境に加え、吉永小百合やタモリなどの有名人の出身大学で「早稲田に行けば芸能人として売れる」というイメージを持っていたことから[6]。
以前は「芝居の現場は戦争」と考えており、オーディションでメンチを切るなど他の俳優に対して対抗心を抱いていたが、子供が出来てからは考えを改め若手を見守る立場をとっている[9][3]。
2021年のチャレンジは「ピアノで『戦場のメリークリスマス』を弾く」。年末にストリートピアノでその成果を披露した[14]。
2022年のチャレンジは「ブログを毎日更新する」とし、そのとおり実行した[15]。
出演
映画
テレビドラマ
Web配信ドラマ
Web配信映画
ポッドキャスト
ラジオドラマ
テレビアニメ
- テニスの王子様 第129話(2004年4月14日、テレビ東京) - ギャラリー
舞台
Vシネマ
- 恐喝一代記(2008年11月15日、コンセプトフィルム) - 笠原ツヨシ
- 東京NEO魔悲夜1(2008年11月25日、オールインエンタテインメント) - 神山涼
- ガチバンⅣ 最狂戦争(2009年7月17日、AMGエンタテインメント / ハピネット) - 竜哉
- 実録・悪漢(2009年10月25日、オールインエンタテインメント) - 主演・中村篤志
- 実録・悪漢完結編(2009年11月25日) - 主演・侠仁会若頭 中村篤志
- 兄弟の墓場(2010年1月25日、オールインエンタテインメント) - 天吉組若頭補佐 森巣美佐男
- 兄弟の墓場 完結編(2010年3月5日) - 主演・天吉組若頭 森巣美佐男
- 麻雀飛龍伝説 天牌 -TENPAI- シリーズ(クロックワークス) - 主演・沖本瞬
- 麻雀飛龍伝説 天牌 -TENPAI- 四川弔激闘史(2010年5月)
- 麻雀飛龍伝説 天牌 -TENPAI- 黒沢最終決戦史(2010年7月)
- 麻雀飛龍伝説 天牌 -TENPAI- 元禄闘牌決戦史(2011年12月23日)
- 麻雀飛龍伝説 天牌 -TENPAI- 無間地獄脱出史(2012年1月27日)
- ドブネズミのバラード(2010年11月19日、GPミュージアム) - ディウン
- ヒロミくん!全国総番長への道(2011年4月15日、松竹) - 片桐恭介
- 新・野望の軍団(2011年5月20日、オールインエンタテインメント) - 主演・浦上龍二
- 新・野望の軍団 第二部(2011年6月17日)
- 新・野望の軍団 第三部(2011年7月22日)
- 狼たちの掟(2011年10月21日、GPミュージアム) - 主演・皆川弘
- アウトローズ(2011年10月21日、オールインエンタテインメント) - ツトム
- 首領の道 3 - 5(オールインエンタテインメント) -狩野組 狩野勝利(初代狩野組総長狩野誠蔵の実子)
- 首領の道3(2012年5月18日)
- 首領の道4(2012年8月17日)
- 首領の道5(2012年11月16日)
- 仁義の戦い(2012年7月20日、オールインエンタテインメント) - 主演・板倉組若頭 早坂
- 激動の疵(2012年8月17日、オールインエンタテインメント)
- 新・年少バトルロワイヤル(2013年6月21日、オールインエンタテインメント) - スズキ
- 新・喧嘩高校軍団 義士高vs.民族高(2013年7月19日、オールインエンタテインメント) - 右翼青年
- 修羅の伝承 荒ぶる狂犬(2014年5月2日、オールインエンタテインメント) - 秋山秀一
- むこうぶち11 高レート裏麻雀列伝 鉄砲玉(2014年10月3日、オールインエンタテインメント) - 岡(極道)
- 日本やくざ抗争史 巨大組織分裂(2015年1月2日、オールインエンタテインメント) - 台道
- 鎧武/ガイム外伝 仮面ライダー斬月/仮面ライダーバロン(2015年4月22日、東映ビデオ) - シド
- 鎧武/ガイム外伝 仮面ライダーデューク/仮面ライダーナックル(2015年11月11日、東映ビデオ)
- 仁義なきやくざ(2015年7月3日、オールインエンタテインメント) - 主演・辰巳会若頭 台東剛志
- 裏社会の男たち シリーズ(オールインエンタテインメント) - 総合商社W・R・C会長秘書 多田野真実
- 裏社会の男たち(2015年11月6日)
- 裏社会の男たち 第二章(2016年1月1日)
- 裏社会の男たち 第三章(2016年3月4日)
- 裏社会の男たち 第四章(2016年5月6日)
- 裏社会の男たち 第五章(2016年7月1日)
- 裏社会の男たち 最終章(2016年10月7日)
- 極道天下布武(2017年6月2日、オールインエンタテインメント) - 織木会豊海組若衆 石倉三成
- 頂点(てっぺん) シリーズ(2017年、オールインエンタテインメント)全3作 - 主演・神田竜一(剛造の実子)
- 頂点(てっぺん)(2017年7月7日) - 神田組若頭補佐
- 頂点(てっぺん)2(2017年8月4日) - 神田組若頭
- 頂点(てっぺん)3(2017年9月1日) - 神田組二代目組長
- 我王伝 シリーズ(2018年、オールインエンタテインメント)全3作 - 二代目神代組組員 大村卓也
- 我王伝 第一章(2018年2月25日)
- 我王伝 第二章(2018年4月25日)
- 我王伝 最終章(2018年6月25日)
- 任侠哀歌(エレジー) シリーズ(2018年、オールインエンタテインメント)全3作 - 主演・黒崎剣
- 任侠哀歌(エレジー)(2018年3月25日)
- 任俠哀歌(エレジー)2(2018年5月25日)
- 任俠哀歌(エレジー)3(2018年7月25日)
- 疵と掟1・2(2018年4月25日・5月25日、オールインエンタテインメント) - 主演・安斉組立花組組長 立花修治
- 極道の門 第四部(2018年7月25日、オールインエンタテインメント)- 二代目大政組二代目尾形組倉嶋組幹部 梶谷信三
- CONFLICT 〜最大の抗争〜 第三章 第四章(2018年10月25日・11月25日、オールインエンタテインメント) - 岡崎信二
- 日本統一外伝 田村悠人(2021年) - 丸神会迫田組若頭補佐 林龍馬
- CONNECT 覇者への道(2024年) - IT企業社長 向井直政
テレビ番組
ウェブテレビ
- 新春オールスター麻雀大会2019(2019年1月2日 - 3日、AbemaTV)[86]
- 新春オールスター麻雀大会2020(2020年1月2日 - 3日、AbemaTV)[87]※テレビ朝日でも一部放送
PV・MV
CM
ゲーム
玩具
- プレミアムバンダイ限定 DXシドロックシード(2014年、バンダイ) - シド
- COMPLETE SELECTION MODIFICATION ゲネシスドライバー(2024年3月、バンダイ) - シド / 仮面ライダーシグルド
その他
- 『ママ⭐︎深夜便』「真夜中の絵本」(2022年2月24日、NHKラジオ第一)[89] - (絵本朗読「たこやきのたこさぶろう」「ちょっとだけ」「おおきなかぶ」)
作品
写真集
脚注
注釈
- ^ 当初ドッキリかと思い、集英社側からの正式なオファーと聞いても「本当に僕でいいんですか?」と何度も確認し、「僕の写真集なんて誰も欲しがらないですよ」とまで言ったという[7]。
- ^ イタリアンレストラン、パチンコ屋、出版社など。
- ^ 本人によると、「反骨心、反発心が強かったので、ある座員から『お前みたいな“不良”はうちには合わない』と言われた。「上に上がれないと分かった時は、『仮に今後文学座で上がっていって準座員、座員になれたとしても、俺は松田優作さんみたいにはなれないな』って思いました」と述懐している。
- ^ 予備校の寮で一緒に過ごした友達が一年遅れで早稲田大学に入学し、監督志望の彼と俳優志望の波岡でコンビを組んで自主制作映画を撮ることになった[6]。
- ^ 他にも井筒から、「リアルなお芝居をしろ!でもこの映画は、普通の日常のことをやっているわけじゃない」、「自分で“こういうことをやろう”と決めて現場に来い!」、「ト書きに書いてあることも、書いてないこともやる。お芝居にはそれが大事や!」などと注意された」と回想している[8]。
- ^ 本人はその後、「あの地獄の2ヶ月間がなかったら間違いなく俳優としての今はなかった」と語っている[8]。
- ^ 『仮面ライダーウィザード』や『獣電戦隊キョウリュウジャー』など。
- ^ 本人は、「撮影当時は井筒さんのことが怖かったですけど、あまりに怒られすぎて『このおっさん、いつシバいたろか(殴ってやろうか)』とも思っていました(笑)。(それまでに役者業は何度か経験していたが)『パッチギ!』に出たことで僕は(ちゃんとした)俳優になれたと思っているので、今はもう感謝しかないですね」と語っている。[8]。
出典
参考文献
外部リンク