石橋 凌(いしばし りょう、1956年7月20日 - )は、日本の音楽家、俳優。本名:石橋 秀樹(いしばし ひでき)。血液型はAB型。ENTER the DEE所属で、かつてはアパッチに所属していた。
アメリカの映画俳優組合(SAG)の会員で、アメリカではゴールデン・メディア・グループが代理人となっている。
福岡県久留米市出身。妻は女優の原田美枝子、長女は歌手の優河、次女は石橋静河[2]。娘2人の上に一般人の息子がいる。
略歴
本項は人物、俳優活動、ソロ活動のみ記す。
男だけの5人兄弟の五男で、兄に影響されて中学の頃からジョン・レノンやビートルズ、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディランを愛聴していた。中学1年生で父が肝臓癌で他界し、看護師であった母に女手一つで育てられた(母は102歳まで生きた)。高校2年生で音楽家志望を決意した。父の死について、ソロシングル「カクテル・トゥナイト」に収録された「12の頃」で歌われている。
福岡県立久留米高等学校を卒業後、地元のバンド、アップル・ツリーのボーカリストとしてセミプロ活動を行う。その折、KBCラジオ「歌え!若者」に出演した際に、ディレクターであった岸川均の目に留まり、彼の勧めで1977年、ボーカリストとしてARBのオーディションに参加、加入した。
デビュー時に所属したシンコーミュージックはアイドルグループとして売り出そうとし、ピンク・レディーの前座を務めたこともある。1978年10月にシングル「野良犬」でデビューするも、方向性の違いから1年足らずでシンコーミュージックから独立した。
独立したものの、レコードの売れ行きやコンサートの動員に悩んでいた20代半ばに、ドラマーの相原誠とともに赴いたスポーツクラブで、金子正次と松田優作に出会う。松田に自身の悩みを相談するなど交流したのち、松田が監督する映画『ア・ホーマンス』に誘われ出演する。それまで演劇経験がほとんどなかった石橋は、松田から厳しい指導を受け、キネマ旬報新人男優賞を受賞し、本格的に映画俳優を志す。大河ドラマ『武田信玄』、映画『ボクの女に手を出すな』『Aサインデイズ』などに出演した。
尊敬していた松田優作が病死したことを受け、1990年にARBを解散して音楽活動を封印、俳優業に専念した。
『クロッシング・ガード』(1995年)の演技がアメリカで認められた後、1997年にARBを再結成。第4期ARBとして1998年2月にシングル「TOKYO OUTSIDER」で復活。音楽活動と俳優業と両立していたが、2006年3月1日に石橋が脱退を表明。ARBは活動を再度休止した。
石橋自身「追う役より追われる役の方が多かった」と話すほど、かつてはヤクザ役が多かったが、現在は刑事や判事など多彩な役柄を演ずる俳優として知られる。1995年よりアメリカ映画俳優組合(SAG)の会員となる。
2006年6月1日に鈍牛倶楽部からスティングカンパニーへ移籍、2008年4月にエイベックスへ移籍。
エピソード
- 高校卒業後、セミプロとして活動中は様々なアルバイトを転々としていて、ARB加入前はイタリアンレストランで働いていた。その当時は、コックになることに気持ちが傾いていて、オーディションの話をもらうまではイタリアに留学し、料理修行をする予定であった。それゆえピザは生地から作れるほどの腕前である。
- 岸川均によると、石橋のボーカリストしての才能は傑出しており、「強靭なバック演奏でも負けない存在感のある声質」「切れ味のあるのびる高音、色気のある中音、響きのある低音をもった素晴らしい才能」であり「バンドやアーティストには干渉しない」自身の主義を曲げても、世に出したいと思い、ARBへのオーディション参加を強く勧めたと言う。後年、石橋は岸川に対して「当時の自分の気持ちは料理に向かっていたので、岸川さんの電話がなかったら、そのまま料理人になっていて、今の自分はない」と感謝の気持ちを伝えており、岸川を大切な恩人の一人を語っている。
- 餡と蛇が苦手である。
- 再結成後、石橋がミュージシャンであることを知らなかったスタッフには、ARBが俳優のバンド活動だと勘違いされたこともある。
- ARBのライブではスタンドに設置したシンバルを高々と蹴り上げる。
- 2002年、46歳でシングル「カクテル・トゥナイト」でソロデビューした。ARBとは違い、バラード中心の曲目である。
- 1987年に原田美枝子と結婚した際、当時流行っていた派手婚を好まず、小規模の個性的な式を計画した。鳥取砂丘にカーペットを敷いて挙式を執り行い、結婚指輪の交換ではなく一対のダイヤのピアスを分けてそれぞれの左耳に装着した。式には両家の親族と親交のあった松田優作・松田美由紀夫妻が列席、鳥取県を拠点に活動していた写真家の植田正治が砂丘で微笑む二人の結婚写真を撮影した。
- 1988年のNHK大河ドラマ『武田信玄』では、主人公の信玄(演 - 中井貴一)と対立する織田信長を演じたが、その32年後である2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』では、石橋が信玄を演じている。信玄役が決まった際、石橋は「なんの因果でしょうか!?」とコメントしている[3]。
出演
テレビドラマ
映画
オリジナルビデオ
- 死神の使者(1991年)
- ヤクザVSマフィア(1993年・日米合作) - 澤本修爾
- 刺青 IREZUMI(1994年・アメリカ) - 樋口元治
- LEVEL(1994年) - 堂本英世
- LAマフィア戦争 大殺戮(1996年・日米合作)
ウェブドラマ
ドキュメンタリー
- 世界初 タクラマカン砂漠 幻の大河漂流(2000年、テレビ東京)
- 日曜美術館「魂こがして 青木繁~海を越えた“海の幸”と石橋凌の対話~」(2017年7月23日、NHK Eテレ)
CM
ラジオ
音楽
シングル
- カクテル・トゥナイト
- 乾いた花(ARB/Self Cover)
- 12の頃
- 最後のことば
- HEY!WAR(ARB)
- ボート・ピープル(LIVE/ARB Self Cover)
- IMAGINE(ジョン・レノン/Cover)
ソロアルバム
- 喝!(ARB)
- 乾いた花(ARB)
- 我がプレッジ
- 最果て
- TOKYO SHUFFLE
- 待合室にて
- 淋しい街から (ARB)
- 形見のフォト
- Dear my soulmate
- 縁のブルース
- AFTER '45(ARB)
- 魂こがして(ARB)
- AFTER '45 (ARB)(with 福山雅治)*ボーナス・シングルに収録
- 最果て(Piano version)*自伝本に収録
- ヨロコビノウタを!
- Rock'n Rose
- 駄馬のいななき
- After '45(英語バージョン)
- Route 66
- God My Mojo Walking
- サヨナラ!バディ
- パライソ
- 抵抗の詩
- 天のエール
- エンドレス・ロード
- 神風ダイアリー
- Hey!Voter!
- SOUL DOCTOR
- ピカドンの詩
- SUNNY BRAIN
- 名も無きDJブルース
- 挽回ヴィクトリー
書籍
- 渾身/石橋凌(生江有二著・シンコーミュージック刊)(1989年)
- 表現者(山口猛・三嶽貴彦キネマ旬報社刊)(1999年)
- 自伝本 表現者〜我語る 魂こがして〜 カンゼン刊 (2011年)
脚注
参考文献
外部リンク
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※2017年度は授賞式中止
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