真田 広之 (さなだ ひろゆき、1960年 〈昭和 35年〉10月12日 - )は、日本 の俳優 ・歌手 ・武術家 。本名:下澤 廣之 (しもざわ ひろゆき[ 2] )。子役時代は本名を新字体で表記した下沢 広之 (読み同じ[ 注釈 1] )で活動し、再デビュー後は真田 宏之 名義の出演もある。
血液型 はA型[ 3] 。日本国内と日本国外の映画 ・テレビ映画 ・ドラマ ・演劇 ・CM と幅広く活躍している。MBE(大英帝国勲章第5位) 受章。ザ・リブラインターナショナル所属。海外では Axon Entertainment と業務提携している。
来歴
子役時代から再デビューまで
東京都 品川区 大井 出身。裕福な家庭に育ち、同じマンション に住んでいた高田浩吉 の息子と遊んでいた所を芸能関係者にスカウト され、幼児向け雑誌のモデル などを経て、1965年、5歳で劇団ひまわり に入団。
1966年 に真田の人生に大きな影響を与える千葉真一 と出会い、千葉の主演作『浪曲子守唄 』でデビュー。続けて千葉や高倉健 の主演作品に息子役で出演。その後、父を癌 で亡くす。
1973年4月、品川区立伊藤中学校 入学と同時に、幼少時に共演した千葉真一の主宰するジャパンアクションクラブ(JAC) に入団。時を同じくして母の勧めにより、日本舞踊 の玉川流に入門[ 4] 。
1974年 には『直撃! 地獄拳 』に出演した。
1976年4月、堀越高等学校 芸能活動コースに入学後、千葉真一のアドバイスで学業専念することになり、一旦芸能活動から身を引く。
アクションスター
1978年 、『柳生一族の陰謀 』のオーディション に合格したことで芸能活動を本格的に再開。千葉真一の命名で「真」と本名・前田禎穂の「田」を組み合わせ、真田 広之 と名乗り、芸能活動を再開する。同年、日本舞踊でも玉川流の名取となり、玉川 大輔 の名を受けた[ 4] 。同年、『宇宙からのメッセージ・銀河大戦 』で主演を務める。
1979年3月、堀越高等学校を卒業。4月、日本大学藝術学部 映画学科 に入学。同大学在学中も殺陣同志会に在籍して殺陣 の向上に努め、学業と演劇活動の両立に取り組む[ 5] 。
1980年 の『忍者武芸帖 百地三太夫 』で映画初主演を果たし、桃山城 天守 からの飛び降りシーンや、1981年 の『吼えろ鉄拳 』では福井県 東尋坊 の岩場やヘリコプター から海へ飛び降りるスタント を吹き替え なしで演じ、格闘シーンでも稽古してきた空手 を披露した。
1982年 、『龍の忍者 』の主演で海外に初進出。Sonny Chiba (サニー千葉 )に続く日本のアクションスター・デューク真田 として海外でも活躍するようになる[ 5] 。
1983年3月、日本大学卒業[ 6] 。学位 は芸術学士 。
幅広い活動
アイドルとしても売り出されていたため[ 7] 、歌手として歌番組にも出演していた。1981年の『魔界転生 』での沢田研二 とのキスシーン、1982年『道頓堀川 』で松坂慶子 とのベッドシーン、1983年『里見八犬伝 』での薬師丸ひろ子 とのラブシーンを演じた。同年、「ギザギザハートの子守唄 」を提供されたが、事務所の意向で歌わなかった[ 8] [ 9] 。
1984年 の『麻雀放浪記 』に主演。この頃、尊敬するアル・パチーノ が出演する舞台の「出待ち」のために海外まで足を運ぶ[ 10] 。同年、JACの後輩・矢島由紀 が『超電子バイオマン 』を突如降板したため、急遽スペシャルゲストとして第13話「ジュンよ」に出演した。
1987年 の『必殺4 恨みはらします 』では悪役に挑戦。1988年 に『快盗ルビイ 』でコメディ芝居にも挑戦し、キネマ旬報賞、報知映画賞などの主演男優賞を多数受賞する[ 11] 。
1989年、母が脳出血 で急死したことを機にJACから独立し、自らの星座でもあるてんびん座 の名を冠した「ザ・リブラインターナショナル」を設立。
1990年 にはJAC20周年作品である『リメインズ 美しき勇者たち 』に主演と音楽監督を兼務した。
1993年 、テレビドラマ『高校教師 』に主演した。同年に『僕らはみんな生きている 』、『眠らない街〜新宿鮫〜 』の2本で再びキネマ旬報賞の主演男優賞を獲得[ 11] 。
2001年 は『非婚家族 』に主演。2002年 には、主演した『たそがれ清兵衛 』は、アカデミー外国語映画賞 にもノミネートされた。2005年 に『亡国のイージス 』に主演。
世界進出
世界進出について千葉真一からアドバイスを受けており、「(師は)いつも世界市場の未来に目を向けていたので、その姿勢に大きな影響を受けました。おかげで将来、他の素晴らしい俳優や監督と一緒に仕事をするには、どうしたらいいかを考えるようになりました」と話している[ 12] 。後にハリウッド・リポーター で「演劇プロデューサーのセルマ・ホルトに『あなたは日本人である前に俳優です』と伝えられました。それで私はロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに入団することを決意し、その後国際的なプロジェクトを選ぶようになったのです」と明かしている[ 13] 。
2002年9月5日、東京都千代田区の英国大使館で行われた叙勲式で大英帝国勲章 名誉メンバー(Honorary Member of the Order of British Empire: MBE、同勲章第5位)を授与された。1999年 から2000年 にかけて、イギリス のロイヤル・シェイクスピア・カンパニー 公演『リア王 』に史上初にして唯一の日本人キャストとして出演。全編17世紀の英語の台詞でナイジェル・ホーソーン など英国演劇界の俳優達と共演し、日英両国の文化交流の架け橋としての功績を評価された[ 5] 。
2003年 の『ラスト サムライ 』に出演し、ロサンゼルス に拠点を移して米国映画に出演してきたが、ハリウッドでの出演作品では主に日系人や日本人役が多い。
2006年 の『PROMISE 』で全編に亘り、中国語 のセリフを喋った。
2007年 、『ラッシュアワー3 』でジャッキー・チェン と共演をした[ 14] 。
2008年 6月30日、『スピード・レーサー 』のジャパンプレミアが東京ドームで開催され、上映前の舞台挨拶には主演のエミール・ハーシュ と共に登壇、主人公・スピードの愛車“マッハ5”も展示された。
2010年 3月 、第1回グリーンプラネット・フィルム・アワードにおいて「ハリウッドで最も活躍しているアジア俳優」に選出された[ 15] 。
2013年 、『47RONIN 』では大石内蔵助 に配役され、キアヌ・リーブス と共演をした[ 16] 。
2015年 2月8日、第65回ベルリン国際映画祭に『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件 』の出演を受けて出席。同年3月18日に公開された。5月1日、『HELIX -黒い遺伝子- 』シーズン2にも出演。
2016年 6月19日、『ザ・ラストシップ 』シーズン3にメインゲストとして出演。
2017年 7月8日、『ライフ (2017年の映画) 』に星で発見された未知の生命体を調査する6人の宇宙飛行士を描いたSFホラーで、ショウ・ムラカミ役で出演。同年7月12日、都内で行われた『ライフ』(7月8日公開)のプレミア試写会に出席した。
2018年 5月24日、『ウエストワールド (テレビドラマ) 』シーズン2に出演。同年、ポーランド で行われた『バトル・オブ・ワルシャワ 名もなき英雄 』の撮影に小雪 と共に参加。10月2日、宮内庁 から褒章受章者に選出され、30日、ロサンゼルスで紫綬褒章 受章を発表。11月2日に会見し、13日に授賞式に参加するべく、帰国。14日、文化庁 に赴き、勲章を付けたタキシード姿で現れ、秋の紫綬褒章授賞式の伝達式と記念撮影に参加した。
2019年 1月、『MINAMATA-ミナマタ- 』の撮影で他の日本人キャストらと共に日本、セルビア のベオグラード 港の倉庫とモンテネグロ のティヴァト 、モンテネグロに行く。同年4月26日、『アベンジャーズ/エンドゲーム 』にスコーピオン/ハサシ・ハンゾウ役を演じる。8月13日、三菱UFJ信託銀行 のCMに出演。
2020年 11月16日、米国のロサンゼルスで新型コロナウイルスによる渡航制限などの影響もあり、日本国内でのロケーション撮影は行われず、アメリカ国内に特設スタジオを組んで撮影に参加。
2021年 9月22日 - 2022年 7月2日、カナダ・バンクーバーで行われた『SHOGUN 将軍 』の撮影に参加。
2024年 1月26日17時、ディズニープラス STARオリジナルシリーズで初めて主演とプロデューサーを務めたハリウッドのドラマ『SHOGUN 将軍 』のプロモーションのため、2月に帰国した。真田と共に、メインキャストのアンナ・サワイ、コズモ・ジャーヴィス、エグゼクティブ・プロデューサーを務めたジャスティン・マークスも来日。7日、『SHOGUN 将軍』のディズニープラスで配信され始めた。19日、TOHOシネマズ日比谷で行われた『SHOGUN 将軍』のジャパンプレミア試写会に共演のコズモ・ジャーヴィス、アンナ・サワイ、平岳大、西岡徳馬、二階堂ふみ 、エグゼクティブプロデューサーのジャスティン・マークス、レイチェル・コンドウ、ミカエラ・クラベルらと出席。20日、東京・丸の内の日本外国特派員協会で行われた『SHOGUN 将軍』の記者会見に参加した。3月5日、『SHOGUN 将軍』のプロモーションで田村淳 と対談映像がYouTubeで配信された。
同年9月、上記の『SHOGUN 将軍』がアメリカ合衆国 テレビ業界の最高栄誉であるエミー賞 にノミネートされ、ドラマシリーズ部門主演男優賞を日本人で初めて受賞した[ 17] 。
人物
実兄が1人いる。1990年、手塚理美 と結婚し、二人の男の子(次男は俳優の手塚日南人[ 18] )をもうけたが、1997年に離婚。息子たちは手塚が引き取った[ 19] [ 20] 。
日本の野球選手によるメジャーリーグ挑戦 としての先駆者である野茂英雄 を尊敬している。当時野茂がマイナー契約していた球団から解雇されたものの、日本球界に戻る意思はないことが報じられた際に「なぜ自分はアメリカで野球をしたかったのか。原点を忘れないために退路を断っているように見受けた」と共感したためとしている[ 21] 。
出演
下沢名義
映画
テレビドラマ
氷点 第2話(1966年、NETテレビ )
鉄道公安36号 (1966年、NETテレビ)
第165話「太陽は誰のもの」
第177話「天使を見張れ」
特別機動捜査隊 第303話「兄ちゃんの馬鹿」(1967年、NETテレビ)
あひるヶ丘77 (1968年、フジテレビ )
水戸黄門 第1部 第25話「旅烏の子守唄・庄内」(1969年、TBS )- 勘太 役
キイハンター (TBS)
第109話「俺は西部の殺し屋キッド」(1970年)
第144話「荒原牧場必殺の決闘」(1971年)
第252話「冒険また冒険 探偵小僧大奮戦!」(1973年)
ザ★ゴリラ7 第9話「必殺! 青きドラゴン」(1975年、NET)
真田名義
映画
日本映画
海外映画
※複数国の合作映画を含む。
テレビドラマ
日本
海外
劇場アニメ
演劇
その他の番組
アクションスターはこうして作る!! -汗と涙の特訓合宿- (1985年、日本テレビ)
第41回NHK紅白歌合戦 (1990年12月31日、NHK)- 審査員
ラジオ番組
CM
ディスコグラフィ
下沢広之名義
シングル
握手をしよう /母のひざはゆりかご(1968年、キングレコード、BS-818)- 両曲とも、千葉真一との共演
真田広之名義
シングル
風の伝説 /他に何がある(1980年11月1日、EPIC・ソニー、07・5H-56)
映画「忍者武芸帖 百地三太夫 」主題歌
熱愛ストーリー /この恋がすべて(1981年3月21日、EPIC・ソニー、07・5H-68)
光への叫び /俺たちの空・俺たちの星(ミュージカル「スタントマン物語」より)(1981年6月21日、EPIC・ソニー、07・5H-85)
青春の嵐(ハリケーン) /荒野を駆けて(1981年8月1日、EPIC・ソニー、07・5H-90)
映画「吼えろ鉄拳 」主題歌
愛よ炎に染まれ /青春の旅人(1981年11月21日、EPIC・ソニー、07・5H-105)
映画「燃える勇者 」主題歌
砂漠の都会に /誓い(JACのテーマ)(1982年3月21日、EPIC・ソニー、07・5H-109)
関西テレビ 系ドラマ「影の軍団III 」主題歌
哀愁セイリング /センチメンタル246(1982年8月1日、EPIC・ソニー、07・5H-131)
JAC ミュージカル「ゆかいな海賊大冒険」イメージソング
熱い瞳のままで /にがい気分(1982年9月22日、EPIC・ソニー、07・5H-135)
森永製菓 「小枝 」CMソング
青春まるかじり (1983年7月10日、CBS・ソニー、07SH-1370)※「黒崎輝 (協力:高木淳也 ・真田広之) 」名義
映画「伊賀野カバ丸 」主題歌
愛の轍 /Many days(1983年9月21日、EPIC・ソニー、07・5H-172)
森永製菓「小枝」CMソング
哀しみのジプシー /深い夜、You're The One(1983年12月21日、EPIC・ソニー、07・5H-183)
Believe in love /悲しみのベター・ハーフ(1984年4月1日、EPIC・ソニー、07・5H-195)
映画「彩り河 」主題歌
SERIOUS NIGHT 〜EVERLASTING HERMONY〜 /読みかけのシナリオ(1985年2月1日、EPIC・ソニー、07・5H-227)
Somebody /クリスティーナ(1987年)※ファンクラブ限定。
たとえばフォーエバー (1988年10月26日、ビクター、SV-9384)※「小泉今日子 ・真田広之 」名義
映画「快盗ルビイ 」挿入歌
ブラインドの第2章 /愛の行方(1990年4月4日、ビクター、VIDL-11)
さりげない夜に /いつもおまえをみつめてる(1992年11月21日、ビクター、VIDL-10296)
月桂冠 「融米造り 淡絹仕立て 」CMソング
PAPER MOON 〜再会のテーマ〜 /心の旅へ(1994年12月1日、ファンハウス、FHDF-1430)※「PAPER MOON」(真田広之&BEGIN ) 」名義
アルバム
オリジナル・アルバム
発売日
規格
規格品番
タイトル
EPIC・ソニー
1981年12月2日
LP
28・3H-58
青春の冒険者 〜真田広之ファースト〜
1984年1月11日
LP
28・3H-112
After The Rush
Victor / Invitation
1986年7月21日
LP
VIH-28264
movin' out
CD
VDR-1245
2017年10月25日
配信
-
1987年3月1日
LP
VIH-28282
into the street
CD
VDR-1348
2017年10月25日
配信
-
1988年2月21日
LP
VIH-28317
So,I am…
CD
VDR-1478
2017年10月25日
配信
-
1988年11月21日
LP
VIH-28348
Summer Dream
CD
VDR-1567
2017年10月25日
配信
-
1989年11月21日
CD
VDR-1654
FADED TOWN
2017年10月25日
配信
-
1991年11月7日
CD
VICL-220
Like a Cinema
ベスト・アルバム
発売日
規格
規格品番
タイトル
EPIC・ソニー
1984年6月21日
LP
32・3H-127/8
太陽のREVOLUTION
1984年7月1日
CD
35・8H-17
2011年5月21日
CD
MHCL-1897
GOLDEN☆BEST 真田広之〜EPIC YEARS〜
Victor / Invitation
2010年9月15日
CD
VICL-63576
ゴールデン☆ベスト / 真田広之 〜Like a Cinema〜 [+2]
書籍
写真集
受賞
日本アカデミー賞
第5回 (1982年)新人俳優賞 『魔界転生』
第8回 (1985年)優秀主演男優賞 『里見八犬伝』/『彩り河』/『麻雀放浪記』
第14回 (1991年)優秀主演男優賞 『リメインズ 美しき勇者たち』/『つぐみ』/『病院へ行こう』
第17回 (1994年)優秀主演男優賞 『眠らない街 新宿鮫』/『僕らはみんな生きている』
第26回 (2003年)最優秀主演男優賞 『たそがれ清兵衛』
第29回 (2006年)優秀主演男優賞 『亡国のイージス』
ブルーリボン賞
第36回(1993年)主演男優賞 『僕らはみんな生きている』
第38回(1995年)主演男優賞 『写楽』/『EAST MEETS WEST』/『緊急呼出し エマージェンシーコール』
第48回(2005年)主演男優賞 『亡国のイージス』
キネマ旬報ベスト・テン
第62回(1988年)主演男優賞 『快盗ルビイ』
第67回(1993年)主演男優賞 『僕らはみんな生きている』
第69回(1995年)主演男優賞 『写楽』
第76回(2002年)主演男優賞 『たそがれ清兵衛』
日刊スポーツ映画大賞
第1回(1988年)助演男優賞 『快盗ルビイ』
第8回(1995年)主演男優賞 『写楽』
第15回(2002年)主演男優賞 『たそがれ清兵衛』
報知映画賞
第13回(1988年)最優秀主演男優賞 『快盗ルビイ』
第20回(1995年)最優秀主演男優賞 『写楽』
その他
エランドール賞 (1982年)
文化庁芸術祭 (1984年)個人賞 『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』
第22回ゴールデン・アロー賞 (1984年)演劇新人賞 『ゆかいな海賊大冒険』/『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』
第31回ゴールデン・アロー賞(1993年)放送賞 『高校教師』
第3回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演男優賞 『僕が彼女に、借金をした理由。』
第21回松尾芸能賞 (2000年)優秀賞 『オケピ!』
第8回読売演劇大賞 (2001年)優秀男優賞 『オケピ!』
第53回芸術選奨 (2002年)文部科学大臣賞 『たそがれ清兵衛』
名誉大英勲章 第五位 (2002年) 『リア王』
第57回毎日映画コンクール (2002年)男優主演賞 『たそがれ清兵衛』
第13回淀川長治賞 (2003年) 『たそがれ清兵衛』/『ラスト サムライ』
第3回日藝賞 (2009年)[ 30]
紫綬褒章 (2018年)[ 31]
第5回アジアン・ワールド・フィルム・フェスティバル 特別賞 (2019年)[ 32]
第76回エミー賞 (2024年) 主演男優賞 『SHOGUN 将軍 』[ 33]
脚注
注釈
^ 千葉真一と下沢広之の1968年のシングルレコード『握手をしよう』のジャケットの裏側の歌詞カードに「しもざわ ひろゆき」の読み仮名が記載。
^ 日本語版での登場人物名「どうも・ザ・スモウ」。大相撲 力士のような姿をした悪役。
^ a b 第1回JAC ミュージカル 。『柳生十兵衛 魔界転生』と『スタントマン物語』は併演された。
^ 第2回JACミュージカル。
^ 第3回JACミュージカル。
^ 第4回JACミュージカル。
^ 1984年のみ、A, Bキャストで配役が分かれ、違う役を演じた。
^ a b 第6回JACミュージカル。『アドベンチャー 青春の出発』と『スタントマン物語 愛の物語』は併演された。
出典
外部リンク
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関連項目 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月)
1940年代 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1回 - 10回 11回 - 20回 21回 - 30回 31回 - 40回 41回 - 50回 51回 - 60回 61回 - 70回 71回 - 80回 81回 - 90回 91回 - 100回 101回 - 110回 111回 - 120回 121回 - 130回
1 - 10作 11 - 20作 21 - 30作 31 - 40作 41 - 50作 51 - 60作 61 - 70作 その他(NHK新大型時代劇)
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