五代目 坂東玉三郎(ごだいめ ばんどう たまさぶろう、1950年〈昭和25年〉4月25日 - )は、日本の歌舞伎役者、映画監督、演出家。歌舞伎名跡「坂東玉三郎」の当代。屋号は大和屋。定紋は花勝見(はなかつみ)、替紋は熨斗菱(のしびし)。重要無形文化財保持者(人間国宝)[3]。日本藝術院会員。武蔵野音楽大学特別招聘教授[4]。
十四代目 守田勘弥の養子であり[5]、本名は守田 伸一(もりた しんいち)。通名は守田 親市(もりた しんいち)、旧姓は楡原(にれはら)。公称身長174cm・体重61kg・血液型B型[6]。
人物
時代物から新歌舞伎まであらゆる分野の女形の技法に精通し、特に世話物や舞踊作品で定評がある。
若くしてニューヨーク・メトロポリタン歌劇場に招聘され、アンジェイ・ワイダ、ダニエル・シュミット、ヨーヨー・マら世界の超一流の芸術家たちと多彩なコラボレーションを展開するなど、その影響と賞賛は世界的なものである。また、映画監督・演出家としても独自の映像美を創造した。
その他にも、演劇全般に関する私塾「東京コンセルヴァトリー」の開校や熊本県の八千代座保存への協力など、演劇以外にも活躍している。また歌舞伎だけでなく、10代半ばよりレッスンを受けたバレエの実力も、プロ・バレリーナと一緒に踊りをこなしても何の遜色もないどころか、玉三郎自身が一バレエダンサーとしての評価にあずかるほどのものがある。
近年は歌舞伎と縁の薄い邦楽の演出も手がけている。趣味はダイビング。
五代目玉三郎は、梨園の出でないばかりか、小児麻痺の後遺症をリハビリで克服したこと[5]、その影響で左利きとなったこと、女形としては長身であること(公称173cm、過去に某雑誌では175cmとも)、芸風や活動方針を巡って六代目中村歌右衛門との間に永年の確執があったこと(後年和解)など、数々の苦難を克服しつつ精進を続けて今日の地位を築きあげた、現在の歌舞伎界における希有の存在である。
年齢・体力的な理由から2019年を最後に地方での短期公演から「引退」しており[7]、近年は自身のつとめてきた大役を若手に継承している[8]。
一方、2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』に正親町天皇役でテレビドラマ初出演をした[9]。この出演の理由について玉三郎は「(主演の)長谷川博己君の父(建築史家の長谷川堯)と昔からの知己で、博己君から大河ドラマの主演を報告されたので『じゃ、ワンシーンだけでも出た方がいいかも』みたいな話をしたら、このような形になった」と語っている[10]。
年譜
受賞歴
代表作
主な歌舞伎の当たり役
歌舞伎海外公演
- 1982年7月 アメリカ公演
- 1984年5月 アメリカ公演(ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場)
- 1985年7月 アメリカ公演
- 1986年6月 パリ公演
- 1989年10月 ヨーロッパ公演
- 1991年10月 イギリス公演
- 1992年4月 ポーランド公演
近代劇
主な舞台演出作
映画
テレビドラマ
映画監督作品
テレビ番組
CM
写真集ほか
- 『写真集 女形 玉三郎』篠山紀信撮影、講談社、1972
- 『真夜中のノート 坂東玉三郎エッセイ集』サンリオ、1976
- 『玉三郎の邦楽ジョッキー』日本放送出版協会、1977
- 『坂東玉三郎』篠山紀信写真 講談社、1978
- 『坂東玉三郎 ひかりの中で』奥村喜一郎・谷田貝高幸写真 松竹株式会社・事業部、1979
- 『坂東玉三郎 冬の旅 ヨーロッパの古都を歩いて』篠山紀信写真 講談社、1981
- 『坂東玉三郎 onnagata』大倉舜二 平凡社、1983
- 『桜姫東文章 孝夫・玉三郎』佐藤英世写真、旺文社文庫、1985
- 『坂東玉三郎の世界』篠山紀信写真 朝日新聞社、1988
- 『監督坂東玉三郎「夢の女」』岸野正彦写真 NTT出版、1993
- 『山鹿八千代座 坂東玉三郎華麗に舞う』NTT出版、1993
- 『坂東玉三郎ナスターシャ写真集』ぴあ、1994
- 『坂東玉三郎の宇宙』ダンスマガジン編 新書館、1997
- 『坂東玉三郎 舞台写真集』福田尚武写真 朝日ソノラマ、1998
- 『ザ歌舞伎座』篠山紀信撮影、玉三郎案内役 講談社、2001、改訂版2009
- 『五代目 坂東玉三郎写真集』篠山紀信 講談社、2007
- 『THE LAST SHOW TAMASABURO AND THE KABUKIZA』篠山紀信撮影、玉三郎案内役 小学館、2010
- 『坂東玉三郎 すべては舞台の美のために』小学館・和樂ムック、2009
- 『坂東玉三郎舞台』福田尚武写真 小学館、2012
関連書籍
- 中川右介『坂東玉三郎 歌舞伎座立女形への道』幻冬舎新書 2010
脚注
注釈
- ^ 抜粋引用:「天守物語」は、人間国宝・坂東玉三郎が演出。主役の「富姫」は玉三郎が1977年初役で演じて以来、守ってきたが、その大役に中村七之助が挑戦することになった。繰り広げられたのは1日10時間以上にもおよぶ玉三郎の熱血指導と舞台演出[16][17]。
出典
外部リンク
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |