加藤剛
加藤 剛(かとう ごう、1938年〈昭和13年〉2月4日[1] - 2018年〈平成30年〉6月18日[2])は、日本の俳優[1]。本名:加藤 剛(かとう たけし)[3]。身長173cm[4]。体重70kg[1]。俳優座所属[4]。 2001年、紫綬褒章受章。2008年、旭日小綬章受章[4]。 来歴出生から学生時代まで静岡県榛原郡白羽村(御前崎市)出身。父・鉉一郎は小学校の校長[5]。姉四人と兄、弟がいる[6]。父親が校長というのはプレッシャーにはならなかった[7]。父・鉉一郎は剛を医者にしたかった[8]。なお俳優のうえだ峻とは叔父・甥の間柄で、うえだの母は自身の姉にあたる。また第32代日本銀行総裁の植田和男は従弟の孫にあたる[9]。 加藤家は古くからの地主で、農地改革で大半を失ったとはいえ自宅の敷地は八百坪近く、敷地に続くすぐ裏に持ち山があり[6]、庭にはたくさん木があった[6]。いわゆる腕白少年ではなく、よく母の台所仕事を手伝い[7]、畑仕事もした[7]。自作するだけの畑はあったため、サツマイモや麦を交代で作っていた[7]。 剛は御前崎の遠州灘に続く茶畑のある風景の中で育ち、中学三年の時に地元を離れた[10]。戦争未亡人となり美容室を開いていた文京区の長姉宅に寄宿した[10]。 もともと俳優になろうと思っていたわけではなく、「何か演劇や映画に関係する仕事ができればいいかな」と思っていた[10]。小石川高校の時、柔道部に入っていたが先輩が演劇もやっており「お前も手伝え」と命じられ舞台に立ったのがきっかけだった[11]。その時期、実家でチェーホフの戯曲を読んで俳優を志した[12]。 東京都立小石川高等学校を経て、早稲田大学第二文学部演劇科で学ぶ[10]。学内の劇団、自由舞台で活躍する[10]。 俳優として大学4年の時、20倍の難関を突破して俳優座養成所に入る[11]。 1962年10月1日放映開始のテレビドラマ『人間の條件』(TBS、全26話)で主人公の梶役に抜擢された。出演のため1年「休学」。同作品では「ぼくという裸身の素材にこの男(主人公の梶)の一生を忠実に刻み込んでゆくこと」で演じきり、原作者の五味川純平より「テレビ映画の優れた主演者」と評された[13]。後、13期生として修了。修了時の同級生には石立鉄男・佐藤友美・細川俊之・横内正らがいる。27歳で正月公演で安部公房作『お前にも罪がある』で「男」を演じ、演出上傾いた舞台装置「男の部屋」上で2時間の連続演技を行う主役に抜擢[14]。 同期の横内正は、養成所で加藤と初めて会った際、その美男子ぶりに驚いたといい「欠点のない男。こんな二枚目がいるんじゃ、かなわないと思った」と振り返り、「(俳優座の先輩の)平幹二朗さんは、仲代達矢がいる限り劇団で上にいけない、と思ったように、僕も加藤剛がいる限り上にはあがれないだろう」と、横内が後に俳優座を退団する決意をするほど存在が大きかった。 また、不思議な縁だが、加藤は「大岡越前」(TBS)を主演、横内は「暴れん坊将軍」(テレビ朝日)で同じ大岡役をレギュラー出演、「同じ役で“競演”しているつもりで演じていましたよ」と回想していた[15]。 1969年(昭和44年)12月26日(金曜日)、『週刊実話』に対し慰謝料などを求める訴訟を起こし、地裁に続き高裁でも勝訴[16]。 熊井啓監督の映画主演でも有名。忍ぶ川(三浦哲郎原作)栗原小巻 の恋人役と、北の岬(辻邦生原作)クロード・ジャド の恋人役であった。 『大岡越前』は長年に渡る当たり役で、TBSテレビ月曜8時の看板番組として、1970年(昭和45年)3月16日(月曜日)から、『水戸黄門』『江戸を斬る』等とローテーションを組みながら、足掛け約30年間、2006年3月20日放送の最終回スペシャル版を含めれば36年間にも及ぶ長きに渡り主演し通した(詳しくは『大岡越前』参照)。『大岡越前最終回スペシャル版』では実子である夏原諒、頼三四郎(現:加藤頼)との共演を果たした。 『大岡越前』で親友役を演じた竹脇無我とは私生活でも40年間以上親友関係にあり、2011年(平成23年)8月21日(日曜日)午後2時5分に竹脇が急死した際は、手書きの追悼文を寄せた[17]。その間大河ドラマ『風と雲と虹と』、『獅子の時代』も主演している。『大岡越前』の終了後は、『命のビザ』や『そして戦争が終わった』、『坂の上の雲』など近現代史ドラマにも出演した。 芸能活動以外では、厚生労働省の「健康日本21推進国民会議」の委員を務め、健康大使にも任命された。 2018年6月18日(月曜日)午前10時11分、胆嚢がんのため東京都内で死去[18][19]。80歳没[2]。テレビドラマ遺作は2017年10月5日テレビ朝日放送の「事件18」、映画作品の遺作は2018年公開の「今夜、ロマンス劇場で」であった。 人物たばこは吸わず、酒も飲まず、ギャンブルとは無縁である[12]。2014年の取材に対して、戦争反対の一心で俳優を続けてきたと述べている[12]。 映画『砂の器』に出演した際、後に芸能レポーターとなった石川敏男が「僕は当時、宣伝部の助手だったので、宣伝のキャンペーンをお願いすることが多かったんです。10歳も年下の僕に対して、何でも“はい、はい”と聞いてくれましたね。決してイヤだとは言いませんでした。どんなに忙しくても、きちんと人の話を聞く方でしたよ」と語っている[20]。 家族でいる時間をとても大切にしており、京都で撮影があっても、必ず週末には自宅に帰り、子供を肩車をして家の中を回ったり、庭でかけっこをしていた[20]。長男・諒は「声を荒らげて怒ったことは1度もありません。いい俳優になるということよりも、“人間として上質であること”、“人間として美しい生き方をすること”、“人に恥じない生き方をすること”を常に優先していたんじゃないかと思います。あれだけ嘘がない人はいないですね。人の悪口を言ったことは1度もなく、常にいい部分を見ていました。だから僕も怒られたことがなかったのかもしれません」「自分のやっていることと役のキャラクターが見事に一致した稀有な例ですよね。いい人の役をやっている人が、本当にいい人とは限らない世界ですから。父は大岡越前そのものでしたよ」と人柄を伝えている[20]。 家族・親族加藤家
親戚家系図基本的な出典は「川原崎次郎編著『城下町相良区史』城下町相良区史刊行会」のpp.755-758より。
出演テレビドラマ
その他のテレビ番組
映画※太字はキネマ旬報ベストテンにランクインした作品
舞台
劇場アニメ朗読CMディスコグラフィーシングル
著書
脚注
外部リンク
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