東山紀之
東山 紀之(ひがしやま のりゆき、1966年〈昭和41年〉9月30日[2] - )は、日本の実業家、芸能プロモーター、元俳優、元歌手、元タレント、元司会者。男性アイドルグループ・少年隊の元メンバー[注 1]。SMILE-UP.(旧ジャニーズ事務所)代表取締役社長[7]。血液型はA型[2]。本名は同じ。愛称はヒガシ[8]。 妻は女優の木村佳乃[9]。2021年5月時点で、ジャニーズ事務所(当時)に所属するアーティスト・タレントの最年長者となっていた[10]。 2023年9月5日付でジャニーズ事務所(当時)の取締役社長に就任した[11]。並行している芸能活動については、同年末をもって引退した[12](詳細後述)。 来歴生い立ち神奈川県[2]川崎市[1][3]幸区塚越出身[4]。父方の祖父がロシア人の血を引いている[13]。妹がいる[14]。 川崎で生まれ、岡山県への移住を経て愛知県名古屋市に引っ越した後[15]、東山が3歳の時に両親が離婚[5]。以降は川崎で母親の元で育てられた[15][13][16]。その後、母親は再婚するものの、再び離婚している[16][17]。 少年時代川崎市立大島保育園⇒川崎市立東桜本小学校(現・川崎市立さくら小学校)→川崎市立古川小学校⇒川崎市立塚越中学校[18]。 小学校時代、3年生の時から3年間、剣道教室に通う。6年生の時に横浜市剣道大会の地区大会で優勝を果たす[18]。 中学から高校時代、部活はバスケットボール部に所属。中学時代は1年生の時からレギュラー入り、2年生の時には神奈川県大会で準優勝、3年生の時にはキャプテンを務める[18]。 芸能界へあと1か月で小学校を卒業という春先、当時NHK放送センターの理容室に勤務していた母親から音楽番組『レッツゴーヤング』の公開収録のチケットを貰い受け、友人3人とNHKホールへ観覧に行った。その帰り道、渋谷スクランブル交差点で信号待ちをしていた坊主頭の東山の姿が、たまたま車で通りかかったジャニーズ事務所の当時の社長であるジャニー喜多川の目に留まり[3][19]、すぐさまジャニー喜多川自ら車から降りて声を東山にかけたという[16][20]。ジャニーズ事務所において、社長からの直接スカウトは珍しいケースである[21]。 1979年5月にジャニーズ事務所に入り[3][22][23]、明治大学付属中野高校定時制入学と同時に合宿所生活をスタートさせた[22][24]。当時合宿所は原宿にあり、川崎麻世、田原俊彦、近藤真彦、そして錦織一清、植草克秀ら10人ほどが暮らしていた[25]。レッスン生として歌やダンスの稽古を受けながら、先輩タレントのバックダンサーを務める。のちに高校は中退している[24]。 1982年に錦織一清、植草克秀とともに少年隊のメンバーとなり、1985年12月12日に少年隊として「仮面舞踏会」でレコードデビュー[22]。 デビュー以降はグループ活動のかたわらソロとしても活躍。2008年以降はソロ活動に比重を置き、俳優業を中心に、テレビ・舞台・映画にと多方面で活躍[3]。一方で同年にはテレビ朝日系テレビドラマ『必殺仕事人2009』の主題歌「鏡花水月」を歌うために松岡昌宏・大倉忠義と期間限定ユニット・The SHIGOTONINを結成している[26]。 2020年9月20日、同年内に錦織一清と植草克秀がジャニーズ事務所を退所することが明らかにされた[27]。少年隊についてはその後「グループとして活動の予定はない」が、同事務所所属のグループとして名前は存続する[27]。東山は事務所に残留し、活動を続ける[27]。 2021年5月1日、前日の近藤真彦のジャニーズ事務所退所により同事務所所属アーティスト・タレントの最年長者となる[10]。 ジャニーズ社長就任・タレント引退2023年9月5日、ジャニー喜多川性加害問題の表面化とその調査報告過程における同族経営の弊害を指摘され社長を引責辞任した藤島ジュリー景子の後任として、同日付でジャニーズ事務所(後に同年10月17日付でSMILE-UP.に社名変更)の代表取締役社長に就任した[11]。同月7日に記者会見を行い、芸能活動については2023年内で引退し、社業に専念する事を発表した[28]。これに伴い、2017年の番組スタートから6年に渡りメインキャスターを務めてきたテレビ朝日系の情報番組『サンデーLIVE!!』について同月3日放送分を最後に降板[29]、さらに2005年の番組スタートからセレブレーター(ナビゲーター)を務めていたTBS系のドキュメンタリー番組『バース・デイ』も同月2日放送分を最後に降板した[30]。 12月26日にANAインターコンチネンタルホテル東京で開催されたソロディナーショー『東山紀之 DINNER SHOW 2023』で引退前最後のステージ出演[31]。また、12月29日に放送されたテレビ朝日系のスペシャルドラマ『必殺仕事人』が引退前最後のテレビ出演となった[32]。 12月31日、「いつか僕がこういう人生をチョイスしたことを理解してもらえたらありがたいと思います」と有料会員制ブログにラストメッセージを寄せ、タレント業(芸能活動)を引退した[33]。 後任東山の引退後、レギュラー番組を引き継いだ人物は以下の通り。
人物体脂肪率は9%をキープ[34]。1か月に100km走るというのが自分に課したルールだと語っている。2013年時点においては腹筋は1日に1000回、20年以上欠かさず続けているとも述べていた[35]。 自身のダンスナンバーではバック転、側転バック宙、高台からのバック宙、壁宙などを披露している。 2003年に行われた舞台『PLAYZONE 2003 Vacation』では、公演が始まってすぐ上演中に足の甲を骨折したが[1]、1日も休むことなく千秋楽まで踊り、役をこなした[36]。 NHK大河ドラマの主演(『琉球の風』 1993年1月10日 - 6月13日)を初めて務めたジャニーズタレントでもある[3][22]。 シリアスな二枚目役からコミカルな役まで幅広い役柄をこなす[8]。時代劇ではこれまで初挑戦の時代劇で演じた沖田総司に始まり、源義経、浅野内匠頭、松平容保、藤原道長、足利義満、大岡越前などの歴史上の人物や、光源氏を演じている。 1987年から流行したしょうゆ顔の代表格として名前が挙がる。1988年にしょうゆ顔の代表で流行語大賞の流行語部門・大衆賞を受賞している。 ジャニーズ事務所の後輩タレントとの関わりにおいては、初めて一人暮らしをしようとしていた頃に、事務所から「預かってくれ」と頼まれ[3]、TOKIOの山口達也、国分太一、松岡昌宏が居候していたことがある[37][38][39]。また、20th Centuryの坂本昌行は東山の付き人をしていた時期があった[40]。この他、KinKi Kidsの堂本光一など多くの後輩たちと親交があるだけでなく、ジャニーズ事務所の新人研修会で講師を務めたりもする[41]。 料理が得意であり、『Duet』誌上で自らの料理を披露する連載ページも持っていた[42]。 趣味・嗜好1999年9月、スキューバダイビングを始める。アドバンスライセンスも取得[43]。 司会を務めていた日本テレビの情報生番組『@サプリッ!』内で、1か月半後の2005年4月に開催される「JALホノルルトライアスロン2005」に出場することを発表。トライアスロン初挑戦で、目標の4時間を上回る3時間3分11秒で完走した[44]。 2009年6月、ボクシングを始める。始めたきっかけについては、ジェームス・ブラウンやジャッキー・ウィルソンらがボクサーであったことから興味を持ち始めたことに加え、芝居をする上で相手との距離感をどう保つのか、どのように呼吸を合わせるかが重要だと思うようになったと語っている[45]。 憧れの人物に王貞治、ブルース・リー、マイケル・ジャクソンを挙げている。王貞治の精神、ブルース・リーの肉体、マイケル・ジャクソンの軽やかさが自身の目標だと語っている[16][46]。 東山にとって王は小学4年のときに700号本塁打を川崎球場で見て以来憧れの存在であり[22]、自身のコラムにおいては“僕が世界で一番憧れた人”と題してその想いを綴っている[16][46]。2009年7月20日にTBS系で放送された自身が司会・ナレーションを務める『バース・デイ』の放送200回突破記念のスペシャルにおいて対談(王貞治vs東山紀之)が実現した[22]。 幼少の頃からブルース・リーにも憧れており、東山が身体を鍛えることに目覚めた理由の一つにリーの存在が挙げられる[16][46][47]。 マイケル・ジャクソンには、東山が13歳の時にジャニーズ事務所の合宿所で初めてビデオを見て以来[48]、そのダンスパフォーマンスに衝撃を受け、以降ずっと「ダンスの神様」と敬愛し続けており、自身の芸能活動の礎になっていると語っている[49]。少年隊のメンバーとともにマイケルの振付師であるマイケル・ピータースからレッスンを受けたり[50]、東京ディズニーランドでマイケル本人と2人でアトラクションを楽しんだこともあった[48][51]。自身の連載コラムの中でも“マイケル・ジャクソンの衝撃”と題してマイケルの凄さを語り[52]、マイケルの死後も2ページにわたって追悼コラムを掲載し[53]、生前対面したときのエピソードなどを綴っている[16]。 2011年5月25日に大阪・梅田ブルク7で行われた自身の主演映画『小川の辺』チャリティ上映会の舞台挨拶の席で阪神タイガースのファンであることを初告白。取材に訪れていたスポーツ新聞社が翌日の紙面で報じた[54]。 私生活2010年10月23日に、2008年3月の舞台『さらば、わが愛 覇王別姫』での共演を機に交際していた女優の木村佳乃と、約2年半の交際を経て結婚[9]。遠藤憲一がキューピッドとなった[55]。2011年11月4日に第1子となる長女が誕生[56]し、2013年5月29日には第2子となる次女が誕生した[57]。 ハラスメントに関する嫌疑元ジャニーズJr.で光GENJIのメンバー候補であった木山将吾(山崎正人)が、自身の著書『SMAPへ - そして、すべてのジャニーズタレントへ』において、ジャニー喜多川のみならず東山からもハラスメントを受けていたと述べている[58]。同書によると、東山はジャニーズJr.の少年らの股間を足で刺激したり(電気あんま[59])、自身の性器を露出したりすることがあったという[60]。また、合宿所でジャニーズJr.の少年らと食事中に、東山は目の前の皿に自身の性器を乗せ、「僕のソーセージを食え!」と命令したとの記載もある[60]。またこの発言はBBCニュースでも英語で"eat my sausage"として取り上げられている[61]。 2023年9月7日に、東山がジャニーズ事務所の新社長に就任することを発表した記者会見にて、上記の書籍の内容について記者から事実確認の質問があった[62][63]。東山は「虚偽だと思う」と一旦は答えたが[62]、その後に別の記者から同様の質問があると「若気の至りとか、自分の幼稚さもあったと思う。ただ、記憶をたどってもちょっと覚えていないことも本当に多くて。たぶんいろんなことをやっているんだと思う。向こうはすごく覚えていて、僕は覚えていなくて。記憶を呼び起こすのが難しい作業でもあったので、したかもしれないし、していないかもしれない、というのが本当の気持ち」とも述べた[64]。 2023年10月2日、ジャニーズ事務所のその後の会社運営についての記者会見にて、記者から「児童福祉法の観点から、共犯かほう助罪に当たるという解釈もあります」などと、東山の責任を追及される場面があった。「東山社長のセクハラも疑われていますが」と指摘されると、東山は「まず私は、セクハラをしたことはありません」と主張した。また、「パワハラ報道」については「パワハラを感じた方はいらっしゃるかもしれませんが、35年前から40年前のことでもありますし、僕自身は性加害ということについて理解することがちょっと難しかったと思います」と振り返った[65]。 交友関係
受賞歴
ディスコグラフィーシングルソロ曲少年隊CD収録曲
PLAYZONE関連曲特記なき場合、曲の名義は少年隊。
その他
出演個人での出演のみ記載。『PLAYZONE』などグループでの出演は少年隊#出演を参照。 テレビドラマ
映画
コンサート・ディナーショー
舞台
テレビアニメ吹き替え
テレビ番組
ナレーション
配信ドラマ
ラジオ
ミュージック・ビデオCM
書籍単独での書籍のみ。グループでの書籍は少年隊#出版物を参照。
雑誌連載
脚注注釈出典
外部リンク
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