櫻井翔
櫻井 翔(さくらい しょう[4]、1982年〈昭和57年〉1月25日[4] - )は、日本のアイドル、タレント、俳優、歌手、作詞家、司会者、キャスター、男性アイドルグループ・嵐のメンバー[5]。愛称は「翔くん」「翔ちゃん」。 群馬県前橋市生まれ、東京都港区育ち[2]。STARTO ENTERTAINMENTと個人エージェント契約[6][7]。嵐としては「株式会社嵐」に所属し、STARTO ENTERTAINMENTとグループエージェント契約[8]。戸籍上の表記は旧字体が含まれた「櫻井」だが、常用外漢字等の使用に制限がある一部メディアでは、新字体かつ旧芸名の「桜井翔」と表記される。 概略1999年に嵐のメンバーとしてデビューしてから約半年後、大学に進学。芸能活動を続けながら慶應義塾大学経済学部を卒業した後は嵐での活動と並行して個人の活動を徐々に増やしつつ、キャスターや司会者など活動の幅を広げている。2010年代から、CM起用社数ランキングなど企業の発表するさまざまなランキングで上位の常連となっている[注 3]。 略歴生い立ち1982年1月25日(月曜日)、群馬県前橋市に生まれる[13]。父親は、実業家の桜井俊。祖父にジャーナリスト・実業家の桜井三男がいる。名前の「翔」は、母が好きだった作家の柴田翔に由来する[14] 。1988年4月、慶應義塾幼稚舎(小学校)入学と同時に東京都港区へ移住し、以来8個の習い事を掛け持ちする[15][注 4]。当時は本人にとって学校が全てであり、自由時間は無に等しかった[16]。小学校はバスを2つ乗り継いで通っており、両親が共働きだったため学童保育に行っていた[16]。 Jリーグが開幕した小学5年時には地元のサッカークラブチームに入り[17]、一時は真剣にブラジルへ留学することを考え自ら資料を集めるほどサッカーにのめり込む[17]。小学校高学年の2年間、部活動でラグビー部に所属しており、ポジションはスクラムハーフだった[18][19]。1994年4月、慶應義塾普通部(中学校)入学。 慶應義塾普通部(中学校)2年の時[20]、ジャニーズ事務所に自ら履歴書を送り[21]、1995年10月22日からジャニーズJr.(以下Jr.)としての活動を開始する。 芸能活動開始、ジャニーズJr.として1996年放送の『それ行けKinKi大放送』に「それ行けトリオ」として出演。1997年4月、慶應義塾高等学校入学。1997年に今井翼とJr.内ユニット「翼翔組」を結成した[22][23]。Jr.の活動においては、試験の1ヶ月前からは仕事も休むなど、父親の計らいから無遅刻無欠席を貫き学業を優先することを徹底していた[16]。そのためステージで踊る場所が後列になったり、仕事に呼ばれなくなったりということがあった[24]。元Jr.いわく、当時の睡眠時間は3時間くらいで毎朝4時に起き前日の授業の復習をして、楽屋でもいつも参考書片手に勉強していたとのこと[25]。同じように試験で活動を休んでいた高校3年の6月[16]、事務所社長からバレーボールワールドカップのイメージキャラクターをやらないかという依頼を受けて承諾したが、それがアイドルグループ「嵐」の結成・参加となった[16](当時のJr.には一時的な企画ユニットが多く存在しており、当初は「嵐」も一時的な企画ユニットだと本人は思っていたとのこと)[16]。当初は高校を卒業したらJr.を辞めようと考えており、高校3年の1月の試験が終わったら4月の大学入学まで海外留学を考えていた[16]。 「嵐」結成、学業との両立1999年11月3日、慶應義塾高等学校3年の時、嵐のメンバーとして「A・RA・SHI」でCDデビューを果たす[26]。翌2000年の4月、慶應義塾大学経済学部に進学する[27]。2003年1月、日本テレビ『よい子の味方 〜新米保育士物語〜』で連続テレビドラマ初主演を果たす[28]。2004年3月に大学を卒業[26][27][29][30]。幼稚舎から大学まで16年で留年をせずに卒業した[31]。 個人活動の拡大2004年12月、『WEST SIDE STORY』でミュージカル初主演を果たす[4][26]。2006年1月-2月、初の全国ソロコンサートツアーを開催する[4]。同年7月、『ハチミツとクローバー』で映画単独初主演を果たす[4][26]。同年10月、日本テレビ系列の深夜のニュース番組『NEWS ZERO』(現:『news zero』)の月曜キャスターに就任[4][26](これ以降のニュースキャスターとしての活動については#ニュースキャスターとしてを参照)。 2008年4月10日、ジャニーズ事務所公式モバイルサイトJohnny's webにて個人ブログ『オトノハ』開始[2]。 2008年6月1日、『ARASHI Marks 2008 Dream-A-live』ナゴヤドームでのコンサート2日目リハーサル中にステージから転落し右手の親指を骨折[32]。このほか右半身を強く打ち、足や腰を打撲し全治1ヶ月と診断されるが、ギプスをして当日のコンサートに出演した[33]。 2010年1月27日、マガジンハウスが発行する『an・an』1693号に、自身のセミヌードが掲載される。当時、通常20万部の発行部数を2倍以上の44万3000部に増刷して発売したが全国の書店で完売店が相次ぎ、7万部重版された[34]。『an・an』が重版されたのは創刊以来初である[35][36]。 2013年4月11日、TBS系列『ひみつの嵐ちゃん!』の後継番組である、自身と有吉弘行がメインMCを務めるTBSテレビ『今、この顔がスゴい!』(現:『櫻井・有吉 THE夜会』)の放送が開始[37][38]。同年7月、シンガポールのラッフルズ・ホテルに宿泊した著名人の写真を飾る「Hall Of Fame」に、日本の男性芸能人として初めて櫻井の写真が掲出される[39][注 5]。 2017年8月26日・27日、日本テレビ系列『24時間テレビ40 告白 〜勇気を出して伝えよう〜』のメインパーソナリティーをKAT-TUNの亀梨和也[注 6]、NEWSの小山慶一郎とともに務めた[41][42]。 2018年・2019年、毎年12月31日に放送される『NHK紅白歌合戦』の白組司会を第69回・第70回と2年連続で務めた[43][44]。嵐のメンバー個人が2年連続で紅白歌合戦白組司会を務めるのは櫻井が初である。なお、2回とも嵐が大トリを担当したため、美空ひばり、相葉雅紀についで史上3人目の司会・大トリ兼任者となった。 2021年1月16日、日本テレビ系列『嵐にしやがれ』の後継番組で、自身がMCを務める『1億3000万人のSHOWチャンネル』が放送開始[45][46]。同年6月23日、NHK東京2020オリンピック・パラリンピック放送スペシャルナビゲーターに相葉雅紀と共に就任した[47][注 7]。 2021年9月28日、公式ファンクラブサイトで結婚を公表。同日、同じ嵐のメンバーの相葉雅紀も結婚を発表した[48]。9月5日までNHK東京2020オリンピック・パラリンピック放送スペシャルナビゲーターを務めあげてから、27日までに別々の日に婚姻届を提出した[49][50]。 2022年11月18日、福澤諭吉『学問のすゝめ』刊行150年を記念し慶應義塾長の伊藤公平との対談動画が、慶應義塾ガクモンノススメ特設ページ、YouTubeにて公開された[51]。 2022年12月31日、『第73回NHK紅白歌合戦』で新設されたスペシャルナビゲーターに就任、ゲスト審査員を務めた松本潤と共演した[52]。 2023年1月1日、文化庁が京都に移転し業務開始するにあたり、日本の文化や京都に関してを語る新春特別対談を西脇隆俊京都府知事と行った[53]。 2023年2月15日、第1子が誕生したことをジャニーズ事務所を通じて報告した[48]。 2023年4月14日 - 5月24日、六本木ミュージアムにて個人初の展覧会「櫻井翔 未来への言葉展 SHO SAKURAI:WORDS FOR THE FUTURE」を開催[54][55][56]。 2023年5月20日、日本ラグビーフットボール協会が日本代表の認知度向上及び大会の機運醸成等を図るために新設した「ジャパンラグビーアンバサダー2023」に就任した[57][58]。 2024年4月10日、個人の公式サイトを仕事の依頼や問い合わせ窓口として開設した[59]。またSTARTO ENTERTAINMENTとエージェント契約を結んだことを『news zero』の取材で公表した[60]。 2024年5月30日、慶應義塾幼稚舎創立150周年記念式典が開催され、「ペンの指す方へ」(作詞:櫻井翔、作曲:千住明)を150周年式典合唱団および幼稚舎生全員で合唱した。指揮を務めた千住明と櫻井も登壇しスピーチをした[61][62][63]。 人物企業が発表するランキングの上位にたびたび名前が挙がる芸能人の一人であるが[注 8]、「恋人にしたい男性有名人ランキング」での首位獲得について本人は、2013年4月11日放送の『はなまるマーケット』に出演した際に「30代にもなると冷静にうけとめられました」と述べている[68]。 エレクトーンは3歳から小3まで、ピアノは小4から中1まで[69]、他にトロンボーン[70]、トランペットを習っていたことがあり[71]、NHK紅白歌合戦や24時間テレビ等テレビ番組や、ドラマ劇中でピアノ演奏を行っている[注 9]。コンサート『How's it going? SUMMER CONCERT 2003 』では「Blue」、「ARASHI Anniversary Tour 5×20」では「アオゾラペダル」の伴奏をした[79]。2015年のインタビューでも、ピアノの練習を続けていることを明かしている[80]。中学2年頃より下北沢のギター教室に通っており[81]、1998年、小原裕貴、大野智、今井翼、川野直輝と「ZEUS」というバンドを組み、自身はギターを担当した。『ARASHI SUMMER 2002 HERE WE GO!』では「ホットケーキミックス」でギターの弾き語りをした。また『ARASHI LIVE TOUR 2015 Japonism』『ARASHI “Japonism Show” in ARENA』のソロ曲演奏の為、ドラマーの石川直に師事を受けスネアドラムを習得した[71]。 愛読書は辺見庸の「もの食う人びと」[82]。好きな漫画は「サンクチュアリ」「あれよ星屑」「少年イン・ザ・フッド」[83]。 愛用時計は、ジャガー・ルクルトのレベルソなど[84]。レベルソは2022年時点で15年ほど使っていると明かしている[84]。 ニュースキャスターとして大学在学時に起こったアメリカ同時多発テロ事件をきっかけに、報道の仕事に携わりたいという考えを持ち始める[85]。2006年10月2日より『NEWS ZERO』月曜キャスターに就任[4][86]。また、オリンピック開催時に日本テレビ系で放送される特別番組では、『2008北京オリンピック』[26][87]から、『2010バンクーバーオリンピック』[26][88]、『ロンドンオリンピック2012』[26][89]、『2014ソチオリンピック』、『2016リオデジャネイロオリンピック』、『2018平昌オリンピック』まで6大会連続でキャスターを務めた[90]。2020年に嵐で就任予定だったNHK東京2020オリンピック・パラリンピック放送スペシャルナビゲーターは翌年に櫻井と相葉のみ就任した[91]。2021年12月13日、『2022北京オリンピック』の日本テレビスペシャルキャスターをすることが発表された[92]。2024年7月13日、『2024パリオリンピック』の日本テレビメインキャスターをすることが発表された[93][94]。 2010年1月には、国際原子力機関事務局長の天野之弥と対談した[95]。同年、『24時間テレビ「愛は地球を救う」』の企画で、元ソビエト連邦大統領・ノーベル平和賞受賞者のミハイル・ゴルバチョフにインタビューした[96]。 キャスターの仕事について、櫻井は「他の仕事との優劣は全くないけど、仕事をしていくモチベーションになっていることは間違いない」と語っている[97]。また、『news zero』での自らの存在意義について、「嵐の櫻井翔が出ているから」ということでニュース番組を見たり、ニュースに関心を持ったりする人がいる事だと語っている[98]。2018年4月23日、毎日新聞のインタビューにて、かつては「報道をやりたい」「音楽番組の司会をやりたい」と将来を考えていたが、今は将来を思い描かず目の前のことに100%の力で向き合うことに注力していると答えている[99]。「news zero」内の企画でユニバーサルマナー検定2級を満点で合格した[100]。 Newsweek日本版2021年3月16日号 特集:『3.11の記憶 東日本大震災から10年』に1万字の長編ドキュメントを寄稿した[101]。 Newsweek日本版2021年12月14日号特集:『真珠湾攻撃・日米開戦80年 戦争の記憶』特集に『前編 櫻井翔と「戦争」戦没した家族の記憶』、Newsweek日本版2021年12月21日号特集:『真珠湾攻撃・日米開戦80年 戦争の記憶』特集に『後編 櫻井翔と「戦争」戦没した家族の記憶』に2万5000文字の長編ドキュメントを寄稿した[102][103]。後編には日本近代史家の秦郁彦へのインタビューを行っている[104]。 ジャニー喜多川性加害問題について、2023年5月29日『news zero』の放送にて、「臆測で傷つく人たちがいる。」「被害を訴える方々ならびに、本日提出した署名をした皆さんの思いを重く受け止め、二度と、このような不祥事が起こらない体制を整えなければならないと思います。」と応えた[105]。 交友関係・エピソード芸能人で交流があるのは俳優の妻夫木聡[106]、佐藤隆太[107]など。妻夫木と櫻井は『天国に一番近い男』の共演後に意気投合し、かつては毎日のようにカラオケに行っていたという[106]。 中曽根康隆衆議院議員とは6歳から学校が同じで幼馴染である[108][109]。 大学の同級生にラグビー日本代表キャプテンを務めた廣瀬俊朗がおり、2013年10月28日放送の『NEWS ZERO』で対談をしている[110][111]。また、グルメエンターテイナーであるフォーリンデブはっしーとは中等部からの同級生である親友であり、プライベートでは「さくしょう」「あきら」と呼び合う仲である[112]。なお、「サクショウ」とは小学校時代からの友達にも呼ばれているニックネームである[14]。 DREAMS COME TRUEと親交があり、2019年3月21日放送の『DREAMS COME TRUEのオールナイトニッポンGOLD』にサプライズ出演した[113]。また2021年11月15日放送の『news zero』で鼎談をした[114]。 本人が主演を務めた映画『神様のカルテ』の深川栄洋監督は、彼の特性を「キレない強さ」だと評し、「(彼は)自身が傷つくことを恐れないし、我慢して考え抜けば必ず自分の糧、太い筋肉になると知っていて、そのための努力ができる人」と語っている[115]。また、本人が主演を務めたフジテレビ系ドラマ『家族ゲーム』の稲田秀樹プロデューサー曰く、「普段からジャーナリスティックな視点で物事を見ている」とのこと[116]。更に本人が主演を務めたフジテレビ系ドラマ『家族ゲーム』で共演した俳優の神木隆之介からは「先生」と呼ばれている。[117] 2012年にテレビ番組で櫻井と対談した当時の日本代表サッカー選手である長友佑都は、櫻井の印象について「櫻井さんはすごくインタビュー上手で話しやすかったよ。色んな人にインタビューして頂く機会があったけど、櫻井さんは特に話しやすかったな。さすがやね。」と語っている[118]。また、同じくテレビ番組の企画で2015年に櫻井と対談した当時の日本代表サッカー選手であり、慶應義塾大学の後輩でもある武藤嘉紀は、「とても刺激を受けた。話をしていて、人を惹きつける力を持っている方。自分もそういう力を自然と出せるようになりたい」と語っている[119]。 価値観嵐に対する考え方「(自分は)嵐でなければ何もできない。嵐だからというのが僕らの存在理由。」と考えており[120][121]、「仲がいい嵐を好きな人が多いから、これからも仲良くし続けるということにはしたくない。クリエイティブなことをしていく中で、肩を一緒にくんでいる感じがいい状態だと思っている。」と語っている[122]。また、「将来的には『嵐』という木の幹を太くして[123]、成熟した大人のグループになっていくと同時に、見る人の心を温めるようなグループになっていきたい[26]、そしてそのためにも今後もずっと嵐のメンバーであり続けたい[26]。」とも語っている。 2019年1月27日の嵐の活動休止に関する記者会見では、「無責任じゃないかという指摘もあるのでは?」と記者から質問されたが、「我々からの誠意は、およそ2年近くの期間をかけて、感謝の思いを伝えていく期間を設定した。これが我々の誠意です。その姿勢と行動をもって、それが果たして無責任かどうかというのを判断していただけたらと思います」と回答した。質問をした記者に対してはインターネット上で「失礼」との批判が噴出したが、一方で櫻井の対応を称賛する声も多々あった[124]。本人は日本テレビ系ニュース番組『news zero』に出演した際に「あのご質問をいただいたおかげで、結果としてきちんと我々の思いの丈が温度をのせて伝えることができた」と述べている[125]。 恋愛観好きだから一緒にいたいという気持ちが恋愛の全てだという恋愛観を持っている[126]。2013年4月11日放送の『はなまるマーケット』出演時には、「お互いが成長する関係とお互いに刺激を受ける関係とか言うけど。あれ、いらない!」「好きだから一緒にいるわけで、一緒にいたいから一緒にいるという動機しかない。成長を求めることはない」と持論を語った[68]。また、結婚については「結婚することで安定が得られるというのはまやかし。期待しないくらいがちょうどいい。」と述べている[127]。 受賞歴
音楽ソロ曲CD収録曲
CD未収録曲
カバー曲
ユニット曲CD収録曲
参加楽曲
手がけたラップm-flo・VERBALに勧められ、自らリリックを書くようになったのはアルバムでは2002年発売の『HERE WE GO!』、シングルでは2003年発売の『君がいいんだ』以降である[130]。以来、嵐の曲と自身のソロ曲のラップ詞は、シングル『夏疾風〈初回限定盤〉』収録曲「After the rain」を除き[131][132]、全て自身が手がけている[26]。自身が作詞し曲中で唄うラップ部分は総称してサクラップと呼ばれている[133][134]。 シングル収録曲
アルバム収録曲
デジタルリリース曲
CD未収録曲
提供曲
出演→嵐としての出演については「嵐 (グループ) § 出演」を参照
※主演は太字表記 テレビドラマ
映画
テレビアニメ
舞台
テレビ番組現在放送中の番組
バラエティ番組
報道番組
スポーツ番組
音楽番組
子供向け番組
ナレーション特別番組
コンサート
個展
ラジオ
ラジオドラマいずれも朗読劇。 配信
イベント
映像作品
CM
書籍
雑誌連載
脚注注釈
出典
外部リンク
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