宮内淳
宮内 淳(みやうち じゅん、本名:宮内 博史(みやうち ひろし)[1]、1950年5月28日 - 2020年8月14日[2])は、日本の俳優。 来歴・人物愛媛県伊予郡松前町出身[3]。小学生の時に大阪市内へ転居[3]。大阪府立阿倍野高等学校卒業。高校の先輩に逸見政孝がいる。西南学院大学中退[3]。 中学生、高校生の頃はバスケットボールをやっていた[3]。幼少のころは航空機のパイロットに憧れ、航空大学校への入学を目指すが、皮肉にも勉強のし過ぎで視力が低下。航空大学校の身体検査基準を満たさなくなり、パイロットの夢を断念。芸能界に目を向けるようになった[4]。ただ「元々メカには弱い」と話していたこともある[3]。 いくつかの小劇団を渡り歩いた後、1974年、文学座附属演劇研究所に入所し[3]、1975年卒業。同年10月からはテレビドラマ『太陽にほえろ!』(NTV)に田口刑事(ボン)役でレギュラー出演し、一躍人気者となる、その人気ぶりは、予定されていた殉職がファンの嘆願により2度も引き伸ばされたほどだった。結果、新人刑事役として4年近く在籍した。しかし本人は、「“ボンボン”って言われるのが嫌」だったことがあり、何とかこのイメージを崩そうと必死だったと話していたことがある[5]。 1979年にはボンこと田口刑事の役で4年近く出演した『太陽にほえろ!』を殉職という形で降板した。殉職のシーンは森の石松からインスパイアーされたものとのこと[6]。同年、『あさひが丘の大統領』(NTV)でテレビドラマ初主演を果たし、頭の上がらない熱血教師・“ハンソク”こと大西先生役を演じて話題を集める。 1982年からは、児童演劇活動を広く行い、影絵劇団「かしの樹」主宰をはじめ、子どもの情操教育に力を注いできた[7]。 1990年には趣味のスカイダイビングで連盟を発足させ、自ら理事長となった[7]。 50歳を過ぎると芸能活動はほぼ停止し、環境問題の啓発活動に力を入れるようになる[7]。きっかけは1980年代から1990年代に旅番組のリポーターとして世界中を旅したことであり、2004年に公益財団法人「地球友の会」を設立[7]し、代表理事となる。また国連環境計画(UNEP)の普及活動を行う一般社団法人「日本UNEP協会」の事務局長を中心に活動した。 その後の目立ったメディア出演として、『太陽にほえろ! 1979 DVD-BOX II』(2008年発売)収録特典のアンソロジーメイキング[8]や、BS朝日『極上空間』の石原裕次郎没後25年特別編(2012年6月9日放送)[9]がある。そのほか「冒険家」として中京テレビの番組に出演し、スカイダイビングを披露した[10]。 2019年2月、初めての著書『「あの世」が教えてくれた人生の歩き方』(サンマーク出版)を上梓。出生から「太陽にほえろ!」時代のエピソード、そして現在の生き方に至るまでが書かれている。メルマガ【宮内淳の「先祖が教えてくれる人生の歩き方~「あの世」と「この世」と宇宙の真実の姿~】も配信した。 また、公益財団法人「地球友の会」において10月1日を「和の日」として登録したことを契機として、「和の日実行委員会」を立ち上げ、日本の伝統文化の普及を通して和の精神を世界に広める活動に力を入れた。 2020年8月14日、直腸がんにより死去。70歳だった[7]。同年9月6日、代表理事を務める公益財団法人 地球友の会より公表された(「訃報 宮内淳 逝去に関するお知らせ」)。それによると「静かに送ってほしいとの故人の強い願いに従い」、葬儀は近親者のみにて済ませた。また「日頃から宮内は、死ぬということはこの世でのお役目を終えて卒業し、次のステージに行けるということでもあるのだから、どうか悲しまないでほしい、と語っておりました」と記されている。 主な出演映画
テレビドラマ
テレビCMディスコグラフィシングル
アルバムオリジナル・アルバム
オムニバス・アルバム
脚注
関連項目
外部リンク
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