酒井 宏樹(さかい ひろき、1990年4月12日 - )は、長野県中野市出身のプロサッカー選手。Aリーグ・メンのオークランドFC所属。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。元日本代表。
株式会社ASSIST取締役。
経歴
プロ入りまで
父親の故郷である長野県中野市で生まれる[2]。「宏樹」という名前は父親から「樹」の一字を取って名付けられた[2]。幼い頃に千葉県柏市に引越し、年の離れた2人の兄の影響でサッカーを始め、小学3年生の時に地元のクラブチームに入団[3]。当時はフォワードを務めていた[3]。
小学6年生の時、一度練習に参加したことがきっかけで、柏レイソルの下部組織で練習生としてプレーするようになり、2003年、中学入学と同時に柏レイソルU-15へ正式加入[3]。
吉田達磨の指導の下、酒井、工藤壮人、比嘉厚平、山崎正登、武富孝介、仙石廉、指宿洋史、島川俊郎、畑田真輝という計9名のプロ選手を輩出した柏レイソルユース「黄金世代」の一員として[4]、初めは右サイドハーフ、中学3年生頃から左サイドバックを担当[3]。吉田はディフェンスラインの裏へ出て行くタイミングの良さや、スペースへ入ってくる選手にクロスを合わせる独特の感覚を持っていた酒井の才能を見抜き、あえてオフェンス面には手を加えず、課題のあったディフェンス面やポジショニングを中心に指導を行った[4][5]。
2006年、柏レイソルU-18へ昇格。同年、U-16日本代表に選出され、フランス遠征を経験した[6]。
高校3年次の2008年、比嘉と共にトップチームの2種登録選手となったが[7]、公式戦出場はなかった。柏レイソルU-18の選手としては、第32回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会で準優勝を飾ったほか、ビジャレアル国際ユーストーナメントでは、リヴァプール、アヤックス、セルティックといった強豪を破って3位に輝いた[8]。
柏レイソル時代
2009年、工藤、比嘉、山崎、武富、仙石と共にトップチームへ昇格[注 1]。同年6月、武富と共にサンパウロ州選手権1部・モジミリンECへ留学した[9]。モジミリンでは右サイドバック、センターバックとしてプレーし、特に守備面で大きな経験を得たが[10][11]、11月の帰国後も公式戦出場は叶わず、J2降格の憂き目に遭った。
2010年、J2第11節ヴァンフォーレ甲府戦で公式戦初出場。J2第32節水戸ホーリーホック戦で公式戦初得点を記録した。主にレギュラー不在時のバックアッパーとして[10][12]、リーグ戦9試合に出場し、クラブも1年でJ1へ復帰した。
2011年、右サイドバックとしてプレーした練習試合で2アシストを決めたことがきっかけとなり、J1第7節大宮アルディージャ戦に先発出場[12]。それまではセンターバックの選手と見做されていたが[12]、右サイドでレアンドロ・ドミンゲスと強力なコンビを形成してレギュラーに定着すると、一気に大ブレイク。同年5月、U-22日本代表に初選出され[13]、10月にはA代表にも初選出された[14]。最終的にリーグ戦27試合に出場し、Jリーグ史上初となる昇格初年度でのJ1優勝を達成。Jリーグベストイレブン、Jリーグベストヤングプレーヤー賞を同時受賞した。2011 FIFAクラブワールドカップでも全4試合に出場し、サントスFC戦で得点を記録。同監督のムリシ・ラマーリョから称賛を受けたほか[15]、FIFA公式サイト上で茨田陽生と共に「柏の誇るヤングスター」と紹介された[16]。
2012年、前年の活躍により、FIFA公式サイト上でチアゴ・アルカンタラ、ユリアン・ドラクスラーらと共に「2012年注目の若手選手13人」として取り上げられ[17]、ボルシア・ドルトムントなど7、8の海外クラブから獲得オファーが舞い込む争奪戦となったが[18][19]、最も獲得に熱心だったドイツ・ブンデスリーガのハノーファー96への移籍を決断[19]。柏でのラストゲームとなったJ1第16節ガンバ大阪戦を6-2の圧勝で締め括り[20]、ドイツへ渡った[21]。
ハノーファー時代
2012年7月1日、移籍金約100万ユーロ(1億円)でハノーファー96へ移籍[22]。契約期間は3年間、プラス1年のオプション付き[22]。入団直後にクラブを離れて参加したロンドン五輪では、初戦スペイン戦で左足首を捻挫[23]。1次リーグ2試合を欠場した後、決勝トーナメントからスターティングメンバーに復帰し[24]、ベスト4まで勝ち進んだが、惜しくもメダル獲得を逃した。
2012-13シーズン、UEFAヨーロッパリーグ予選プレーオフ第2戦シロンスク・ヴロツワフ戦で移籍後公式戦初出場。ブンデスリーガ第4節ホッフェンハイム戦でブンデスリーガ初出場を果たした。ロンドン五輪参加のためシーズン前のキャンプに参加できなかったことに加え、ブンデスリーガのプレースピードの速さや、柏時代とは大きく異なるチーム戦術への適応に苦しみ[25]、試合に出られない時期が続いたが、シーズン終盤には出場機会を増やし、右サイドハーフとして先発した第33節レバークーゼン戦でブンデスリーガ初アシストを記録した[26]。
2013-14シーズン、スティーブ・チェルンドロの負傷離脱もあり、開幕から右サイドバックの定位置を確保。第11節ヴェルダー・ブレーメン戦でゴール正面約30メートルの距離から強烈な無回転シュートをネットに沈め、ブンデスリーガ初得点を記録した[27]。冬のリーガ中断期間に期限付き移籍で加入したチェコ代表のフランティシェク・ライトラル(英語版)にもポジションを譲らず、右膝蓋腱炎を抱えながら出場を続けていたが[28]、チームの1部残留確定後は休養した。
2014-15シーズン、一時期控えに回ることもあったが、シーズン終盤はスタメンに復帰し存在感を見せた。
2015-16シーズン、ハノーファー96に山口蛍も加わり日本代表が3人になった。酒井自身は、26試合に出場。第31節のインゴルシュタット戦では得点を挙げたが[29]、チームは降格となった[30]。契約満了によりこのシーズンでハノーファーを退団した。
オリンピック・マルセイユ時代
2016年6月24日、フランス・リーグ・アンのオリンピック・マルセイユへの完全移籍が発表された[31]。この時スコットランドのセルティックFCやオランダのアヤックス・アムステルダムなどからもオファーが来ていたが、日本代表ヴァイッド・ハリルホジッチ監督からアドバイスを貰ったこともあり、マルセイユを選んだという[32]。8月14日に行われたトゥールーズFCとの開幕戦でデビュー戦をフル出場で飾った[33]。2017年2月12日、第25節のFCナント戦で初アシストを記録。移籍1年目となった2016-17シーズンは、GKヨアン・プレを除くフィールドプレーヤーで出場時間最多となる35試合(計3012分)に出場し、レギュラーとして活躍した[34]。右サイドでコンビを組むフロリアン・トヴァンからは「酒井のおかげで良いシーズンが過ごせたと言うのは、恥ずかしい事ではない」と好評し、リュディ・ガルシア監督からも今季の出来を称賛された[35]。
2017年8月7日、ディジョンFCO戦にて2年連続で開幕節からスタメンで出場し、9月29日にマルセイユと2021年まで契約延長したことを発表した。2018年4月12日、UEFAヨーロッパリーグ準々決勝2ndレグRBライプツィヒ戦で終了間際にマルセイユ移籍後初得点となる貴重な追加点を挙げ、チームの14年振りのELベスト4進出に貢献した。しかし同年4月23日の第34節リール戦で内側側副靭帯を損傷し、3週間の離脱を余儀なくされた[36]。
2019年5月18日、リーグ・アン第37節のトゥールーズFC戦でリーグ初ゴールを挙げた[37]。シーズン終了後にファンが選んだ年間クラブMVPに選出された[38]。
2021年5月24日、5年過ごしたマルセイユを退団することをSNS上で発表した[39]。
浦和レッズ時代
2021年6月10日、J1リーグの浦和レッズへの完全移籍が発表された[40]。Jリーグでは9年ぶりのプレーとなった。8月14日、第24節のサガン鳥栖戦で移籍後初出場を果たした[41]。更に、東京五輪にオーバーエイジとして参加し、前回出場したロンドン五輪に続き2度目のベスト4進出に貢献した。
2022年、チームの副キャプテンに任命された。
2023年、チームのキャプテンに任命された。AFCチャンピオンズリーグ2022で浦和を3回目の優勝に導き、大会MVPを受賞した。10月20日のJ1第30節・柏レイソル戦でJ1通算100試合出場を達成した。
2024年、引き続きチームのキャプテンを務めた。3月10日、J1第3節・北海道コンサドーレ札幌戦で決勝ゴールを挙げ、チームの今季初勝利に貢献した[42]。6月24日、海外クラブへの移籍準備のためチームを離脱した[43]。
オークランドFC時代
2024年7月25日、Aリーグ・メンのオークランドFCへの完全移籍が発表された[44]。更にチームキャプテンを務めることも発表された。10月19日、オークランドのホーム、Go Mediaスタジアムにて開催されたブリスベン・ロアーFCとの開幕戦、開始8分で高速クロスからクラブ史上初得点となるオウンゴールを誘発し、クラブの初勝利に貢献した。
日本代表
2012年5月23日、キリンチャレンジカップ・アゼルバイジャン戦で国際Aマッチ初出場[1]。その後は同じ右サイドバックを務める内田篤人と出場機会を分け合いながら[45][46]、2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選、FIFAコンフェデレーションズカップ2013などに出場した。2013年11月19日に開催された国際親善試合ベルギー戦では、得意のクロスボールから柿谷曜一朗の先制点をアシストし、3-2の勝利に貢献した[47][48]。2014 FIFAブラジルワールドカップのメンバーにも選出されたが[49]、本大会での出場機会はなかった。
2018年6月、ロシアワールドカップメンバーに選出され、第1戦目のコロンビア戦でW杯初出場を果たした。本大会は4戦全てにフル出場し、チームのベスト16に貢献した[50]。その活躍ぶりを仏レキップ紙は「日常的にリーグ・アンで活躍し、W杯で記録を残している外国人選手」7人の内に酒井を選出しており、セネガル戦のユスフ・サバリとのマッチアップは素晴らしい攻防だったと評価している[51]。
同年11月16日、大分銀行ドームで行われたキリンチャレンジカップのベネズエラ戦にて、日本代表49試合出場にして初のゴールを決めた。
2022年11月1日、2022カタールW杯に臨む日本代表に選出された[52]。3大会連続のワールドカップ選出となった。初戦のドイツ戦でスタメン出場を果たすも、後半に負傷交代[53]。その影響でGL残り2試合を欠場するも、決勝トーナメント1回戦のクロアチア戦で途中出場から復帰を果たした。しかし、チームはPK戦の末敗退した[54]。
プレースタイル
スピーディーかつダイナミックなオーバーラップと、右足から放たれる鋭利な高速クロスが持ち味のサイドバック[5]。フランスに渡ってからはセンターバックもすることが有る[55]。2011 FIFAクラブワールドカップにおけるプレーは、FIFA公式サイト上で「日本版ダニエウ・アウヴェス」[16]、イタリア紙ガゼッタ・デロ・スポルトからは「右サイド版長友」と喩えられた[56]。
サイドバックとしては恵まれた体躯を持ち、外国人選手との激しいフィジカルコンタクトにも屈しない[5]。高い身体能力は、柏レイソル時代のフィジカルコーチであるカルロス・アルベルト・ピメンテウから「アジリティー、パワー、スピード、持久力、どれもパーフェクトに近い。どんなフィジカルコーチでも、ああいう選手と仕事をしたいと思うだろうね」と絶賛されている[19]。元日本代表監督のハリルホジッチは「柔軟さと度量があって、申し分のない選手だ」「モンスター級のフィジカルを持っている」とフランスメディアLe Phocéenのインタビューに答えている[55]。
2020年4月、イギリスメディアの選ぶ21世紀の日本代表ベスト11に選ばれ、「ドイツで最高レベルの経験を積んだ後、フランスに渡った。日本では海外で成功した選手としての象徴」と評された[57]。
高速クロス
高速のクロスボールは、しばしば彼の代名詞として語られる[58]。ユース時代のチームメイトである工藤壮人は「酒井はあのクロスをジュニアユースの頃から蹴っていた」と証言している[5]。
高速クロスを上げる際は、本人曰く「人に合わせるよりもスペースに出すような」イメージで、右足のインサイドでボールの側面をこすり上げ、内側に回転をかけている[58]。回転のかかったボールは相手ゴールキーパーから逃げるようにカーブの軌道を描き、ゴール前で急速に落ちていく[59]。
また、振り抜かれる右足のモーションが小さく、対面する相手をかわし切る前でも自分の間合いに持ち込めば蹴ることが出来るため、ブロックを受けにくい点も特長である[59][60]。
人物像
所属クラブ
個人成績
その他の公式戦
- 2012年
- 2022年
- FUJIFILM SUPER CUP 1試合0得点
その他の国際公式戦
- 出場歴
タイトル
クラブ
- 柏レイソル
- 浦和レッズ
個人
代表歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 74試合 1得点(2012年 - 2022年)[1]
出場
ゴール
脚注
注釈
- ^ ユースから6人がトップチームへ昇格したのは、2013年現在、クラブ史上最多。
出典
関連項目
外部リンク
タイトル・受賞歴 |
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J1 |
1990年代 |
- 93: 大野俊三, 柱谷哲二, ペレイラ, 井原正巳, 堀池巧
- 94: ペレイラ, 井原正巳, 名塚善寛
- 95: 相馬直樹, 井原正巳, ブッフバルト
- 96: 相馬直樹, 井原正巳, ブッフバルト
- 97: 相馬直樹, 井原正巳, 秋田豊
- 98: 相馬直樹, 田中誠, 秋田豊
- 99: 中澤佑二, 斉藤俊秀, 森岡隆三
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2000年代 |
- 00: 秋田豊, 洪明甫, 松田直樹
- 01: 大岩剛, 秋田豊, 名良橋晃
- 02: 鈴木秀人, 田中誠, 松田直樹
- 03: 坪井慶介, ドゥトラ, 中澤佑二
- 04: 田中マルクス闘莉王, ドゥトラ, 中澤佑二
- 05: ストヤノフ, 田中マルクス闘莉王, 中澤佑二
- 06: 田中マルクス闘莉王, 山口智, 加地亮
- 07: 岩政大樹, 田中マルクス闘莉王, 山口智
- 08: 岩政大樹, 内田篤人, 中澤佑二, 田中マルクス闘莉王, 山口智
- 09: 岩政大樹, 内田篤人, 田中マルクス闘莉王, 長友佑都
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2010年代 |
- 10: 田中マルクス闘莉王, 増川隆洋, 槙野智章
- 11: 近藤直也, 酒井宏樹, 田中マルクス闘莉王
- 12: 駒野友一, 田中マルクス闘莉王, 水本裕貴
- 13: 那須大亮, 森重真人, 中澤佑二
- 14: 太田宏介, 森重真人, 塩谷司
- 15: 槙野智章, 森重真人, 太田宏介, 塩谷司
- 16: 昌子源, 槙野智章, 森重真人, 塩谷司
- 17: 昌子源, 西大伍, エウシーニョ, 車屋紳太郎
- 18: 西大伍, エウシーニョ, 車屋紳太郎, 谷口彰悟
- 19: 室屋成, 森重真人, チアゴ・マルチンス
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2020年代 |
- 20: 山根視来, ジェジエウ, 谷口彰悟, 登里享平
- 21: ジェジエウ, 谷口彰悟, 山根視来
- 22: 谷口彰悟, 岩田智輝, 山根視来, 小池龍太
- 23: アレクサンダー・ショルツ, マリウス・ホイブラーテン, 毎熊晟矢, 酒井高徳
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J2 |
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J3 |
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ベストイレブン(GK - DF - MF - FW) - JCB |
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