若本規夫
若本 規夫(わかもと のりお、1945年10月18日[1][2][3][14] - )は、日本の声優、俳優、ナレーター[9]、元警察官。シグマ・セブン所属[10]。山口県下関市出身[6]、大阪府堺市育ち[7]。旧芸名は若本 紀昭(わかもと のりあき)[2][15]。 代表作に『サザエさん』(アナゴ〈2代目〉、花沢さんの父)、『ドラゴンボールZ』(セル)、『銀河英雄伝説』(オスカー・フォン・ロイエンタール)、『人志松本のすべらない話』(ナレーション)などがある[16]。 来歴生い立ち山口県下関市長府で生まれる。2人の兄が「ネズミぐらいの大きさ」と極端に表現するほどの未熟児で、取り上げた産婆曰く「葬式の用意をしなくてはいけないかも」と言うほどの危うさだったという。2歳の時、神戸製鋼の技術者だった父親が公職追放され、一家で大阪府堺市に引っ越す[17]。 小学校時代は、4年生までは担任教師から体罰を受ける日々を過ごしたが、4年生の途中で転校してからは担任教師に恵まれ、充実した学生生活を送る。高校は、父親と相談の上で理系の関西大学第一高等学校に進学するが、授業についていけず、高校3年の時に担任教師の後押しもあって文系に移ってからは好成績を残した[17][14]。 大学は、早稲田大学法学部に進学。講義の内容には興味が持てなかったが、当時は少林寺拳法に熱中し大学には通っていた[6][18]。在学中、住み込みで牛乳配達のアルバイトを2年半行い、当時の会社員の初任給ほどは稼いでいたので[19]、就職は考えず司法試験や大学院進学を考えていたが、大学院試験に落ちたことに加え家庭の事情もあり10月から就職活動を開始。中堅の貿易会社[20]を一つ紹介してもらい三次試験まで残るも、重役面接[20]前の散策中に見学した社員の働きぶりに気が萎え、「おなかが痛いので失礼します」と告げ受験を放棄する[21]。その後「ハラハラドキドキする仕事」と就職課に相談したところ、募集を教えてもらったことで警視庁に締切間近で書類を出して採用された(当時は警察官不足だったので毎月試験を行っていた)[14]という。 社会人時代警視庁警察学校を経て、蔵前と浅草が担当の所轄署で交番勤務となる。当時は学生紛争が過激化していた情勢下で、1968年の新宿騒乱事件では、特別機動予備隊員として[22]最前線で攻防に加わったこともある。だが勤務するうちに、相手に情が移って交通違反の切符を何度か見逃していたところを上司に見つかり、説教を受ける中で「自分は法を執行する側の人間ではない」と悟り、1年で警察官を辞める[23]。 その後、知人の誘いで日本消費者連盟の事務局メンバーになる。仕事にはやりがいを感じたものの、組織内の折り合いが悪く、とある会議内で罵倒交じりの口論をした際に、黙して語らない委員たちに落胆し、2年で辞めることになる[23]。 声優の道へ本人によると、声優になる決意をしたきっかけは「消費者連盟で上司を殴り飛ばし、解雇された後に安酒をかっくらって電車で帰る途中、シートで横になっていると上の棚に置いてあった新聞が顔に落ちてきた」ことだったという[12]。新聞には黒沢良が主宰する声優養成所「黒沢良アテレコ教室」のオーディション[24]の広告があり、その日は特に何も思わずに過ごしたが、次の日になるとそれまでの経験から「自分は組織や団体というものに向いていない。何か手に職をつけて、腕っ節一つだけでやっていける仕事に就くしかない」と思い、新聞広告のオーディションに参加。オーディション当日、会場に到着すると約400人以上の若者たちがいたといい、若本が「何人採るの?」と参加者の1人に聞いたところ「20人」と返され、自身の受験票を見ると受験番号が「200番台後半」だったという[25][13]。 一度はやめようと思ったが、採用人数を教えてくれた参加者が可愛い娘だったことに加え、「もう受験料を払ってしまったのだから受けるだけ受けよう」という気持ちから受験を決心[25]。とにかく刷られた台詞を無我夢中で吹き込んだという。結果、養成所の最高権力者だった東北新社の中野寛次に認められ、全員不合格とした他の審査員の意見を跳ね除けた上で採用された[13][14][24]。 1週間後[26]、合格通知が届いた時に何気なく空を見たら、流れ星が見えたことから「これはもうやることだ」と決意し、異色の経歴でありながら25歳で声優界へと歩みだしたという[13][14][24][27]。 キャリア黒沢良アテレコ教室に合格した23人中、演技経験が全くない唯一の生徒であり、半年で終わる授業を3か月延長し、発声練習や脚本の読み込みなどの基礎訓練を教わった上で同養成所を卒業。当時は声優不足で、授業の延長期間中に早くも仕事の依頼が来ていたという。同期生に、一龍斎春水(麻上洋子)、村山明、谷口節などがいる[28]。 卒業後は黒沢の事務所に仮住まいの形で面倒を見てもらい、26歳の時に黒沢が主演の吹き替えを担当していた『FBI特捜班(FBIアメリカ連邦警察)』の刑事役でデビュー[12][13]。デビュー当日に現場でマイクコードに転んでしまうなど、日本独特のマイクワークに戸惑う日々を送り、先輩の納谷悟朗や野沢那智、若山弦蔵などが、台本と画面を見ながら見事に合わせていく光景に、只々驚嘆していたという[29]。同期の声優は、玄田哲章と銀河万丈 [5]。 当時のアニメは『鉄腕アトム』などが放送されている創成期で本数が少なく、活動の主流は外国映画の吹き替えだった。複雑な台詞を必要としない娯楽作が中心で、恋愛ものなど台詞を練る必要のある作品も少なく、起用に繋がったという。少林寺拳法で鍛えた荒ぶる地声が、西部劇など当時主流だったアクションものと合致して、新人でありながら仕事の本数を増やしていくが、声優教室出身者は商売敵として、同業声優たちから目の敵にされた。しかし「うまくなれば文句も言われないだろう」と前向きに考え、多忙期は月20 - 30本もの収録をこなしていたが、1本3000円のギャラでは食えないため、声優たちによるストライキに参加し、1本15000円、放送時間による時間割増、再放送時のリピート料の支払いなどの権利を得ることで、30歳を超えた頃、ようやく安定収入を確保できるようになった[29]。 『特捜班CI-5』が一つのターニングポイントであり、アニメでのターニングポイントとなったのは『トップをねらえ!』、『銀河英雄伝説』。それまで、アニメでは大きな役がなかったが、『魔境伝説アクロバンチ』の蘭堂ヒロ役がテレビアニメでの初レギュラーを獲得[2][3]。初主演はOVA『装鬼兵MDガイスト』のガイスト役で、テレビアニメでの初主演は『吉永さん家のガーゴイル』のガーゴイル役となる[12]。1980年代頃から「ぼつぼつ自分らしさが出てきたのかな」という感じだった。しかし下手で、あの頃の作品は見てられなかったという[13]。 デビュー以来、売れっ子ではないがそれなりに仕事をこなし、キャリアを順調に伸ばしていたが、50代間近に仕事がレギュラーのみとなり、新規の仕事依頼がないことに気づく。出演作を多角的に顧みた結果、自身の演技が形骸化し、深みのある声作りが出来ておらず、飽きられていると悟る。そこで50歳を機に一念発起し、既存のスタイルを全て放棄して一から声の作りを鍛え直す決断をする。それまで、声優定番の外郎売や歌舞伎の口上など発声練習は勿論、40代からは個人が主催する呼吸法や強健術を鍛錬に採り入れていたが、海外の演奏家や歌手の言動を参考に、1日1時間だった発声鍛錬を3時間に延ばし、起床時間を毎朝8時から5時に改めた。そして3時間分に収まる鍛錬法を探し、古神道の祝詞をあげる行法を習うべく、数年、東北へ通い詰め、既存の鍛錬に、祝詞をあげ続ける鍛錬を2時間加えた。同時期に、客の反応で台本を柔軟にアドリブで崩す大道芸の口上に着目して鶯谷へ数年通い、さらには声色で何役もこなす浪曲、日本語にない呼吸法を必要とする声楽、圧倒的な肺気量を使う尺八にも、それぞれ講師から授業を1年から10年ほど受けた結果、独自の鍛錬法を確立させて今日に至る[30]。 2000年代以降はアニメやゲームへの出演が増加した。それまでは『サザエさん』のアナゴさん役に代表されるような脇役が多く、決してアニメ方面で売れていた存在ではなかったためナレーションを中心に活動していたが、その独特のイメージを築き上げたことで、アニメファン層に性別問わず絶大な人気を誇る声優の1人に数え上げられるようになっている。その人気にあやかって若本規夫が読み上げる『小倉百人一首』などが販売されたこともある。 所属は、テレビタレントセンター[31]、黒沢良事務所[31]、NPSテアトル[2]、東京俳優生活協同組合[3][32]を経てシグマ・セブンとなった[10]。 人物特色声優としては、数多くのテレビアニメ、外画吹き替え、ナレーションなどで活躍している[9]。 渋さと鋭さを併せ持つ声質が特徴[14]。主に悪の組織のボスや悪役・権力者を演じることが多い。二枚目や二枚目半を演じることもある。特にサ行の息遣いが特徴的で、プロフェット5というシンセサイザーの音質に似ているという[33]。堺市育ちであるため泉州弁のセリフをこなすこともある。 台詞にはアドリブが多く、『テイルズ オブ デスティニー2』で若本が演じたバルバトスはシリアスな悪役であったが、『テイルズ オブ シリーズ』の特典DVDでは台詞の字幕がないことをいいことにアドリブを行い続けた結果、通常とは異なるギャグキャラクターと化している。『テイルズ オブ イノセンス』の特典DVDのキャストコメントでは子安武人に「台詞通りに喋らない」と言われたほどでもある。特典DVDでの影響からか、その後に発売されたシリーズ共演『テイルズ オブ ザ ワールド レディアントマイソロジー2』などでのゲスト出演では、台詞字幕も含めてコミカルなボスキャラクターへと変貌し、作品を追うごとに当初のシリアスなイメージからかけ離れていっている。 また、『人志松本のすべらない話』や『嵐にしやがれ』など、各種ナレーションも多く担当している。『投稿!特ホウ王国』のナレーションではうねるような独特の言い回しを多用し、これ以降大きく弾けたギャグキャラクター役に抜擢されることも多くなった。この「うねるような独特の言い回し」を当人は「若本節」と表現している[34]。 後輩声優の間からも、憧れの存在として見られることが多く、中でも杉田智和は田中理恵が先立って共演したことに対して羨望のまなざしを送り、後年若本との共演を果たした際にはかなり感激していた。 アニメ『銀魂』で松平片栗虎が登場した際、原作者の空知英秋が「松平は『サザエさん』で穴子さんの声をやっている人がいい」と雑談がてら作画監督と話した結果、本当に若本が割り当てられたという。 エピソード専業声優が確立する前から活動している人物の中には、声優業を役者業における副業やアルバイト的役職としか見なさない者が多い中で、「声優は役者とは別物」という姿勢の一人である。また、自身も舞台を数多く踏んだが、本人は「あんまり、役に立たなかったなあ、分からないけどね」とも語っている[35]。本人曰く声優とは瞬間芸[36]、「アーティスト」であると語っている[35]。なお、若本自身はひらめき重視の瞬発型であり、声優業が性に合う反面、順序立てが苦手であり、稽古による積み重ね重視の俳優業には向いていないと考えている[37]。 初恋は幼稚園生の頃で、目鼻立ちがハッキリした美人の先生だったが、その先生が幼稚園を辞める際の記憶は今でも鮮明に覚えているという[38]。 還暦を過ぎても若々しい体を保っている。少林寺拳法三段[10]、全日本剣道連盟三段の資格を有しており、業界有数の“武闘派”という一面も持つ。声優、俳優としての身体を鍛えるために武道や古神道を学び、オペラや大道芸、浪曲、虚無僧尺八などの経験もあるとのこと[24]。その他に神道の資格である禊流古神道神法教傳会師範代を持つ。声を使う仕事であることを重視し、喉や肺活量を維持するための日々の鍛錬は怠らず、ヨガや水泳で鍛えている。オフの日には10時間を費やすことも[39][24]。「殴られる役」を演じる際には、顔を殴られるときの声と腹を殴られるときの声を使い分けているという。若本によれば、これは大学時代に4年間習った少林寺拳法および機動隊時代の経験を基にしているとのこと。独特の時代劇のような話し方は趣味で鑑賞した能や歌舞伎を演技の参考にしたという[40]。 若本本人は「自分は他のところで経験や勉強をして、それを仕事で吐き出すタイプ」と思っており、「演じた役から何かを得ることは無い」と話している[41]。また役とハマる時は、「役柄と自身との距離感がない状態にサーッと入って一体化し、肌身に合う感じで自由自在にのめり込むような感覚である」と述べている[42]。 バラエティ番組などで度々放送される声優の本人顔出しリクエスト企画には、出演NGを出す場合もあるが、AT-Xで放送された『番宣部長』など顔出しによる出演も度々ある。 前述の通りギャグキャラクター役として起用されることが多く、『ワイルドアームズ ザ フォースデトネイター』(2005年3月発売)でのガウン・ブラウディア役を演じる際には、「最近はずっとギャグキャラばかりで、やっとマジメな役ができる」と発言していたと制作スタッフが語っている[43]。 テレビ朝日系列で放送していた番組『近未来×予測テレビ ジキル&ハイド』の初期は、ハイドの声としてナレーションしていた。若本は「思いっきり怖くやって下さい」という番組側の要望に応え、「マイクベタ舐めの重低音で地を這うように淡々と読んでいた」と述べている。その後、特番で番組の放送が休止していた期間に、チーフプロデューサーから、若本のナレーションは凄みが利き過ぎて、クライアントや編集周辺から「日曜日のお茶の間の一家団欒を凍りつかせている」といった旨の声が出たとのことで、ナレーション降板を伝える挨拶があった。若本は、語りの力を認められてまんざらでもない気持ちと、レギュラー1本をなくした気持ちとが混ざって妙な気分になったという[44]。 『スーパーJチャンネル』(テレビ朝日)の『ザ・激戦区』のナレーション収録では、マイマイクをMAスタジオ「ザ・チューブ」に持ち込んでいた。自分の声が「入る」マイクにこだわっていたという[45]。また『なりきり!むーにゃん生きもの学園』(Eテレ)のナレーション収録でもマイマイクを持ち込み、その際のマイク位置を、通常の顔正面から口元を狙う位置でなく、斜め前から鼻先と口元を狙う独特の位置で収録しており、担当したMAミキサー曰く「生ギターの録音で、ピッキングする手元やサウンドホールにマイクを置く角度と似ている」という[33]。 『週刊トロ・ステーション』ではピエールが登場するとよく若本関係のパロディが使われる。ピエールの声を若本自身が直接演じたわけではないが、『プリズン・ブレイク』を紹介した際のごっこ遊びでピエールがセオドア“ティーバッグ”バッグウェルの役になったためである。 持ち役について
出演太字はメインキャラクター。 テレビアニメ
劇場アニメ
OVA
Webアニメ
ゲーム
Webドラマ
吹き替え担当俳優
映画
ドラマ
アニメ
人形劇
TV番組ナレーション映画番組バラエティ
ミニ番組報道番組
テレビドラマ
教養番組
クイズ番組スポーツ番組
CMナレーション
その他ナレーション
CD
テレビ
特撮
ラジオラジオドラマパチンコ・パチスロ※各機種の原作と配役が同じ場合、役名を省略。
書籍
その他コンテンツ
脚注シリーズ一覧
注釈出典
参考文献
外部リンク |