東京ディズニーランド(Tokyo Disneyland、略称: TDL)は、千葉県浦安市にある東京ディズニーリゾート内のテーマパーク。
アメリカ以外で建設された最初のディズニー・パークで、1983年4月15日にオープンした[2][3]。オリエンタルランドが所有し、ウォルト・ディズニー・カンパニーからテーマのライセンスを受けている[4]。東京ディズニーランドとその関連パークである東京ディズニーシーは、ウォルト・ディズニー・カンパニーが完全または部分的に所有していない唯一のディズニー・パークである。
年間来場者数は日本のテーマパーク・遊園地の中で第二位の1510万人で、世界の中でも、フロリダ州のウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートのマジック・キングダム、カリフォルニア州のディズニーランド・リゾートのディズニーランド・パーク日本の大阪にあるユニバーサル・スタジオ・ジャパンの次の世界第4位の多さを誇る。[5]
歴史
開業まで
長年にわたり、日本企業のオリエンタルランド社は日本版ディズニーパークの誘致を米国ディズニー社に打診していた。しかし、当時のウォルト・ディズニー・プロダクションズ(現・ウォルト・ディズニー・カンパニー)が、エプコット・センター(現・エプコット、フロリダ州オーランド)を建設中であったことや、多額の投資を必要とする海外テーマパークの経営リスク、奈良ドリームランドの著作権侵害問題などから、米国ディズニー社は、日本版ディズニーランドの直接経営には非常に消極的であった。
そこで日本版ディズニーパークの計画を熱望するオリエンタルランド社は、米国ディズニーとライセンス契約を結び日本版ディズニーランドの建設を行うこととなった。[6]この契約では、米国ディズニー側がパークの設計、運営の指導、クオリティーおよび版権の管理を行うとともにライセンス契約料を受け取り、オリエンタルランド社側が、パークの建設費や運営費などすべての費用を負担するという方式を採用した。この契約は、細かな見直しを除けば現在までほぼ一貫して同じである。また東京ディズニーランド開業後、ディズニーランド・パリ、香港ディズニーランド・リゾートが開業しているが、2020年現在、一番新しい上海ディズニーランドを含め世界で6つあるディズニーのテーマリゾートのうち、パーク運営会社にディズニーが出資しないライセンス形式の運営を行っているのは東京ディズニーリゾートのみである。
日本版ディズニーパークの建設にあたり、オリエンタルランドおよび米国ディズニー社は、米国版ディズニーパークの完全再現にこだわっていたが、ディズニーパークの設計を行う専門組織であるWEDエンタープライズ(現・ウォルト・ディズニー・イマジニアリング)は当時その多くのリソースをフロリダ州のエプコット・センター (現・エプコット)に投入していたため、東京ディズニーランドのパーク施設のデザインは、その大半がフロリダ州オーランドのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートのマジック・キングダムと同じとなっている。特にシンボルキャッスルにおいては、マジック・キングダムと同じ「シンデレラ城」を採用するに至っている。
当時の日本版パークの建設現場では、日本版と米国版パークとの不一致が多数発生した。これは米国ディズニー社側にあった図面に米国版パーク建設中の急な変更が完全に反映されていなかったことが原因とされている。オリジナルである米国ディズニーパークをより忠実に日本版に再現するため、日本側のスタッフは、何度も米国に赴き米国版パークを実測し、それをもとに新たな設計図面が起こされた。
それらの図面類は日本の建築基準法やディズニーの機密保持などの関係もあり、東京ディズニーランド内にある「ドキュメントコントロールセンター」と呼ばれる部署で集中管理され、施設改修時には随時最新版に差し替えられ、すべての図面類をここで保管している。なお、世界のディズニーパークでこのような形で図面を集中管理するようになったのは、東京ディズニーランドが初めてである。
パークの名称については、決定時点ではディズニーとオリエンタルランドの名称を合わせた「オリエンタルディズニーランド(Oriental Disneyland)」や日本を意識した「ディズニーランド・ジャパン(Disneyland Japan)」なども候補に挙がったが、最終的には世界的に有名な都市「東京」圏内にあり、名称で所在地が明確になるなどの理由からで「東京ディズニーランド(Tokyo Disneyland)」に決定したとされている。
略称の「TDL」は開園してから10年間は余り浸透せず、新聞報道でも「デ・ランド」[注釈 1]や「東京・D・ランド」[注釈 2]などの略称を使用していた新聞社も存在した[注釈 3][7]。
建設候補地
建設候補地は京成電鉄・三井不動産連合(オリエンタルランド)が推していた千葉県東葛飾郡浦安町(現・浦安市)のほか、長野県下伊那郡大鹿村、三菱地所が推していた静岡県清水市(現・静岡市清水区)・御殿場市[8]、神奈川県横浜市・川崎市、千葉県我孫子市[注釈 4]、茨城県那珂湊市(現・ひたちなか市)[注釈 5]、岩手県盛岡市などがあった。しかし、東京都心に近い立地のよさに加え、かつて行徳塩田と呼ばれ、塩田独特の少雨・乾燥の気候であったため[9]、ディズニー側はかなり早い段階から浦安町に決めていた。しかし、誘致合戦でオリエンタルランドからよりよい条件を引き出すために最後まで大鹿村・清水市の2か所を候補地として残し、最終的にディズニー首脳陣は日本の象徴である富士山が常に見える清水市では人工物が引き立たなくなってしまうと言う表向きの理由をつけて、現在の地である舞浜に決定した。
沿革
肩書き等は全て当時のもの。
- 1957年(昭和32年)5月 - 三越日本橋本店屋上で日本初のこどもの夢の国!楽しいディズニーランド(期間限定、米ウォルト・ディズニー・カンパニー認可)が開園。同年7月閉園[10]。
- 1974年(昭和49年)12月6日 - ドン・B・テータム会長、E・カードン・ウォーカー社長ら来日[11]。
- 1977年(昭和52年)3月23日 - 正式名称「東京ディズニーランド」と決定[11]。
- 1979年(昭和54年)4月 - ウォルト・ディズニー・プロダクションズ(当時)と最終契約。
- 1980年(昭和55年)12月3日 - 起工式、土木・植栽工事が開始。
- 1981年(昭和56年)
- 4月 - 建設工事が開始。東葛飾郡浦安町が市制を施行し「浦安市」となる。
- 10月 - 参加企業15社が決定。
- 1982年(昭和57年)
- 4月 - アトラクション据え付け工事が開始。
- 9月 - シンデレラ城最先端の塔の据え付けが完了。
- 11月9日 - オープニング・デイト記者発表会挙行[11]。
- 11月9日 - 初代「東京ディズニーランド・アンバサダー」に寺崎八重子が就任。
- 12月29日 - 「東京ディズニーランド」建設工事完了[11]。
- 12月31日 - この日の23時45分から翌日1983年元日の午前1時までの民放のテレビ番組「ゆく年くる年」(日本の民間放送局99局ネットで放送。この年度はフジテレビが制作。ステレオ放送)において、オープン前の同ランドから生中継を行う。この年大ヒットしたドラマ『北の国から』とのコラボレーションとなった中継には、同作の主要人物である黒板五郎(田中邦衛)・黒板純(吉岡秀隆)・黒板蛍(中嶋朋子)がミッキー、ミニーをはじめディズニーの仲間たちや初代アンバサダーの寺崎と共演した。
- 1983年(昭和58年)
- 1月 - キャスト(従業員)研修が開始。
- 3月18日 - 竣工式、プレビューが開始。
- 4月12日・13日 - 浦安市民デー開催(全浦安市民を無料招待)。
- 4月15日 - アメリカ国外では初となる「ディズニー・テーマパーク」、「東京ディズニーランド」が開園[2]。
- 5月23日 - 100万人目の入園者が来園[12]。
- 9月5日 - 500万人目の入園者が来園[12]。ウォルト・ディズニー・プロダクションよりシンデレラの噴水が寄贈。
- 9月6日 - 初の休園日。
- 1984年(昭和59年)
- 2月6日 - 「1983年 日経・年間優秀製品賞」最優秀賞のうち、「日本経済新聞社賞」を受賞。
- 4月2日 - 1,000万人目の入園者が来園[12]。
- 4月15日 - プラザテラスに開園1周年記念碑を設置。開園1周年記念式典が開かれる。
- 1985年(昭和60年)
- 1月17日 - 「マジック・ジャーニー」オープン(1986年(昭和61年)12月運営終了)。
- 4月26日 - 新東京国際空港(現・成田国際空港)間直通バスの運行を開始。
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)
- 4月15日 - 開園5周年、「ショーベース2000」オープン(2000年(平成12年)7月19日に「ショーベース」に名称変更)。年間パスポートの販売・利用開始[14]。
- 6月2日 - 5,555万5,555人目の入園者が来園。
- 12月1日 - 東日本旅客鉄道(JR東日本)京葉線舞浜駅が開業[15]、東京ディズニーランド・ギフトカードの販売を開始。
- 1989年(平成元年)
- (1月7日 - 昭和天皇崩御のため、パレードが中止)
- 7月12日 - 「スター・ツアーズ」オープン[16]。
- 12月25日 - 7,777万7,777人目の入園者が来園。
- 1990年(平成2年)
- 2月19日 - 「東京ディズニーランド・ティーチャーセンター」オープン。
- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年)
- 1993年(平成5年)
- 1996年(平成8年)
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)
- 4月15日 - 開園15周年。ブロンズ像・パートナーズ(ウォルト&ミッキー)がプラザテラスに設置。
- 11月3日 - 「スカイウェイ」クローズ。
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)
- 6月30日 - 「ミート・ザ・ワールド」クローズ[26]。
- 9月1日 - 「ビジョナリアム」クローズ[24]。
- 10月20日 - 「メインストリート・シネマ」クローズ。
- 11月8日 - 東京ディズニーランド、東京ディズニーシー合わせて3億人目の入園者が来園(3億人目の入園者は東京ディズニーシーへ来園)[27]。
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)
- 1月31日 - ランチショー「スルーフットスーのダイニング&ファン」終了[広報 2]。
- 2月8日 - ランチショー「ホースシューラウンドアップ」スタート[広報 2]。
- 2月21日 - ランチショー「リロのルアウ&ファン」スタート[24]。
- 4月15日 - 「ディズニーギャラリー」にて「ディズニー・ドッグ&キャット~ディズニーアニメーションの名優たち~」スタート[24]。
- 5月6日 - クッキーに不認可の酸化防止剤が混入する事故が発生し、自主回収すると発表[31]。
- 6月1日 - 「ディズニーギャラリー」にて「ディズニードローイングクラス」開始[24]。
- 7月18日 - カリフォルニアのディズニーランド50周年を記念してワールドバザールに新しいウインドーが登場。除幕式を実施[24]。
- 9月1日 - ショップ「カメラセンター」が移転[24]。
- 9月12日 - ショー「スーパードゥーパー・ジャンピンタイム」スタート[24]。
- 11月1日 - 「ポップ・ア・ロット・ポップコーン」オープン[24]。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)
- 2014年(平成26年)
- 2015年(平成27年)
- 2016年(平成28年)
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)
- 2019年(平成31年/令和元年)
- 2020年(令和2年)
- 2021年(令和3年)
- 2022年(令和4年)
- 2023年(令和5年)
- 2024年(令和6年)
- 2025年(令和7年)
- 1月15日 - イッツ・ア・スモールワールドを改装し、「イッツ・ア・スモールワールドwithグルート」として、期間限定のアトラクションを開催予定。マーベル・スタジオのキャラクターが東京ディズニーリゾートのアトラクションに登場するのは初めてとなる予定[92][93]。
- 2026年(令和8年)
- 2027年(令和9年) - 新たなスペースマウンテンがオープン予定[89]。
パークの特徴
それぞれのテーマに分かれたエリアが7つあり、それらを「テーマランド」と呼ぶ。各テーマランドに配置されるアトラクションや物販店・飲食店および装飾類は、そのテーマに合わせてイメージの統一が図られている。園内の施設は、アトラクション以外の施設もすべてオリエンタルランド直営である。
パーク内にはショップ、レストラン、サービス施設が多数点在する。
特徴
- メイン・キャラクター
- ディズニー作品に登場する多くのディズニーキャラクターが登場するが、なかでもミッキー&フレンズと称されるキャラクター(ミッキーマウス、ミニーマウス、ドナルドダック、デイジーダック、グーフィー、プルート、チップとデールなど)は、ほとんどのエンターテイメント・プログラムに登場している。
- パーク内に登場するこれらキャラクターたちは、それぞれが登場作品と同様の個性を持つキャラクターとして扱われる[94]。
- ヒドゥン・ミッキー
- パーク内には多くの「ヒドゥン・ミッキー(隠れミッキー)」が多く存在している。これは東京ディズニーシーでも見られる。また、ヒドゥン・グーフィーやヒドゥン・ピノキオなど、ミッキーマウス以外のキャラクターも隠されており、パーク内で探すことが出来る。
テーマランド一覧
ワールドバザール
- アメリカ20世紀初頭の「典型的な地方都市」の町並みを再現したテーマランド。ウォルト・ディズニーが幼少期から過ごしていたマーセリンがモデルとされている[注釈 7]。東京と上海のディズニーランド以外では「メインストリートUSA」と呼ばれている。サービス施設と物販店が多く、現実のショッピングモールに準じた配置となっており、実質的にアトラクションは存在しない。日本でのみ、雨の多い気候に合わせてアーケード商店街のように通路全体を「オール・ウェザー・カバー」と名付けた強化ガラス製の大屋根で覆うことで、全天候型エリアとなっている。ほかのディズニーパークとテーマランドの名称が異なる(メインストリートUSA、上海のみミッキー・アベニュー)のはこのためでもある[要出典]。
アドベンチャーランド
- 未開の地を探検したり、海賊のいた世界を冒険したりすることを題材にしたテーマランド。「カリブの海賊」「ジャングルクルーズ」「魅惑のチキルーム」など、米国ディズニーランドでも歴史が古いアトラクションの移入が多い。また、ウォルト・ディズニーが愛したとされるロイヤル・ストリートもアドベンチャーランドにある。
ウエスタンランド
- アメリカ西部開拓時代の町並みを再現したテーマランド。アメリカおよびパリでは「フロンティアランド」にあたる。「アメリカ河」という環状の「河」が敷地の多くを占め、アメリカ河の中央には散策型施設「トムソーヤ島」がある。アメリカ河を航行する「蒸気船マークトウェイン号」や、鉱山列車型のローラーコースター「ビッグサンダー・マウンテン」、劇場型アトラクション「カントリーベア・シアター」などがある。
クリッターカントリー
- ディズニー映画『南部の唄』を題材に「小動物たちの住む郷」をテーマにしたテーマランド。1992年10月1日から公開された。ウォーターシュート型アトラクション「スプラッシュ・マウンテン」と、園内で唯一の人力アトラクション「ビーバーブラザーズのカヌー探険」がある。
ファンタジーランド
- 西洋のおとぎ話と「夢と魔法の世界」をテーマにしたテーマランド。園内のシンボル「シンデレラ城」はここに存在する。『シンデレラ』『ピノキオ』『白雪姫』『ふしぎの国のアリス』『美女と野獣』など、往年のディズニー作品をモチーフにしたアトラクションが多い。なお、「プーさんのハニーハント」や「ホーンテッドマンション」もこのファンタジーランドに位置する。
- シンデレラ城のファンタジーランド側の出入口の上にはディズニー家の紋章が掲げられている。また、その紋章は以前までシンデレラ城の旧カラーと同じ白色だったが、2006年の4月から7月にかけて行われたシンデレラ城の補修工事とシンデレラ城ミステリーツアーの撤去作業によって、金色に塗り替えられている。なお歴史上実在するディズニー家の紋章はまったく別の意匠である。
- 2020年9月28日に美女と野獣のエリアがオープンした[73]。
トゥーンタウン
- ディズニーアニメをテーマにした「ミッキーと仲間たちの住む街」という設定のテーマランド。1996年4月15日(開園13周年)から公開された[23]。親子連れなど低年齢層向けのアトラクションが多い。ミッキーマウスに必ず会うことができる「ミッキーの家とミート・ミッキー」がある。2020年にはミニーのスタイルスタジオがオープン。そこではミニーとグリーティングができる。トゥーンタウンは講談社が全体のスポンサーになっている。「ディズニーキャラクターたちが運営している」という店やワゴンが多い。街全体がギャグに溢れている。
トゥモローランド
- 人類月面着陸以前に想い描かれた無機的なSF世界をもとに「未来の国」をテーマにしたテーマランド。ローラーコースターの「スペース・マウンテン」や、映像系の「スター・ツアーズ:ザ・アドベンチャーズ・コンティニュー」「スティッチ・エンカウンター」などのアトラクションなどがある。
- そのコンセプト上、アトラクションには常にその時点での最新技術やテーマが求められることから、技術やテーマが時代遅れとなったアトラクションの入れ替えがもっとも多いテーマランドである。特にトゥモローランドに多い映像系のアトラクションは投資額が少ないものの、人気の持続が難しく入れ替えが早い。開園当初からウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートにあるエプコットと非常に似たコンセプトを持つテーマランドである。
施設とエンターテイメント
アトラクション
アトラクションは、カリフォルニア州アナハイムのディズニーランドと基本は同じものが多いが、同じアトラクションでも日本のアトラクションでは若干ダイジェストされているものがある。
付記
エンターテイメント
キャラクターグリーティング
ショップ
レストラン
サービス施設
駐車場
提供サービス
パークをスムーズに楽しめるよう、さまざまなサービスが提供されている[広報 17]。
ディズニー・ファストパス(サービス終了)
スタンバイパス
エントリー受付
40周年記念プライオリティパス
交代利用サービス
利用規定に満たないゲストがいる場合に、アトラクションを交代で利用できる[広報 18]。
プライオリティ・シーティング
ショップのオンライン予約
来店に事前予約が必要となる場合がある[広報 19][99]。
ディズニー・フォト
パーク内各所やキャラクターグリーティング施設でフォトグラファーによる写真撮影ができる。また、一部アトラクションでは乗車中の写真撮影を行っている[広報 20][100]。
東京ディズニーリゾート・アプリ
スタンバイパスやエントリー受付、各施設の待ち時間の確認、オンラインショップなど様々な機能を提供している[101]。
- 2018年7月 - 東京ディズニーリゾート・アプリ提供開始[102]
- 2019年7月17日 - ディズニー・ファストパス取得機能追加[103]。
- 2020年2月14日 - フォトキーカード機能追加[104]。
トゥデイとガイドマップ
エンターテイメントスケジュールやグッズ、メニューの情報が記載された「トゥデイ」と、パーク全体のマップである「ガイドマップ」の2種類[広報 21]。
新型コロナウイルス感染症の影響により、2020年7月1日以降は配布を取りやめている[広報 22]。
その他
- 東京ディズニーランド開園10周年の記念式典の際に当時のディズニーCEOマイケル・アイズナーは、大成功を収めている東京ディズニーランドプロジェクトを直接経営ではなくライセンス方式で運営したことを「史上最大の失敗」と冗談めかして語っている。
- パーク内は随所に強化遠近法が利用されている。建物の上層ほど小さく造られており、あおり感を大きくすることで実際の高さよりも高く錯視させる効果を持たせている。
- シンデレラ城と、三大マウンテンと呼ばれるコースター系アトラクション(スペース・マウンテン、ビッグサンダー・マウンテン、スプラッシュ・マウンテン)の最上部は、ほぼ同じ高さである。ちなみに一番高さが高いのはシンデレラ城で、51メートルである。
- 東京ディズニーランドをはじめとするディズニーパークは、世界的に有名な施設であることから多くの都市伝説、及びそれに類する噂・デマが存在するが、その多くが根拠のないものである。都市伝説に関する詳細は「東京ディズニーランドの都市伝説の一覧」参照。
- 浦安市は2002年からショーベースで成人式を開催している(ショーベースの改修工事や新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、2021年3月と2022年1月に東京ディズニーシーのブロードウェイ・ミュージックシアターにて行われる2020年度・2021年度を除く[105][106][107])。これは、新成人で構成される実行委員会からの提案を受け、浦安市がオリエンタルランドと協議した結果、実現したものである[注釈 8]。参加者の入場料は市が負担しており[注釈 9]、反対の声も一部であがっている。
- 2001年以降、東京ディズニーランドは年中無休で営業している。しかし、それ以前は1年間に数回「休園日」というものが存在した。これは、テーマランドのひとつである「ワールドバザール」が店舗面積4,098平方メートルの「第1種大規模小売店舗」に該当するため、大規模小売店舗法によって休日が規定されていたことが影響している。休園日は主に冬季に設定され(ほとんどの火・水曜が休園日かつ、開園当初は秋季の一部も火曜が休園日だった)、クリスマスなどイベントの飾りつけや、通常ではできない大規模なメンテナンス(オーディオアニマトロニクスの交換にヘリコプターを使う場合もあった)を行ったり、火災や地震など実際の営業で起こりうる災害を想定した大がかりな防災訓練を行ったりしたことがある。2000年6月に大規模小売店舗法は廃止され、新たに大規模小売店舗立地法が施行されたことで、以降、予告した休園日は設定されていない(開園当初の大雪・昭和天皇大喪・東日本大震災直後・令和元年東日本台風(台風19号)接近時・2019新型コロナウイルスに臨時休園したケースがある)。
- 講談社がトゥーンタウンのスポンサーになっている関係で、オフィシャルマガジンや公式ガイドブックなどは講談社が発行している。
オフィシャルスポンサー
現在のスポンサー
(出典2024年11月現在[広報 23])
なお、ワールドバザールに「三井住友銀行(三井銀行⇒太陽神戸三井銀行⇒さくら銀行)浦安支店・東京ディズニーランド出張所」が存在し、建物に会社ロゴも掲示しているが、三井住友フィナンシャルグループと三井住友銀行はともにオフィシャルスポンサーではなく、また、オリエンタルランドのメインバンクでもない[注釈 10]。オリエンタルランドの主要取引銀行は日本興業銀行・富士銀行の流れを持つみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)・三井信託銀行の流れを持つ中央三井信託銀行(現・三井住友信託銀行)である。これは、大株主で三井財閥系の三井不動産がメインバンクとして指定していた、同じく三井グループ系の三井銀行(当時)であったことが影響している。なお、1997年までは銀行の店舗出店が大蔵省によって規制されており銀行の独断で自由に出店できなかった点(インストアブランチ参照)、三井信託銀行は法人と個人富裕層向け取引が中心で、店舗数が信託銀行の中では少ない方であったという背後環境もあった。
過去の主なスポンサー
主な建設業者
テーマランド担当
その他
事件・事故等
1980年代
- 1983年(昭和58年)4月 : トム・ソーヤ島で幼児が岩場から転落し、頭蓋骨骨折の重傷。開園後初の重大事故であったという。その後も同種の事故が発生したため、問題の岩場は改修が重ねられた[119]。
- 1984年(昭和59年)3月18日 : 駐車場で3歳の幼児が観光バスに頭部を轢かれて死亡。開園から11か月で初の死亡事故となった[119][注釈 11]。
- 1984年(昭和59年)10月 : アトラクション「スペース・マウンテン」に乗車した女性が意識不明となり、病院への搬送後死亡。死因は急性心不全[119]。
- 1987年(昭和62年)6月 : アトラクション「スペース・マウンテン」停止後に最前列に座った男性が立ち上がらなかった。担架が運び込まれるも脳溢血でほぼ即死だったことが判明[120]。
※スペースマウンテンの事故は両方ともアトラクションの不具合によるものではない。
2000年代
- 2001年(平成13年)9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件の影響により、アメリカ文化の移入である東京ディズニーリゾートもテロの標的にされる懸念から、警備が強化され入園者の手荷物に対する検査などが開始され、現在にいたるまで継続されている。
- 2003年(平成15年)12月5日 : アトラクション「スペース・マウンテン」において走行中、車軸が折れ車両の脱線事故が発生、ゲスト12人が乗っていたがけがはなかった。原因は東京ディズニーリゾート全体で設計書の単位ルールを見直した際、単位見直し前の古い設計書と新ルールに基づいた新しい設計書の2種類(インチとミリ)が存在し、古い設計書の数値を用いて新設計書の単位で発注してしまったため、仕様に合致しないサイズの車軸が納品・使用され、規定外の隙間が生じたためである。事故発生後約2か月半の間クローズされた。
- 2007年(平成19年)1月18日 : レストラン「イーストサイド・カフェ」にて提供された前菜「カプレーゼ(モッツァレラチーズとトマトの前菜)」のうち、9食に賞味期限が1月17日となっているモッツァレラチーズを使用していたことが18日14時10分に判明。オリエンタルランドは、判明後ただちに提供を一時中止し、新たに賞味期限内のチーズが納品されたことにより提供を再開し、この事実を翌1月19日に公表[広報 24]するとともに市川保健所などに届出を行った。オリエンタルランドの調査によると、原因は納品担当者が当日の日付を1月17日と勘違いし、賞味期限切れに気付かないまま当該チーズを自社倉庫から出庫・納品していたことに加え、店舗担当者が本来行われるべき納品されたチーズの日付確認および商品検収記録簿への記載を行わないまま使用し、本来の納品フローと異なる対応をしたためである。
- 2007年(平成19年)12月9日 : 18時10分ごろ、停電によるシステム障害が発生し、「スペースマウンテン」など25のアトラクションが一時停止し、順次復旧するも閉園時間までに4つのアトラクションが再開できない事態となった。ショップやレストラン、エンターテイメントプログラムに影響はなく通常通り実施され、閉園時間の繰り上げなどは行われなかった。後日使用できる優待パスポートと後日利用可能な優先入場整理券が希望者に配布された。東京ディズニーリゾート関連の停電によるシステム障害は、落雷の影響を除くと2004年10月22日の東京ディズニーシーに続いて2度目となる。なお、事故原因はバックステージにある特別高圧変電所の移転作業中に配電システムの接続不備があったため、配電先の圧縮空気製造機器が停止、アトラクションの空圧が喪失したことにより一斉に複数のアトラクションで非常停止機能が実行されたものであった。
- 2008年(平成20年)1月3日 : 14時30分ごろ、アドベンチャーランドにあるアトラクション「スイスファミリー・ツリーハウス」3階から出火。17平方メートルを焼いて消し止められた。周辺にいたゲスト100人が避難し、現場が一時閉鎖された。ゲストやキャストにけが人はなかった。原因は非公開だが、キャストが駆けつけたとき、電気系統によるトラブルは確認されなかった。この小火騒ぎは、パーク運営時間中に発生した初めての火災事故である[121]。この事故により当該アトラクションは約2週間クローズされた。
- 2008年(平成20年)1月8日 : 14時20分ごろ、「ディズニー・ドリームス・オン・パレード"ムービン・オン"」の公演中にフロートの支柱が折れ、装飾物が約3メートルの高さから地面に落下した(落下事故はパーク開園以来初めて)。見物のゲストらにけがはなかった。このフロートは全17台のフロートのうち1台で、鉄製の支柱(直径約14センチ)を固定している金具が破断し、支柱と先についた惑星を模した強化プラスチック製の球体9つ(計約300キロ)が落ちた。原因は2007年12月に行われたフロートの定期点検の際、内部構造の非破壊検査を本来検査を行う資格のない専門業者の従業員が行ったために適正に行われず、結果この段階であったであろう金具の金属疲労による亀裂を見逃したためである。この事故にともない、「ディズニー・ドリームス・オン・パレード"ムービン・オン"」と「東京ディズニーランド・エレクトリカルパレード・ドリームライツ」の全フロート(計46台)の緊急点検のため、11日までの公演を中止し、安全点検が行われた。
- 2008年(平成20年)3月27日 - 4月19日 : 賞味期限切れの商品「明治ベビーフード赤ちゃん村麦茶」4個を東京ディズニーランド内で販売した。従業員のチェックミスが原因。
- 2009年(平成21年)8月12日 : オリエンタルランドに対して2009年(平成21年)6月18日正午ごろ「(東京ディズニーランドを)閉園しなかったら爆発するぞ」などと電話をかけて脅したとして千葉県警浦安署は12日、威力業務妨害容疑で岐阜県の自称アルバイトの男(35歳)を逮捕した。通報を受けた浦安署員が園内を調べたが不審物は見つからなかった。調べによるとこの男は名古屋市のバス会社に勤務しており、ディズニーランド行きの長距離バスも運転していたが、6月に無断欠勤するようになり、事件3日前の15日に会社を辞めていた。
2010年代
- 2011年(平成23年) 3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の影響により、東京ディズニーリゾートを含む東京湾岸の埋立地の広域で液状化現象が見られ、パーク内の施設点検を行うため終日運営を見合わせた[広報 25]。駐車場の一部に液状化の影響がでた以外は大きな損傷は認められなかったが、周辺の環境を配慮したうえ、運営再開は2011年3月21日をめどに発表するとのこと[広報 26][広報 27]だったが、結局未定となった。その後、パーク再開が4月15日と公式に発表された[広報 28]。再開後も、節電のため営業時間の短縮や一部アトラクション・イベントの自粛などを行った。
- 2013年5月17日 : 東京ディズニーランド内のレストラン「キャプテンフックス・ギャレー」で、冷凍食品などに使われている紅ズワイガニを、高級食材の「ズワイガニ」として販売していたことを発表。さらに2013年5月30日、運営会社オリエンタルランドが100パーセント出資していた3つのホテルが、偽装表示をしていたと発表。ホテルは「東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ」「ディズニーアンバサダーホテル」「東京ディズニーランドホテル」。ブラックタイガーを「車エビ」、和牛を「国産牛」、国産鶏を「地鶏」などと誤表記していた[122]。
- 2017年(平成29年)3月16日 : 東京ディズニーランドに併設された下水処理施設で乳児の遺体が発見された[123]。身元不明のため、行旅死亡人として、遺体を火葬に付した上で浦安市にて遺骨を保管している旨が同年7月に浦安市長から官報にて公告された[124]。
- 2019年(令和元年)11月1日 : 東京ディズニーリゾート全体でX線手荷物検査機や金属探知ゲート、ハンディ金属探知機による警備強化を実施。金属探知ゲートのカメラ映像はディズニーベースで確認可能。
2020年代
- 2022年(令和4年)12月13日 : 15時45分ごろ、当時行われていたパレードに乱入し、公演を妨害したため、同イベントを約6分間中断させたとして、千葉県警浦安署は千葉県内在住の男を威力業務妨害の疑いで逮捕した[125][126]。
- 2023年(令和5年)12月2日 : 同年11月から行われているパレード「ディズニー・クリスマス・ストーリーズ」の中でトナカイの着ぐるみを着たキャラクターがミニーマウスに近づいた上でミニーのスカートをめくり上げている様子を撮影した動画がX(旧・Twitter)に投稿され、批判が殺到した。オリエンタルランドは報道機関の取材に対し、この事実を確認した上で「一部の来場者を不快な気持ちにさせたことをお詫びします」とのコメントを出した[127][128][129]。
- 2024年(令和6年)5月16日 : 当時修学旅行の引率中だった山梨県甲府市の小学校教員が来園中の女性に対してわいせつ行為を行った疑いがあるとして、不同意わいせつの疑いで千葉県警浦安署に逮捕された[130][131]。
関連書籍
脚注
注釈
出典
広報資料・プレスリリースなど一次資料
関連項目
外部リンク