高橋光臣
高橋 光臣(たかはし みつおみ、1982年3月10日 - )は、日本の俳優である。 大阪府出身[1]。啓光学園高等学校[3]、東洋大学法学部法律学科卒業[4]。スターダストプロモーション所属[5]。妻は女優の宮下ともみ[6]。 略歴中学3年からラグビーを始め、啓光学園高校、東洋大学とラグビー部に所属していた[7]。啓光学園ラグビー部の同学年にクボタスピアーズの渡海谷保、2学年下にサントリーサンゴリアスの佐々木隆道などがいる[8]。 大学卒業後の進路について考え出したころに映画『ラスト サムライ』を観て俳優業に興味を持ち、俳優養成機関テアトルアカデミー直系の芸能事務所浅井プロダクション(現・ATプロダクション)に所属する[9][7][10]。 2005年にテレビドラマ『WATER BOYS 2005夏』で俳優デビュー[10]。工事現場や飲食店などでのアルバイトで生活費を稼ぎつつ[11]、『それいけ!アンパンマンくらぶ』のお兄さんなどを経て[9]、2006年に『轟轟戦隊ボウケンジャー』の明石暁/ボウケンレッド役でテレビドラマ初レギュラー・初主演した[10]。2007年にはテレビドラマ『花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜』にレギュラー出演して注目を集め、『笑っていいとも!』、『クイズ!ヘキサゴンII』、『わかってちょーだい!』など多くのバラエティ番組にも出演する。 2007年12月にATプロダクションから離籍[12]。その後ウイングスジャパンへの移籍を経て[13]、2008年10月1日に同事務所より独立したサイトウルームに所属[14]。 2008年、土曜ナイトドラマ 『幻影〜ゲンヱイ〜』で初の単独主演を務める。2010年、NHK『龍馬伝』で大河ドラマ初出演。同年から2013年にかけて、『科捜研の女』シリーズに3シーズンにわたり刑事役でレギュラー出演[15]。 2012年度前期のNHK連続テレビ小説『梅ちゃん先生』に出演。『花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜』出演以来念願だったと語る堀北真希との共演を果たし、堀北演じるヒロインの恋人となる医学生・松岡敏夫役を演じた。後に「自分を取り巻く環境が一変した」「人生が動いた作品」と語るように一躍知名度を上げる[11][15][16][17][18]。 『科捜研の女』撮影中より東映京都撮影所の剣会にて殺陣を学び[19]、2014年からBS時代劇『神谷玄次郎捕物控』シリーズに主演。「5万回斬られた男」として知られる福本清三からも「若い主役が出てきて本当に喜んでいます」として賛辞を受ける[20]。 2022年6月14日、14年間所属したサイトウルームからの独立を発表[21]。同年10月1日からスターダストプロモーションに所属[5]。 私生活2008年、初舞台『ダブルブッキング!』で共演し2009年ごろより交際していた女優の宮下ともみと、2014年1月1日に婚姻届を提出し結婚。同日に双方の公式ブログにて入籍発表[22][6][23]。2018年2月19日に第1子となる男児が誕生[24][25]。2020年2月2日、第2子男児が誕生した[26]。2024年12月9日には第3子男児誕生を手作りケーキで報告している[27]。 人物父親が不動産業を営み[7]、高橋は当初大学卒業後に家業を継ぐ予定だったため大学在学中に宅地建物取引士の資格を取得している[10]。 子供のころは『仮面ライダーBLACK』や『機動刑事ジバン』が好きだった。『ジバン』34話でジバンが破壊されるシーンを見て泣いたという[28]。 スポーツはラグビーの他に乗馬、剣道(二段)、バスケットボール、野球[30]などの経験がある。また、2007年の『スポーツマンNo.1決定戦』出場選抜バスツアーにも参加している。当初は予選3位と脱落したが、欠場者が出たために繰り上がり出場。2007年3月30日に放送の『スポーツマンNo1決定戦』では総合2位となった。 親しい俳優は『ボウケンジャー』で共演し、食事に行く間柄である出合正幸[31][32]、『花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜』で共演した小栗旬[33][注釈 1]など。 浅井プロダクションの先輩(年齢は高橋が4つ上)で移籍・独立を共にした内野謙太に対して、「天才子役と刷り込まれていたので、一挙手一投足を観察し何か盗んでやろうとしていた」「身近な教材として学ばせてもらっている」と語っている[34]。高橋のファンイベントの司会を内野が担当したこともある。 ドラマ『DCU』では、事前に半年間日本各地の海に通ってダイビングの練習を積み、ライセンスを取得して撮影に臨んだ[29]。 エピソードラグビーに打ち込んだ学生時代中学時代はバンド「シャ乱Q」のファンで、サクソフォンを吹きたくて吹奏楽部に入部した[29]。しかし中学2年生の頃にラグビー部が創設されると、高橋の運動神経の良さを知る顧問教諭から誘われたことで転部を決め、ラグビーを始めることになった。志望する高校を決める際、自身の名前と同じ“光”の字が入っていることから縁を感じた啓光学園を選んだ[29]。 ポジションは高校まではバックスのスクラムハーフとセンター(CTB)、大学の途中からフォワードのフランカー[11][35]。 高校時代のラグビー部の練習について「想像していた以上に、練習が死ぬほど苦しくて嫌で嫌で仕方なかった」とのこと[29]。高校3年時に啓光学園は花園に出場、自身はリザーブとして予選には出場しているが、その後の怪我のため花園出場は果たしていない[35][8]。大学には当初一般入試での受験を決意したが全敗に終わり、ラグビーでの推薦入試を受けて合格し、東洋大学への進学が決まった[29]。 大学でもラグビー部に入部したが、当時を「高校時代に比べて打ち込めていなかった。中途半端なラガーマンだった」と述べている[注釈 2]。その後「ラグビーでは一流になれない」と思ったこと、ラグビーの試合中の事故で後輩が亡くなったことが役者を目指すきっかけであった[35][29]。自分の将来を考えていたころに映画『ラストサムライ』を観た所、渡辺謙の演技に鳥肌が立つほど感動したことから役者になることを決意した[29]。 『ボウケンジャー』関連『ボウケンジャー』の撮影当初は、演技経験が少なかったことから表情が強張ったり撮影でミスすることなどもあり、またチーフという役柄からメンバーを引っ張っていかなければならないということにプレッシャーを感じていたという[10]。一方で、ラグビーの経験からメンバーの中で一番動けると自負し、爆発シーンや高所からのジャンプなどにも恐怖を感じることはなかったが、チーフの立ち位置では格闘シーンはそれほど多くなかった[10]。 『ボウケンジャー』のカメラマンを務めた松村文雄とは後年でも交流が続いている[10]。高橋は松村から「時代劇に向いている」と助言されていたことから、時代劇に出演する際は松村へ連絡しているという[10]。 『ボウケンジャー』の終了後は思うように仕事が増えず、事務所社長から芝居に向かう姿勢や勉強不足を日々注意された[注釈 3]。その後は『ボウケンジャー』で知り合ったジャパンアクションエンタープライズの人に相談し、建築現場など力仕事のアルバイトをしながら俳優業を続けた。その後先述の『梅ちゃん先生』のオーディションで大きなチャンスを掴み、演技が好評を得たことから出演依頼が増えるようになった[29]。 出演テレビドラマ
テレビ番組
配信映画
短編映画
オリジナルビデオ
舞台
ラジオドラマ
CM
作品CD
DVD
脚注注釈出典
参考文献
外部リンク
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