笑点
『笑点』(しょうてん)は、日本テレビ系列(NNS)で1966年(昭和41年)5月15日から毎週日曜夕方に放送されている寄席風の演芸バラエティ番組。 概要1966年(昭和41年)5月15日に『金曜夜席』を受け継ぐ形で放送開始。大喜利で座布団をやり取りするルールが受け継がれた。番組名は、立川談志がヒットドラマ『氷点』をもじって命名した[1]とされているが、談志によれば命名したのは番組スポンサーのサントリーに当時在籍していた柳原良平だという[2]。 放送開始当時はまだカラーテレビの普及率が1%にも満たない時代だったが、当番組は初回から一貫してカラーで放送されている。 収録は後楽園ホールで隔週土曜日の昼頃に行われ、1回の収録で2〜3週分収録する。観覧はハガキか番組サイトからの応募による抽選制で、放送では大喜利にて司会者が3問目の内容を読み上げる間に関東地方のみに案内テロップがローカル送出される[注 2]。当選者には後日招待券(コロナ禍以後は代表者名と連絡先の記入、合わせて収録日の朝の検温と体温記入が義務付けられた)を兼ねたハガキが送付され、当日会場でそのハガキを指定席券(コロナ禍以前は座席指定は自由だった)とプログラムに引き換える。収録は基本的には先に演芸を2〜3週分、その後に休憩を挟んで大喜利を同じく2〜3週分それぞれ収録している。 年に数回(基本的には4回)、ネット局の開局記念イベントなどで地方収録が行われる。新春スペシャル・24時間テレビ・メンバー勇退などの特別企画の場合は日本テレビ麹町分室→番町スタジオ(募集テロップでは場所名が伏せられ「都内・特設スタジオ」としている)で収録が行われる[注 3]。過去には三遊亭圓楽司会時代に、圓楽が自ら建てた寄席「若竹」で収録を実施したことがある。 出演者名・スタッフクレジットには現在、寄席文字を使っている[注 4]。春風亭昇太司会時代からは演芸のゲスト(2022年以降)や元日特番に出演する芸能人のゲストにはゴシックが使われている[注 5]。演芸・バラエティ番組としては珍しく、なぞりテロップは原則使用していない。但し、24時間テレビや正月特番などの特別大喜利やロケ企画ではこの限りではなく、ごく稀に演芸コーナーでも固定テロップを使用することがある。状況説明用の固定テロップも開始以来長らく使用された事は無かったが、2022年(令和4年)1月23日放送の第2794回から、大喜利内で放送中のお題の概要を画面右上に固定表示するようになった。演芸では落語・講談・コントなどの演目を同様に表示することがある。 視聴率(ビデオリサーチ、関東地区・世帯、以下略)では週間バラエティ番組部門での1位を記録することもある。放送回数は2016年(平成28年)1月31日の放送で2500回に到達した。2016年現在の日本テレビの番組では『NNNきょうの出来事』(2006年9月終了)、『キユーピー3分クッキング』(日テレバージョン)に次いで放送期間の長さで歴代第3位である。さらに2009年(平成21年)には『素人名人会』(毎日放送、テレビ版)の42年という、演芸番組及びバラエティ番組として最長の放送期間を塗り替えた[3]。 2005年(平成17年)11月23日には放送40周年を記念して5枚組の『笑点 大博覧会 DVD-BOX』が発売された。日本テレビのアーカイブに現存する『笑点』の番組本編映像は1973年(昭和48年)8月26日(第369回)放送分が最古である。理由としては、放送局用VTRは1970年代まで2インチ規格で場所を取り、テープも1巻当たりの単価が高価であり、放送済みビデオテープは消去されて使い回されたためである[注 7]。そのため同番組の1960年代の映像は、オープニング(「笑点音頭」が主題歌だったころのアニメーションフィルム)を除き現存していない。また、制作側が「笑いというものはその場限りの物。VTRを保存することはまかりならない」という方針を長年通していたため、1997年以前のVTRについても一部の回を除いて日本テレビに残存していないとされる[4]。なお、横浜市の放送ライブラリーには番組が9本が収蔵されている[注 8]。 1976年(昭和51年)より毎年チャリティーカレンダー「笑点暦」(発売元は日テレアックスオン)を発売しており、年末になると番組内で告知される。発売当初は価格分の郵便切手を同封して注文する通信販売のみの扱いだったが、後に書店での販売を開始している。売り上げの一部は、日本テレビ小鳩文化事業団(2011年までは、日本テレビ系列愛の小鳩事業団)に寄付される。 2015年(平成27年)10月には番組放送50周年を記念して、記念切手セット「笑点50周年記念プレミアムフレーム切手セット」が発売された[5]。 2024年(令和6年)5月26日放送分からTVerでの見逃し配信を開始。これにより、本番組が放送されていない地域でも視聴することが出来るようになった[6]。 放送時間
毎年8月下旬に行われる『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』では、『チャリティー大喜利』という特別バージョンで生放送を行う(1988年から参加、1987年以前は放送休止)。かつては1問のみだったが、後にレギュラーと同じ3問に変更された。後に演芸も行われるようになり、ほぼレギュラーと同じ構成になっている。さらに2019年と2021年にはその年のメインパーソナリティとの大喜利対決も実施している。演芸は2010年以前はその年のパーソナリティであるお笑いコンビ・トリオが漫才を披露するのが慣例だったが、2013年以降はマジック等[注 9]にその年のパーソナリティの女優1人が参加するのが定番となっている。遅れネット局では放送されないため、放送回数には含まれない。 2003年(平成15年)と2004年(平成16年)の新年最初の放送は、正月特番の編成の都合で18:00-18:55の1時間に拡大されて放送された。 2010年(平成22年)7月4日の放送は、17:59から1分間、国内全テレビ局(民間放送127社とNHK)で『全国一斉地デジ化テスト』を放送したため、本編が1分遅れてスタートし17:59[注 10]までのステブレレスで放送された。なお、本編の最後に桂歌丸が、『全国一斉地デジ化テスト』の予告を行った。逆に地デジEPGでの放送時間は、17:30 - 17:59[注 11]までとなった。2011年(平成23年)4月24日にも『全国一斉地デジ化テスト』が行われ、同様の編成となった。 2005年(平成17年)以降はFIFAクラブワールドカップが日本開催に限り、FIFAクラブワールドカップ中継を優先する為休止または時間帯を移動する(日本テレビがFIFACWCの国内放映権を所有しているため。2015年と2016年は1週のみ後続番組である『真相報道 バンキシャ!』は休止。2015年は18:20 - 18:50に放送し、2016年は18:25 - 18:55に放送し、開幕戦〜5位決定戦までをBS日テレにて生中継する)。 2016年(平成28年)4月3日より、直前の17:25 - 17:30に派生番組『もう笑点』を開始した。番組は日本テレビと南海放送の2局ネットで、番組本編およびその他の関連番組でもスポンサーを務める龍角散の一社提供となる[注 12]。また、笑点の90分スペシャル放送時に限り後続番組である『真相報道 バンキシャ!』は休止(休止分はNNNニュースを内包する措置を取る)となっている。 放送規格について1980年(昭和55年)4月6日(第711回)からステレオ放送[12]。1989年(平成元年)9月3日(第1186回)からはクリアビジョン化に伴い字幕放送[注 13][注 14]を開始、2009年(平成21年)10月4日(第2184回)からは解説放送[注 14][注 15]を実施している。 ハイビジョン制作は、2006年12月24日放送分から実施しており、大喜利コーナー時の隣座席の映り込みに配慮し、黒帯を配置し4:3化して放送されていた。『24時間テレビ「愛は地球を救う」』内の「チャリティー笑点」に関してはレギュラー放送に先駆けて同年の放送から全編ハイビジョン(画面比16:9)で放送されている。2010年(平成22年)1月1日の新春スペシャルで、後楽園ホール及び日本テレビのスタジオからの放送も初めて全編ハイビジョンとなり、アナログではそれと同時に、レターボックスに移行し、同年1月3日(第2197回)からレギュラー放送も同じく全編ハイビジョンとなった。また、レギュラー放送の全編ハイビジョン放送開始以降「大喜利」のコーナーにおいて、出演者の座布団の間隔を置くようになった。 2016年(平成28年)には、いわゆる「8K」解像度で「笑点 8Kスペシャル」と題した特別版を収録[13]。番組自体は歌丸の落語と大喜利の2部による通常通りの構成だが技術的なトライアルのために制作されたものであり、現在のところ一般への公開予定はない(同年3月に日テレの放送技術発表会「デジテク2016」で業界関係者向けに公開されたのみ)。 2017年1月8日放送分からデータ放送連動企画として視聴者参加のデジタル大喜利を開始し、大喜利で出演者のデータ上での座布団の枚数加減がリモコンで調節可能となった[注 16]。 出演者以下の表中の出演者名欄にある記号の意味は次のとおり。
現在の出演者出演者にはそれぞれ番組内でのキャラクターが設定されており、特に好楽の貧乏・暇キャラ、小遊三の変態・泥棒キャラは、メンバーの代表的なキャラクターとなっている。
過去の出演者
アシスタント番組内では、若手の落語家がアシスタントとして座布団運びの補佐(小道具の配布や回収、座布団大量没収の際の撤去など)をしたり、収録前の前説を行っている。そのほとんどが大喜利メンバー(あるいは元大喜利メンバー)の弟子。アシスタント経験者の中には、愛楽のようにアシスタントと並行して若手大喜利のメンバーとして出演していた者もおり、6代目円楽(当時は楽太郎)はアシスタントを経て、正規の大喜利メンバーに昇格している。長年番組内で名前が出る事は無かったが、2023年7月23日からオープニングのスタッフクレジットにおいて名前が表記されるようになった。 現在のアシスタント過去のアシスタント
ほか多数 コーナー1988年度分以降は、番組本編を演芸と大喜利の2部構成で行っている。1987年度分以前は、演芸と大喜利の間に「対談」など司会者が務めるコーナーが存在し(又は演芸ゲスト2組で2コーナー)、長らく3部構成で行っていた。 演芸番組の前半に行われる。オープニング後に、司会者が会場の客席[注 38]からゲストを紹介する。5代目圓楽は「今日のはな(端=始めと「華」を掛けている)」と紹介していた。また、歌丸や昇太は上方から登場するゲストの場合は「上方からおいでの〜」などと紹介する。登場するゲストは芸歴の長いベテランから注目の若手まで幅広く、ジャンルも落語、漫才、漫談、コント、マジック、物真似など多岐にわたっている。毎回1組が基本だが、40分番組だった時代はピン芸人の短いネタの場合、2組が出演するケースもあった。また、オープニングにて司会者と回答者の間で紹介されていたが、30分に短縮されてからは省略された。 通常のテレビ番組では放送される機会が少ない演芸も含まれていることから、当コーナーの出演映像が他のバラエティ特番や、日本テレビのニュース番組で有名人の訃報が伝えられる際には、当番組に出演した際の映像が使用されることが多い。 なお、控室の貼り紙においては他の番組で使われる「〇〇様」ではなく、キャリア歴を問わずに「〇〇先生」という敬称が用いられている。 主な芸の種類と主な出演者は次のとおり。
コーナー最多出演者はマギー司郎で、2016年の時点で49回出演している[29]。 星セント・ルイスやツービートなど後の漫才ブームでブレイクした漫才師たちも早い時期から演芸に出演していた。特にセント・ルイスは1970年代半ばごろに収録の間の時間つなぎをする「マエラク」を担当していた縁もあり、1977年(昭和52年)の『NHK新人漫才コンクール』でセント・ルイスが優勝すると直後4カ月の間に演芸に3回出演させ番組ぐるみでブレイクを後押しした。その一方、実際に漫才ブームが訪れた1980年代初期にはブームの中心となった漫才師らがほとんど出演しなかった。これは『笑点』から出た「ずうとるび」を通じてブームそのもののはかなさと怖さを知ったという当時のプロデューサーが「ブームに便乗するとブームが去った時に番組も終わる」と判断し、漫才ブームから距離を置く姿勢を取ったためである。また、裏番組に吉本興業が制作していたヤングおー!おー!があったという事情もあった。ただし、漫才ブームが沈静化した後はセント・ルイスやおぼん・こぼん、西川のりお・上方よしお、オール阪神・巨人、今いくよ・くるよなどブームの中心を担った漫才師も演芸に出演している。 5代目圓楽の司会当時は、毎年新年1回目の演芸で5代目圓楽の落語が披露されるのが恒例となっていた。現在では当番組内で落語を放送することは滅多にないが、派生番組の『笑点 特大号』では落語を不定期に放送している。また、2014年6月8日の歌丸復帰回と10月19日の木久扇復帰回は自身の病気療養期間中のエピソードを、2016年9月4日にはたい平が24時間マラソンに挑戦した際のエピソードを落語風にして披露した。かつては地方収録の回で、大喜利メンバーが落語を披露することが多かった。 2000年代後半以降は笑点メンバーが演芸コーナーに出演するコラボネーションネタも不定期に実施されており、木久扇&カンカラ、木久扇・たい平&鉄拳、好楽&ヒロシ、歌丸&ナイツ、昇太&サンドウィッチマン、6代目円楽+テツandトモなどの組み合わせがこれまでに行われている。2018年9月30日から10月28日には、5週連続で笑点メンバーとのコラボ演芸が行われた(後述)。 2006年(平成18年)1月22日の第2000回放送と、同年5月14日の「40周年スペシャル」では、(当時の)演芸最多出演者として、マジックのナポレオンズが出演した(ナポレオンズの出演回数は47回[29]=2016年現在)。 2016年1月17日には司郎のマジックに特別出演として、日曜ドラマ『臨床犯罪学者 火村英生の推理』の主演である斎藤工、窪田正孝が出演した。 「演芸」内で行われる企画
過去に「演芸」内で行われていた企画
→詳細は「若手大喜利」を参照
→詳細は「アナウンサー大喜利」を参照
大喜利→詳細は「大喜利 (笑点)」を参照
終了したコーナー
オープニング→詳細は「笑点 § オープニング」を参照
エンディング大喜利メンバーがやり取りをしている最中に提供クレジット[注 44]が表示され、最後に「笑点はHulu、TVerでも配信中」とテロップ、ナレーションが流れて番組が終了する。 以前は司会者の締めの挨拶の後、大喜利メンバーたちが高座に正座した状態で客席に向かって手をついてお辞儀をしている様子を映したまま、『笑点のテーマ』をBGMに提供クレジットが表示されて[注 45]番組が終了していた。この間の大喜利メンバーたちはお辞儀をしたまま特に動きがないのが基本だが、時に最後に出たネタを引きずってそれに絡んだアクションをしたり、司会者と大喜利メンバーたちのやり取りが見られることもあった。 2022年頃からは次回の内容が簡素的にテロップやダイジェストで予告されたり、収録を終えた後の舞台裏や楽屋でのメンバー同士でのやり取りや雑談が放送されることが多くなり、お辞儀を行って番組を締める部分は2023年9月10日放送分を以て廃止された[注 46]。 2015年5月から2016年5月8日[注 47]まで「笑点おもいで写真館」→「笑点 こんな写真が!!」と題し、『笑点のテーマ』をBGMに、主に立川談志や5代目圓楽ら、番組黎明期の出演者写真を紹介しながら提供クレジットを表示していた。 また、2016年以前は11月から12月にかけて番組の公式カレンダーである「笑点暦」の宣伝をエンディングで行っていた[注 48]。番組のオフィシャル本などカレンダー以外の番組関連グッズの宣伝をエンディングで行うこともあった。 言い回しは毎回微妙に異なるものの、基本的に三波伸介は「笑点この辺で終わりでございます。また来週、どうぞ!(一礼)」五代目圓楽は「といった所で笑点この辺でお開き。また来週のお楽しみありがとうございました。(一礼)」、歌丸は「といった所でお時間のようです。また来週お目にかかりましょう。ありがとうございました。(一礼)」、昇太は「○○な(最後の回答の内容にちなむフレーズが多い)所で、笑点これまで、また来週!(笑顔で手を振る)」と挨拶して締める。 2005年3月までは司会者の挨拶の後大喜利メンバーたちがお辞儀をする姿を一瞬映し、さらに拍手を送る客席の様子を映してからCMに入り、CM明けに提供クレジット(「提供」が寄席文字で書かれていた)と次回の放送内容が出たあと、オープニングタイトルの左下に寄席文字で「終」の文字が入ったタイトルが出て番組終了となっていた。次回の放送内容の紹介はテロップではなく、収録後の高座の様子を写したスチール写真に寄席文字で書いたパネルで紹介するスタイルが長く続いていた。五代目圓楽時代はCM前に拍手を送る客席の様子を映す際にテロップ表示していた。 地方収録やその年の最後に「三本締め」で幕締めすることが恒例中の恒例だったが、2002年12月29日放送の「年忘れ大喜利大会」を最後に行われなくなっており、前述の披露口上の締めでのみ行われている。なお、地方収録や年内最後の収録の終了後には現在でも舞台の前方に笑点メンバーが並んで三本締めが行われている。 2000年10月1日以降は終了直後に次番組『THE独占サンデー』の生予告を挿入。2002年10月6日に『真相報道 バンキシャ!』に変わってからも行われている[注 49]。 特別大喜利「演芸」や正月特番などでは、特別企画として以下の大喜利が放送される。 「演芸」で定期的に行われる大喜利アナウンサー大喜利
近年の席順
派生番組で行われる大喜利若手大喜利
若手落語家らによる大喜利。1967年(昭和42年)10月8日に初開催されて以降、不定期に番組の演芸の時間帯に放送される。1967年当時の若手メンバーは、柳家さん治(現:10代目柳家小三治)、柳家小きん(後の6代目柳家つば女)、春風亭栄橋、林家木久蔵(現:林家木久扇)、三笑亭茶楽だった。 1970年代から1990年代の若手メンバーには、古今亭朝次(現:7代目桂才賀)・桂歌はち(現:桂歌春)・古今亭菊之助(現:古今亭菊丸)・林家錦平・金原亭駒平(現:金原亭世之介)・三遊亭貴楽・桂幸丸・林家こぶ平(現:9代目林家正蔵)・桂竹丸・月の家かがみ(現:2代目橘家蔵之助)・春風亭昇太・立川談春・三遊亭楽大(現:伊集院光)などがいた。 1990年代前半を最後にしばらくは行われなかったが、1998年(平成10年)7月に「大喜利下克上」に改題の上で4週連続で行われて以降(なお、この時は様々なルールが異なっていた。詳細は下記参照) 、再び恒例の企画となった。この時の司会はかつて若手メンバーの一人だった昇太[注 56]が担当し、それ以降昇太は「大喜利下克上」の司会者としてレギュラー出演した。1999年(平成11年)5月2日の放送からはタイトルが「若手大喜利」に戻り、ルールの方も2004年(平成16年)12月26日の放送から本編大喜利同様に戻っている。この当時の若手メンバーとして、春風亭あさ市(現:五明樓玉の輔)・春風亭勢朝・春風亭柳八(現:5代目春風亭柳好)・立川笑志(現:立川生志)・三遊亭愛楽・林家たい平・林家きくお(現:2代目林家木久蔵)・林家きく姫・神田北陽(現:3代目神田山陽)・橘家亀蔵(現:橘家圓十郎)・三遊亭遊馬などが出演していた。また、この時以降、若手メンバーは司会の昇太も含めて名前を覚えてもらいやすくするため、名札をつけるようになった。 2003年10月12日に司会の昇太と若手メンバーが出演する派生番組『BS笑点』→『笑点Jr.』が放送開始されて以降、『笑点』本編での若手大喜利は2004年(平成16年)12月26日を最後に長らく行われなくなったが、『笑点Jr.』が2011年(平成23年)3月13日で放送終了となったことに伴い、2011年(平成23年)6月5日[注 57]に『笑点』本編で再び行われ、司会は引き続き昇太が担当した。それ以降は春と秋に行われ、座布団運びには日テレ女性アナウンサーを起用した。 2013年春から開催の場を『笑点 特大号』の番組上に変えて毎月に1・2回程度行われ、昇太以外の笑点メンバーも司会を担当するようになった(笑点 特大号#若手大喜利の項を参照)。また、2016年に昇太が本編の番組司会に就任して以降は、『特大号』での若手大喜利を継続しつつも地上波本編での開催も再開されており、こちらも『特大号』同様昇太や他の笑点メンバーによる司会で進行されている。 この『若手大喜利』を経て、笑点メンバーに加入した者もいる[注 58]。
正月特番で毎年行われる大喜利振袖大喜利番組黎明期から開催されているバラエティ大喜利で、女性芸能人(ニューハーフ含む)が笑点メンバーとペアを組んで大喜利に挑戦する。ペアを組む相手は、メンバーのキャラクターに合わせて決められることもある。2015年は日テレ女性アナウンサーと笑点メンバーによるペア戦だった(「アナウンサー大喜利」の項参照)。これ以降の通常放送でのアナウンサー大喜利も、この形式を踏襲している。 このコーナーには泉ピン子(もともと牧伸二に師事して歌謡漫談家として活動したキャリアがあり、昭和40年代の演芸コーナーに2度出演したこともある)が常連で出演している。2013年以前は、山田花子も毎回出演していた。 2023年までは毎年行われていたが、2024年は実施されなかった(後述する震災の影響とは関係なく、当初より実施自体が無かった)。
東西大喜利新春スペシャルで年1回行われ、笑点メンバーと上方噺家[注 65]が大喜利で対戦する。 1977年(昭和52年)の新春スペシャルにて初実施。当初は鶴亀大喜利の東西対抗戦として行われていたが、しばらくして「東西大喜利」として年1回開催の新春恒例のスペシャル大喜利として定着した。当初の司会は三波伸介で、三波が急逝した1983年(昭和58年)の新春スペシャルは愛川欽也が代理で司会を務めている。以降、2005年(平成17年)までは5代目圓楽、2006年(平成18年)から2008年(平成20年)は歌丸と三枝(当時)、2009年(平成21年)から2016年(平成28年)は歌丸単独、2017年(平成29年)からは昇太が司会を務めている。 笑点メンバーは全員黒紋付袴で登場していたが、2003年(平成15年)から笑点メンバーは普段の色紋付で登場している。上方メンバーは2006年まで黒紋付袴で統一されていたが、2007年(平成19年)以降は色紋付袴を着用している。 上方メンバーは、一門別では松鶴一門が笑福亭松之助(2012年まで)と鶴光でほぼ固定され、それ以外は文枝一門と米朝一門で占められている(染丸一門林家菊丸 (3代目)が染奴時代の2014年から2023年まで継続して出演していた。春団治一門からの出演は例がない)。所属事務所別では吉本興業(2007年10月 - 2019年6月は子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー[注 66])が多く、松竹芸能からは鶴光のみ[注 67]。米朝事務所からは2014年(平成26年)を最後に出演が途絶えている[注 68]。現在は西軍の座布団運びが筆頭アシスタントの愛楽(愛知県出身)と定められており、上方噺家による座布団運びは、歌丸・三枝コンビ司会時に三枝門下の桂三弥が起用された程度である。 2021年は新型コロナウイルスの影響で行われなかった。2022年は東西大喜利が2年ぶりに再開され、文枝が2005年以来17年ぶりに西軍のリーダーを務めた。また、2013年から2020年までTOKIOのリーダー城島茂が、引き続き城島出演の後枠番組(『ザ!鉄腕!元日!DASH』)の宣伝も兼ねて西軍のリーダーを務めていたが、前述の新型コロナウィルスの影響で2021年から2023年は演芸枠での出演となった(2021年:ヒロシとのコラボ漫談、2022年:玉川太福とのコラボ浪曲、2023年はクールポコ。とのコラボコントをそれぞれ披露)。2024年以降は後枠番組が変更になった影響もあり城島の新春スペシャル出演は2023年で事実上終了となった。
スター大喜利・スーパースター大喜利1978年のスペシャルでの単発企画を経て、2018年に40年ぶりに実施され、以降毎年行われている。
過去に行われた大喜利師弟大喜利
師弟一門大喜利
ちびっ子大喜利→詳細は「ちびっ子大喜利」を参照
鶴亀大喜利
ドレミファ大喜利
対決大喜利企画笑点メンバーが、他の日本テレビ系番組の出演者やジャニーズ事務所に属するグループ・タレントらとの大喜利対決を行う企画が何回か行われている。 特上!天声慎吾
TOKIO
24時間テレビ
ヒルナンデス!
笑点大好き芸能人
お笑い芸人大喜利行列のできる法律相談所大喜利
ボクシング世界チャンピオン大喜利
大福大喜利
ものまね大喜利
ペット大喜利
ふるさと大喜利
なかよしペア大喜利
リモート笑点
大喜利傑作選
リモート大喜利
その他
オープニング番組のオープニングではテーマ曲をBGMに、レギュラー出演者[注 97]と番組スタッフの紹介、制作協力を担当したNNS系列局(地方で公開収録を行った回のみ)を表記した後、最後に制作クレジット(「日本テレビ」)が表示される。 表示される番組スタッフは、題字、テーマ音楽担当、オープニングアニメ制作者、企画立案、制作協力、ディレクター、プロデューサー、制作担当などである。 テーマ曲「笑点音頭」番組放送開始当初はテーマ曲は設けられていなかったが、後にオープニング曲が製作され、1967年(昭和42年)1月29日の放送回から使用開始された。
1967年、キングレコードからレコード発売。後に複数のレコード会社から、企画盤のうちの一曲としてCD化されている。2012年、立川談志追悼としてタワーレコード専売で当時のシングル盤のジャケット写真を用いてマキシシングルとして復刻販売される。 ジャケットには「連続TVドラマ「笑点」主題歌」と記載されているが、発売1年前の1966年には「笑点」の名前の由来である「氷点」の連続テレビドラマが放映されていた。 笑点のテーマ
1969年(昭和44年)11月に談志が司会を降板した後、新たなテーマ曲として「笑点のテーマ」が導入された。 なお、導入当初は当時の司会者だった前田武彦による歌詞があった。歌は前田と当時の大喜利メンバーらが担当したが、メンバーらの歌が下手だと視聴者からは不評だったことに伴い、後にインストゥルメンタルのバージョンに変更された[35]。 1985年3月31日まで使用されていた初期バージョンは、東海林修の編曲・指揮により、ジャズのオーケストラ形式で録音されたが、効果音係が効果音の一つとして使用していたクラクションの操作ミスによって、最後の部分に妙な音調で「パフ」という音が入ったが、これが好評だったためにそのまま採用され、後述の再録音の際にも再現されるなど、「笑点のテーマ」のシンボルとなった。また、提供社名を流す際の番組開始・終了用音楽は、前述の効果音による合いの手が入らないなどアレンジが微妙に異なり、曲の最後の部分でブラスの音が強調されていた。これらの音源は、後述のステレオ再録音の音源が採用されるまで使用され続けた。なお、当番組は1980年4月6日放送分からステレオ放送[注 99]となっているが、それから後述のステレオ再録音が使われるまでは、このモノラル音源を擬似ステレオ化した物が使われていた[要出典]。 その後テーマ曲は、1985年4月7日に別の演奏者によってステレオで再度録音が行われた[注 100][注 101]。さらに、1998年8月2日以降は長さが40秒に短縮された。 初期の東海林修の編曲・指揮によるモノラル音源のインストゥルメンタル・ヴァージョンは、ソニー・ミュージックエンタテインメントからのコンピレーション・アルバムCD「日曜夜のテレビは哀愁」(CD番号:MHCL1185、2007年10月10日発売)の第1曲目に収録されている。 浅草ジンタの編曲・演奏によるカバーバージョンもあり、こちらは2014年5月18日の演芸コーナー出演時に披露されたほか、特番や『笑点特大号』でも使用されている。このほか、出演者の追悼コーナーを設ける場合はオルゴールバージョンが使用される。 歴代オープニング
舞台装置1970年(昭和45年)まであった演芸場「人形町末廣」を参考に、「昔ながらの寄席の高座をスタジオに再現したい」というコンセプトでデザインされている。部分的な手直しは何度か行われたが、『金曜夜席』の放送開始時から基本的なところは変わっていない。司会者席には黒字で『笑点』と彫られた見台が置かれ、ピンマイクが使われる前には見台の上にコンデンサーマイクが置かれていた。なお、大喜利メンバーにピンマイクが着けられるようになった後も、集音はしていないが舞台上にマイクが置かれている。 舞台奥の襖は4枚あり、後楽園ホール(麹町スタジオでの収録でも同様)では、演芸コーナーと大喜利コーナーで柄が異なり、収録時には柄の部分を回転させて切り替えている[注 115][注 116]。2017年2月5日放送分では、大喜利中に林家たい平がこの襖にぶつかり、放送中に襖が一回転してしまうというハプニングを起こしている[41]。 舞台の上の提灯には当初、笑の文字や、笑点メンバーの定紋を入れていたが、1969年(昭和44年)から現在のように名前を書くようになった(ただし、その後も特番の時などに紋の入った提灯が下げられたことがある)[42]。出演者の名前が入っているためメンバーが交代する際には提灯も新メンバーのものに取り替えられる[43]。 舞台上部に飾られている「笑点」と書かれた額は、2011年(平成23年)6月5日までは橘右近によるものが使用されていたが、2011年(平成23年)6月12日から橘左近によるものが使用されている[要出典]。 出演者や裏方たちは原則として上手から入退場するので下手側は通常襖で閉められているが、対抗戦形式の大喜利が行われる時などは下手側の襖も開いて下手から入退場するケースもある[44]。 座布団は、1枚36,000円の上質なちりめん生地で作られており、重量は3kgもあるため5枚以上は一度に運べない。 舞台上は基本的に土足厳禁となっており、大喜利メンバーのみならず前半の演芸コーナー出演者も靴は履かずに舞台に上がる[注 117]。 地方収録初の地方収録は大阪府寝屋川市で行われた(放送日不詳、収録日は1967年(昭和42年)7月15日)。 また、神奈川県伊勢原市での地方収録の放送時(1973年(昭和48年)10月21日)にニールセン[注 118]調べによる当番組の歴代最高視聴率40.5%(関東地区)をマークしている[注 119]。 かつて[いつ?]、地方収録第1週目の客席からのオープニングでは、司会者の隣に系列局の女性アナウンサーが座り、当地の名所や名産物を紹介していた。 1997年(平成9年)以降の地方収録は以下の通り。近年はもっぱら、日本テレビの系列局の開局○周年記念として行われている(市制○周年記念などがプラスされるパターンもある)。歌丸時代末期からは放送内での会場名が紹介されなくなり、収録会場の属する道県と市町村名のみ紹介されている。
2018年5月現在で地方収録の回数が一番多い回数は福島県の9回。次いで福岡県が8回。逆に、茨城県、三重県、滋賀県、奈良県、和歌山県、佐賀県、宮崎県では1度も行われていない(いずれも2024年2月時点)。東京都・千葉県についても、前者は別の演芸場での実施のみ(いずれも東京都区部内で、多摩地域・島嶼部は未実施)、後者はニコニコ超会議のイベントとしての実施のみであり、実質的に地方収録は1度も行われていない(いずれも2024年2月時点)。 初の地方収録を大阪で行った理由は、近畿地方での視聴率対策のためと言われる。2018年現在、日本テレビはおろか他局を含め、ホールでの公開収録型番組でなおかつ地方収録を行っている番組自体が非常に少なく人気番組であることもあり、ネット局からの収録の依頼が殺到している状態である。そのため激しい誘致競争に勝ち抜くために上記の通り各ネット局の開局記念行事として行われることがほとんどである。 1990年代以降長らく近畿地方での収録は行われておらず、「笑点」のオフィシャルサイトにも「関西での収録予定はないのか」という質問が紹介されており、それに対する答えが「前提として要請のあった系列局に伺うことになっております」となっている。また、歌丸の著書では大阪府寝屋川市で公録を行った際に読売テレビ側がきちんとした対応をとらなかったということで局と出演者たちの間で対立が起きたというエピソードが紹介されている[45]。 海外公演過去に大喜利での座布団10枚獲得などによる、海外での収録は幾度か行われているが、うち大喜利そのものの海外収録は過去3度行われている。
ハワイ公演は大喜利レギュラーだった4代目三遊亭小圓遊の最後の出演となった(ハワイ公演の1回目の放送があった日の未明に急死)。また、香港ロケの模様は90分の特別版で放送された。 このほか、1991年(平成3年)の番組25周年の時にはパリでの収録が予定されていたが湾岸戦争の影響を理由に中止されている[注 125]。 番組史→『金曜夜席』時代の歴史については「金曜夜席 § 番組史」を参照
→出演者変遷の詳細については「大喜利 (笑点) § 歴代席順」を参照
放送局・配信元
現在テレビ
インターネット配信
日本国外
2005年(平成17年)4月10日放送開始。番組中のCMはカットされている。 過去の放送局系列は現在の系列。◎は日本テレビ系新局開局やネットチェンジにより終了した局。
レギュラー派生番組BS笑点・笑点Jr.2003年(平成15年)10月12日から2007年(平成19年)2月17日までBS放送BS日テレで兄弟番組として若手中心の『BS笑点』を放送した。 2007年4月からはCSに移転し、CS放送日テレプラス(放送開始当時は日テレプラス&サイエンス)で『笑点Jr.』として2007年(平成19年)4月22日から2011年(平成23年)3月13日まで放送した。 現在笑点メンバーの春風亭昇太と林家たい平はこの番組の出身。桂歌丸はナビゲーターとして出演し、笑点のアシスタントを長年務めた三遊亭愛楽もこの番組に出演していた。 笑点デラックス→詳細は「笑点デラックス」を参照
視聴者からの要望を受け、5代目圓楽司会時代・歌丸司会時代の「笑点」を再放送。2012年(平成24年)10月1日から2016年(平成28年)9月26日まで、毎週月曜19:00 - 19:54にBS日テレにて放送。2016年10月以降はフォーマットはそのままでなつかし版に引き継がれた。 笑点 特大号→詳細は「笑点 特大号」を参照
2013年(平成25年)4月3日より毎週水曜21:00 - 21:54にBS日テレにて放送開始。2021年4月から毎週水曜19:00 - 19:54に放送。「大喜利」のディレクターズ・カット版や新規収録した「演芸」や若手メンバーによる「若手大喜利」などを放送する。 笑点 なつかし版→詳細は「笑点 なつかし版」を参照
2016年(平成28年)10月10日より毎週月曜・火曜19:00 - 19:54にBS日テレにて放送開始。月曜は5代目圓楽司会時代、火曜は歌丸司会時代の「笑点」を再放送する。2018年度からは毎週火曜・水曜の同じ時間に変更となり、歌丸司会時代の放送が引き続き火曜に、5代目圓楽司会時代の放送が水曜に放送。2021年度からは毎週火曜の放送になり、5代目圓楽司会時代の笑点を放送。 もう笑点
2016年4月開始。毎週日曜17:25 - 17:30に日本テレビのみで放送している(2021年10月31日までは南海放送[注 191]でも放送していた)、5分間の前座番組。開始当初は歌丸の部屋にメンバーが訪ねるという設定のもと、歌丸が笑点メンバー1人(山田含む)と落語や寄席に関する事や、番組に関連したちょっとした会話・雑談をする内容だった。当番組開始当時、歌丸は番組司会として出演していたが、2016年5月の司会降板後も同番組には『終身名誉司会』の肩書きで続投していた。 2018年4月1日放送分からは、『おひとりさま大喜利』と銘打ち、笑点の舞台でメンバー1人が歌丸から出される大喜利のお題に答える形式に変更された。同年5月13日放送分は、ニコニコ超会議での本編公開収録が行われた幕張メッセでの収録となり、歌丸以外のメンバー全員が登場して大喜利を行った。 2018年7月2日に歌丸は死去。前日の7月1日放送の三平との回が生前最後のテレビ出演となった。死去直後の7月8日放送分は、歌丸追悼スペシャルの事前番組として内容を変更して放送。翌週7月15日放送分から7月29日放送分までは、歌丸入院前の同年4月に収録済で、生前に放送されていなかった分を放送していた。また、この期間に放送されたもの以外にも歌丸入院前に収録済みでお蔵入りになっていた回が存在していたことに伴い、2019年4月7日の放送分では『蔵出し歌丸版』と題して未放送回を放送。ストックが無くなって以降は昇太と大喜利メンバーが過去のVTRを見ながらコメントするという形式となっている。過去の出演VTRは歌丸のほか、他のメンバー(木久扇・こん平・5代目圓楽など)をメインとしたものも使用されている。 2019年6月30日の放送は、『歌丸一周忌スペシャル』の事前番組として全員が揃い、歴代の歌丸の顔写真を出してその変遷を振り返る企画が放送された。 2018年8月5日放送分以降は、歌丸に代わって番組司会の昇太が進行を担当しているが、2019年2月10日・17日放送分以降、不定期に6代目円楽が進行を務めた回が放送される事があった。 特別番組新春特別番組概要番組初の新春特番は1967年1月1日16:00-16:45に放送された『東西お笑い大会 東の部「笑点」』[注 192]。1968年から1983年までは元日以外の年末年始に『笑点』特別企画を放送していた。1984年からは特番タイトルは年によって異なるが曜日に関係なく元日に固定されている(2005年のみ1月2日の日曜日)。1990年代まではゲストを招いた大喜利とメンバーの初春口上のみ放送していたが、90年代末期に入るとロケ企画や演芸コーナーも盛り込まれるようになった[101]。2006年から2008年までは『大笑点』が放送されていたが、その間も同特番に内包する事前収録パートとして従来の新春特番の体裁を保っていた。
おはよう笑点→詳細は「おはよう笑点」を参照
1998年(平成10年)から2007年(平成19年)までの1月2日に箱根駅伝中継が始まる前の時間帯に『おはよう笑点』を放送した。 大笑点→詳細は「大笑点」を参照
2006年(平成18年)から2008年(平成20年)までの1月1日に新春スペシャルとして、生放送(一部は事前収録)で『大笑点』が行われた。 笑点 お正月だよ!大喜利祭り「大笑点」を放送しなくなった2009年(平成21年)以降の元日は、16:00 - 18:00に固定。タイトルも現在のものとなり、2時間特番[注 193]として放送されている。 「チャリティー笑点」と同様に放送回数には含まれない。
24時間テレビ・チャリティー笑点1988年(昭和63年)から『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』の1コーナーとして、毎年日曜17時20分頃から18時過ぎまで生放送で行われる(1987年以前は放送休止)。放送回数には含まれない。 通常の放送と同様に演芸と大喜利3問で構成されているが、大喜利メンバーの挨拶はコーナー冒頭で行われ、大喜利の1問目と2問目の間にCMが挿入されたりするなど、一部の構成が異なる。初期は放送時間は不定で、メンバーの挨拶→CM→大喜利1問という短さで構成されていた。2005年から現在の構成となり、さらに2019年以降は通常形式の大喜利に加えて、その年のパーソナリティーを務めるジャニーズ事務所に所属するグループ・タレントらとの対抗大喜利の2本立てとなっている。 演芸終了後には、通常放送では放送されない出番を終えた演芸出演者と一部の笑点メンバーによる舞台裏でのやり取りが放送される。 大喜利では座布団が一番多かったメンバーには栄誉(拍手)が送られるルールがあった時期もあるが、歌丸司会期以降は通常の放送と同様にメンバーの回答が終わって、時間が来たところで司会者が締めの挨拶をして武道館に呼びかける形式となっている。 開始当初は「座布団1枚につき1万円を募金」という特別ルールがあり、当時の司会者5代目圓楽が募金をさせるためにつまらない答えでもあえて座布団を減らすことなく大盤振る舞いし、メンバーが募金を嫌がるというやりとりが見られた。しかし、これを見た視聴者から苦情や非難が殺到したため[101]、1991年(平成3年)以降はこのルールが廃止された。この影響もあって、一時期は笑点メンバー全員が募金をする様子を大喜利前に放送していた。 2005年(平成17年)以降はその年のパーソナリティーらが出演する場合もある。
1988年と1989年は日本武道館からの生放送、1990年から1994年は日産自動車の東銀座にあった旧本社ギャラリー前広場(現在の銀座6丁目-SQUAREビル)もしくは旧銀座ギャラリー(現在のNISSAN CROSSING)、1995年からはJCB旧本社(お茶の水スクエア)などからの生中継だった。2003年(平成15年)から2010年(平成22年)までは汐留・日本テレビタワー特設スタジオからの生中継、2011年(平成23年)以降は日本テレビ麹町Gスタジオから、2019年(令和元年)から2023年(令和5年)は日本テレビ番町スタジオから、2024年(令和6年)は石川県七尾市の市場・能登食祭市場特設ステージからそれぞれ生中継となっている。日本テレビタワー特設スタジオ時代までは襖のデザインが24時間テレビのロゴが入った特別仕様だったが、Gスタジオに移行してからはレギュラー放送と同じデザインが使用されている。 追悼特別番組笑点緊急追悼特番 ありがとう 円楽さん5代目三遊亭圓楽の逝去に伴う追悼特番。2009年(平成21年)11月1日16:55 - 17:25に日本テレビ、読売テレビで放送。後に2010年(平成22年)1月3日16:30 - 17:00にBS日テレで放送された。 桂歌丸を司会に落語「弥次郎」(2000年(平成12年)1月9日放送分の再放送)、大喜利(1988年(昭和63年)3月6日放送分・2001年(平成13年)2月11日放送分・1988年(昭和63年)4月3日放送分(若竹での収録))の様子が流れた(ハイビジョン放送)。 また、その翌週の2009年(平成21年)11月8日には急遽予定を変更して「ありがとう円楽さん!笑点メンバーお別れ会」が放送された。 笑点桂歌丸師匠ありがとうスペシャル5代目司会者でもあった桂歌丸の逝去に伴う追悼特番。2018年(平成30年)7月8日(第2620回)は、内容を変更し「桂歌丸師匠 ありがとうスペシャル」として放送された[107]。 前半は歌丸が出演した過去の大喜利の映像を出演者全員で振り返り、後半はメンバー全員による追悼大喜利を放送した[108]。 ミスター笑点 桂歌丸追悼特番2018年(平成30年)7月12日19:00 - 20:54に生放送された特別番組。司会の桝太一、水卜麻美と2018年当時の出演者8人が桂歌丸の生い立ち、歌丸最後の出演となった2016年5月22日の生放送の裏側、笑点出演の回答者から司会者時代などの半生、司会勇退後に入退院を繰り返しながら寄席や落語会の舞台に上がり続けた最晩年の密着の模様をトークを交えながら回顧する形式で故人を偲んだ。スタジオでは歌丸の妻・冨士子をはじめとした歌丸の遺族が観覧し、スタジオのセットには歌丸が番組で着用していた色紋付や、歌丸の写真・人形などが飾られていた。なお、たい平は当日に高座への出演が控えていたことから、19:30ごろに途中退席した[109]。平均視聴率は10.7%(関東地区・世帯・リアルタイム、ビデオリサーチ調べ)を記録[110]。 映像の制作期間が短かったためか、テロップやナレーションに誤りが幾つかあった[注 199]。 ありがとう!円楽師匠追悼特番 〜秘蔵映像で振り返る 落語家・笑点メンバーとしての人生〜6代目三遊亭円楽の逝去に伴う追悼特番で、2022年(令和4年)10月10日15:50 - 16:50に日本テレビ、読売テレビで放送された。45年間に渡り番組の中心だった笑点メンバーとして、さらには落語家としての6代目円楽の人生を、秘蔵映像と共に2022年当時の出演者7人が振り返る。 このほかに同年10月2日(第2829回)の前半にて追悼特集が放送され、10月9日(第2830回)は内容を変更し「緊急企画!円楽さん追悼大喜利」が行われた[111]。 BS笑点ドラマスペシャル2017年(平成29年)よりBS日テレにて『BS笑点ドラマスペシャル』と題した、笑点にまつわる人物の半生を描いたスペシャルドラマが制作・放送されている。ドラマには現役の笑点メンバーも随所に登場している。 →詳細は「BS笑点ドラマスペシャル」を参照
その他ザ・富士山2011年(平成23年)5月6日に『金曜スーパープライム』枠で『ザ・富士山 大解剖スペシャル!!』を放送した。ここでは、大喜利メンバーが富士山にちなんだ大喜利を披露。ナレーションは平野義和。 あのニュースで得する人損する人とのコラボレーション大喜利メンバーと桂歌丸が人間ドックを受診する様子が2015年4月9日の『あのニュースで得する人損する人』2時間スペシャルで放送された。番組内では、笑点メンバーと得損メンバーのペアによる大喜利が開催された。得損メンバーはペアを組む笑点メンバーと同じ色の色紋付を着用した。お題は1問のみで、第2403回(2014年2月23日放送分)の大喜利一問目と同じお題が出題された。 嵐にしやがれ「笑点記念館」同局で2018年(平成30年)当時放送されていた『嵐にしやがれ』の2018年7月28日放送分にて実施。三平を除く2018年当時の笑点メンバー7人が出演し、『笑点』の番組52年の歴史を振り返る企画として「笑点記念館」が行われたほか、笑点メンバーと嵐(大野智、櫻井翔、相葉雅紀、二宮和也、松本潤)による大喜利が行われ、「あらし」を題にあいうえお作文が出題された[118]。なお、嵐メンバーの座り順と色紋付の色は、左から大野(水色)、二宮(黄)、櫻井(赤)、相葉(緑)、松本(薄紫)、の順だった。 スタッフ
歴代のスタッフ
※また地方収録の時はその地域の系列局の技術スタッフ、ディレクター、プロデューサーが携わることがある。なおかつては地方収録時は日本テレビとその地域の系列局が共同で製作・著作していたが、現在はその地域の系列局は制作協力扱いとなっている。 巡回展番組放送50周年を記念して、2016年4月より全国各地(髙島屋が中心で、髙島屋がない地域はそれ以外の百貨店など)で、巡回展「笑点 放送50周年特別記念展」が各地で開催され、「笑点商店」として番組放送50周年記念グッズなどの販売が行われた[119][120]。また、「放送50周年特別記念展」が行われた関東・関西2店舗よりも、催事場の規模が小さい髙島屋などを対象に、展示スペースを一部縮小・または展示のない物販のみの形で「笑点商店フェア」を開催している[121]。 また、2021年4月には髙島屋新宿店にて、「笑点 放送55周年特別記念展」が開催された[122]。しかし、この新宿店での開催は会期途中で新型コロナウイルスの影響により打ち切りとなった。 現段階で、中部地方・四国以外ではいずれも開催実績がある[注 200]。 放送50周年特別記念展の開催地
放送55周年特別記念展の開催地関連商品DVD
書籍
パチンコ
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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