大杉漣
大杉 漣(おおすぎ れん、1951年〈昭和26年〉9月27日[2][3] - 2018年〈平成30年〉2月21日[4])は、日本の俳優、タレント。本名︰大杉 孝(おおすぎ たかし)[5]。徳島県小松島市出身[6]。明治大学中退[5]。身長178cm、体重72kg[2]。血液型はB型。最終所属はザッコ。長男は写真家の大杉隼平[1]。異名は「300の顔を持つ男」「カメレオン俳優」[7][8]。 生涯生誕1951年9月27日、徳島県小松島市にて、教育者の家庭で育つ。4人兄弟の末っ子[9]。母は京都の銀閣寺の傍らにあった下宿屋の娘で、父より3歳年上の姉さん女房だった。父は京都大学に在学中に、その下宿屋で生活しており、その際に仲良くなり結ばれた[10][11]。父は38歳で小松島市立小松島中学校の校長に抜擢され、徳島県立小松島西高等学校、徳島県立富岡東高等学校、徳島県立城東高等学校の校長を歴任した[9][10]。父が小松島中学校の校長をしていた縁で小松島中学校が2016年に創立70周年を迎えた際には記念講演を行ったこともある[12]。12歳の時に父が徳島県立富岡東高校に転任し、同じ敷地の茶道部と女子寄宿舎の間にあった校長官舎に引っ越す。4年間そこで暮らした[10]。したがって、小学校5年生までは小松島市立千代小学校に在籍し、小学6年生は富岡小学校、中学生時代は富岡中学校に在籍していたことになる。16歳のときに父が徳島県立城東高校に転任が決まり、一家で城東高校の官舎に引っ越す。そして、自身も徳島県立城北高等学校へ進学し、卒業する[13]。 劇団活動との出会い1970年代に人気を呼んでいた蜷川幸雄、寺山修司、唐十郎らの演劇に通い、1973年、雑誌『新劇』に掲載されていた太田省吾の記事に感銘を受け、太田の劇団員募集広告に応募し研修生として採用される[5]。応募するにあたり、明治大学は中退した[5]。同年6月、22歳で別役実作品『門』の「娼婦を買いに来る客A」役で舞台デビューを果たした[5]。1974年、23歳の時に太田省吾創設の転形劇場に入る[14]。台詞なしに静かに舞台を歩んで演じる「沈黙劇」を原点として[14]、舞台俳優としての本格的な活動を始め、転形劇場での活動に打ち込む。同劇場の演目『小町風伝』は岸田戯曲賞を受賞している[15]。 下積時代1980年に新東宝映画のピンク映画『緊縛いけにえ』で映画俳優としてデビュー[5][16]。日活ロマンポルノや新東宝映画などのピンク映画に積極的に出演するようになった。 1983年、滝田洋二郎監督の『連続暴姦』では演技力が評価され、同年の「ZOOM-UP映画祭」・ピンクリボン賞主演男優賞を受賞した[5]。また、翌1984年、周防正行監督の小津映画リスペクト作品『変態家族 兄貴の嫁さん』では、当時33歳[5] の大杉が60歳超の老人役を演じ、静けさの中にも狂気をたたえた演技や風かおるとの独特の掛合いなどが評価された。その後も多数のピンク映画に出演したが、1988年の片岡修二監督の『地下鉄連続レイプ・愛人狩り』を最後にピンク映画への出演を控え、転形劇場における活動に専念した[5]。 しかし、転形劇場は1988年に解散[15]。大杉は37歳で活動基盤を失ったが、宮沢章夫作品や太田省吾作品への出演、岩松了作品における竹中直人とのコラボレーションなど、演劇界で活動を続けた。 俳優としての転機1989年以降、再び映画界への進出を望んだが、希望する役を射止めることはできず、Vシネマなどに多数出演して収入を確保する生活が続いた。 40歳代に入り、種々のステップアップを図る一環として北野武監督による『ソナチネ』(1993年)のオーディションを受け、遅刻したにもかかわらず合格[5][17]。とはいえ当初与えられたのは単なるやくざ事務所の電話番という、台本に台詞のない端役だったが、たけしの「全部アドリブでやって」という指示に対し、大杉が演じたヤミ金の取り立ての演技にたけしが「うめえな、この人」と感心、脚本を書き換えて役を大きくしたところ、「最後までうまくやっちゃった」という[18]。この作品での演技が転機となり、映画界において演技派の一人として知名度を得ていく[5][19]。SABU監督の『弾丸ランナー』出演の翌1997年には、同監督の『ポストマン・ブルース』でおおさか映画祭・報知映画賞を受賞。1998年には北野武監督の『HANA-BI』で、下半身不随の元刑事役という難役を演じた。作品はヴェネツィア国際映画祭でグランプリにあたる金獅子賞を受賞し、自身もブルーリボン賞をはじめとする1999年度の国内各映画賞の助演男優賞を多数受賞。映画以外にもテレビドラマへの主役・主要キャストとしての出演が増加すると、その名は広く一般に認知されるようになった。 その後は、偉人群像から社会の底辺に生きる人物、公安刑事から体制破壊主義者、堅実なサラリーマンからホームレス、学校長からヤクザ、好人物から偏狭な人物、誠実な父親・夫から退廃的な不良中年、精神異常を思わせるサイコ色の強い異常人格から変態[14]・エロ系の人物まで、様々な役柄を演じ、「300の顔を持つ男[5][20]」「カメレオン」などの異名を得る。以後は、高橋伴明、中村幻児、周防正行、滝田洋二郎、黒沢清、井筒和幸、廣木隆一等のピンク映画系出身の諸監督から、北野武、SABU、鈴木俊之、磯村一路、小松隆志、三池崇史、落合正幸など、日本映画界の多くの監督作品に出演した。 若い映画製作者への協力もしていた。当時は新潟の一高校生にすぎなかった田卷源太監督による企画提案を受け、アマチュア自主製作短編映画『黒いカナリア』の主役として少ない報酬で出演したり、早稲田大学と慶應義塾大学の学生が中心となった自主制作映画『Mogera Wogura』へも出演。 映画からNHK大河ドラマ、NHK連続テレビ小説、2時間ドラマ、Vシネマ、インディーズ、ドキュメンタリーのナレーション、バラエティー番組をはじめ、アジア圏の外国映画や内外合作映画にまで、各ジャンルに出演。その本数も多く、バイプレイヤーの代表格として極めて精力的な活動を行っていた[21]。 2013年4月13日より、BSフジにて自身初の冠番組となる旅番組『大杉漣の漣ぽっ』が放送開始[22]。第1回は大杉の地元である徳島県を散策した回を放送、以後2018年に急逝するまで、約5年、60回(地上波で放送されたスペシャル版1回を含む)に亘って放送された。 2017年1月2日に日本テレビ系で放送された『新春ぐるナイ!ゴチ新メンバー超大物2名発表SP!』にて、人気コーナー「グルメチキンレース・ゴチになります!18」にレギュラー出演することが発表され、地上波バラエティ番組における初レギュラーが決定した[23]。2017年8月24日放送回では自身初[24] のピタリ賞100万円を獲得し[25]、同年9月7日放送分でもピタリ賞で1位。ゴチ史上初の2週連続ピタリ賞獲得の偉業を成し遂げた[26]。「ゴチ」メンバーに同時加入した渡辺直美からは「れんれん」と呼ばれた[27]。 死去2018年2月20日深夜、主演ドラマ『バイプレイヤーズ〜もしも名脇役がテレ東朝ドラで無人島生活したら〜』のロケのために滞在していた千葉県君津市内のホテルで腹痛を訴え、番組関係者に付き添われてタクシーで君津市内の救急病院へ搬送される[28]。病院到着時にはすでに重体となっており、総合病院への搬送も検討されたが、「治療が間に合わない」という病院側の判断で集中治療が継続された。しかしその後容態が急変し[29]、翌2月21日午前3時53分に急性心不全のため死去した[4][30][31]。66歳没(享年67)[32]。病院に駆け付けた家族やドラマ関係者、事務所関係者、ドラマで共演中だった遠藤憲一・田口トモロヲ・光石研・松重豊が最期を看取った[33]。 当日の20日は終日撮影や取材を行ったが、体調に変化などはなく順調に進行し[34]、終了後は共演者らでともに食事をしていた。 葬儀・告別式は大杉本人の生前の意思によって家族・近親者のみで執り行われ[35]、4月14日にお別れの会「さらば!ゴンタクレ」が開かれた(詳細は後述)。 戒名は 死後
お別れの会「さらば!ゴンタクレ」4月14日には、お別れの会「さらば!ゴンタクレ」が東京都青山葬儀所にて開かれ[80][81]、約1700人が参列した[82]。 最期を看取った『バイプレイヤーズ』共演の4人も揃って参列、田口トモロヲが代表して弔辞を読み、大杉と5人で過ごした時間を振り返った[36]。田口の弔辞の一部は次の通り。
『僕シリーズ3部作』(関西テレビ制作ドラマ)や『嘘の戦争』(同)など自身の主演作で多数の共演歴がある草彅剛も弔辞で
と声を震わせ別れを惜しんだ[37]。 長男・隼平も「いかに現場に立っていたか、改めて感じました。」「父としてというより、人として本当に尊敬していました。失ってみて、あの人のことをどれだけ好きか痛感しました。」など語ったほか、所属事務所・ザッコの社長を務める妻・弘美も「“そちらでも元気にやっていて。またね!”と送りたいと思っています。」とコメントした[38]。 また、祭壇には「REN」の名前が入った徳島ヴォルティスの背番号10ユニフォームがメンバーズカード付きで飾られた[83] ほか、ファンブースには「ゴチ」で着用した制服がトップ通過およびピタリ賞の回数分のバッジ付きで展示された[84]。 受賞歴
人物笠智衆の著書『あるがままに』(1992年、世界文化社)に感銘を受けたことから[21]、好きな言葉(座右の銘)は「あるがままに」[88] と「見る前に飛べ」。 芸名「漣」の由来は、吉祥寺フォークの重鎮高田渡の長男でスティールギター奏者である高田漣の名から拝借したものである[6]。 役柄の数だけ眼鏡があるというほど眼鏡に関してはこだわりがあり、自宅に200本以上所有していた[89][90]。 ペットが大好きで、公式ブログのタイトルもスコティッシュフォールドの「寅子(トラコ)」とチワワの「風(ふう)」からとられている[90]。なお、猫の寅子は、2008年の主演映画「ネコナデ」で共演した猫である。 趣味散策を好み、ロードバイクで一人下北沢、新宿、渋谷へ気ままに出かけた[14] ほか、18歳で上京後に最初になじんだ街であるという吉祥寺にはたびたび訪れていたという[90]。音楽とスポーツが主な趣味で、音楽ではフォーク、スポーツではサッカーをこよなく愛する[91]。 また、50歳代に映画『Life on the Longboard』で「定年退職後サーフィンを始めた男」を演ずることになり、役作りとして種子島でサーフィンの猛特訓を行った経験から、サーフィンも趣味のひとつとなった[16]。 その他、音楽鑑賞、器楽(ギターおよびブルースハープ)、テニスなど。
出演舞台
映画★:主演、☆:主要キャスト 一般映画1980年代 (映画)
1990年代 (映画)
2000年代 (映画)
2010年代 (映画)
2020年代 (映画)エロス映画
テレビドラマ
金曜エンタテイメント(フジテレビ)
金曜プレステージ(フジテレビ)
※は朝日放送制作。
土曜プライム(テレビ朝日・朝日放送)※は朝日放送制作。
1980年、1990年代 (ドラマ)
2000年代 (ドラマ)
2010年代 (ドラマ)
オリジナルビデオ
バラエティー 他
劇場アニメ
吹き替えドキュメンタリー番組
ラジオ番組
CM
PV
代役・後任大杉の死後、持ち役等を引き継いだ者は以下の通り。
連載著作
脚注注釈
出典
外部リンク
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