藤村志保
藤村 志保(ふじむら しほ、本名;静永 操〈しずなが みさお〉[1]、旧姓;薄〈すすき〉、1939年〈昭和14年〉1月3日 - )は、日本の女優。神奈川県川崎市出身。所属事務所はオフィスポエム。日本子守唄協会副会長[2]。 人物・来歴4歳の時、父を戦争で失い、毛糸商を営む母に育てられた[3]。1957年、フェリス女学院高等部卒業[4]。フェリス女学院時代の同級生に安井かずみ。 1962年、『破戒』に出演して各種新人賞を受賞。以降、大映のスターとして主に時代劇で活躍。 テレビドラマにも進出し、1965年、『太閤記』のねね役を演じたのをきっかけに大河ドラマで活躍。 『風林火山』での演技が認められ、第59回NHK放送文化賞を受賞した。 また『欽ちゃんのどこまでやるの!?』、『森田一義アワー 笑っていいとも!』テレフォンショッキング、『徹子の部屋』、『スタジオパークからこんにちは』などバラエティ番組やトーク番組にも多数出演し、軽妙なトークや撮影秘話などを披露。ドラマ・映画・舞台からは窺い知ることのできない素顔を見せている。 1979年、地唄舞の名手・武原はん(文化功労者)に師事、1985年から地唄舞披露「藤村志保の会」を開始し、以来、隔年にほぼ一度のペースで主宰[5]。 1983年、女優として初めて、放送番組向上委員会委員に就任[3]。 1985年には臓器移植を取材して著書『脳死をこえて』を書き上げ第6回読売女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞を受賞、同著はテレビドラマ化もされている。自身も腎臓バンクに登録、衆院法務委員会で参考人として意見を述べた[3]。 放送文化資源・資料の保存にも関心を持っており、2011年には日本脚本アーカイブズ(後の一般社団法人日本脚本アーカイブズ推進コンソーシアム)に対し自身の出演作等の台本576冊を寄贈している[6]。 2014年にはNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』でナレーションを務め、演出意図から独特な語り口調が賛否両論を起こした。しかし、放送開始直前の同年1月3日に背骨を圧迫骨折する大けがを負い、医師から絶対安静と診断され、今後の収録は困難になったとの理由からナレーションを降板することが同年1月29日に発表された。ナレーションは同年2月16日放送分の第7回から元NHKアナウンサー広瀬修子に交代し、しばらく治療に専念[7]。同年8月までに全快し、同月12日に快気祝いが催されたという[8][9]。 芸名の由来は、デビュー作の役名「志保」と原作者の島崎藤村から[3]。 妹は、巣鴨で料亭「田村」を経営していたが、2014年に閉店した。 受賞
出演映画
テレビドラマ
その他
CM脚注
関連項目外部リンク
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