Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

ハロー・グッドバイ

ビートルズ > 作品リスト > ハロー・グッドバイ
ビートルズ > 曲名リスト > ハロー・グッドバイ
「ハロー・グッドバイ」
ビートルズシングル
B面 アイ・アム・ザ・ウォルラス
リリース
規格 7インチシングル
録音
ジャンル
時間
レーベル
作詞・作曲 レノン=マッカートニー
プロデュース ジョージ・マーティン
ゴールドディスク
後述を参照
チャート最高順位
後述を参照
ビートルズ シングル 年表
  • ハロー・グッドバイ
  • (1967年)
マジカル・ミステリー・ツアー 収録曲
アイ・アム・ザ・ウォルラス
(A-6)
ハロー・グッドバイ
(B-1)
ストロベリー・フィールズ・フォーエバー
(B-2)
ミュージックビデオ
「Hello, Goodbye」 - YouTube
テンプレートを表示

ハロー・グッドバイ」(Hello, Goodbye)は、ビートルズの楽曲である。1967年11月にシングル盤として発売され、B面にはジョン・レノン作の「アイ・アム・ザ・ウォルラス」が収録された。レノン=マッカートニー名義となっているが、実質的にはポール・マッカートニーによって書かれた楽曲[3]で、バンドのマネージャーであるブライアン・エプスタインの死去後に発売された初のシングル。シングルは、イギリス、アメリカ、ニュージーランド、カナダ、オーストラリアなど多数の国のシングルチャートで第1位を獲得した。

歌詞は「二元性」をテーマとしたもので、エプスタインのアシスタントであったアリステア・テイラーから作詞作曲に関する質問に答え、マッカートニーはハーモニウムを弾きながら、テイラーに発した言葉に対して相対するものを叫ぶことを頼んだことに由来している。完成した楽曲には、メンバー4人の演奏以外に外部ミュージシャンによるヴィオラが加わっており、曲のエンディングではアドリブ演奏が聴ける。プロモーション・フィルムは3種類制作され、アメリカではそのうちの1種が『エド・サリヴァン・ショー』で放送されたが、イギリスではマイム禁止法による規制のため、放送されることはなかった。

「ハロー・グッドバイ」は、音楽評論家から様々な反応を受けており、「上質なポップ・ナンバー」といった肯定する評価や、「取るに足らない曲」といった否定的な評価がなされている。楽曲は、アメリカで発売されたキャピトル編集盤『マジカル・ミステリー・ツアー』に収録されたのち、『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』や『ザ・ビートルズ1』などのコンピレーション・アルバムにも収録された。マッカートニーは、2002年の「Driving World」ツアーを皮切りに、ソロライブで頻繁に演奏している。ジェームズ・ラストバド・シャンクアラン・トゥーサンザ・キュアーらによってカバー・バージョンが発表された。

背景

「ハロー・グッドバイ」は、レノン=マッカートニー名義となっているが、実質的にはポール・マッカートニーが単独で書いた楽曲となっている。作詞には、ブライアン・エプスタインのアシスタントであった[4]アリステア・テイラーが関係している[5]

テイラーは、マッカートニーの自宅を訪問し、ビートルズの楽曲の歌詞の書き方を尋ねた。すると、マッカートニーはハーモニウムを演奏しながら、テイラーに対し「この世に存在する相対するものを叫んでみて」と要求。テイラーが「black and white, yes and no, stop and go, hello and goodbye」と答えたことから本作が生まれた[4]

このことについてマッカートニーは、1990年代に作家のバリー・マイルズ英語版との対談で、「相対する事柄について書いたもので、ジミニャーノの影響かな。深遠なテーマさ。男と女、黒と白、漆黒と象牙色、高いと低い、正確さと不正確、上と下、こんにちはとさようなら…曲にするのは簡単だった」「物事の二面性について書いた曲で、いつだって僕は前向きな方面に立ってる。それは今でも変わらないよ」と語っている[6]

なお、マッカートニーが作曲した時期には、ビートルズの伝記作家内でいくつかの説が存在している。音楽評論家のイアン・マクドナルド英語版は1967年9月下旬に作曲したとしていて[7]、ジャーナリストのボブ・スピッツ英語版は6月25日に世界同時中継された番組『われらの世界』のために書いた曲の一つとしている[8][注釈 2]

レコーディング

「ハロー・グッドバイ」のレコーディングは、1967年10月にEMIレコーディング・スタジオで開始された[9]。この当時、マッカートニー主導で制作された[10]テレビ映画『マジカル・ミステリー・ツアー』の撮影が終盤に差しかかっていた[11]

10月2日にプロデューサーのジョージ・マーティンとレコーディング・エンジニアのジェフ・エメリックケン・スコット英語版と共に[12]、当時「Hello Hello」と題されていた本作のベーシック・トラックの録音に着手[13]。マッカートニーがピアノ、レノンがハモンドオルガンジョージ・ハリスンマラカスリンゴ・スタードラムという編成で[14]、14テイク録音された[15]。後にリダクションし、コーダ部分にタンバリンコンガボンゴオーバー・ダビング[16]

10月19日に、マッカートニーはリード・ボーカルを、ハリスンはレスリースピーカーを通したリードギターがテイク16[15]にオーバー・ダビングした。他にはバッキング・ボーカルハンドクラップ英語版もオーバー・ダビングされている[16]。なお、マッカートニーのボーカルは、テープの回転速度を遅くして録音された[17]。このテイク16は、1996年に発売された『ザ・ビートルズ・アンソロジー2』に収録されている[18][19]。このテイク16ではマッカートニーのボーカルに対してのオブリガートをはじめ、ギター・パートが多く含まれているが、完成形ではそのほとんどがマッカートニーのスキャットに置き換えられた[20]。このギター・パートの削除が、後に「ヘイ・ジュード」のセッション時やゲット・バック・セッションで見られたマッカートニーとハリスンの不和の一端とされている[21]

10月20日にテイク16をリダクションした後に、2本のヴィオラが追加された[22][23]。ヴィオラは、ケネス・エセックスとレオ・バーンバウムによって演奏された[11]。10月25日[23]と11月2日にベースがオーバー・ダビングされた[24][14]

リリース

「ハロー・グッドバイ」は、1967年のクリスマスシーズンにリリースされるためのシングルとして選ばれた[5]。B面にはレノン作の「アイ・アム・ザ・ウォルラス」が収録された。なお、このシングル盤は、マネージャーのブライアン・エプスタイン死去後初のシングル盤となった[25]。レノンは、自身が書いた「アイ・アム・ザ・ウォルラス」がB面に追いやられたこともあってか、「シングルのために書かれた曲だけど、別に名曲というわけじゃない。この曲でいいところと言えば、『涙の乗車券』みたいなエンディングにしようと、僕がピアノを弾いた最後のアドリブっぽい部分くらいだ」[26]「“ハロー・グッドバイ”が“アイ・アム・ザ・ウォルラス”をB面に追いやった。こんなの信じられるか?」[27]と語っている。

イギリスでは、1967年11月24日にパーロフォンから発売され[28]、1967年12月27日付の全英シングルチャートで1位を記録し、2位にランクインしたEP『マジカル・ミステリー・ツアー』と共に3週に渡ってトップ2を保っていた[29]。のちに1968年1月23日付のチャートより1963年に発売されたシングル『シー・ラヴズ・ユー』以来となる[30]7週連続1位を記録[31][32]

アメリカでは1967年11月27日にキャピトル・レコードから発売(LP『マジカル・ミステリー・ツアー』と同時発売)された[33]。1967年12月30日付のBillboard Hot 100より3週連続で第1位を獲得[34]。『ビルボード』誌の1967年度年間ランキングでは第17位。『キャッシュボックス』誌では2週連続第1位を獲得[35]。アメリカでは100万枚以上のセールスを記録し、イギリスでは80万枚以上のセールスを記録している。

プロモーション・フィルム

この曲のプロモーション・フィルムは、3種類制作されている[36]。いずれのクリップもマッカートニーが監督の下で[36][37]、1967年11月10日にオデオン コヴェントガーデン[38]で撮影が行なわれた。

  • サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のジャケットの衣装を着たメンバーがサイケデリックな雰囲気でバンド演奏しているもの。リンゴ・スタードラムセットが場面によって大きくなったり、小さくなったりする。なお、映像の途中ではメンバーが1963年に着用していた襟なしのスーツを着用している[39]。コーダ部分ではフラダンサーが登場する。
  • 普段着で通常のドラムがセットされたもの[40]。背景も1本目と異なり、田舎の風景が描かれている。
  • 両バージョンのオフショットを交えた映像[40]。後半で何故かレノンが曲調に似合わず、ツイストを踊ったりしている。

アメリカで1967年11月26日に放送された『エド・サリヴァン・ショー』で1作目のプロモーション・フィルムが放送された[41][42]。ビートルズは、BBCの音楽番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』で放送されることを期待していたが[41]イギリスではミュージシャンズ・ユニオンの規定でテレビ番組での口パクが禁じられていた[43]。これを踏まえ、ジョージ・マーティンはヴィオラをカットしたミックスを作成したが、口パク当て振りをしていることは明白であったため、プロモーション・フィルムの放送は見送られた。その代替として、1964年に上映されたビートルズ主演映画『ハード・デイズ・ナイト』から抜粋された映像に「ハロー・グッドバイ」の音源が被せられたものが放送された[36]

いずれのバージョンも2015年11月6日に発売された『ザ・ビートルズ 1+』のDVD・Blu-rayに収録されている[44][注釈 3]。なお、ヴィオラをカットしたミックスは、現在も音源化されていないうえ、このミックスを使用した映像は発売されていない。

評価

1967年12月に発行された『ニューヨーク・タイムズ』紙でリチャード・ゴールドスタイン英語版は、「ハロー・グッドバイ」について「B面向きの曲」とした上で、「面白い曲だが、A面曲としては劣っている」と評した[45]。『メロディー・メーカー英語版』誌のニック・ジョーンズは「表向きにはシタールを使っていない非常に“普通な”ビートルズのレコードで、私たちがとても好むようになった幻想的なサウンドが織り込まれた複雑な曲になっている」と評した[46]。『NME』誌のデレク・ジョンソンは、「ハロー・グッドバイ」のシンプルさを支持し、「非常に商業的で、ビートルズがあまりにも先進的であると感じている人へのメッセージ」と評している。『キャッシュボックス』誌は「最低限の歌詞、最低限のメロディ、そして実質的に主題はないが、ビートルズにはジョンとポールが連携して、窮屈な世界にパンクロマティックな虹色のサウンドを詰め込む新しい側面がある」と評している[47]

ラフガイド』のクリス・インガムは、「どうということもない手軽な歌詞とコードを演奏することで、はるかに挑戦的な『アイ・アム・ザ・ウォルラス』がA面曲になるのを妨害した」とし[48]、文化評論家のスティーブン・D・スターク英語版は「最もキャッチーな曲」としながら、「もしもこれまでのようにジョンとポールの共作であったら、ジョンはポールに歌詞の書き直しを求めていただろう」と述べている[49]。その一方で、『オールミュージック』のリッチー・アンターバーガー英語版は、「広大かつ見事で、革新的なシングル曲」と評している[50]。『ピッチフォーク・メディア』のスコット・プラゲンフーフは「うんざりするほど単純な歌詞はセールス向きだ」としながらも、「遊園地の乗り物のようなメロディと、リードボーカルとバッキング・ボーカルの相互作用により、曲よりもはるかに優れたレコードになった」と評している[51]

2015年に『NME』誌が発表した「グレイテスト・ビートルズ・ソングス100」でザ・キュアーによる選曲で91曲目[52]、Ultimate Classic Rockが発表した「Top 50 Beatles Songs」では第45位[53]にランクインした。『ローリング・ストーン』誌が発表した「グレイテスト・ビートルズ・ソングス100」では第100位にランクインしていて、同誌は「マッカートニーは、非常に生き生きした『ハロー・グッドバイ』が最も目覚ましい作曲をした瞬間であると主張したことがない」と述べている[54]。2006年に『モジョ』誌が発表した同様のリストでは第36位にランクインし、「文句なしに史上最高のポップ・ソング」と評されている[55]。ステファン・スピニェシとマイケル・ルイスの共著書に掲載された「ベスト・ビートルズ・ソングス100」では第76位にランクインしており、スピニェシとルイスは「傑作」「上質で、新鮮さを持ったポップ・ナンバー」と評している[1]

クレジット

※出典[11][注釈 4]

ビートルズ
外部ミュージシャン・スタッフ

チャート成績

週間チャート

チャート (1967年 - 1968年) 最高位
オーストラリア (Go-Set National Top 40)[56] 1
オーストリア (Ö3 Austria Top 40)[57] 2
ベルギー (Ultratop 50 Wallonia)[58] 1
ベルギー (Ultratop 50 Flanders)[59] 2
Canada Top Singles (RPM)[60] 1
オランダ (Single Top 100)[61] 1
フランス (SNEP Singles)[62] 1
日本 (オリコン)[63] 15
アイルランド (IRMA)[64]
2
ニュージーランド (Listener Chart)[65] 1
ノルウェー (VG-lista)[66] 1
スウェーデン (Kvällstoppen Chart)[67] 1
スイス (Schweizer Hitparade)[68] 2
UK Record Retailer Chart[32] 1
US Billboard Hot 100[69] 1
US Cash Box Top 100[70] 1
西ドイツ (Musikmarkt Hit-Parade)[71][72] 1

年間チャート

チャート (1968年) 順位
オーストラリア (Go-Set National Top 40)[73] 38
オーストリア (Austrian Singles)[74] 17
ベルギー (Ultratop)[75] 46
Canada Top Singles (RPM)[76] 30
オランダ (Dutch Singles)[77] 60
イタリア (Italian HitParade) 80

認定

国/地域 認定 認定/売上数
アメリカ合衆国 (RIAA)[78] Gold 1,000,000^

* 認定のみに基づく売上数
^ 認定のみに基づく出荷枚数

メディア等での使用

  • ビートルズ主演のテレビ映画『マジカル・ミステリー・ツアー』では、本作のアドリブ部分(「Hela, Heba, Helloa」というフレーズ)がエンドクレジットで使用された[79]
  • フジテレビ系列のテレビ番組『ボクらの時代』のオープニングテーマとしても使われている[80]
  • 中学1年外国語の教材にも使われており、東京書籍出版のNEW HORIZON①に英語の歌として、使われている[81]
  • お笑い芸人のナイツが、「その歌に対してツッコミを入れる(土屋伸之が原曲をうたい、ボケの塙宣之が突っ込む、というもの)」ネタを披露した際に、この曲を取り上げている[82]

マッカートニーによるライブでの演奏

ビートルズは、1966年8月のアメリカツアーを以てライブ活動を終了したため、ビートルズ活動期にライブで「ハロー・グッドバイ」が演奏されることはなかった。

マッカートニーは、ビートルズ解散後のソロのライブにて度々「ハロー・グッドバイ」を演奏しており、[83]、「The Paul McCartney World Tour」(1989年 - 1990年)では「プット・イット・ゼア」とのメドレーとして演奏され[84][85]、その時の音源は『ポール・マッカートニー・ライブ!!』に収録された[86]。「Driving World Tour」(2002年)や「Back in the World Tour」(2003年)、「On the Run Tour」(2011年 - 2012年(一部公演))では、オープニング・ナンバーとして演奏された[87]

フル演奏されたときのライブ音源は、『バック・イン・ザ・U.S. -ライブ2002』(2002年)、『バック・イン・ザ・ワールド』(2003年)に収録されている[88]

カバー・バージョン

脚注

注釈

  1. ^ 『東芝音工月報』1968年1月発売号に12月25日発売と個別表記されている。『番号順総目録』の1969年度版では発売日が「1968年1月10日」と記されているが、リアルタイム購入&ワン・オーナーの所蔵品に、「1967.12.25」の購入日書込みのある盤が確認されており、次のシングル『レディ・マドンナ』(OR-1902)のジャケットには「ビートルズ68年初のシングル!!」と書かれている。
  2. ^ ただし、スピッツの説については、他の書籍などで伝えられている「マッカートニーは放送のために『ユア・マザー・シュッド・ノウ』を書いた」というエピソードと矛盾が生じている[8]
  3. ^ ディスク1に『サージェント・ペパー』の衣装を着たバージョン、ディスク2に「普段着」のバージョンと前2本を編集し別の映像を追加したバージョンを収録[44]
  4. ^ リードギターについては、ジョージ・ハリスンによる演奏であるという説が有力となっている[16][12]。レノンはコーダ部分でピアノを弾いたと記憶しているものの[26]、ギターの演奏については一切触れていない。
  5. ^ ポール・マッカートニーとリンダ・マッカートニーの間に生まれた長男

出典

  1. ^ a b Spignesi & Lewis 2009, p. 234.
  2. ^ Carr & Tyler 1978, p. 69.
  3. ^ Womack 2014, p. 370.
  4. ^ a b Turner 1999, p. 139.
  5. ^ a b Everett 1999, p. 142.
  6. ^ Guesdon & Margotin 2013, p. 440.
  7. ^ MacDonald 1998, p. 238fn.
  8. ^ a b Womack 2014, p. 31.
  9. ^ Miles 2001, p. 280.
  10. ^ Hertsgaard 1996, p. 233.
  11. ^ a b c MacDonald 1998, p. 238.
  12. ^ a b c Womack 2014, p. 371.
  13. ^ Lewisohn 2005, p. 128.
  14. ^ a b Everett 1999, pp. 142–143.
  15. ^ a b Winn 2009, p. 129.
  16. ^ a b c Everett 1999, p. 143.
  17. ^ Womack 2009, p. 99.
  18. ^ Lewisohn, Mark (1996). Anthology 2 (booklet). Apple Corps/EMI. p. 43.
  19. ^ Badman 2001, pp. 553–554.
  20. ^ Unterberger 2006, p. 183.
  21. ^ Unterberger 2006, pp. 183, 244.
  22. ^ Lewisohn 2005, p. 129.
  23. ^ a b Miles 2001, p. 282.
  24. ^ Lewisohn 2005, p. 130.
  25. ^ Ingham 2006, pp. 44, 48.
  26. ^ a b Sheff 2010, p. 198.
  27. ^ Stark 2005, p. 220.
  28. ^ Miles 2001, pp. 283–284.
  29. ^ MacDonald 1998, p. 236.
  30. ^ MacDonald 1998, p. 239.
  31. ^ hello goodbye | full Official Chart History”. Official Charts Company. 2020年6月29日閲覧。
  32. ^ a b Official Singles Chart Top 50”. UK Singles Chart. 2020年6月29日閲覧。
  33. ^ Castleman & Podrazik 1976, p. 63.
  34. ^ Castleman & Podrazik 1976, p. 350.
  35. ^ CASH BOX Top 100 Singles - Week ending DECEMBER 30, 1967”. cashboxmagazine.com. 2012年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月18日閲覧。
  36. ^ a b c Miles 2001, p. 283.
  37. ^ Unterberger 2006, pp. 183, 324.
  38. ^ Hill 2007, pp. 302–303.
  39. ^ Sounes 2010, p. 199.
  40. ^ a b Winn 2009, p. 135.
  41. ^ a b Castleman & Podrazik 1976, p. 259.
  42. ^ Miles 2001, p. 284.
  43. ^ Hill 2007, p. 303.
  44. ^ a b Havers, Richard (2021年11月10日). “ザ・ビートルズと「Hello, Goodbye」のプロモ・フィルム”. uDiscovermusic.jp. UNIVERSAL MUSIC JAPAN. 2023年1月21日閲覧。
  45. ^ Goldstein, Richard (31 December 1967). “Are the Beatles Waning?”. The New York Times: p. 62 
  46. ^ Jones, Nick (18 November 1967). “Still the Beatles Old Soul and Feeling”. Melody Maker: 10. http://www.rocksbackpages.com/Library/Article/new-singles-including-the-beatles-pink-floyd-and-buffalo-springfield. 
  47. ^ “Cash Box Record Reviews”. Cash Box: 30. (25 November 1967). 
  48. ^ Ingham 2006, p. 48.
  49. ^ Stark 2005, pp. 219–220.
  50. ^ Unterberger, Richie. Magical Mystery Tour - The Beatles | Songs, Reviews, Credits - オールミュージック. 2020年9月23日閲覧。
  51. ^ The Beatles - Magical Mystery Tour”. Pitchfork (2009年9月9日). 2020年9月23日閲覧。
  52. ^ 100 Greatest Beatles Songs As Chosen By Music's A-Listers: 100-51”. NME (2015年3月17日). 2020年9月23日閲覧。
  53. ^ Top 50 Beatles Songs 50-31”. Ultimate Classic Rock. 2020年9月23日閲覧。
  54. ^ 100 Greatest Beatles Songs: 100 - 'Hello, Goodbye'”. Rolling Stone (2011年9月19日). 2020年9月23日閲覧。
  55. ^ Alexander, Phil (2006年6月). “The 101 Greatest Beatles Songs”. Mojo: p. 83 
  56. ^ Go-Set Australian Charts – 17 January 1968 (Singles)”. poparchives.com.au. 2020年7月31日閲覧。
  57. ^ "Austriancharts.at – The Beatles – Hello, Good Bye" (in German). Ö3 Austria Top 40. 2020年9月23日閲覧。
  58. ^ "Ultratop.be – The Beatles – Hello, Good Bye" (in French). Ultratop 50. 2020年9月23日閲覧。
  59. ^ "Ultratop.be – The Beatles – Hello, Good Bye" (in Dutch). Ultratop 50. 2020年9月23日閲覧。
  60. ^ Top RPM Singles: Issue 837”. RPM. Library and Archives Canada. 2022年1月11日閲覧。
  61. ^ "Dutchcharts.nl – The Beatles – Hello, Good Bye" (in Dutch). Single Top 100. 2020年9月23日閲覧。
  62. ^ Tous les succès des Années 60”. InfoDisc. 2015年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月31日閲覧。
  63. ^ ザ・ビートルズのシングル売上TOP16作品”. ORICON NEWS. オリコン. 2022年11月17日閲覧。
  64. ^ The Irish Charts - Search Results - Hello Goodbye”. Irish Singles Chart. 2022年3月27日閲覧。
  65. ^ The Beatles”. Flavour of New Zealand. 2020年7月31日閲覧。
  66. ^ "Norwegiancharts.com – The Beatles – Hello, Good Bye". VG-lista. 2020年9月23日閲覧。
  67. ^ Swedish Charts 1966-1969/Kvällstoppen - Listresultaten vecka för vecka > December 1967” (Swedish). hitsallertijden.nl. 2020年7月31日閲覧。
  68. ^ "Swisscharts.com – The Beatles – Hello, Good Bye". Swiss Singles Chart. 2020年9月23日閲覧。
  69. ^ The Hot 100 Chart”. Billboard (1967年12月30日). 2020年9月23日閲覧。
  70. ^ CASH BOX Top 100 Singles – Week ending DECEMBER 30, 1967”. cashboxmagazine.com. 2012年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月31日閲覧。
  71. ^ The Beatles Single-Chartverfolgung (in German)”. musicline.de. 2013年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月31日閲覧。
  72. ^ “Billboard Hits of the World”. Billboard: 46. (17 February 1968). https://books.google.com/books?id=s0UEAAAAMBAJ&pg=PA55&dq=Nirvana+Sitar+and+String+Group&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwi5ppntp4PVAhXEp5QKHX1QDkIQ6AEIKDAA#v=onepage&q=Walzer&f=false. 
  73. ^ Go-Set Top 40 for 1968”. poparchives.com.au. 2020年7月31日閲覧。
  74. ^ Jahreshitparade 1968” (ドイツ語). austriancharts.at. 2020年9月時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月31日閲覧。
  75. ^ Jaaroverzichten 1968” (オランダ語). Ultratop. 2020年7月31日閲覧。
  76. ^ The RPM 100 Top Singles of 1968”. RPM. Library and Archives Canada. 2020年9月23日閲覧。
  77. ^ Top 100-Jaaroverzicht van 1968” (オランダ語). Dutch Top 40. 2020年9月23日閲覧。
  78. ^ "American single certifications – The Beatles – Hello Goodbye". Recording Industry Association of America. 2020年7月31日閲覧
  79. ^ Turner 1999, p. 140.
  80. ^ 【The Beatles】フジテレビ系『ボクらの時代』オープニング・テーマは?”. CDJournal リサーチ. 株式会社シーディージャーナル (2010年1月19日). 2021年8月20日閲覧。
  81. ^ 東京書籍 NEW HORIZON 1年” (PDF). 秀学社. 2021年8月21日閲覧。
  82. ^ とにかく明るい安村、マジメイト大槻ら異彩放つ歌ネタ王準決勝、発表はLINE LIVE”. お笑いナタリー. ナターシャ (2019年8月8日). 2020年6月29日閲覧。
  83. ^ Womack 2014, p. 372.
  84. ^ Madinger & Easter 2000, pp. 308, 315–317, 320–332.
  85. ^ Badman 2001, p. 430.
  86. ^ Madinger & Easter 2000, pp. 317, 334.
  87. ^ Sounes 2010, p. 512.
  88. ^ Erlewine, Stephen Thomas. “Paul McCartney Back in the U.S.”. AllMusic. 2019年5月19日閲覧。
  89. ^ a b c d e f Cover versions of Hello, Goodbye by The Beatles”. Second Hand Songs. 2019年5月19日閲覧。
  90. ^ Allen Toussaint Orchestra Beatles Songbook”. AllMusic. 2019年5月19日閲覧。
  91. ^ YMOの新録音源も!坂本龍一音楽全集で幸宏&細野選曲”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2010年3月25日). 2019年5月18日閲覧。
  92. ^ Leahey, Andrew. “Glee Glee: The Music, Vol. 3 – Showstoppers”. AllMusic. 2019年5月19日閲覧。
  93. ^ O'Donnell, Kevin (2010年10月7日). “'Glee' Cast Smashes Beatles Chart Record”. Spin. 2019年5月19日閲覧。
  94. ^ Canadian Music: Top 100 Songs Chart”. Billboard (2010年5月1日). 2019年5月19日閲覧。
  95. ^ Discography Glee Cast”. irish-charts.com. 2019年5月19日閲覧。
  96. ^ 木村カエラ、ビートルズ“Hello goodbye”のカヴァーがキヤノンCM曲に”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード (2012年7月23日). 2019年5月18日閲覧。
  97. ^ Guardianmusic (2014年9月9日). “Hear the Cure cover the Beatles on their first new recording for six years - exclusive”. The Guardian. 2019年5月19日閲覧。
  98. ^ ビートルズ来日50周年記念カバーアルバムにShiggy Jr.ら新世代5組”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2016年5月14日). 2019年5月18日閲覧。
  99. ^ Weingarten, Christopher R. (2016年8月17日). “Evanescence's Amy Lee Details Kids Album 'Dream Too Much'”. Rolling Stone. 2019年5月19日閲覧。

参考文献

  • Badman, Keith (2001). The Beatles Diary Volume 2: After the Break-Up 1970-2001. London: Omnibus Press. ISBN 978-0-7119-8307-6 
  • Carr, Roy; Tyler, Tony (1978). The Beatles: An Illustrated Record. London: Trewin Copplestone Publishing. ISBN 0-450-04170-0 
  • Castleman, Harry; Podrazik, Walter J. (1976). All Together Now: The First Complete Beatles Discography 1961-1975. New York, NY: Ballantine Books. ISBN 0-345-25680-8 
  • Everett, Walter (1999). The Beatles as Musicians: Revolver through the Anthology. New York, NY: Oxford University Press. ISBN 978-0-19-512941-0 
  • Guesdon, Jean-Michel; Margotin, Philippe (2013). All the Songs: The Story Behind Every Beatles Release. New York, NY: Black Dog & Leventhal. ISBN 978-1-57912-952-1 
  • Hertsgaard, Mark (1996). A Day in the Life: The Music and Artistry of the Beatles. London: Pan Books. ISBN 0-330-33891-9 
  • Hill, Tim (2007). John, Paul, George, and Ringo: The Definitive Illustrated Chronicle of the Beatles, 1960-1970. New York, NY: Sterling Publishing. ISBN 978-1-4027-4223-1 
  • Ingham, Chris (2006). The Rough Guide to the Beatles (2nd edn). London: Rough Guides. ISBN 978-1-84353-720-5 
  • MacDonald, Ian (1998). Revolution in the Head: The Beatles' Records and the Sixties (1st rev. edn). London: Pimlico. ISBN 0-7126-6697-4 
  • Madinger, Chip; Easter, Mark (2000). Eight Arms to Hold You: The Solo Beatles Compendium. Chesterfield, MO: 44.1 Productions. ISBN 0-615-11724-4 
  • Lewisohn, Mark (2005). The Complete Beatles Recording Sessions: The Official Story of the Abbey Road Years 1962-1970. London: Bounty Books. ISBN 978-0-7537-2545-0 
  • Miles, Barry (2001). The Beatles Diary Volume 1: The Beatles Years. London: Omnibus Press. ISBN 0-7119-8308-9 
  • Sheff, David (2010). All We Are Saying: The Last Major Interview with John Lennon and Yoko Ono. New York, NY: Macmillan. ISBN 978-1-4299-5808-0 
  • Sounes, Howard (2010). Fab: An Intimate Life of Paul McCartney. London: HarperCollins. ISBN 978-0-00-723705-0 
  • Spignesi, Stephen; Lewis, Michael (2009). 100 Best Beatles Songs: A Passionate Fan's Guide. New York, NY: Black Dog & Leventhal. ISBN 978-1-57912-842-5 
  • Stark, Steven D. (2005). Meet the Beatles: A Cultural History of the Band That Shook Youth, Gender, and the World. New York, NY: HarperCollins. ISBN 0-06-000892-X 
  • Turner, Steve (1999). A Hard Day's Write: The Stories Behind Every Beatles Song (2nd ed.). New York, NY: Carlton/HarperCollins. ISBN 0-06-273698-1 
  • Unterberger, Richie (2006). The Unreleased Beatles: Music & Film. San Francisco, CA: Backbeat Books. ISBN 978-0-87930-892-6 
  • Winn, John C. (2009). That Magic Feeling: The Beatles' Recorded Legacy, Volume Two, 1966-1970. New York, NY: Three Rivers Press. ISBN 978-0-307-45239-9 
  • Womack, Kenneth (ed.) (2009). The Cambridge Companion to the Beatles. Cambridge, UK: Cambridge University ress. ISBN 978-0-521-86965-2 
  • Womack, Kenneth (2014). The Beatles Encyclopedia: Everything Fab Four. Santa Barbara, CA: ABC-CLIO. ISBN 978-0-313-39171-2 

関連項目

外部リンク

先代
Billboard Hot 100 第1位
1967年12月30日 – 1968年1月13日 (1967-12-30 – 1968-01-13)(3週)
次代
  • ジョン・フレッド&プレイボーイ・バンド
  • 「ジュディのごまかし」
先代
  • ロング・ジョン・ボルドリー
  • 「レット・ザ・ハートエイクス・ビギン」
全英シングルチャート 第1位
1967年12月6日 – 1968年1月17日 (1967-12-06 – 1968-01-17)(7週)
次代

Read other articles:

American horror franchise The ShiningOfficial franchise logoCreated byStephen KingOriginal workThe ShiningOwnerWarner Bros.Films and televisionFilm(s) The Shining Doctor Sleep Television seriesThe ShiningAudioSoundtrack(s)The Shining (Original Motion Picture Soundtrack) The Shining is an American supernatural horror media franchise that originated from the 1977 novel of the same name by Stephen King. The novel was later adapted into a 1980 film and a 1997 television miniseries. King later wrote …

2014 South Korean TV series Parts of this article (those related to the remake of a South Korean channel) need to be updated. Please help update this article to reflect recent events or newly available information. (March 2023) Misaeng: Incomplete LifePromotional posterAlso known asAn Incomplete LifeGenreWorkplace DramaBased onMisaengby Yoon Tae-hoDeveloped byChoi Jin-hee and Park Ji-young for tvNWritten byJung Yoon-jungDirected byKim Won-seokStarringIm Si-wan Lee Sung-min Kang So-ra Kang Ha-neu…

Endank SoekamtiAsalYogyakarta, IndonesiaGenreRock alternatifpop punkskate-punkindie rockTahun aktif2001–sekarangLabelProton Record (2003-2004)Warner (2005-2007)Nagaswara (2010-2011)Euforia Record (2012-Sekarang)Situs websoekamti.comAnggotaErix SoekamtiDory SoekamtiTony SoekamtiMantan anggotaUlogFendyAri Hamzah Endank Soekamti adalah grup musik rock Indonesia yang dibentuk pada tahun 2001 di Yogyakarta. Sejarah Awal Terbentuk (2001) Berdiri pada malam tahun baru, 1 Januari 2001, dengan personil…

Governor of New Jersey from 2002 to 2004 McGreevey redirects here. For the surname, see McGreevey (surname). Jim McGreeveyMcGreevey in 200952nd Governor of New JerseyIn officeJanuary 15, 2002 – November 15, 2004Preceded byRichard Codey (acting)Succeeded byRichard Codey19th Mayor of Woodbridge TownshipIn officeJanuary 1, 1992 – January 15, 2002Preceded byJoseph DeMarinoSucceeded byFrank PelzmanMember of the New Jersey Senatefrom the 19th districtIn officeJanuary 11, 1994…

Sistem liga sepak bola Inggris, juga dikenal sebagai piramida sepak bola, adalah sebuah sistem hubungan antar liga bagi klub-klub sepak bola di Inggris (karena alasan sejarah beberapa klub dari Wales juga berkompetisi). Sistem ini memiliki format hierarki dengan sistem promosi dan degradasi antara liga-liga pada tingkat berbeda, dan memungkinkan klub terkecil sekalipun untuk berandai-andai naik ke puncak sistem. Terdapat lebih dari 1.857.763 liga, dan lebih dari 4.800.000.000 divisi berkompetisi…

Disambiguazione – Se stai cercando altri significati, vedi Madagascar (disambigua). Madagascar (dettagli) (dettagli) (mg) Tanindrazana, Fahafahana, Fandrosoana(IT) Terra ancestrale, Libertà, Progresso Madagascar - Localizzazione Dati amministrativiNome completoRepubblica del Madagascar Nome ufficiale(mg) Repoblikan'i Madagasikara(FR) République de Madagascar Lingue ufficialimalgascio e francese Capitale Antananarivo  (1.275.207 ab. / 2018) PoliticaForma di governoRepubbli…

20e arrondissement de Paris « arrondissement de Ménilmontant » Le pavillon de l'Ermitage dans le jardin de l'Hospice-Debrousse. Administration Pays France Ville Paris Quartiers administratifs Belleville (77)Saint-Fargeau (78)Père-Lachaise (79)Charonne (80) Maire Mandat Éric Pliez depuis 2020 Code postal 75020 Code Insee 75120 Démographie Population 189 805 hab. (2021 ) Densité 31 740 hab./km2 Géographie Coordonnées 48° 51′ 54″ nord,…

Pour les articles homonymes, voir Mont-Saint-Martin. Mont-Saint-Martin Fochaire (Bourg central et son église). Administration Pays France Région Auvergne-Rhône-Alpes Département Isère Arrondissement Grenoble Intercommunalité Grenoble-Alpes Métropole Maire Mandat Vincent Lecourt 2020-2026 Code postal 38120 Code commune 38258 Démographie Populationmunicipale 88 hab. (2021 ) Densité 17 hab./km2 Géographie Coordonnées 45° 16′ 20″ nord, 5° 40′ 33…

Questa voce sull'argomento centri abitati della Romania è solo un abbozzo. Contribuisci a migliorarla secondo le convenzioni di Wikipedia. Segui i suggerimenti del progetto di riferimento. PișchiacomunePișchia – Veduta LocalizzazioneStato Romania Regione Banato Distretto Timiș TerritorioCoordinate45°54′N 21°20′E / 45.9°N 21.333333°E45.9; 21.333333 (Pișchia)Coordinate: 45°54′N 21°20′E / 45.9°N 21.333333°E45.9; 21.333333…

Japanese politician ViscountIshii Kikujirō 石井 菊次郎Viscount Ishii Kikujirō in 1918Born(1866-04-24)April 24, 1866Mobara, Chiba, JapanDiedMay 25, 1945(1945-05-25) (aged 79)Tokyo, JapanCause of deathAir strikeNationalityJapaneseOccupation(s)Diplomat, Cabinet Minister In this Japanese name, the surname is Ishii. Viscount Ishii Kikujirō (石井 菊次郎, April 24, 1866 – May 25, 1945), was a Japanese diplomat and cabinet minister in Meiji, Taishō and early Shōwa period Japan…

Bengali cinema 1930s 1930 1931 1932 1933 19341935 1936 1937 1938 1939 1940s 1940 1941 1942 1943 19441945 1946 1947 1948 1949 1950s 1950 1951 1952 1953 19541955 1956 1957 1958 1959 1960s 1960 1961 1962 1963 19641965 1966 1967 1968 1969 1970s 1970 1971 1972 1973 19741975 1976 1977 1978 1979 1980s 1980 1981 1982 1983 19841985 1986 1987 1988 1989 1990s 1990 1991 1992 1993 19941995 1996 1997 1998 1999 2000s 2000 2001 2002 2003 20042005 2006 2007 2008 2009 2010s 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017…

Roman Province Provincia Mauretania TingitanaProvince of the Roman Empire42 AD–Early 8th centuryThe province of Mauretania Tingitana within the Roman Empire, c. 125 ADCapitalTingis, SeptemHistorical eraClassical Antiquity, Late Antiquity• Incorporated into the Roman Empire as a full province 42 AD• Vandal Conquest 430s AD• Byzantine partial reconquest by Vandalic War 534 AD• Muslim conquest Early 8th century Preceded by Succeeded by Mauretania Vandal Kingdom V…

Former Eurostar terminus in London 51°30′11″N 0°06′53″W / 51.502973°N 0.114809°W / 51.502973; -0.114809 (London Waterloo Railway Station) Waterloo International Four Eurostar Class 373s at Waterloo International in June 2006LocationSouth BankLocal authorityLondon Borough of LambethManaged byNetwork RailOwnerNetwork RailStation codeWITNumber of platforms5Key dates14 November 1994Opened13 November 2007Closed5 August 2017Reopened temporarily5 September 20…

Сибирский горный козёл Научная классификация Домен:ЭукариотыЦарство:ЖивотныеПодцарство:ЭуметазоиБез ранга:Двусторонне-симметричныеБез ранга:ВторичноротыеТип:ХордовыеПодтип:ПозвоночныеИнфратип:ЧелюстноротыеНадкласс:ЧетвероногиеКлада:АмниотыКлада:СинапсидыКласс:…

Baby Let's Play HouseLagu oleh Elvis PresleySisi-BI'm Left, You're Right, She's GoneDirilis10 April 1955GenreRockabilly[1]Durasi2:15LabelSun 217PenciptaArthur Gunter Baby Let's Play House adalah sebuah lagu yang ditulis oleh Arthur Gunter dan direkam olehnya pada 1954 pada label rekaman Excello Records,[2] dan di-cover oleh Elvis Presley pada tahun berikutnya pada label rekaman Sun Records.[3] Ini adalah keluaran keempar dari sebuah rekaman Presley oleh Sun,[4] da…

Research framework Thematic interpretation is an approach to heritage interpretation originally advocated by Professor William J. Lewis (University of Vermont)[1] and subsequently developed by Professor Sam H. Ham (University of Idaho). In the thematic approach, an interpreter relies on a central theme (i.e., a major point or message) to guide development of a communication activity or device. In presenting the activity or device, the thematic interpreter develops the theme in such a way…

Prince-bishopric of the Holy Roman Empire This article does not cite any sources. Please help improve this article by adding citations to reliable sources. Unsourced material may be challenged and removed.Find sources: Prince-Bishopric of Metz – news · newspapers · books · scholar · JSTOR (December 2009) (Learn how and when to remove this message) Prince-Bishopric of MetzPrincipauté épiscopale de Metz (French)Fürstbistum Metz (German)Prince-b…

هذه المقالة بحاجة لصندوق معلومات. فضلًا ساعد في تحسين هذه المقالة بإضافة صندوق معلومات مخصص إليها.   لمعانٍ أخرى، طالع عدوان (توضيح).الشجار أحد أشكال أنواع العدوان. عدوان[1][2][3] هو تفاعل اجتماعي (عملية التأثير المتبادل الذي يمارسه الأفراد على بعضهم البعض أثنا…

26-й окремий стрілецький батальйон(2022—) Нарукавний знак батальйону[1]Засновано 2022Країна  УкраїнаВид Сухопутні військаТип  Механізовані військаЧисельність БатальйонУ складі  47 ОМБрВійни/битви Російське вторгнення в Україну (2022) Бої за Авдіївку (з 2022) У Вікіп…

Ford Super DutyInformasiProdusenFord Motor CompanyModel untuk tahun1999–sekarangBodi & rangkaKelasTruk pikap kelas berattruk engkel tunggal Truk Engkel GandaTata letakMesin depan, penggerak roda belakang/4WDKronologiPendahuluFord F-250/350 (1992–1997) Ford Super Duty adalah truk pikap dengan kelas di atas 8.500 pon (3.900 kg) yang diproduksi oleh Ford sejak tahun 1998. F-250 sampai F-550 Super Duty diproduksi di Pabrik Truk Kentucky di Louisville, Kentucky. F-650 dan F-750…

Kembali kehalaman sebelumnya