アンドリュー・"アンディ"・ホワイト (Andrew "Andy" White、1930年 7月27日 - 2015年 11月9日 )は、スコットランド人 のドラマー で、おもにセッション・ミュージシャン として活動した。ホワイトは敬愛を込めて「5人目のビートルズ 」と呼ばれることがあるが、これはビートルズ の最初のシングル 「ラヴ・ミー・ドゥ 」で、リンゴ・スター に代わってドラムス を演奏したことで、最もよく知られているためである[ 1] 。アメリカ合衆国 で発売された7インチ・シングルや、イギリス におけるデビュー・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー 』では、ホワイトが演奏したバージョンが採用されている。また、シングル「ラヴ・ミー・ドゥ」のB面曲「P.S.アイ・ラヴ・ユー 」でも、ホワイトがドラムスを担当している[ 2] [ 3] 。
ホワイトは、イギリス でもアメリカ合衆国 でも、チャック・ベリー 、ビリー・フューリー 、ハーマンズ・ハーミッツ 、トム・ジョーンズ など、様々な有名ミュージシャンたちやグループと共演した。AllMusic は、ホワイトについて「1950年代 末から1970年代 半ばにかけて、イングランド で最も忙しかったドラマーのひとり」と述べている[ 1] 。
生い立ちと初期のキャリア
アンディ・ホワイトは、1930年 7月27日 にスコットランド のグラスゴー で生まれた。12歳の時にパイプ・バンド (英語版 ) でドラムを始め、17歳の時にはプロのセッション・ミュージシャン となった。1950年代 から1960年代 はじめにかけて、ホワイトは数多くのスウィング やトラディショナル・ジャズ のグループやミュージシャンたちと共演した[ 1] [ 4] 。1958年 、ホワイトはビッグバンド を編成し、アメリカ合衆国北東部 で活動したが、この時、チャック・ベリー 、プラターズ 、ビル・ヘイリーと彼のコメッツ など、ロックンロール のバックを務める機会をもった。ホワイトの言によれば「我々は、ビッグバンド用の編曲を使って、それにバックビート を加えて、ロックンロール曲に合うようにした。ロックンロールを肉体で聴く機会をもったわけだ。このとき私は、ドラムにおいてこれから何が起ころうとしているのか、ひらめいたんだ[ 4] 。1960年 、ホワイトはロンドンで、ビリー・フューリー の最初のアルバム『The Sound of Fury 』の録音に参加したが、このアルバムは一般的に、イギリス最初のロックンロールのアルバムと見なされている[ 1] 。
1960年代 はじめ、ホワイトはテムズ・ディットン (英語版 ) に住み、イギリス・デッカ のアーティストだったリン・コーネル (英語版 ) と結婚していたが、彼女は後にヴァーノン・ガールズ (英語版 ) やパールズ (英語版 ) 、さらに、『ビルボード 』誌のチャートに5週入って最高39位まで上昇した、ビートルズ関係のノベルティ・ソング としては最大のヒット曲「We Love You Beatles 」を歌ったケアフリーズ (英語版 ) のメンバーとなった[ 5] [ 6] 。
ビートルズ
1962年 9月、ホワイトはロン・リチャーズ (英語版 ) からの電話を受け、ロンドン のアビー・ロード にあるEMI のアビー・ロード・スタジオ で行われるビートルズ のレコーディング・セッションに参加してほしいと依頼された。当時リチャーズは、レコード・プロデューサー であるジョージ・マーティン の助手をしており、過去にもホワイトを起用したことがあった。ビートルズは既に「ラヴ・ミー・ドゥ 」を2回録音しており、1962年6月6日 のEMIのオーディション では、この時点でまだメンバーだったピート・ベスト がドラムスを担当しており、9月4日 にはその前の月にベストと交代したリンゴ・スター がドラムスを担当していた[ 7] 。マーティンは、ベストの演奏を良しとせず、新参のスターの演奏にも不満だった[ 8] 。1962年9月11日 、その日の録音担当だったリチャーズは、サイドの録音を求め、ビートルズは「ラヴ・ミー・ドゥ」の3度目の録音に臨んだが、このときホワイトがスターに代わってドラムスを演奏し、スターはタンバリン を叩いた[ 1] [ 5] 。このセッションでは「P.S.アイ・ラヴ・ユー 」も録音され、ホワイトは「軽快なチャチャチャ のビート (lightweight cha-cha-chá beat)」を叩き[ 9] 、スターはマラカス を演奏した[ 10] 。ホワイトによれば、このセッションの報酬は5ポンドで、ドラムセット を持ち込んだ経費として10シリング(1ポンドの半分に相当)が上乗せされたというが[ 11] 、レコードの売上に応じて支払われるロイヤルティー は何もなかったという[ 5] [ 12] 。
スターがドラムスを演奏したバージョンの「ラヴ・ミー・ドゥ」は、1962年 にイギリスでプレスされた初期のシングルに採用された。一方、ホワイトがドラムスを演奏したバージョンは、1964年 にアメリカ合衆国で最初にプレスされたシングルに用いられ、その後のすべてのシングルや、ビートルズの1963年 のデビュー・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー 』、その後、この曲を収録したほとんどすべてのアルバムで用いられている[ 2] [ 3] 。スターがドラムスを演奏しているバージョンも、幾度かリリースされており、1980年 に北アメリカで発売されたコンピレーション・アルバム 『レアリティーズ 』や、1988年 に全世界で発売されたコンピレーション・アルバム『パスト・マスターズ 』にも収録されている。1992年 には、スターとホワイトの両バージョンを収録したシングルがリリースされた。 ホワイトのバージョンにはスターが演奏するタンバリンの音が入っているので、両バージョンの聴き分けは容易である[ 10] 。ピート・ベストが演奏しているバージョンは、かつては失われたものと思われていたが。1995年 の『ザ・ビートルズ・アンソロジー1 』で初めてリリースされた。ホワイトがドラムスを演奏した「P.S.アイ・ラヴ・ユー 」は、 「ラヴ・ミー・ドゥ」のB面曲となり、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』にも収録された[ 2] 。
英国放送協会 (BBC) による2012年 のインタビューで、ホワイトは、9月11日のセッションでは楽曲「プリーズ・プリーズ・ミー 」も吹き込み、このバージョンがヒットしたシングルに用いられたとも述べている。「ドラムのサウンドから、これを叩いているのは自分だと分かるよ、何しろ当時のリンゴのドラムセットとは、音色がかけ離れているからね。この時、彼はまだラディック のドラムセットを持っていなかったんだ。ドラマーはひとりひとり個性あるサウンドを持っているんだが、これはまず、個々のドラムのチューニングの仕方で違いが生まれ、さらに演奏の仕方でも違いが生まれるんだ。[ 11] 」
ホワイトがビートルズと共演したのは、この時だけであったが、それだけでも彼が「歴史書に入る」には十分だったし[ 1] 、いわゆる「5人目のビートルズ 」と言われる一人となるだけの特別なことであった[ 4] 。ホワイトによれば、その日、スタジオの中で彼と一緒に演奏したビートルズのメンバーは、この曲のソングライター でもあったジョン・レノン とポール・マッカートニー だけだったという。「彼らは、楽譜を一切使わなかったので、レコーディングを始める前に、私はルーティーンを彼らと一緒に演奏して、彼らが何を望んでいるのかをつかむことが必要だった。[ 4] 」
その他のプロジェクト
その後、ホワイトは、ハーマンズ・ハーミッツ の一連のヒット・レコードや、トム・ジョーンズ のヒット曲「よくあることさ (It's Not Unusual )」、ルル の「シャウト (Shout )」で演奏した[ 13] 。このほか共演したミュージシャンやグループは多数にのぼり、その中には、ロッド・スチュワート 、アンソニー・ニューリー 、バート・ウィードン (英語版 ) 、グラスゴーのBBCスコティッシュ・ラジオ・オーケストラ (英語版 ) などもあった。1960年代 半ば、ホワイトはマレーネ・ディートリヒ とともにアメリカ合衆国 をツアーし、彼女のキャバレー ・ショーで演奏したが、その音楽監督をしていたのは、当時まだ無名だったバート・バカラック であった[ 1] [ 3] [ 4] 。1965年 から、引退する1975年 までは、イギリス人のピアニストで作曲家のウィリアム・ブレザード (英語版 ) とともにツアーをした。
ホワイトは、2008年 に再び「P.S.アイ・ラヴ・ユー」を演奏することとなったが、この時は、ニュージャージー州 を拠点とするバンド、スミザリーンズ (英語版 ) のバージョンに参加したのであった。その前年、2007年に、スミザリーンズは、ビートルズへのトリビュートとして、『ミート・ザ・ビートルズ 』を丸ごとカバーしたアルバム『ミート・ザ・スミザリーンズ! (Meet the Smithereens! )』を録音していた。ビートルズの専門家であるトム・フランジョーネ (Tom Frangione) がホワイトをバンドに紹介し、バンドの面々はホワイトに、ハイランド・パーク (英語版 ) にある彼らのスタジオ「House of Vibes」で行う、次のビートルズ・トリビュート企画の録音への参加を依頼した。ホワイトは「P.S.アイ・ラヴ・ユー」のドラムスを演奏し、このバージョンは、ビートルズの1962年 から1965年 のシングルB面曲をカバーしたアルバム『B-Sides the Beatles 』に収録されて、2008年の遅い時期にリリースされた[ 14] 。ホワイトは2008年5月にニュージャージー州 ミルバーン (英語版 ) のペーパー・ミル・プレイハウス (英語版 ) で開催されたヘルスケア関係の資金集めのチャリティ・イベント「We Get By with a Little Help From Our Friends 」でも、スミザリーンズと共演してドラムスを演奏した[ 4] 。
1980年代 後半、ホワイトはアメリカ合衆国に移住し、ニュージャージー州コールドウェル (英語版 ) に定住して、スコットランドのパイプ・バンドのドラミングを教えるようになった[ 15] 。また、ホワイトは、Eastern United States Pipe Band Association (EUSPBA) の審査員や、ニューヨーク市更生局 (英語版 ) エメラルド・パイプ・バンド (Emerald Pipe Band) のドラム指導員なども務めた。ホワイトは、司書 で、カートゥーン ネットワーク の番組『おくびょうなカーレッジくん 』でミュリエルの声優 もしているシア・ホワイト (英語版 ) と結婚生活を送った。ホワイトは、自分の車に貼っていたバンパー・ステッカー (英語版 ) には「5THBEATLE」と記されていた。彼の話では、「生徒の一人がそいつをくれたんだ」という[ 4] 。
死
ホワイトは、2015年 11月9日 に発作を起こし、ニュージャージー州コールドウェルにおいて、85歳で死去した[ 13] [ 16] 。
脚注
^ a b c d e f g Eder, Bruce. “Andy White ”. AllMusic . 7 January 2010 閲覧。
^ a b c Ingham, Chris (2003). The rough guide to the Beatles (Illustrated ed.). Rough Guides. p. 18. ISBN 1-84353-140-2 . https://books.google.com/books?id=htl2U1fPq8QC&pg=PA18
^ a b c Marck, John T. “Love Me Do ”. I Am The Beatles . 19 December 2009時点のオリジナル よりアーカイブ。8 January 2010 閲覧。
^ a b c d e f g Jordan, Chris (23 May 2008). “'Fifth Beatle' Andy White is still keeping time ”. myCentralJersey.com . 7 January 2010 閲覧。
^ a b c “Who backed The Beatles? ”. Something Books . 8 January 2010 閲覧。
^ Harry, Bill, Bigger than the Beatles , p.195–196
^ Dunn, Brad (2006). When They Were 22: 100 Famous People at the Turning Point in Their Lives . Andrews McMeel Publishing. p. 143. ISBN 0-7407-5810-1 . https://books.google.com/books?id=QLc5oWuTIMcC&pg=PA143
^ Thompson, Gordon (2008). Please Please Me: Sixties British Pop, Inside Out (Illustrated ed.). Oxford University Press. p. 63. ISBN 0-19-533318-7 . https://books.google.com/books?id=IcFBLtl7sq8C&pg=PT76
^ MacDonald, Ian (2005). Revolution in the Head: The Beatles' Records and the Sixties (Second Revised ed.). London: Pimlico (Rand). ISBN 1-84413-828-3 . https://books.google.com/books?id=9Dt_KAAACAAJ&dq=intitle:Revolution+intitle:in+intitle:the+intitle:Head+intitle:The+intitle:Beatles+intitle:Records+intitle:and+intitle:the+intitle:Sixties&lr=&as_drrb_is=q&as_minm_is=0&as_miny_is=&as_maxm_is=0&as_maxy_is=&num=100&as_brr=0&cd=1
^ a b Cross, Craig (2005). The Beatles: Day-by-day, Song-by-song, Record-by-record . iUniverse. p. 399. ISBN 0-595-34663-4 . https://books.google.com/books?id=9oyXivor2ZoC&pg=PA407
^ a b “Love Me Do: The Beatles '62 ”. BBC Four (2012年10月7日). 2017年10月24日 閲覧。
^ Harry, Bill (2000). The Ultimate Beatles Encyclopedia . MJF Books. ISBN 1-56731-403-1 . https://books.google.com/books?id=OkYKAAAACAAJ&dq=intitle:Ultimate+intitle:Beatles+intitle:Encyclopedia&lr=&as_drrb_is=q&as_minm_is=0&as_miny_is=&as_maxm_is=0&as_maxy_is=&num=100&as_brr=0&cd=1
^ a b “Andy White, early Beatles drummer, dies aged 85 ”. BBC News (11 November 2015). 12 November 2015 閲覧。
^ Borack, John M (2 January 2009). “B-Sides the Beatles ”. BNet . 8 January 2010 閲覧。
^ Racioppi, Joseph. "Caldwell resident has big Beatles connection" , The Progress , 17 September 2009. Accessed 31 January 2011.
^ “Andy White, a Beatle for less than 5 minutes, dies at 85” . Los Angeles Times . (2015年11月12日). http://www.latimes.com/local/obituaries/la-me-andy-white-dies--20151112-story.html 2016年12月24日 閲覧。